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佐佐木信綱

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ささきのぶつな

歌人、国文学者。
1872年(明治5年)6月3日、生まれ。
1937年(昭和12年)、第1回 文化勲章を受章。
1963年(昭和38年)12月2日、死去。91歳だった。
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ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!2ヶ月前

【大正時代の美人たち】15年間しかなかった短い時代に強烈に輝いた日本の別嬪さんたち その2< 大正時代って歴とした身分制度の真っただ中ですからね 華族の令嬢っていうのがおられたですよね > 大正三美人っていうのは、九条武子、柳原白蓮、江木欣々の3人。はたまた九条武子、柳原白蓮、林きむ子の3人。 ってことで、なぜだか大正四美人にはしないで、大正三美人は4人いるっていうことになっている話をさせて頂いた前回からの続きですが、4人のうち言及出来ていなかったのが柳原白蓮(びゃくれん)です。 九条武子は西本願寺の次女。 江木欣々(きんきん)は初代愛媛県知事、関新平の妾腹の子。 林きむ子は狂言浄瑠璃師と初代女義太夫の子。 だったんですが、柳原白蓮っていう人は他の3人とは違って生まれが「華族」なん…

#柳原白蓮#白蓮事件#妻から夫への絶縁状#佐佐木信綱#竹久夢二

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うまずたゆまず5ヶ月前

夏の唱歌『夏は来ぬ』www.youtube.com 『夏は来ぬ』(なつはきぬ)は、 明治29(1896)年に発表された 初夏を彩る風物を歌った童謡唱歌です。 唱歌『夏は来ぬ』 1番の歌詞 卯の花(うのはな) 時鳥(ほととぎす) 2番の歌詞 五月雨(さみだれ) 早乙女(さおとめ) 玉苗(たまなえ) 3番の歌詞 橘(たちばな) 蛍(ほたる) 4番の歌詞 楝(おうち) 水鶏(くいな) 夏の月(なつのつき) 5番の歌詞 五月闇(さつきやみ) 早苗(さなえ) 佐佐木信綱(ささき のぶつな) 「日本の歌百選」一覧 唱歌『夏は来ぬ』 『夏は来ぬ』(なつはきぬ)は、 小山作之助(こやま さくのすけ)作曲のメロディーに 佐佐木信綱…

#夏は来ぬ#唱歌#夏の季語#佐佐木信綱#日本の歌百選

みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary3年前

佐佐木信綱Ep.91 私は歌人の俵万智さんが好きなのでデビュー作から最新作までの歌集を全て読んでいる。 小説やエッセーなんかも、読んでいる。 俵万智といえば、デビュー作『サラダ記念日』(1987年)の 『 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 』 『 万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校 』 などは高校の国語の教科書に載っていたし(当時)、 第3歌集『チョコレート革命』(1997年)も併せてそのインパクトあるタイトルで、知らない人はいない。 初期の作品はもちろん良いけれど、私が好きなのは第5歌集『オレがマリオ』(2013年)以降の作品だ。 俵万智さん 好書好日より 若い…

#佐佐木信綱#俵万智

記憶の汀4日前

日々の断片秋とか冬の海を見に行きたい。 「音立てて君が横櫛落つるときはじめて秋と思はれしかな」吉井勇 朝、涼しくてしあわせ。出勤前、窓をあけてあたらしい空気を入れる。今日もいちにち乗り切れる気がしてくる。 好きな句はたくさんあるけれど、この句は格別。「祈りとは白き日傘をたたむこと」(渡辺誠一郎『地祇』) 転職で引っ越しが発生したから家賃は上がったけれど、基本的な生活水準は新卒時代から変わっていないことに気づいた。 「あしひきの山のあなたに住む人は待たでや秋の月を見るらむ」(三條天皇) 佐佐木信綱『列聖珠藻 聖徳餘光 ―紀元二千六百年奉祝会記念―』たまたま古本屋で見つけた本。もう手放したから手元にないけれ…

