杉原千畝ではない「日本のシンドラー」の知られざる物語 | ユダヤ人難民を雇いかくまった在東京ドイツ人工場主がいた (original) (raw)

SOCIETY

Long Read2019.8.17

ユダヤ人難民を雇いかくまった在東京ドイツ人工場主がいた

杉原千畝ではない「日本のシンドラー」の知られざる物語

ヴィリー・フェルスター(中央)とその工場の従業員たちPhotos: courtesy Erica Foerster

ヴィリー・フェルスター(中央)とその工場の従業員たち
Photos: courtesy Erica Foerster

Text by Liane Grunberg

「東洋のシンドラー」「日本のシンドラー」と言えば、杉原千畝だろう。だが、戦時中、元祖シンドラーのように自分の工場でユダヤ人たちを雇用してかくまったドイツ人が、しかも東京にいた。

この「日本のシンドラー」の存在は、日本にいたナチス将校や戦後日本を占領した連合軍の都合によって偽りにくるまれ、歴史の闇に葬られてしまっていた。

最近この歴史的真相を明らかにしたドイツ人研究者に、ユダヤ系メディア「タブレット」が独占取材した──。

歴史の闇に葬られた「日本のシンドラー」

病的な虚言癖があり、気性は「ならず者」のナチス将校ヨーゼフ・マイジンガーは、絞首台で果てるまでのあいだに、まんまと天敵をおとしいれた。

マイジンガーの矛先は、ドイツ出身で東京に工場を持つ反ナチ市民のヴィリー・フェルスターに向かい、自分が犯した数多くのナチスの犯罪にフェルスターが加担したと告発したのだ。

そのせいで、本来なら「日本のオスカー・シンドラー」として擁護されるべき人物だったフェルスターは、名誉を傷つけられ、ほぼ忘れ去られてしまい、その功績は何十年ものあいだ積み重なった偽りの下に埋もれたままになっていた。

フェルスターが戦時中にとった行動と、マイジンガーが嘘を吹聴してフェルスターを首尾よく貶(おとし)めたという事実は、ハンブルク出身のドイツ人科学者クレメンス・ヨッヘン博士による著書『フェルスター事件』(未邦訳)が、2017年に出版され初めて明らかにされた。

『フェルスター事件』(Der Fall Foerster)カバー

目下ドイツ語版しかないこの本はまだほとんど知られていない。著者のヨッヘンが『タブレット』の単独インタビューに応え、自らが進めた調査の結果と最近の展開について新事実を提供する。

知られざる日本での反ナチ逮捕・拷問

「私が興味を持ったのは、アドルフ・アイヒマン逮捕に尽力したことで有名なフリッツ・バウアー検事に宛てたフェルスターの手紙でした」とヨッヘンは語った。

「フェルスターはこの手紙のなかで、ホロコーストを逃れてきたユダヤ人難民を雇用した経緯をかいつまんで説明していました。これには心底驚きました。フェルスターの話が本当ならば、彼は第二のオスカー・シンドラーともいうべき人物だと考えられるわけですから」

この比較には程度の問題がある。フェルスターはナチス・ドイツ国内で事業を展開していたわけではないので、雇用したユダヤ人従業員数はシンドラーに比べてはるかに少ない。

ナチスドイツ時代のユダヤ人救助について語るオスカー・シンドラー。1963年
Photo: Bettmann / Getty Images

とはいえ、重大なリスクを個人的に引き受け、ユダヤ人を雇い入れて守ったという点では、この2人の工場主は驚くほどよく似ている。

ヨッヘンは、自身の調査結果を本のなかで次のように説明している。

調査を始めた当初、このフェルスターのような語られていない実話があったとはにわかに信じられなかった。

ドイツでは、若い世代はとくに、第二次世界大戦やショア(ホロコースト)にまつわる話題は幾千もの本やドキュメンタリー、映画で余すところなく記録されていると思っている。

ところが徐々にわかってきたのは、国家社会主義ドイツ労働者(ナチ)党が日本や日本の占領地域に及ぼした影響、とりわけ反ナチの逮捕や拷問についてはほとんど記されていないということだった。

東京でナチ将校に狙われたドイツ人

話は1941年に始まる。この年、ヨーゼフ・マイジンガーが日本に転属になった。ポーランドでの極悪非道な行為から「ワルシャワの虐殺者」として知られていた男だ。

マイジンガーは1941年から45年まで、ドイツ諜報部と日本の秘密警察の連絡将校として東京で勤務した。この任期中、マイジンガーはわずかしかいない在日ユダヤ人と、ナチス占領下のヨーロッパから日本占領下の上海へと逃れてきた約2万人のユダヤ人難民を迫害、拘留、抹殺するよう日本政府に不断に働きかけた。

「上海ゲットー」のシーワード・ロード。1943年
Photo: Wikimedia Commons

しかしこれがうまくいかなかったので、マイジンガーは代わりに、反ナチ運動者だとみなした人物、とりわけヴィリー・フェルスターを迫害することにしたのだった。

ヨーゼフ・マイジンガー(2列目右から2人目)。ワルシャワでのポーランド最高裁判所裁判にて。1947年
Photo: Wikimedia Commons

1930年代前半、フェルスターはタレット旋盤工場を立ち上げるべく初めて東京にやってきた。

PROFILE

This story originally appeared in English in Tablet magazine, at tabletmag.com, and is published with permission.

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