日本とソ連と母国に引き裂かれた、サハリン島で暮らす韓国人2万5000人の選択 | 「離散する家族が増えるでしょう」 (original) (raw)

サハリン州都で韓国の伝統格闘技シルムの練習に励む若者たち Photo:Sergey Ponomarev/The New York Times

サハリン州都で韓国の伝統格闘技シルムの練習に励む若者たち Photo:Sergey Ponomarev/The New York Times

ロシアのサハリン島には、約2万5000人の韓国人が暮らしている。かつて樺太と呼ばれたこの地に労働者として日本軍によって移住させられた人々と、その子孫だ。韓国政府が残留韓国人の大半の帰還を許可したいま、米紙「ニューヨーク・タイムズ」が長年にわたり置き去りにされてきた人々の実態をレポートしている。

ロシアの東の果てに近いサハリン島では、人々の名前そのものに、「望郷の念」と「引き裂かれたアイデンティティ」の物語が秘められている。

なかには3つの名前──ロシア名、韓国名、日本名──を持つ人もいるが、その一つひとつが、この島の100年にわたる強制移住と戦争の歴史における異なる章を表しているのだ。

タエコ・ニシオは、サハリンが大日本帝国の植民地だった1939年、8歳でこの島に到着すると、日本政府からその名を与えられた。やがてソビエト連邦が第二次世界大戦末期に島を占領すると、新しいロシア人の友人たちは彼女をターニャと呼ぶようになる。しかし、彼女のもともとの名はチョン・チェヨンだった。それから80年の時を経て、彼女はついに生まれ故郷の韓国へ帰還する準備を進めている。

ニシオの娘であるキム・グムヒは、今年の秋、二人が暮らすコンクリート造りのアパートに韓国領事館から電話がかかってきたとき、「ママ!」と大声で叫んだことを思い出す。「故郷に帰れるわよ!」

歴史に取り残されたサハリンの韓国人たちが、再び移動を始めようとしている。今年、韓国で施行された法律によって、多くのサハリン残留韓国人が祖国への帰還を許可されたのだ。3世代前に労働者としてこの地に連行され、ソ連の支配下で無国籍状態に置かれてきた人々が、長らく待ち望んでいた救済の瞬間である。

韓国人の牧師が運営するユジノサハリンスクの教会 Photo: Sergey Ponomarev/The New York Times

しかし、南北約950キロにわたって連なる島、サハリンに暮らす約2万5000人の韓国人の物語は、「移住」と「戦争の長い影」という、いかにもロシア的な物語でもある。韓国は今年、政府による帰還支援の対象者を拡大したが、大半がまだその資格を得ておらず、何千人もの韓国人が、ロシアに残るか、家族を残して帰国するかという苦渋の選択を迫られている。

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Translation by Naoko Nishikawa