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伊達稙宗

室町時代の武将。伊達尚宗の長男。従四位下。足利義稙に偏諱を賜る。
従五位下に叙せられ左京大夫に任ぜられる。後に従四位下に叙せられ奥州探題となった。
天文元年(1532)伊達郡西山城に移る。棟役日記、段銭帳を作り、
同5年老臣12人と169ヶ条の政法を議定し、『塵芥集』を編纂した。
同11年、三男・伊達実元の上杉氏入嗣問題で嫡子・晴宗と争い
周囲の豪族を巻き込んだ大乱となった(天文の乱)。
同17年、稙宗は伊具郡丸森城に隠居し乱は終息。

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