森達也監督が初の劇映画に挑む 家族と郷里を愛する自警団が虐殺を犯した「福田村事件」とは? (original) (raw)
ドキュメンタリーの鬼才・森達也監督ロングインタビュー
森達也監督が初の劇映画に挑む 家族と郷里を愛する自警団が虐殺を犯した「福田村事件」とは?
#森達也
撮影/二瓶彩
ゴーストライター事件で騒がれた佐村河内守氏に密着取材した『FAKE』(16年)、東京新聞の望月衣塑子記者を追うことで、官邸や日本のメディアの異様さを浮き彫りにした『i-新聞記者ドキュメント-』(19年)……。新作を発表する度に大きな反響を呼び起こすのが、ドキュメンタリー映画界の鬼才・森達也監督だ。
その動向が常に注目を集めてきた森達也監督が、現在取り組んでいるのが初の劇映画となる『福田村事件(仮)』。1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の混乱が続く中、「朝鮮人が襲ってくる」というデマが広まり、千葉県葛飾郡福田村(現・野田市)では香川から来た行商人の一行15人が朝鮮人と間違えられ、9人が殺害される事件が同年9月6日に起きている。行商人をトビ口や日本刀で襲ったのは地元の自警団だった。
一部の加害者には実刑判決が下されたものの、大正天皇の崩御と昭和天皇の即位による恩赦によって、短期間で釈放された。被害者遺族への謝罪や慰謝料などはなかったと言われている。歴史の闇に埋もれていたこの事件を、森監督はどのように描くつもりなのだろうか。2022年6月7日、クランクインを間近に控えた森監督に、初の劇映画に挑む心境を尋ねた。
――ドキュメンタリーを撮ってきた森監督にとって、『福田村事件(仮)』は劇映画デビュー作になります。これまでも劇映画を撮ることは考えていたんでしょうか?
森達也 考えていました。『FAKE』を撮った後、劇映画を撮りたいと思い、この映画の企画書を作ったけれど、大手映画会社からは軒並み断られました。ちょうどそのころ、スターサンズの河村光庸プロデューサー【※】から、東京新聞の望月衣塑子記者をモデルにした劇映画を撮ってほしいとオファーを受けて準備を進めていたのだけど、いろいろ経緯があってクランイン直前に降りることにしました。その際、「ドキュメンタリーも同時に撮れないか」と頼まれていたので、ドキュメンタリーだけを撮ることになり、『i-新聞記者ドキュメント-』ができたんです。劇映画はその後に藤井道人監督が手がけて、『新聞記者』(19年)として発表されました。
――『FAKE』の後、劇映画を撮ることを考えていたと。ドキュメンタリー的表現の限界を感じたんですか?
森 それはないです。もともとドラマを撮りたかった。映像業界に入った最初の会社が「テレコム・ジャパン」でした。ドラマを撮るつもりで入ったんですが、入社してからドキュメンタリー専門の制作会社だと気づいたんです(笑)。仕方なく始めてからドキュメンタリーの魅力に気づき、その後はドキュメンタリーを撮り続けてきました。同時にドラマを撮りたいという気持ちも、ずっとあったんです。使う筋肉が少し違うだけで、ドキュメンタリーもドラマも、その本質に大きな違いはないと僕は思っています。映像を撮った後の編集作業や仕上げは変わりません。特に今回の題材は100年前の出来事で、ドキュメンタリーでは手法が限られるので、ドラマのほうがいいだろうと考えたんです。(1/6 P2はこちら)
【※『i-新聞記者ドキュメント-』『新聞記者』などのエグゼクティブプロデューサーを務めた河村光庸氏は、2022年6月11日に心不全のために亡くなられました。藤井道人監督作『ヴィレッジ』(2023年公開予定)などの作品が公開待機中です。河村氏のご冥福を謹んでお祈りいたします】
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