レインボー研究所【リッチー・ブラックモアとコージー・パウエル達メンバーについて考察】 (original) (raw)

ボブ・ロンディネリ(1955年7月27日ー)

【加入前のキャリア】カーマイン・アピスに師事しアメリロングアイランドのローカルバンドにて活動していたころ、オーディションにて一時はKISS加入が決定していたとも言われている。(実現していたら例のメイクをしていたはずで、かなり迫力があったであろう)同時期にバリー・アンブロージオというリッチーの友人が見つけ出し、リッチーも気に入ったため加入に至った。

【ミュージシャンとしての実力】彼の真価はツーバスにある。そのバリエーションの多さとラウドさは歴代ドラマーでもNo.1と個人的に評価している。フィルインのセンスも良く、楽曲の良いアクセントとなっているケースも多い。

サウンドは若干重めである。

ドラムソロはショーマンシップに富んだド派手な構成となっている。

1.手で叩く 2.スティック飛ばし 3.大型ドラ 4.写真撮影 等

若干リズムがもたるところがあったり、強弱の付け方が甘かったりする所が弱点といえる。

【脱退理由】ちなみに、当時のリッチーはボブ・ロンディネリを指差しての首切りポーズを多様していたため、いつクビになるのかがずっとネタにされていた。リッチーとの関係性は非常に良好で脱退理由は明確になっていない。ジョー・リン・ターナーがリッチーをけしかけて辞めさせたという噂があるが、ジョーは否定している。

【脱退後】レインボー脱退後は引く手数多で、スコーピオンズ、ブラックサバス、ブルーオイスターカルト、アクセル・ルディ・ペル、クワイエットライオット、ライオットやオーバー・ザ・レインボー、ソロ活動等をこなしている。

Bobby Rondinelli with Ritchie Blackmore intro drum solo San Antonio Texas 1982 with Rainbow

ゲイリー・ドリスコール(1946年4月18日ー1987年6月8日)

【加入前のキャリア】1965年にロニー・ディオ&ザ・プロフェッツからキャリアをスタートしており、ロニーとは古くからの音楽仲間だった。その後エルフに移行しそのままレインボーに加入することとなる。

【ミュージシャンとしての実力】アメリカ的ロックンロール・ドラマーでタムの重いチューニングはジョン・ボーナムを彷彿とさせる。(実際に仲が良かったらしい)

跳ねたリズムに真骨頂があり、アルバム「Ritchie Blackmore’s Rainbow」ではクレイグ・グルーバーとのコンビで随所に躍動感溢れるグルーヴを感じるプレイを聴かせてくれる。

【脱退理由】リッチー・ブラックモアはプレイも人間性も高く評価していたらしい。クビにすることに迷いがあったようで、ロニー・ディオも反対したようだが、ライブのリハーサルがうまく行かなかったことで仕方なく解雇。

【脱退後】いくつかのバンドでプレイした後、クレイグ・グルーバーらとバイブル・ブラックを結成したが、成功を手にすることはできなかった、その後はセッションに参加し日銭を稼ぐ毎日を過ごしていたが1987年に薬物取引に巻き込まれ他殺された。

コージー・パウエル(1947年12月29日ー1998年4月5日)

【加入前のキャリア】12歳からドラムを始め、その後ポップバンド、ザ・ソーセラーズに加入しドイツのライブハウスをまわった。イギリスに戻ってからはビッグ・バーサやベドラム、数多くのセッションをこなし、1971年に第2期ジェフ・ベック・グループに参加。1973年にはベドラムを再結成、1974年には「Dance with The Devil」がチャート3位のヒットとなった。

COZY POWELL - DANCE WITH THE DEVIL

コージーのレインボーにおけるオーディションの逸話は複数の人が語っている。シャッフルを20分くらい叩いて即採用決定!となったらしいが、元々輝かしいキャリアを誇るコージーだけに、別格扱いである程度採用は決まっていたのかもしれない。

【ミュージシャンとしての実力】ツーバスを駆使したパワフルかつ派手なプレイが信条。歌心のあるプレイを得意としており、静と動のコントラストの付け方が抜群である。歯切れの良いサウンドによるフィルインの数々は、すぐにコージー印とわかるほどキャラが確立している。

