省線とは 地理の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)
省線
(
地理
)
【
しょうせん
】
1920年から1949年の間、現在の「JR線」に相当する鉄道を指した言葉。
当時の国有鉄道が、以下のような「省」レベルの政府機関によって運営されていたことによる。
- 鉄道省(1920年〜1943年)
- 運輸通信省(1943年〜1945年)
- 運輸省(1945年〜1949年)
1949年からは日本国有鉄道となり、略称は「国鉄」となった。また、1920年より前、鉄道院の所管だった当時は「院線」といった。
省線のうち、大都市近郊の通勤電車、いわゆる国電を指す旧呼称としては、「省電」があった。ただ、それらの走る鉄道路線を示す言葉としては、後の「国電」ほどは普及せず、単に「省線」または「省線電車」ということが多かったようである。
関連語:二文字キーワード
このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。
関連ブログ
ヒガチャンの大坂まち歩き•1ヶ月前
大フィルの演奏会昨夜、フェスティバルホールでの大フィル定期演奏会に行った。ブーランジェの交響詩「哀しみの夜に」、ドボルザークの「交響曲第七番二短調」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番イ短調K.488」。田部京子氏のピアノ演奏。指揮はバーティー・ベイジェント。1995年生。作曲家でもある。ケンブリッジ大学進学後、英国王立音楽院で指揮を学ぶ。 ↑大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会↑ピアニストクーパー氏の休演↑イモージェン・クーパー氏の休演。田部京子氏の代演は素晴らしかった。前の座席だったので、演奏中の指先を注視していた。 ↑フェスティバルホール↑堂島のホテル(フォア・シーズンズ大阪) 四ツ橋筋を歩いても…
ネットで話題
もっと見る
10ブックマークパナソニック、「HD-PLC」拡大に向けスタジアムなどで実証実験--大幅省線化目指すjapan.cnet.com
関連ブログ
Mon Cœur Mis à Nu•2ヶ月前
20240929日記微雨のち陰、涼気。身体は疲れてゐるが約束のため早起き。洗濯と身支度とを済ませ、いつもの仏蘭西料理店で食事、本日は印象的な料理も会話もなかつたが、換言すればいつも通りの平安があつたと云ふ事だ。省線の水道橋驛で降りて友人と合流。神田教会で聖伝ミサに与る。 ミサ曲はぱつとしなかつたが(あれはキリアーレの何番だつたらう?)、それでも私の魂のSURSUM CORDAは叶つた。Lavabis me, et super nivem dealbabor. 友人が、閉祭後のオルグによる独奏曲が気に入つたと云ふので、我々は聖歌隊席まで登り、オルグ奏者と言葉を交はした。曲は、カトリック聖歌集432番『われらたたへん…
田中三郎の日記•2ヶ月前
99.大正13年6月1日から6月4日まで。三郎の通う予備校「正則英語学校」について「 6月1日(日)曇午後雨 忍耐は金の生る木 午前中、時澤(妹)、豊増、鳥井、岡3人来たる。また新たに田崎と言える人、子どものピアノ教授を願いて来訪。亀屋の菓子を下さる。正午、規矩士兄は出校。午後、父、敬一兄は馬込に散歩に出る。規矩士兄の留守中、小倉氏来たる。木曜の午後を約す。庭の月桂樹も葉が出て来た。また、先ごろ裏に蒔いたコスモスの芽が同じく出て来た。規矩士兄は7時ごろ帰宅。無事音楽会終了の由。 さて、4月以来余の通学する正則英語学校について詳しく書かなかったが、本日詳述せゆ。午前中勉強をし、11時頃に昼食をする。そして正午に家を出る。神田駅を降りて正則に一直線に。そして1時前には十分着いて…
昭和寅次郎の昭和レトロブログ•3ヶ月前
昭和の芸能人の体験から考える関東大震災~俳優・上原謙さんの場合~防災の日!上原謙さんの震災体験を紹介 上原謙さんが体験した関東大震災 東日本大震災を思い出せるエピソード 人々の間で生まれた憎悪とデマ 防災の日!上原謙さんの震災体験を紹介 今日9月1日は防災の日 つまり関東大震災の起こった日です 今年で101年が経ちます 私が生まれるはるか昔の出来事ですが どのような震災だったのか 昭和ブログらしく昭和に活躍した芸能人の 体験を知って学ぼうという主旨の 記事になります 今回取り上げるのは加山雄三さんの父で 2枚目スターとして絶大な人気を誇った 俳優・上原謙さんの体験談です 以下、上原謙さんの著書から 長めに引用します 上原謙さんが体験した関東大震災 突然、駅…
