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ラモス瑠偉

元サッカー選手、サッカー指導者。
ブラジル名はRuy Goncalves Ramos Sobrinho(ルイ・ゴンサウヴィス・ラモス・ソブリーニョ)。
愛称「カリオカ」「ミスターヴェルディ」「燃える男」。
1957年2月9日生まれ。ブラジル・リオデジャネイロ出身。身長181cm、体重71kg。

1977年来日、読売サッカークラブ(後のヴェルディ川崎、現東京ヴェルディ1969)に入団。
1989年11月、日本に帰化が認められて、日本国籍を取得。同年、サッカー日本代表に初選出された。
FIFAワールドカップ1994・アジア最終予選におけるドーハの悲劇の経験者。国際Aマッチ32試合出場、1得点。
1996年に京都パープルサンガへ移籍。
1997年、ヴェルディ川崎に復帰。
1998年現役引退。
現役時代には膝の持病に苦しみ、手術でボルトを埋め込んだことも。
永谷園のお茶漬け海苔やJリーグカレーのCMでもおなじみの人だった。
2002年、沖縄かりゆしFCの選手兼任テクニカルアドバイザー就任。
同年、分裂騒動により退団。FC琉球のテクニカルアドバイザーとなった。
2005年、ビーチサッカー日本代表の監督を経て、9月13日に柏レイソルのコーチに就任。J2降格により退任。
2006年、東京ヴェルディ1969監督に就任。
2007年、J1復帰に導き勇退。
2008年、東京ヴェルディテクニカルアドバイザーに就任。

ブラジルから日本にやってきたサッカーの伝道師。
ブラジルの名門クラブにいたが、読売クラブへの移籍のオファーを受け、制止する母親を説得し、家族の生活のために日本にやってきた。
松木安太郎曰く「見たこともない魔法みたいなテクニック」を日本で披露。

日本での土のグラウンドにも驚いただろうが、慣れない日本での生活にも適応し、その後も日本でプレーを続け、帰化する。
Jリーグ創世期において、 三浦知良と共に、日本サッカー界のサッカーレベルを引っ張りあげた人物の1人。

ロスタイムで失点を許し、日本中が落胆した「ドーハの悲劇」においても、選手1人1人に声を掛けて立ち上がらせたのは、記憶から消える事はないだろう。

年齢的にも、ケガまみれだった事からも、この大会がW杯に行けるラストチャンスだった彼が、一番悲しかったはずなのだから。

選手歴

1975-1977

サージFC

1977-1996

読売サッカークラブ/ヴェルディ川崎

1996-1997

京都パープルサンガ

1997-1998

ヴェルディ川崎

指導歴

2002

沖縄かりゆしFC テクニカルディレクター

2005

ビーチサッカー日本代表 監督

2005.9-2005.12

柏レイソル コーチ

2006-2007

東京ヴェルディ1969 監督

2009

ビーチサッカー日本代表 監督

2011-2013

ビーチサッカー日本代表 監督

2014-

FC岐阜 監督

CM

永谷園「Jリーグカレー」「お茶漬け海苔」
日本コカコーラ・ボトラーズ

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