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現生正定聚

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げんしょうしょうじょうじゅ

仏教用語。浄土真宗の教義の根幹を指す用語の1つで、阿弥陀如来より回向された信心を受容すれば、浄土に往生することが定まった身となり、悟りを開いて仏に成ることが定まること、または仏の覚りと等しい位に定まることをいう。

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