影向寺とは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

影向寺

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ようごうじ

神奈川県川崎市宮前区にある天台宗の寺院。
天平年間の創建。

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ぶらりうぉーかー1年前

【影向寺】川崎市の古刹参拝と古木「乳イチョウ」の観賞こんにちは。今回は、川崎市宮前区にある『影向寺(ようごうじ)』の参拝録です。寺史などの文献が少ない為、創建当初の状況が不明な部分もあるようですが、近年の発掘調査の結果、創建年代は、7世紀後半にまで遡る事が明らかになった川崎市を代表する古刹です。 中原街道を逸れて、住宅街の坂道を上った高台にあります。『影向寺』は、山号 威徳山、天台宗のお寺。御本尊は薬師如来です。縁起によると、天平11年(739年)、光明皇后が眼病を患った時、聖武天皇の夢の中にひとりの僧が現れ、「武蔵の国橘樹郡橘郷に不思議な霊石がある場所があり、そこに薬師如来を安置すれば、皇后の眼病が治癒する」と言い、早速、行基を遣わし祈願した…

#影向寺#影向寺の乳イチョウ#かながわの名木100選

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クマケア治療院日記2年前

奈良時代の古刹 川崎市の影向寺今回の寺社散策は、神奈川県、川崎市の多摩川右岸の平野部と多摩丘陵を舞台にした歴史を見ていきます。 今までも多摩川左岸沿いの大田区「田園調布古墳群」、世田谷区「等々力渓谷」に展開する寺社、古墳などを見て来ましたが、今回は多摩川の右岸の地域です。 最初に訪れた寺院は、影向寺(ようごうじ)です。「影向(ようごう)」とは、まず読めませんが、仏語で、神仏が仮の姿をとって、この世に現われることを云います。 影向寺の縁起は、天平11年(739)光明皇后が眼病の折り、聖武天皇は夢告で武蔵国橘樹郡橘郷に霊石のあることを知り、高僧行基を使わし祈願させたところ、皇后の病気も快癒したと云うことです。その翌天平12年(…

#川崎市#影向寺#橘樹官衙遺跡群#薬師三尊像#橘樹観音

Otra célula del cerebro3年前

知多四国八十八箇所巡り その70 第40番札所 影向寺知多四国八十八箇所巡りの70回目。 きづいたら、もう70回目ですか。でも、札所のことを書いても40番札所なので、まだ半分にも行ってませんので、何回で終わるんだろうと思ったりしてます。 まぁ、それはそれでよし。 番外札所から次の40番札所に向けててくてくと歩きます。 このころになると、もう路面が濡れてるんですよね。。。名古屋とか曇りマークだったから余裕と思ってたけど、やはり天気が異なるんですねぇ。 最近だと、名古屋はあんまり雪が降ってなくても、知多方面で雪が降ってたりということがあったようなので、違うんですよねぇ。 さて、写真を。 ふと見ると、まるは食堂が。。。 車多いんだよなぁ。 時間の余裕が…

#知多四国八十八箇所巡り#徒歩#40番札所#影向寺

bogus-simotukareのブログ5日前

新刊紹介:「歴史評論」2024年11月号(副題:戸板康二『團十郎切腹事件』の一部ネタばらしがあります)特集「屯倉(みやけ)・国造(くにのみやつこ)から見る古代東国の地域社会」 ◆屯倉から評・郡へ:橘花屯倉から官衙・寺院の成立(三舟隆之*1) ◆考古学から見た東国(関東地方)の官衙遺跡:橘樹官衙遺跡群を中心に(栗田一生) ◆武蔵国造の乱と橘樹郡の古墳(新井悟) ◆国造制研究とミヤケ(篠川賢*2) ◆武蔵国造の乱の再検討:古代東国の国造と屯倉(鈴木正信*3) ◆ミヤケ研究の現状と課題(堀川徹*4) ◆屯倉の経営と氏族:橘花屯倉を中心に(田中禎昭*5) ◆文字瓦から見た地域社会:古代影向寺の建立と橘樹評・荏原評(中林隆之*6) ◆ミヤケから評家・郡家へ:研究の現状と課題(仁藤淳史*7) (内容紹介)…