チャイコフスキー「序曲1812」をバックに叩くド派手なドラムソロはコージーの代名詞である。

【脱退理由】レインボーを自ら辞めた数少ない男の一人である。そこには決定的な原因があったわけではなく、少しずつ溜まったフラストレーションが爆発したものと考えられる。その後のキャリアを考えたら長続きしたとも言える。過度なイタズラ好き繋がりでリッチー・ブラックモアとの相性も良かったのであろう。

後任を見つける猶予を与えるため1年前に脱退を宣言していたというところにも漢気があふれている。実際に1980年のドニントンには後任のボブ・ロンディネリが挨拶に来ていたらしい。

【脱退後】1981年にマイケル・シェンカー・グループに加入。アルバム「M.S.G」をリリース。レインボーと同時期に日本公演も実現している。ゲイリー・バーデンの後釜にグラハム・ボネットを推薦しておきながら、自身は翌年に脱退し、1983年からはデヴィッド・カヴァーデルのラブコールに応え、ホワイトスネイクに加入し、1984年には日本公演を行なっている。(MSGやボンジョビと共演)
その後、エマーソン・レイク・アンド・パウエル (ELP)やブラック・サバスへ参加し、"渡り鳥"と揶揄される。
その後、ブライアン・メイ・バンドにて「Since You Been Gone」をプレイしたりピーター・グリーンイングヴェイ・マルムスティーンとレコーディングを行なっている。

そんな中の1998年4月5日、イギリスにて高速道路の中央分離帯に衝突事故を起こし、逝去した。

無念としか言いようがない…

クレイグ・グルーバー(1951年6月15日-2015年5月5日)

【加入前のキャリア】ベースを兼任していたロニー・ジェイムス・ディオがボーカルに専念することとなったエルフに1973年加入。そのまま自動的にリッチー・ブラックモアズ・レインボーの一員となった。

【ミュージシャンとしての実力】当時はあまり振り返られることもなかったクレイグ・グルーバーだが、今になってテクニックが再評価されている。「Snake Charmer」「Black Sheep Of The Family」等で聴かせるハネたリズムが得意。ゲイリー・ドリスコールとのコンビで素晴らしいグルーヴを作り出している。

【脱退理由】最初はエルフのメンバーを気に入っていたリッチー・ブラックモアも、ライブのリハーサルを開始すると同時に徐々に不満が生じて来たらしく、立て続けにクビとなっている。クレイグについては性格的な問題を理由としていた模様。

それでも1977年ジミー・ベイン脱退後にロニー・ジェイムス・ディオの提案で一旦復帰したが1ヶ月で再びクビに。

【脱退後】1984年にゲイリー・ムーア・バンドに加入。日本公演にも参加した。

GARY MOORE - Empty Room - 1984 LIVE

脱退後ゲイリー・ドリスコールとブラック・バイブルというバンドを結成。2015年死去。

ジミー・ベイン(1947年12月19日-2016年1月23日)

【加入前のキャリア】リッチー・ブラックモアの旧友リッキー・マンロがドラムのバンド、ハーロットで中心的存在だった。ベースのみならずボーカルもこなし、ソングライターでもあったらしい。リッチーはジミーをロンドンのマーキーで見染め、引き抜きを敢行した。

【ミュージシャンとしての実力】そのプレイは堅実そのもの。エゴを抑え楽曲を支える姿を見て、トニー・カレイは「バンドの縁の下の力持ちはジミー・ベインだ」と語っている。特にリッチー・ブラックモアのロングソロと相性が良いのは断然ジミー・ベインである、と私も思う。

【脱退の理由】ドイツ公演のステージ上にてチューニングの件でリッチーと口論をしたことを発端に、その日の夜リッチーの彼女と関係を持ってしまったことが決定的理由となった模様。

【脱退後】シンリジィのギタリストだったブライアン・ロバートソンとワイルドホーシズを結成し、ベース兼ボーカルとして活躍。

1982年ディオに加入し長く貢献、ロニー死去後、2013年からディオの旧メンバーで結成したラスト・イン・ラインで活動を開始したがライブが行われる船にて死去。

ボブ・デイズリー(1950年2月13日-)

【加入前のキャリア】オーストラリア出身。オーストラリアのバンド、カーヴァス・ジュートでキャリアスタート。ロンドンに移住後ウイドウメイカーというHRバンドに所属していた時にレインボーのオーディションの誘いがあり、めでたく合格となった。バンドを捨てることを悩んだが、ウイドウメイカーはメンバー間での争いが絶えなかったことが最終的に決め手となった。

