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阪神大震災

阪神・淡路大震災
気象庁発表による正式名「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」によって引き起こされた激甚災害であり、戦後最大の都市型大災害である。

概要

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、明石海峡を震源地とするマグニチュード7.3*1の直下型地震「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」によって明石市、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市など阪神間の各都市(兵庫県の沿海部とその周辺地域)、および淡路島北部が最大震度7の激しい揺れに襲われ、各地で甚大な被害が発生した。死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792人、家屋の全半壊24万軒(世帯としては約44万世帯)。地震による火災での全半焼約6,200軒超。災害救助法適用は兵庫県内10市10町にのぼる。
交通関係については、港湾関係で埠頭の沈下等、鉄道関係で山陽新幹線の高架橋等の倒壊・落橋による不通を含むJR西日本等合計13社において不通、道路関係で地震発生直後、高速自動車国道、阪神高速道路等の27路線36区間について通行止めになるなどの被害が発生した。
また地震発生直後から長期間にわたるライフライン(上下水道・電気・ガス・電話)の不通、消防・救急体制の混乱、各種産業・企業への被害、文化財への被害など、被害総額はおよそ10兆円に達した。

また、余震とみられる地震が、2013年(平成25年)4月13日午前5時33分、最大震度6弱の地震が発生した。

問題点とその後

当時の首相は村山富市(社会党)、自由民主党、社会党、新党さきがけによる連立政権であった。混乱している現地から東京へ被害の実態や情報が伝わるのが遅く、テレビ報道などで状況を把握する事態となった。このように、官邸の状況把握の遅滞、兵庫県知事による自衛隊の災害派遣要請の遅延など、政府・行政側の災害時対応においてさまざまな問題が浮き彫りになった。人命救助の点でも、金銭的な生活支援の点でも、すべての面で従来の災害関連法規や制度ではまったく対応できなかった。人口密集地である都市部の大災害で死傷者も多かったことから数多くの特別な立法措置によって被害対策をおこなうこととなった。
この大震災の教訓としてその後、政府や行政、企業等では危機対応力の強化、災害時の連絡体制の確保、災害関連法の整備などがはかられ、この震災をきっかけに被災者生活再建支援法が制定、2004年度からは居住安定支援制度が導入されることになった。また地域防災力を高めるための様々な対応や施策、地震研究・地震対策ではこれまでは予知や予防を中心とするものであったが、今後は「被害を出さない」防災にとどまらず、被害が出ても初期に食い止め早期に対応できるような「被害を減らす」減災の重要性などが認識・推進されるようになった。

数十万人の被災者が出た被災地では体育館などにもうけられた避難所や仮設住宅への長期避難生活、その後の震災住宅への入居など被災者の苦痛は大きく、被災者や救援者に対するメンタルヘルス・ケアの必要性や一般市民による継続的な被災地災害援助ボランティア活動の重要性が認識された。これらの経験を通じて、日本では一般にじゅうぶんには普及していなかった新たな分野への注目や関心が高まる契機ともなった。

以上

などを参考にしました。


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*1:モーメントマグニチュードでは6.9

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