遼東の豕7日前

三日月や真朱の隠岐に藍の海「みかづきやまそほのおきにあいのうみ」 上記の句は昨日の「プレバト」秋の俳句タイトル戦「錦秋戦」の優勝作品である。詠んだのは俳優の的場浩司さん、居並ぶ名人の句と比較してももっともこの句が良かった。 夏井先生の添削はなく、絶賛だった。そして《「真朱(まそほ)」という言葉をよく持ってきましたね。》と驚いていたくらいだ。ワシャも驚いた。おそらく、タイトル戦に居並んだ名人、有段者たちのなかで「真朱(まそほ)」を知っている人はいなかったろう。「真朱(しんしゅ)」はワシャも知っている。だが「真朱(まほそ)」は知らなかった。言い訳になるけれど、ワシャの家に5冊の『広辞苑』があるが、どれにも「まほそ」は載って…

yachikusakusaki's blog8日前

秋の雨を詠んだ短歌 日本列島を秋雨前線が蔽っていた1日でした. 秋雨の日に日に降るにあしびきの山田のをぢは晩稲(おくて)刈るらむ 良寛 人の歌をくちずさみつつ夕(ゆうべ)よる柱つめたき秋の雨かな 与謝野晶子 秋雨に日の照る沼の広くして向つ茱萸(ぐみ)原風に白みぬ 釈迢空 秋雨や濡れゆく石に耳たててたちどまりゐしが去(い)にたり猫は 木俣修 雑炊を掬いつつ秋のひとり歌なごりの雨の音低くあり 坪野哲久 うつせみの世に生くるわれ憤りも嘆きも云はず秋の雨きく 佐々木治綱今日は午前中から雨がポツポツ. 夜の10時過ぎにはザーッと一雨. https://weathernews.jp/onebox/tenki/kanagawa/14205/ 雨雲レーダーをみると,日本列島を雲が覆っていました. https://tenki.jp/past/2024/10/02/weather/3/16/ 天気図では: しっかり秋雨前線が見えます. https://weather.yahoo.co.jp/weather/chart/ 9月は「暑かった」という記憶しかありませんが,思い返せば,9月中旬以降は,雨が降った日の方が多い一ヶ月でした.ほとんど気にしていませんでしたが,このころ…

yachikusakusaki's blog9日前

秋の雲を詠んだ短歌 真夏日の今日,夕方見た雲は,すじ雲に少しだけ近づいているようにも思います. 白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月 よみ人しらず ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱 水に沈む秋ひとひらの黄色雲音なき寺の庭の真昼日 太田水穂 鱗雲鉄塔の上にひろがれり滑車一つが音立つるのみ 近藤芳美 すぐ軋む木のわがベッドあおむけに記憶を生かす鰯雲あり 寺山修司 目瞑ればまなうら寒くこがしつつ鯖雲ながるるふるさとなりき 河野裕子 よく晴れた,暑い1日.真夏日だったとのこと. 昼すぎの西の空.秋の浮雲と呼ぶのかもしれませんが,真夏の雲といえなくもないような気がします. 全国的に真夏日が続出の1日だったようです. 10月の真夏日は東京は三年ぶりで,仙台では統計開始後はじめてとのこと. https://tenki.jp/forecaster/domoto_yukiyo/2024/10/02/30808.html 来週の半ば以降,ようやく夏を脱出できそうですね. https://tenki.jp/forecaster/domoto_yukiyo/2024/10/02/30808.html そんな1日でしたが,それでも,夕方近く…

yachikusakusaki's blog18日前

秋を詠んだ短歌 フラワーセンターに涼しい風が吹き始め,萩,彼岸花の花,銀やんまの産卵風景も見ることができました. 春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされる よみ人知らず 張りみちてしかもあえかにうるみもつ秋よ人ならばこひて死なまし 太田水穂 秋はもののひとりひとりぞをかしけれ空ゆく風もまたひとりなり 若山牧水 父のごと秋はいかめし/母のごと秋はなつかし/家もたぬ子に 石川啄木 天国のペンキ屋バケツに蹴つまづきニッポンの野山目のさめる秋 石川信男やや涼しい風が吹くようになった今日. 大船フラワーセンターへ,秋みつけに行って来ました. 正面のディスプレーはカボチャ.ハロウィーンまで続けるのでしょう. 何となく緑がうすくなった感があるものの,木々の紅葉はまだ.クスノキ,マツは常緑樹ですが. ソメイヨシノにだけは,所々黄葉した葉が見え,落ち葉もかなりありました. 中央の花壇は,夏と同じで,特に秋らしい花は見られず. 秋桜といってもキバナコスモスは,夏からしっかり咲いています. 園内で見られたハクセキレイとギンヤンマ. ギンヤンマはつがいでハナショウブの葉に止まっています. 調べてみると,ギンヤンマは,雄と雌が一緒につながったまま,産卵するそ…