リッチーはプレイは勿論だが性格を最も重視することを知っていたボブ・デイズリーは、最初にリッチーと相性が合うかを確かめてからオーディションに臨んだらしい。ボブはリッチーが求めるベーシストはピック弾きが基本であることをこの時に確認している。

【ミュージシャンとしての実力】ファンからは文句なしに歴代最高ベーシストと認定されている。実際にリッチー・ブラックモアコージー・パウエルは、レインボーで一番上手いベーシストだったと語っている。それはライブではベースソロの披露を許されていたことでもわかる。

ボブ・デイズリー在籍時のライブパフォーマンスは間違いなく、最もリズム隊がしっかりとバンドを支えている時期であり、コージー・パウエルとのコンビで形成されるグルーブ感は強力である。

ちなみにアルバム「Long Live Rock ’N’ Roll」はすでにリッチー・ブラックモアが4曲でベースをレコーディングしていたため、ベースがない「Rainbow Eyes」を除いた残りの3曲のみのプレイとなっている模様。

【脱退の理由】数多あるレインボー脱退劇のなかでも、最も難解なのがボブ・デイズリーの脱退理由である。ボブは「リッチーの作曲パートナーであるロニーが脱退したので、新たなパートナーとしてロジャー・グローヴァーを入れたかったのでは?」と推測するが、時系列で追うとボブ・デイズリーの脱退はロニー脱退より前の段階で起こっている。ロニー在籍時にクライヴ・チェアマンのオーディションを行なっていたという証言があるので、その時点ではロジャー・グローヴァーにベースを弾いてもらうという案はなかったと考えられる。背後でどういった駆け引きがあったのかは本人達にしかわからないが、ロニーがマネージャーからクビを伝えられた時に、言い訳として「レインボーは解散した」と伝えられたと語っているので、ついでに巻き添えを食ったのかもしれない。

【脱退後】オジー・オズボーン、ユーライアヒープ、ゲイリー・ムーアマザーズ・アーミー等の有名バンドで活躍。どのバンドでもソングライティングを含めて重要な働きをしている。後にオジー・オズボーンとは著作権の件で裁判沙汰に発展した。

ロジャー・グローヴァー(1945年11月30日-)

【加入前のキャリア】1965年にエピソード・シックスに加入。その後友人のイアン・ギランをボーカルに加入させ活動。この頃から2人でのソングライティングを確立させる。1969年にイアン・ギランがディープ・パープルに誘われた際、ギランの推薦でジャムセッションの結果加入が決定。ちなみにリッチーはロジャーの加入に反対していた。第2期ディープ・パープルにてベーシストとしてのみならず曲作りにも貢献した。後にイアン・ギランが脱退する際に、ギランのついでにクビになった。これにはロジャーのベースプレイを気に入ってなかったリッチーの意向が強く働いた。

その後ディープ・パープルが設立したレコード会社パープル・レコーズにてプロデューサーとしてのキャリアを開始する。この辺りはさすがの大人な対応が光る。その中にロニー・ジェイムス・ディオがボーカルを務めるエルフもあったことがリッチー・ブラックモアとディープ・パープルの歴史を変えた。

1978年、レインボーはアメリカでの成功を目指し、コマーシャルな楽曲を作るためにプロデューサーとしてロジャー・グローヴァーを招聘。これはパープルをクビにしたことに対する贖罪の意味があったとされる。(もしかしたらイアン・ギランを加入させるための駆け引きに使おうと思ったのかもしれない…)

その後、コージー・パウエルとドン・エイリーの要望もあり、ベーシストとしても活動することとなる。

【ミュージシャンとしての実力】リッチーからの評価は高くないが、粒の揃った安定したプレイやポップセンスの高さを感じさせるベースラインは一級品である。ライブでも一糸乱れぬプレイはバンドを支える存在だった。

【脱退理由】レインボー解散と同時に再結成ディープ・パープルに参加した。

【脱退後】その後今に至るまでディープ・パープルの一員である。

ディープ・パープルのリマスターアルバムをリリースする際、リッチー・ブラックモアのギターソロのアウトテイクを勝手に収録したことが契機となり、お互い誹謗し合う関係となる。