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~16日前

影向寺(神奈川県川崎市宮前区)【 影向寺 】 所在地: 川崎市宮前区野川本町3-4-4 稲毛七薬師 第2番札所、多摩七薬師霊場 第2番札所、都築橘樹酉年地蔵尊霊場 第1 7番札所。 正式には「威徳山 影向寺」といい、遺物もほとんど残存していないものの関東の正倉 院とも称される関東屈指の古刹で、稲毛薬師とも、万治3年(1660)梵鐘名から榮 興寺とも、『新編武蔵風土記稿』から養光寺とも呼ばれる。 寺史に関しては文献史料に乏しく、創建当初から近世に至るまで判然としていない が、宝永7年(1710)撰述された『影向寺縁起』によれば、聖武天皇の勅願により 行基菩薩によって創建されたという。 しかしながら、近年の発掘調査によって境内…

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~1ヶ月前

影向石(神奈川県川崎市宮前区)【 影向石 】 所在地: 川崎市宮前区野川本町3-4-4 影向寺 境内 『影向寺縁起』によれば、天平11年(739)、光明皇后が眼病を患った折に聖武 天皇の御夢の中に一人の僧が現れ、「武蔵国橘樹郡橘郷に霊地があり、その中に不思議 な霊石がある。その石の上には常に霊水が湛えられている。此処に伽藍を建立し、薬師 如来を安置し奉じたならば、皇后は平癒するでしょう」と告げたという。 聖武天皇は直ちに夢のお告げを実行に移し、高僧行基を派遣したところ、お告げ通り に霊石を発見。祈願したところ、皇后の眼病は快癒した。聖武天皇の勅命によって当地 に伽藍が整えられたのは、天平12年(740)のことと云々と記され…

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~3ヶ月前

星王山 能満寺本堂(神奈川県川崎市高津区)【 星王山 能満寺本堂 】 所在地: 川崎市高津区千年345 正式には「星王山 寶蔵院 能満寺」。天台宗寺院で、本尊は虚空蔵菩薩。 準西国稲毛三十三所観音霊場16番札所、武相不動尊霊場6番札所、都築橘樹酉年地 蔵尊霊場14番札所。 寺伝によれば、奈良時代に行基によって開山されたとされ、元々は橘樹郡寺の影向寺 塔頭であったという。 戦国時代、快賢によって中興され現在地に移転。江戸時代中期に観空によって再び再 興されている。観空は正徳4年(1714)に没しており、それ以前に再興されたこと は明らかである。 境内の不動堂内で、川崎市指定重要歴史記念物「木造増田孝清座像」は踏査で確認で きた(^^♪ …

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~3ヶ月前

令和6年度 第1回現地踏査『㊗川崎市初の国史跡指定 橘樹官衙遺跡群 遅ればせながら踏査』 ~ その2 ~旧タイプ💻から新型パソコン💻への移行に伴い、思うように更新が進捗できなかっ た状況もひとまず改善(^^♪ 去る7月6日(土)実施された日本史跡研究会 令和6年度 第1回現地踏査の続きか ら更新を再開したいと思います!! 前回の更新から時間が空いてしまったので・・・、その1はこちら nihonshiseki.hatenablog.com 思い出しました💦💦 橘樹官衙遺跡群を構成する「影向寺」まで進撃していますね。 「影向寺」境内には、 🔵 影向石 川崎市宮前区野川本町3-4-4 奈良時代創建当時の塔心礎とされます。橘樹官衙の郡寺として伽藍整備された時期の 塔心礎と思われます。 🔵 影向寺の力石 …

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~3ヶ月前

影向寺の力石(神奈川県川崎市宮前区)【 影向寺の力石 】 所在地: 川崎市宮前区野川本町3-4-4 影向寺境内 江戸時代後期から明治時代にかけて、寺社の祭礼の日には付近の村に住む老若男女は 寺社に集まり、若衆は相撲を奉納したり、大きな石を持ち上げて力を競い合ったりしま した。 祭礼は人々にとって信仰の場であると同時に、日々の疲れを癒す場であり、若い男女 の出会いの場でもありました。 「影向寺の力石」には、品川 綱島 太尾、下作延村と刻まれた石もあり、遠方から参 詣していたことを物語っています。 と案内板には記載されていますが・・・飯田石と刻まれているのは写真から判別出来 ます。他にも刻字されているのは判りますが、踏査当日は梅雨と…

