軽師団史料集(95連隊・司令部編)メモ (original) (raw)

Gareth Glover, Riflemen of Wellington’s Light Division in the Peninsular War: Unpublished or Rare Accounts from the 95th Rifles 1808-14, 2023, Frontline Books. (Google Books) からのメモ。

クロフォード父子のやり取り

1810年3月に書かれたと思われる、クロフォード将軍の長男チャールズ(愛称カーくん、当時8歳)から父への手紙と、それに対するクロフォード将軍からの返事が文書館に収蔵されているそうです(Winchester Archives Reference D/4512)。母に手助けされたものと見られるという手紙のを一部引用すると:

My dear Papa,
I am very glad you asked me to write to you because it seems as if like to read my letters. . . . Mama received a letter from you a few days ago, it gave her very great pleasure and I was very much obliged to you for the little bit which you sent to me.

かわいい☺️

他にも、新しいjacketを着たところをお父さんに見せたいことや、末っ子アレクサンダー(愛称アルくん)がどんどん成長していくところをお父さんと一緒に見られればいいのにといったことを述べているチャールズ。彼はこの前年に、大きくなったら軍人になりたい、という子どもらしい夢を父から(手紙で)真っ向否定されていますが1、今回の文面を見るにお父さんのことは嫌いではなさそうな様子。

それに対するクロフォード将軍の返事では、妻子を溺愛していることがよくわかります。それだけに、その中で末っ子アルくんのことを「ほとんど見ず知らず」と述べているのが切ない。アルくんことアレクサンダー・クィンティンは1807年8月生まれ、その頃のクロフォード将軍はというと南米進攻の軍務中、1808年に帰国した後も軍法会議やらで忙しく、秋にはコルーニャ戦役への出征、と家族と過ごせる時間が少なかったのでしょう。

また、4人の子どもたちそれぞれにお土産(?)を買いたいともクロフォード将軍は述べています。長男カーくんにはポニーを、次男ブーディくん(ロバート)にはDontyを、長女ルーちゃん(ルイーズ・メアリー・フランシス)にはTapを、そして末っ子アルくんにはbarely sugar(大麦糖でできたねじねじ形状の飴)を。DontyとTapとは何なのだろう、斜体表記になっているので外国語? それとも幼児語??

さらに、冬には(帰国して)かくれんぼをして遊べると思うとも書いているクロフォード将軍、当時の40代半ばながら本人の体力は半端ないから子供の遊び相手も余裕だったのかもしれない。

チャーリーの追伸と、ショー・ケネディの書き出し部分

弊ブログ記事「【翻訳】軽師団長の訃報と家族(クロフォード将軍の伝記等より)」での原文にあたる手紙も、この Unpublished or Rare Accounts from the 95th Rifles 1808-14 に収録されていて、新たな発見がありました。というのも、1812年1月26日付のスチュアート将軍の手紙には実は短い追伸があり、1861年6月13日付のショー・ケネディの手紙の書き出し部分はもっと長かったようなのです。

チャーリーの追伸は1月29日に書かれており、その日行われた競売でクロフォード将軍の持ち物だった雑貨類が高値で競売にかけられる予定という内容。(そういえば、ウィリアム・キャンベルからクロフォード中将宛ての手紙も29日付)

サー・ウィリアム・フレイザーに宛てたショー・ケネディの手紙の冒頭に関しては、彼の日誌が掲載された書籍(Lord Frederick Fitzclarence's A Manual of Outpost Duties, 1st ed., 1851)が「たまたま手元に2冊あったため」同封したのでロバート・クロフォード氏の手元に渡るようにしてほしいこと等々が書かれています。親切。何故長男チャールズではなく次男ロバート宛なのかというと、どうも次男ロバートがまたいとこに当たるサー・ウィリアム・フレイザーに手紙を書いていたからのようです。

ここでちょっとした疑問が。チャーリーの手紙は2021年出版のクロフォード将軍の伝記にももちろん掲載されていますが、追記部分は引用されていません。同書のリファレンスを見るに著者は文書館で諸史料を見ているはずですが、原稿執筆時はこの史料は収蔵されていなかったのかな。

感想

2021年の伝記掲載分以外にもやはりまだクロフォード将軍の家族書簡が残っているのだなと。今回の書籍には掲載されていないようだけれど、ウィリアム・キャンベル大尉の手紙も所蔵されていないかしら。