基本的にリッチーは音楽的才能で人を評価するところがあるため、ロジャーは何も持っていない、と格下扱いしていた。喧嘩しながらも認め合える関係のイアン・ギランとは異なる部分である。

グレッグ・スミス(1963年5月21日−)

【加入前のキャリア】アメリカ、ニューヨークにて活動開始。NYメタルのプラズマティックのボーカル、ウエンディ・O・ウィリアムスのバンドに加入した後、アリス・クーパー・バンドやレインボー解散後にデイヴ・ローゼンタル、チャック・バーギらで結成されたRed Dawnにて活動していた。

レインボーには当初ロブ・デマルティーノというベーシストがいたが、リッチーに嫌われたため、急遽グレッグ・スミスが呼ばれた模様。

【ミュージシャンとしての実力】リッチー・ブラックモアの好み通りピック弾きで粒が揃った堅実なプレイを得意としている。特にレインボーにおいては遊びがないプレイに徹している。

ボーカリストとしてもかなりの実力者でグレン・フライばりのハイトーンで「Burn」を歌いこなす。

再結成レインボーはその位置付けとして「リッチー・ブラックモア・ストーリー」であったことから、第3期ディープ・パープルもこなせるメンバーを探していたのかもしれない。

その他の人達

マーク・クラーク

ジミー・ベイン脱退後に一時在籍。クラブでのギグを何度かこなしたらしい。

レインボー加入前はプログレバンド、コロシアムに在籍しており、ベーシストとしての実力は充分だったが、アルバム「Long Live Rock 'N' Roll」レコーディング時のチューニングが狂っていたことからリッチーと口論に発展し、クビになった。

クライヴ・チェアマン

ボブ・デイズリー脱退後に、ジェフ・ベック・グループ時代にコンビを組んでいたことのあるコージー・パウエルの推薦で一時在籍。腕前は問題なかったようだが、クライヴはモータウンをバックグラウンドとするベーシストであり、音楽性が違いすぎたため2週間で脱退した。

ジャック・グリーン

過去にプリティ・シングスに在籍。リッチー・ブラックモア人間性に惚れ、無理やり加入させようとしたが、コージー・パウエルとドン・エイリーが反対したため、その計画は頓挫した。その罪滅ぼしか1980年のジャック・グリーンのソロ「I Call No Answer」でリッチー・ブラックモアはギターを弾いている。

RISING
1976年5月発売
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Ronnie James Dio(vo) Ritchie Blackmore(gt)

Tony Carey(key) Jimmy Bain(b)

Cozy Powell(ds)

Produced By Martin Birch

1.Talot Woman
2.Run With The Wolf
3.Starstruck
4.Do You Close Your Eyes
5.Stargazer
6.A Light In Black


RAINBOWの全作品の中で最も人気のあるアルバムでしょう。
音の充実振りは凄まじいの一言です。リッチーが作ってきたそれまでの音楽はいい意味で型にハマった作りのものが多かったですが、このアルバムは自由さを感じます。
第2期RAINBOWのメンバーがこのタイミングで揃ったからこそ作れたアルバムであり、時代が作らせた名盤と言えます。

このアルバムの主役はコージー・パウエルでしょう。ドラムだけ聞いていても充分楽しめるアルバムです。
リッチーのギターフレーズも負けじと素晴らしく、トレブリーかつ程よく歪ませたストラトサウンドは過去最高のサウンドですし、フレーズは3期パープルをさらにエキセントリックに尖らしたプレイとなっています。

また、当時は叩かれる事も多かったトニーのキーボードも素晴らしく、1、6でのソロはアルバム全体を通した聴かせどころの一つです。

1.Talot Woman
トニーの素晴らしいソロから始まり、リッチーとジミーがフェイド・イン、そしてコージーのフィル・インが被さるという構成は、リッチーのソロアルバムといえた前作とは異なり、バンドとして再スタートするにあたっての意気込みを感じさせます。
特にコージーのプレイのインパクトは凄まじく、コージー印のフィル・インが随所に炸裂しています。
リッチーのギターソロはパープル時代と異なり、ラン奏法に独特のリズム解釈を行っておりまして、破綻の一歩手前でうまく踏みとどまってるといった感触で非常にスリリングです。

