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三菱自動車
正式には、三菱自動車工業 株式会社。(証券コード:7211)
英称は Mitsubishi Motors Corporation. で、MMCの略称で知られる。三菱自工とも略される。
その起源は、三菱の名を冠する以上、岩崎弥太郎まで遡ることができるが、自動車を作り始めたのは1917年、当時の三菱造船であった。三菱造船はその後 三菱重工業 と改称され、戦後の分割・再合併を経て、1970年、三菱自動車工業が設立となる。
生産量は国内第4位。軽自動車からバス・トラックまでのラインナップをとりそろえる一大メーカーである。乗用車ではパジェロやディアマンテなどのヒット作がある一方、「走るシーラカンス」と呼ばれたデボネアやスタリオンなど他メーカーでは出せないような車が生産されていたのもメーカーとしての個性を物語る。
2000年、アジア危機の影響を受け経営難に陥っていたところを、ダイムラー・クライスラーが資本参加することとなり、ロルフ・エクロート氏が副社長に派遣された(2002年社長就任。2004年に退任)。
また、同年2000年、30年に渡って延々とつづけられてきた組織的リコール隠しが大きく問題視され、信用失墜。大幅な販売減となった。加えて、2004年には、ハブ亀裂・タイヤ脱落事故が発覚。三菱自動車の設計と試験に問題があることが明らかにされてきている。
なお、トラック・バス事業は2003年に分社化。三菱ふそうトラック・バスが設立されている。国内12番目の自動車メーカーである。
社史
1969年 道路運送車両法改正により、リコール制度が創設
1970年 三菱重工業から自動車事業本部が分離し、三菱自動車工業設立
1972年 米クライスラーと資本提携(15%)。北米での販売権譲渡など、クライスラーに一方的に有利な内容
1984年 三菱自動車販売を統合。本社社長に館豊夫氏が就任
1988年 東京証券取引所に株式を上場
1989年 社長に中村裕一氏が就任
1993年 米クライスラーとの資本提携を解消。売却株式は三菱重工など三菱グループが引き受け
1995年 塚原董久氏が社長に就任
1996年 米子会社でセクシャル・ハラスメント訴訟。塚原氏が社長を引責辞任し、木村雄宗氏が社長に就任
1997年 総会屋に対する利益供与事件で東京地検特捜部に摘発される。木村氏がわずか1年で社長を引責辞任し、河添克彦被告が社長に就任。「オープンでクリーンな企業を目指す」と公約
1999年 運輸省(当時)により、RVRリコール隠しに関係する抜き打ち検査を受けるが、隠ぺい工作により回避
2000年 ダイムラー・クライスラーと提携合意(3月)。6月運輸省(当時)に匿名の告発に基づき本社に立ち入り検査。三菱重工時代を含めた長期間のリコール隠し事件が発覚(7月)し、河添被告「自動車業界の前例」を理由に辞任を拒否していたが、8月引責辞任。本社強制捜査。園部孝氏が新社長に就任し、河添被告相談役に就任
2001年 大江工場の閉鎖を発表。
2002年 大型商用車部門を三菱ふそうトラック・バスに分社化し、ダイムラー・クライスラーに株式売却。ロルフ・エクロート副社長が社長に、園部氏が会長に昇格
2003年 園部会長急死、MMC生え抜き役員がゼロに。11月、三菱ふそうハブ問題で神奈川県警の強制捜査を受けるが隠蔽工作により回避
2004年 横浜地検の増援捜査で、三菱ふそうのハブ問題のリコール隠しが発覚。4月ダイムラー・クライスラー、ドイツ銀行の圧力で資本提携解消、エクロート社長辞任し後任に三菱重工出身の岡崎洋一氏が社長に就任。5月、自動車部門のリコール隠しが発覚
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