yachikusakusaki's blog25日前

茗荷を詠んだ短歌 日本で最も古くからある野菜の一つにして,現代では和風薬味の代表の一つ.新しいレシピも試してみたい野菜です. 日はしづみ茗荷の花の淡く黄なり夕習はしの畑道ゆけば 佐佐木信綱 ほのかなる茗荷の花を見守(まも)る時わがおもふ子ははるかなるかも 斎藤茂吉 茗荷の子汁に刻めば匂ひ立つ朝の清しき梅雨はれゆくも 馬場あき子 鬱がちの家系の尖(さき)に咲きゆるび茗荷のはなのごときわれかも 河野裕子 和風の薬味の代表といえば,アオジゾ. 和食限定ではないものの生のまま食べると和風になるのがショウガ,ネギ. そして忘れてはいけないのがミョウガ.好き嫌いはあるかとは思いますが,私は大好きです. https://www.sirogohan.com/recipe/myougasengiri/ ミョウガは,日本では最も古くから食べられていた野菜の一つとされ,平安時代に編纂された延喜式にも,その名前が挙げられているとのこと(改訂版世界大百科事典). https://ja.wikipedia.org/wiki/ミョウガ ショウガと同じ,ショウガ属ですが,辛さはあまり感じられません. 江戸時代の料理物語に…

中島孤島の軌跡1ヶ月前

「鷗外日記」から森鷗外と中島孤島は、思想において異なる意見を同時期に発表したという間接的な接点があるだけかと思っていたが、森鷗外の日記を見ると、実際にある時期に直接の交流があったことがわかる。 それは、さきの「文芸取り締まりの問題」について意見の違いがあった時期よりも後のこと、明治43年~明治44年にかけてである。以下、森鷗外の日記に中島孤島の名があらわれている部分を抜粋してみる。 ゛明治43年12月25日(日)晴。武石弘三郎の政策室を訪ひて、松本三郎とともに松本順、石黒忠悳の塑型を観る。松本を家に伴ひ帰りて午餐を饗す。中嶋孤嶋の為めに談話二篇を艸し遣る。” ゛明治44年1月21日(土)晴。雪道。渡邊又治郎、…

〖 啄木の息 〗1ヶ月前

森鴎外の自宅・観潮楼で お題に即して戦う5番勝負!コムラサキシキブ 全国文学館協議会のページに、観潮楼歌会への参加者募集がありました。 新・観潮楼歌会「対決!観潮楼歌会に集うスター達」 日時:2024年9月29日(日)14時~16時 会場:東京都文京区立森鴎外記念館2階講座室 ・「観潮楼歌会」には、与謝野鉄幹、伊藤左千夫、佐佐木信綱、石川啄木、斎藤茂吉などが出席。 新・観潮楼歌会 | 全国文学館協議会

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!1ヶ月前

【大正時代の美人たち】15年間しかなかった短い時代に強烈に輝いた日本の別嬪さんたち その4< 明治生まれの美人さんたちが活力あふれる大正時代を生き抜いていくですねえ > 日本一の美人って言われた「万龍」を「桃のつぼみのようだった春本万龍」って「美人伝」で表現した長谷川時雨っていう作家さん。この人がそもそも美人さんで有名だったらしいんですね。 長谷川時雨、本名、長谷川ヤスは明治12年、1879年、日本橋に生まれて、昭和16年、1941年に亡くなっています。 この人の名前も最近ではほとんど聞くことがないように思いますが、明治から昭和にかけての人気作家、劇作家。女性運動家としても知られています。 明治初期の日本人家族ってなかなかに面白いところがあるんですが、長谷川時雨のお父さんは日本初の…