2.Run With The Wolf
ロニーのポップ・センスが光る曲です。
シンコペーションを多用したキメはコージーの得意とするところですが、ここでもダイナミックに決めています。
ところで、この曲はエンディングで突然リズムがシャッフルに変わるのですが、そこで聴けるギター・ソロはまさに「Child in Time」なので要チェックです。

3.Starstruck
久方ぶりのシャッフルですね。DEEP PURPLEの「LIVE IN JAPAN」収録の7曲中、3曲(LAZY、CHILD IN TIME、STRANGE KIND OF WOMAN)がシャッフルだった為か、リッチーはシャッフルが得意なイメージがあったのですが、RAINBOWではこの曲と「LONGLIVE ROCK`N ROLL」、「DIFFICULT TO CURE」ぐらいしかありません。(再結成DEEP PURPLE以降はシャッフル曲が増えていますが、名曲といえるものはないですね)コージーはシャッフル曲も得意としているので、ド派手なドラムは聴きどころです。
ギターソロにはボトルネックを用いていますが、リアピックアップを使用している為ワイルドでGOOD!

4.Do You Close Your Eyes
メジャーコード一本槍な古典的ロックンロールナンバーです。後期の「POWER」にも似ているキャッチーな曲で、1975年のLIVEではオープニングで演奏されています。1976年にはギター壊しの曲としてアンコールに演奏されています。どちらのバージョンもかなり長いソロタイムが設けられています。

5.Stargazer
RAINBOWで最も人気のある曲のひとつでしょう。 過去にリッチーは、あまりに退屈との事で気にいっていない、とコメントしていました。しかし、近年再結成コンサートでは確実にSETに入れており、歳とともに好きになったのかもしれません。
ギター、ボーカル、ドラム、ベース、キーボード、全て素晴らしい演奏です。
コージーの好きだった曲として有名ですが、その通りオープニングのドラムソロから100%のコージー・パウエルを聴くことができます。
SOLOはほぼワンコード、フリージアン・スケールで展開されています。第三期DEEP PURPLEのLIVEでは多用されていたので、この時期気に入っていたスケールなのではないでしょうか?
余談ですが、この曲は3代voのバージョンがあり、Cメロのバックで流れるストリングスのフレーズを、ロニー時代:Key グラハム時代:gt ジョー時代:女性コーラス で置き換えており、それぞれ聞き比べすると面白いです。(個人的にはグラハム時代を推す)
●ロニー・バージョン
トニー・カレイのキーボードソロから幕をあける所は先日ブートでリリースされた「Rough Mix」と同じですが、コージーのドラムソロはありません。
サビは、スタジオ・バージョンではストリングスによる裏メロが効果的でしたが、この頃はトニーがこのフレーズを弾いている時が多かったようです。(日によってはギター短音プレイ)
ともかく、全体的にスタジオ・バージョンのスケール感を再現出来ているとは言えず、1977年から「Long Live Rock`n`Roll」に差し替えられているのもやむを得ないかもしれません。
●グラハム・バージョン
1977年から封印されていたこの曲は、1980年に突然復活します。コージー脱退に対するリッチーからの餞別だったのでしょうか?ともかくドニントンの直前からプレイされています。(グラハムはこの曲の歌詞が中々覚えられず、ドニントンの前日に至っても未だ覚え切れていない所をブートで露呈しています。)
ドニントン本番では「Since You Been Gone」からのメドレーで演奏されており、コージーがこの曲のキメを叩いた瞬間の観衆の熱狂度は凄まじいものがあります。
全体的にドン・エイリーのキーボードが大活躍しており、この曲の持つスケール感を見事に再現しています。
サビの裏メロはリッチーが短音で弾いています。
●ジョー・バージョン
1983年に「Stranded」の導入部でワン・コーラスのみ演奏されていました。ジョーにはちょっとキーが高かったようで、かなりラフな歌唱となっています。
サビの裏メロは女性バックコーラスが担当しています。

