東京に亡命した中国人たちが語る「日本の良さ」と「いまとは別の中国」 | 日本への移住を選んだ彼らの本音 (original) (raw)
SOCIETY
4min2024.11.17
日本への移住を選んだ彼らの本音
東京に亡命した中国人たちが語る「日本の良さ」と「いまとは別の中国」
Photo: Tomohiro Ohsumi / Getty Images
Text by Simon Leplâtre
習近平政権による国内の統制が強化されるのに伴い、海外移住を選ぶ中国人が増えている。日本は米国などと並ぶ人気の移住先で、在日中国人の数は着実に増加している。なかでも、東京で暮らす中国人はこれまで以上に政治に関心を持つようになっており、集まりやイベントが積極的におこなわれているという。
仏紙「ル・モンド」が東京の中国人たちに、日本を選んだ理由、中国での苦しみ、そして彼らが構想する未来を聞いた。
東京で中国を学ぶ中国人たち
何足もの靴がドアの前に並んでいる。東京の都心にある地味なビルの小部屋の入り口で、40人ほどの客が用意されたスリッパに履き替えていた。
2024年8月25日、その一室では、東京大学の社会学教授の阿古智子が、中国の農村部のあちこちに足を運んだ20年間の経験を語っていた。生き生きした目のこの小柄な女性が、日本語訛りの強い中国語で、2000年代初めの中国の農村部の様子を語っていく。電気のない村もあれば、建設計画のために住居の移転を強いられた住民もいた。忘れられた少数民族や人権保護の活動家とも交流が多かったという。
話を聞きに来た人は、事情に通じていない門外漢ではない。客の多くは最近、日本の首都で暮らしはじめた中国人なのだ。
「こういう講演会は、いまの中国では絶対にできませんから本当に新鮮です」
30代の中国人男性が笑顔で語る。学生ビザを取得し、4ヵ月前から日本で暮らしているという。「2022年を中国で過ごしたものでしてね」と意味ありげに言い添えた。
「脱出」ブームの要因
中国人の多くにとって2022年は、やっていられない1年だった。中国政府のゼロコロナ政策は、パンデミック対策として導入され、初期は成功を収めた。だが、その後、より感染力が高く、感染拡大を防げない変異株が出てきたのにもかかわらず、政府は厳しい行動制限に固執した。
その結果、都市部で暮らす中国人の大半にとって、2022年は、権力が私生活の内部にまで侵入する、きわめて恣意的な権威主義体制を経験する1年となったのだ。
2022年はまた、習近平が国家主席3期目続投を確実にし、最高指導部の顔ぶれを腹心で固め、バランスをとれる勢力が出てくる見込みがゼロになった年でもあった。
それ以後、中国経済は急失速。中国共産党の政権樹立75周年が祝われた2024年10月1日も、中国国内の雰囲気は陰鬱なままだった。経済は、繰り返されたロックダウンの悪影響がいまも残り、深刻な不動産危機とあいまって低迷が続く。米中対立は、貿易や地政学の方面でいまも続いている。
中国人が明るい見通しを持てず、それが国外脱出を選ぶ中国人の数を増やす要因になっている。2021年、中国のSNSで流行語になったのが「潤学」という言葉だ。大雑把に訳すなら、「脱出の哲学」といった意味合いである。ただし、実際に国外脱出の一歩を踏み出すのは簡単ではない。
上海ですら「生活に適してない」
中国政府は、国外に移住した中国人の統計を公表していない。だが、国連の推算によれば、2022年に31万1000人が中国を離れたという。人気トップの移住先はいまも米国だが、裕福な中国人は、日本、カナダ、オーストラリアにも集まる。貧しい中国人が選ぶ移住先は、タイやマレーシアだ。
中国はもともと国外に移民を送り出す国だったが、2000年代の高度経済成長の時代は、国外移住を選ぶ人の数が減っていた。それが再び増加に転じたのが2018年だった。中国当局による社会の管理がきつくなったのが要因の一つだった。
共産主義体制に順応してきた中国人にさえ、近年の権力の硬直化は目に余るものだった。2022年から東京で暮らす上海出身のカイシュエン(仮名、29)は、「東京在住の中国人の大半は、自分と同じで政治運動に関心がない」と言う。
オーストラリアのメルボルンに留学した彼女は、中国に帰国した後、TikTokを運営する中国企業バイトダンスに就職した。給料はよく、スピード出世できるチャンスもあった。だが、すべてが新型コロナウイルス感染症のせいで一変した。
「さすがに上海ほどの都市では、住民の自由は守られるだろうと上流階級の人はたかをくくっていたんです。でも、ロックダウンがあって、私の両親も『ここは生活に適していない』と言い出しました。国外に脱出するか、あるいは緊急時に使える脱出口を確保しておくべきだという意味です」
カイシュエンの仕事も政治の影響を受けた。
「アニメと漫画が専門のプラットフォームで仕事をしていたのですが、規則がどんどん厳しくなりました」
検閲のせいで独創的なプロジェクトの数々がお蔵入りになり、出世できるチャンスもしぼんでいった。カイシュエンは、日系企業の中国支社に転職し、その後、その会社で日本への転勤を願い出た。
「日本でもらえる給料は、バイトダンスの頃の半分ほどですが、いつクビになるかわからない不安とは無縁でいられます。そこが中国に残った友人たちとは異なるところです。いま、中国のインターネット業界は修羅場ですからね」
2021年のデジタル・プラットフォーム事業者に対する規制強化は、中国のインターネット業界にとって手痛いものとなった。アリババのCEOだったあのジャック・マーも、その率直なもの言いがあだとなり、当局に目をつけられて、中国を離れざるをえなくなった。時代の寵児だった経営者が、中国、日本、アジアの国々を行き来しながら目立たないように生活をしているという。
カイシュエンにとって、移住先に東京を選ぶのは当たり前だった。「上海から2時間で行けて、時差も1時間しかないですから」(続く)
彼ら中国人にとって、日本への移住は距離や安定した職場環境以外にもさまざまなメリットがある。第2回では、東京での暮らしぶりと、彼らが経験したここ数年の「中国の急変」について聞いた。