大和の国のこころ、万葉のこころ1ヶ月前

東歌(46)・・・巻第14-3366訓読 >>> ま愛(かな)しみさ寝(ね)に我(わ)は行く鎌倉の水無瀬川(みなのせがは)に潮(しほ)満つなむか 要旨 >>> あの子が可愛いので共寝しに行こうと思うが、鎌倉のあの水無瀬川は、今ごろ潮が満ちていることだろうか。 鑑賞 >>> 相模の国(神奈川県)の歌。「ま愛しみ」の「ま」は、接頭語。「さ寝」は、共寝の慣用語。「水無瀬川」は、鎌倉市の稲瀬川。現在は徒歩でも簡単に割られる小さな川ですが、この時代には海岸線がずっと陸地に入り込んでおり、もっと大きな川だったかもしれません。海岸近くに住む恋人たちにとって、潮の干満が大きな関心事だったことが窺えます なお、「東歌」の特色の一つとして、この歌の…

超時空要塞キクロス2ヶ月前

光る君へ(17)現在放送中のものと、過去の放送分と双方載せているので書いている小生が、もう分からなくなってしまった。後で整理します。 今度は岩波文庫の新古今和歌集の頁を適当に開けると儀同三司母の歌があったので、17回について。 言葉遣いがむちゃくちゃである。まひろの父である為時が「道長様」と呼び、まひろの従者である乙丸までが「道長様」という。あり得ない。ジャパネットの社員が社長のことを高田さんと呼ばないように、この場合は大納言様と呼称すべきである。さらに、金田哲演じる藤原斉信(ただのぶ)が、清少納言に迫る(性交渉くらいはしたのだろうと思わせる)が、身分の点では下位(の下位)にある清少納言が、斉信に「~しないで…

bookface’s diary2ヶ月前

三人の母 沖六鵬1964年5月、講学館から刊行された沖六鵬(1895~1982)の自伝。カット・装幀は若山憲。題字は著者。生活文庫1。著者は書家。 目次 序 佐佐木信綱 序にかえて 長谷川伸 幼い胸に はじめての旅 安住の地はどこに 心痛む日々 望郷のうた 職人生活 道しるべ 親友 東京の空の下で めぐりあい それから四十余年 あとがき NDLで検索Amazonで検索日本の古本屋で検索ヤフオクで検索

yachikusakusaki's blog3ヶ月前

7月後半の花 in 平塚花菜園2/ベゴニアを詠んだ短歌 出会った大輪のフヨウはおそらくアメリカフヨウ.宿根サルビアは私の好きな花.初めてであつた「宿根フロックス」.花壇にはヒャクニチソウ,メキシコヒャクニチソウ,センニチコウ.そしてベゴニア. ひねもすを暑に労れし目にしみるベコニアの花のよき紅さかな 佐佐木信綱 わが額汗にじみつつ椅(よ)る卓にベコニアの葉は色驕(おご)りたり 植松壽樹 ベゴニアの紅透る茎に似て少女はやさし花売るときも 浅田雅一今日も暑い1日でした. 話題は,昨日に引き続き,平塚花菜園の花たちです.訪れたのは一昨日. サルスベリ,ムクゲと並んで,今,元気な花といえばフヨウ.花菜園で出会ったのは大輪のフヨウで,アメリカフヨウという種もしくはその園芸種かなと思います. アメリカフヨウHibiscus moscheutos ⇔ フヨウHibiscus mutabilis 夏定番の花,カンナとグラジオラスも咲いていましたが,数が限られていました. それなりの数の種類が揃えられていたのが,宿根サルビア.私がかなり好きな花たちです. 草叢に花だけ首を出していたのは,おそらくギボウシ.葉をきちんと確認しなかったので間違えているかも…

Topaztan’s blog3ヶ月前

松岡映丘と源実朝 〜 近代日本画の中の実朝②今回は、実朝の絵としては非常に有名な「右大臣実朝」を描いた松岡映丘について書きたいと思います。 安田靫彦が実朝の絵を5枚描いていたことは前回の記事でお伝えしましたが、映丘もまた、やはり少なくとも4枚は実朝絵を描いていたことが、今回の調査で判明しました。(金槐和歌集に関連する絵を含めるなら5枚) とても有名な割にほとんど研究されている様子のない、知られざる映丘と実朝の関係を追っていきます。 1)松岡映丘の生涯と源実朝 ●略歴 ●実朝との関わり 2)松岡映丘の描いた源実朝の絵 ●大正12年(1923年) 東京会展覧会5/28〜29 美術倶楽部「鎌倉右大臣」 ●昭和4年以前に描かれたもの(『那須の篠…