6.A Light In Black
しかし、この緊張感は凄い。鬼気迫るとはこういう事を言うんでしょう。
冷静にみれば、リフは適当かつ歌メロも一本調子で、このときの5人のメンバーだったからこそ名曲になったのではと考えています。
特にキーボードソロは音色・フレーズ・構成、全て素晴らしい演奏です。
有名な逸話として、キーボードソロをトニー・カレイが上手く弾けず、スタジオ・ミュージシャンに弾かせたという話があります。私はこの話には懐疑的です。LIVEでのトニーのプレイからして、これくらいのソロをこなす力量はありそうなんですがね…
LIVEでは1975年・76年にプレイされていました。(76年はギター壊しのある日は「Do You Close Your Eyes」をチョイス)
1975年には本編中に「Stargazer」に続けて演奏されていました。この頃は楽曲が完成していなかったようで、歌詞や歌メロが微妙に異なります。
アレンジはスタジオバージョンとほぼ同じながら、ブレイクをはさみながら弾きまくるワンコードでのギタープレイは圧巻です。全体的にやっぱりこの時のメンツは凄かったと思わずにいられない勢いのある演奏となっています。
グラハム時代のLIVEでは「LOST IN Hollywood」の中間部にこの曲のgtとkeyのユニゾンプレイが挿入されていました。

Ritchie Blackmore`s Rainbow

1975年8月発売

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Ronnie James Dio(vo) Ritchie Blackmore(gt)

Mickey Lee Soule(key)

Craig Gruber(b)

Gary Doriscoll(ds)

Produced By Ritchie Blackmore,Martin Birch,Ronnie James Dio

1.Man On The Silver Mountain
2.Self Portrait
3.Black Sheep Of The Family
4.Catch The Rainbow
5.Snake Charmer
6.The Temple Of The King
7.If You Don`t Like Rock`n Roll
8.Sixteen Century Gleensleeves
9.Still I`m Sad

記念すべきファーストアルバムですが、実質的にはリッチーのソロ、もしくはエルフにリッチーが参加したアルバムと考えたほうが良いのかも知れません。
当初、リッチーはエルフのメンバーの実力を買っていたとの事で、決してロニーだけが欲しかったわけではなかったそうです。実際、なかなか実力派ミュージシャンが揃っていたようです。

今になって聴いてみると、ベースのクレイグ・グルーバーのスイングしたプレイにより、RAINBOWのアルバム中随一のグルーヴ感がある演奏となっております。
曲のバリエーションも全作品中1番バラエティーに富んでいおり、3,6,7などはリッチーらしくない曲かもしれません。これはエルフのメンバーに歩み寄った結果かと思われます。
ただ、全体的に楽曲のクオリティは高く、その後の完成したRAINBOW像にこだわらなければ充分楽しめるアルバムです。

1.Man On The Silver Mountain
ジョン・ボーナムが大変気に入っていたという曲です。もし、ジョン・ボーナムが健在だったらリッチーとの共演が実現していたかも知れない、というかなわぬ夢を見てしまいます。リフは典型的4度パターンで、フランジャー効果が雪山をイメージさせています。
ギターソロは第三期Deep Purpleに共通した構成で、フレーズも素晴らしく名演のひとつでしょう。
スタジオバージョンはこの時のリズム隊の特徴であるのですがスイング感が感じられます。後年のライブではコージー得意の縦ノリとは一線を画しており、まるで別の曲のようですね。
●ロニー・バージョン
この曲の前には、「Lazy」をちょこっと演奏するのがパターンです。興が乗るとさらに長い遊びが繰り広げられます。
ギターソロはスライドの時もあります。
「On Stage」で確認できるように、曲の中間部で「Blues」や「Starstruck」が挿入される事もあります。
●グラハム・バージョン
基本的にはロニー時代と変わりありませんが、少し淡白なプレイが多かったような気がします。導入部は「Since You Been Gone」からのメドレーとなっています。中間部のギターソロのままエンディングとなるアレンジで、何だか「Smoke On The Water」を彷彿とさせる終わり方です。
●ジョー・バージョン
オリジナルよりも2音半低いDmでプレイされており、少し楽曲自体のイメージが変わってきています。しかし、ボーカリストのベストのパフォーマンスを引き出すにはやむを得ないところでしょうか。こういったリッチーの柔軟な姿勢は、あまり知られていない部分だと思います。
●ドゥギー・バージョン
ドゥギーはともかくオリジナルキーで歌いこなしています。ドゥギーはジョーの事をあまり評価していないような事を言っていましたが、こういった部分を指した発言だったのかもしれません。
この頃の演奏はエンディング前で、ブレイクが入るアレンジとなっており、中々格好良いです。
●(おまけ)キャンディス・バージョン
Blackmore`s Nightでもエレクトリック・サイドでこの曲を演奏してました。
キーはAmのようです。抑揚少なくとりあえず歌ってみましたという感じの内容です。