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~3ヶ月前

令和6年度 第1回現地踏査『㊗ 川崎市初の国史跡指定 橘樹官衙遺跡群 遅ればせながら踏査』~ その1 ~さて、令和6年7月6日(土)。灼熱の太陽の日差しが参加者を照らし、熱中症警戒 アラートも発令された中💦、日本史跡研究会 令和6年度 第1回現地踏査『㊗ 川崎市初 の国史跡指定 橘樹官衙遺跡群 遅ればせながら 踏査』を無事?開催しました。 灼熱の中の行軍となりましたが・・・なんとか全行程を踏査できました。しかしなが ら、今後は踏査の時期等々を考えなければならないのかもしれませんね(+_+) 話を当日に戻すことにしましょう。 当日はJR南武線 武蔵中原駅にAM09:00集合。参加者は6名でした。皆さん遅 刻することもなく踏査開始です!! 当初は駅前からタクシーで第1目的地に向かうつもりだったのです…

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~3ヶ月前

灼熱の中の行軍 ~日本史跡研究会 令和6年度 第1回現地踏査無事?終了!~いつもの如く、詳細につきましては後日改めて更新致しますが・・・、熱中症要警戒 の灼熱の陽気であった中、日本史跡研究会 令和6年度 第1回現地踏査『㊗川崎市初の 国史跡指定 橘樹官衙遺跡群 遅ればせながら踏査』を行いました。 正に灼熱の中の行軍で、参加者6名汗まみれ💦💦💦今回の踏査では可能な限り公共 交通機関(バス🚌)を利用したんですけどね(+_+) 予定通り、JR南武線 武蔵中原駅にAM09:00集合。運良く第一目的地を通過す るバス🚌に乗って・・・、 🔵 能満寺 川崎市高津区千年345 元々、影向寺の塔頭ってことで。 🔵 影向寺 川崎市宮前区野川本町 武蔵國橘樹郡寺として伽藍整備された「橘樹…

bitterharvest’s diary5ヶ月前

飛鳥時代の復元倉庫を見学する川崎市高津区に古代の高床倉庫が復元され、先日「橘樹歴史公園」として公開された。最寄り駅はJR南武線の武蔵新城駅だが、1.6kmほど歩かないといけない。バスだと、JR南武線・東急東横線の武蔵小杉駅と東急田園都市線の鷺沼駅を結んでいる路線を利用し、影向寺(ようごうじ)で下車すると、歩いて5分程度のところにある。 今昔マップで明治39年ごろと現在を並べてみる。赤丸を付けた個所が影向寺で、今回の橘樹歴史公園はすぐその右である。これから、歴史公園は多摩川流域の扇状地に張り出した舌状の丘陵地の上にあることが分かる。 復元された高床倉庫は、古代と言っても奈良時代(710~794)ではなく、律令制(701年の…

日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~5ヶ月前

令和6年度 第1回現地踏査 開催要項決定!!13年目を迎えた日本史跡研究会。通常総会開催前ですが・・・令和6年度 第1回現 地踏査の開催要項が決定しちゃいましたぁ(^^♪ 今回の踏査地ですが、神奈川県川崎市宮前区&高津区。 ㊗ 川崎市初の国史跡指定 『橘樹官衙遺跡群』遅ればせながら踏査!!と銘打ちました。 気になる?開催日は、令和6年7月6日(土)。JR武蔵中原駅改札前にAM09:0 0集合です。 内容はこちら。 能満寺 ➡ 影向寺 ➡ 橘樹官衙遺跡 ➡ 子母口富士見台古墳 ➡ 橘樹神社 ➡ 子母口貝塚 という踏査地をチョイスしてみました。 この他にも小杉御殿跡なども訪れようかと考えましたが💦初夏🌞ということも考慮 して、踏査後は懇親会…