2.Self Portrait
Cream風のヘビーなリフと重いドラムで始まるこの曲はBlackmore`s Nightでセルフ・カバーされています。ロニーらしいメロディの佳曲。ギターソロもメロディアスな好演です。
1975年にSetに入っていた時期がありますがすぐに外されています。

3.Black Sheep Of The Family
パープル脱退のきっかけになったと言われる曲で、以前リッチーがレコーディングに参加したと言われていたクオーターマスに収録されていました。(リッチーは参加を否定)当初シングル発売する予定だったとの事ですが、実際には発売されていません。ここではエルフのメンバーが生き生きとプレイしており、なかなか良い出来だと思います。
最初、リッチーはパープルでこの曲をやりたいと思ったそうですが、他のメンバーの抵抗にあい、実現しなかったと語っています。2019年に再レコーディングされています。

4.Catch The Rainbow
Rainbowのスタンダード・ナンバーは、ジミヘンの「リトル・ウイング」を意識して作られたとの事。ジミヘン風のバッキングは聞き物です。この曲ではフェイザーが必要不可欠です。Liveバージョン
ステージでは20分を超える熱演が当たり前だったこの曲。ヴォーカリストが代わっても構成・アレンジは殆ど変化がなかった珍しい曲です。
●ロニー・バージョン
導入部、もしくは中間部にバッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻~第1曲プレリュード」「カンタータ第147番よりコラール”主よ、人の望みの喜びよ”」「グリーンスリーヴス」が挿入されていました。
ともかくこの曲はギターソロが圧巻で、超ロングソロでありながら一瞬もだれる事が無い名演がたくさん残されています。
コージーのドラムも素晴らしく楽曲にマッチしており、リッチーの細かいフレーズを良く聴いてシンクロさせる呼吸は芸術的ですらあります。「コージーはメロディが好きで良く歌っていた」というリッチーの発言に思わず納得してしまいます。
ちなみに1975年のバージョンでは、途中のブレイクがなくロニーのボーカルが多めにフィーチュアされています。
●グラハム・バージョン
こういったソフトなナンバーになると、グラハムの声はとてもセクシーに響いてきます。
個人的には、ハードなナンバーでの歌唱より、こうした曲の方が彼の魅力を感じられると思うのですが。
基本的にはロニー時代とほぼ同じアレンジですが、リッチーのギターはさらにメロディアスになっていた印象があります。
●ジョー・バージョン
81年での演奏はそれまでを踏襲したロングバージョンでしたが、83年~84年にはたまにしか演奏されなくなり、84年の最終公演では後半のギターソロを省略されていました。

5.Snake Charmer
この曲でははじけるように弾きまくっているギターソロが最大の聴きどころです。
ブルース的フレーズとリッチーらしいスリリングな速弾きが見事に調和しております。
そしてもうひとつのポイントはクレイグ・グルーバーのベースで、後のベーシストと一線を画すしっかりしたプレイを聴かせます。
曲調的には、第三期Deep Purpleを彷彿させます。

6.The Temple Of The King
「健康のためのヨガ」というTV番組からインスパイアされて作られた曲との事です。
長年、Liveでは未演奏でしたが、ドゥギー時代になって初めて演奏されました。
それまで、なぜ演奏しなかったかについて、リッチーは「ハーモニーが複雑すぎる」と語っています。実際にはそこまで難しいとは思えないハーモニーではありますが、当時の歌えるベーシスト グレッグ・スミスの存在がなければこの曲の採用はなかったのかもしれません。Blackmore`s Night時代もプレイされており、アコースティックによる演奏がぴったりはまっております。ただハーモニーは無く、キャンディスの独唱となっていたのはちょっと寂しさを感じます。

7.If You Don`t Like Rock`n Roll
ミッキー・リー・ソウルがメインの曲で、リッチーはバッキングに徹しております。ロード・サッチ時代やパープル時代の「Lucille」のようにすごく抑制が効いたプレイです。

8.Sixteen Century Gleensleeves
「Black Sheep Of The Family」のB面として製作され、あまりの出来のよさに驚いたリッチーがアルバム製作を決意したといわれる一曲。
リフで4分の6の変拍子が使われており一味違った雰囲気を出すのに成功しています。
ギターソロはリズム的に破綻しそうでしない、後期にも通じるノリを感じさせるものになっていて、とてもスリリングな出来です。
Blackmore`s NightのLiveでも演奏されており、この曲のメロディーの良さが再認識されました。

9.Still I`m Sad
ゲイリー・ドリスコールのカウ・ベルが印象的なナンバーです。
ヤードバーズのオリジナルとは全く異なるHRなアレンジでLiveでの定番曲です。ギターソロ後のブレイクが決まっている「On Stage」バージョンが至高です。

ハードロックとヘヴィメタルの違いとは?

多分明確に定義することは不可能と思われる。

ヘヴィメタル

・ギターの歪みが激しい

・ドラムが縦ノリ

・ボーカルがハイトーン主体

・ベース、ギター、ドラムがユニゾンで疾走する

・ブルース感がない

・展開がドラマチック

・メタル一筋で多様性がない

ハードロック

・ギターの歪みがナチュラ

・ドラムが横ノリ

・ブルース感がある

・時にジャズっぽかったりファンキーだったり、フォークだったりと音楽性が広い

ディープパープルはレッドツェッペリンに比べると縦ノリと言われがちであるが、イアン・ペイスのドラムプレイは明確にスイング感がある。ロジャー・グローバーのベースは引き出しが多く何でもこなせる。

リッチー・ブラックモアのギターの歪みも2期までは非常にナチュラル。(第3期の音はレインボー初期に近い)

音楽性は案外広く、プログレ、ブルース、フォークからファンクまで手がけていることを忘れてはならない。

ところが、レインボーにおけるコージー・パウエルのドラムは完全なる縦ノリ。歴代ベーシスト達の影が薄いのもドラムのツーバスが前面に押し出されているためと思われる。

コージー&リッチー&ロニーの3頭政治は、パープルが発明した、クラシカルかつドラマチックなソロパートを更に磨き上げ、「様式美ロック」というジャンルを作り上げたと言える。

以上のことからレインボーの音楽性はディープ・パープルとは大きく異なり、非常にヘヴィメタル的であると考える。

ディープ・パープルはハードロックの帝王、レインボーはヘヴィメタルの始祖である。

最近になって色々出てくるようになったレインボー関連アイテム。

レインボー初来日45周年記念 「虹」の新説ライヴ全史本『レインボー・オン・ステージズ』発売 - amass

「レインボー」の歴代ツアー(1975-2019)に関し、現存する音源/写真/映像資料を洗い直して新たにその全容に迫る「虹」の新説ライヴ全史本(全368頁)が、彼らの初来日から45周年となる記念すべきタイミングで登場

流石にこれは買いですな

最近、改めてレインボーの1stアルバムを聴いている。

今になってリズム隊が良い!と感じるようになった。特にクレイグ・グルーバーのベースは最高にカッコいい。この人のスイングしたベースは2nd以降のコージーのプレイとは多分合わない。

ゲイリー・ドリスコールのドラムの音は垢抜けていないが、ベースと一体感がありスイングしていて、直線的で硬い印象のコージー&ジミーよりも気持ち良く聴ける気がする。

前は断然コージー支持だったのに、こういう印象の変化の理由は自分が歳を取ったからだろうな…

【コラム】そして女子高生は、聴いたこともないディープ・パープルを吹く | BARKS

吹奏楽とある程度接点があった人は、一度は聞いたことがあるのではないかと思うほど、レパートリーに取り上げている学校が多い。

「BURN」〜「Highway Star」〜「Smoke On The W ater」という構成となっていて、特に「Highway Star」はギターソロもガッツリ入っている。

パープルの名曲が日本において、今も意外な伝わり方をしていることは大変感慨深い。

デイヴィッド・カヴァデールが、2016年にディープ・パープルがロックの殿堂入りしたとき、その舞台裏で起きていた出来事について語った。

デイヴィッド・カヴァデール、ディープ・パープル殿堂入り時の混乱を語る | BARKS

今のディープ・パープルには歴史を紡ぐ正統性がないため、尚更リッチー・ブラックモアらの参加を妨害したものと思われる。

リッチーらの参加を良しとしなかったのはマネージャーのブルース・ベインと言われているが、私はロジャー・グローヴァーの意向が強かったのではないかと勝手に想像している。

ギランは結構漢気があるし、ペイスはそういうことにあまり頓着しそうに見えない。

何にしてもがっかりな顛末である。