週末は古墳巡り5ヶ月前

橘花屯倉ミニシンポジウム 川崎市高津市民館ゴールデンウィーク初日(4月27日)に溝の口駅前の商業ビル最上階(12階)の高津市民館大会議室で、川崎市制100周年記念事業、令和6年度橘樹官衙遺跡群保存活用事業として開催された「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」に参加(聴講)した。会場の参加者が約200名、オンラインの参加者が約80名と盛況。司会は三舟隆之氏。 川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。4月16日の川崎市長定例記者会見で、橘樹歴史公園の5月18日オープンが発表された。川崎市は、橘樹官衙遺…

気まぐれなページMkⅡ6ヶ月前

足跡(寺社)119・庚申塔と地蔵尊を見ながら「金蔵院」……2020.1.9中町天祖神社、金剛寺、等々力玉川神社と満願寺を巡った2020年1月9日のこと…… 満願寺をあとにして目黒通りを上り、等々力6丁目の交差点から上野毛通りに入った所。左側の両面通行「上野毛通り」と右側の「古道」とが交わるちょっと危ない場所が訪問先だった。一方通行路であるが「古道」と記したように右側の路の方が上野毛通りよりも古い。昔々の人々は、二子の渡しを経て高津へ向かうこの古い街道を歩いたことだろう。 この場所は幾度か歩いていたが、車が停まったり流れたりしていたのであきらめていたのだが、この日は何とかなった。 横断歩道などない場所を、左右をキョロキョロして渡ってパチリ……とにかく横断しにくいし危険…

週末は古墳巡り6ヶ月前

間際根横穴墓群 川崎市高津区新作影向寺の北方約800mの沖積地にむかって東方に張り出した丘陵先端部に位置する間際根(まぎわね)横穴墓群は、文献[1]によれば、急傾斜地崩壊対策工事が契機となり、1984,85年(昭和59,60年)に7基の横穴墓を調査、また調査区域外にも1基を確認、標高19m〜22m、幅55mの範囲に凝灰岩層を掘削して2段に造営。 カメさんと遺跡 川崎の古墳15 間際根横穴墓群 文献 [1] 田村良照 1994 「川崎市間際根横穴墓群」『第1回考古学講座ー横穴墓とは何か』神奈川県考古学会 [2] 間際根横穴墓群発掘調査団 2002 『神奈川県川崎市高津区間際根横穴墓群第3地点発掘調査報告書』間際根横穴墓群発掘調…

週末は古墳巡り6ヶ月前

影向寺 (再訪) 川崎市宮前区野川本町影向寺を再訪したら、太子堂の位置が変わっていて驚いた。さらに移転先が2017年6月に参加した現地説明会の発掘調査の場所だったので2度驚いた。 影向石 移転前の太子堂(2022年3月撮影) 川崎市教育委員会:影向寺 \おかえり聖徳太子像 その1/宮前区の #影向寺 には、大工や畳屋などの職人さんたちがつくる太子講が発願した聖徳太子堂があり、聖徳太子像が祀られています市重要歴史記念物の聖徳太子像と、厨子の修理が終わり、安置作業が行われましたhttps://t.co/vv4MO8NPZ0 pic.twitter.com/kAccwlbc05 — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) …

bitterharvest’s diary8ヶ月前

神奈川県立歴史博物館で「華ひらく律令の世界」を見学する -寺院の瓦-国や郡の役所については前回のブログで記したので、ここでは国や郡に建立された有力な寺院をみていこう。ここで紹介する神奈川県内の有力な初期寺院は、国分寺、下寺尾廃寺、千代廃寺、影向寺、千葉地廃寺、宗元寺である。これまで下寺尾廃寺、影向寺、千葉地廃寺を郡寺とする見方があった。しかし近年では、評衙・郡衙(郡家)と密接な関係を有する準官寺とする見方や、郡司一族・在地共同体の結束を強化するための氏寺(私寺)という見方も出されていて、結論を得るには至っていない。寺院から出土する遺物の中で特に目立つのは瓦で、軒丸瓦には蓮を模した文様の蓮華文が見られるのが特徴である。また土師器や須恵器などの土器も多く出土してい…