田中三郎の日記•3ヶ月前
130.大正13年9月28日から10月4日まで。浅草オペラを見た。弁論会が面白かった。凮月堂のお菓子をもらった。9月28日(日)晴 午前9時に万世橋で氏森君と会し、上野公園を散歩する予定であったが、10時になっても氏が見えぬので、余は単身浅草に向かう。浅草公園は震災前と同様、すこぶる賑やかだ。50銭を投じてオペラ館に入った。まことに幼稚なオペラである。本日は満員と見え、各興行物、満員だ。5時半に終わる。それより市電にて万世橋まで、更に万世橋より省線にて帰宅。今日、木村氏(旧和声学弟子)来訪さる。ピアノ弟子を紹介さる。右は千葉の人(石田氏)また、吉川重信君来たりし由。」 あらあら。学友の氏森氏にすっぽかされてしまったようです。大正13年には携帯電話もスマホもないので、連絡の取りようがないですね。 仕方がな…
田中三郎の日記•3ヶ月前
133.大正13年10月17日から10月30日まで。鹿嶋神社の奉納相撲。調律師の中谷氏が来る。マツタケ。東京音楽学校学友会演奏会。三郎氏「受験と学生」に「東京音楽学校紹介」という投稿(記事?)を出す。規矩士兄は岡山・広島に出張演奏に行く。10月17日(金)曇り 風 神嘗祭 君子は其独を慎む 段々と寒くなってくる。 (三郎さんの日記が短い。) 10月18日(土)晴 本日、明日は鹿嶋神社の本祭である。夜、父、規矩士兄と3人で参詣に出る。明日は境内の広場で相撲がある。土俵を中心に方形の立派な桟敷が出来た。この相撲は非常に有名な由。桟敷には入場券がなければ入れぬ。午後、母は気持ちが悪いので、しばらく寝る。朝、東京駅にて省線脱線により、学校まで歩く。 10月19日(日)雨のち曇り 善行は悪運に勝つ 朝3時ごろから相撲の太鼓が雨の中に聞こえた。相撲は正午より始まると。父、母は行ってみたが、満員なので中止して水神下の活動に行く。午後、「ワー…
穂の原でんしゃ製作所•3ヶ月前
踏切を行く少し珍しいかも 1003編成が入庫してしまいましたので、あとは終電まで1002編成がひたすら行ったり来たりを繰り返します。 産業道路の陸橋をくぐって来ます。 かなりの徐行で入線してきます。 ゆっくり入線してくるのは、何故でしょう。 101系だったら電制切で入線してきていたでしょうね、今の時代であったら。 昔と違い、事務職や技術職はフレックス化が進んでますので、9時過ぎであってもそれなりの通勤客が居ます。分散通勤は混雑緩和の常套手段。23区内の企業は積極的に分散通勤の施策をしないと。 ドラムを切り替えて、運転台の交換をします。 反対方向は閑散としています。 さて、一駅戻ります。つい最近できた小田…
穂の原でんしゃ製作所•3ヶ月前
試作機を追って油売りに勤しむ お盆中でも仕事がある方は出勤しますので・・・ JFEエンジがある方向に結構な人数が向かいます。りんたんバスの営業所もすぐ傍にあって、バス利用も便利な場所です。 程なくブロアー音が聞こえて近付いてきます。草生すモーターカー越しに明かりが見えました。 なんと901号機さん牽引の油運びです。 このような小運転にもEHが使われます。 ここは天下の東海道貨物線。物流の大動脈です。 でも、こちらの線路は南武支線側になるのかしら。どちらが今では南武支線なのか、判りませんが・・・・。 タンク車が居るあたりの高圧鉄塔の足元は、川崎駅方面へ続く鉄塔だったラインなんですよね。つまり戦時中の省線側の貨…
園遊舎主人のブログ•3ヶ月前
大戦を前にした大衆最後の楽しみ江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)284大戦を前にした大衆最後の楽しみ 神話に始まるわが国の紀元、二千六百年にあたるその日は、昭和十五年(1940)の十一月十三日である。当時の日本政府は、紀元二千六百年の祝いを国家行事として設定した。そうなると、当然、記念の祭典を開催しなければならなくなり、国民の意思とは関係なく独り歩きをはじめた。大半の国民は、たとえ「紀元二千六百年」が、史実としてあまり信頼できないとは思っていても、国を挙げてのお祝いに異を唱えることなどできない。となれば、大衆の側に言わせれば記念行事に託つけて楽しんだほうが勝ちだと思う人が多くなっていったに違いない。そこで、次に大衆が紀元二…
●OTA(On The Air) •3ヶ月前
●カオスでガラパゴスな、近鉄南大阪線で遊ぶ<1>盆休み、次の写真集の取材目的で『近鉄・南大阪線』で『大阪阿部野橋ー古市』間を、往復してきました。本来ならば『南大阪線』『長野線』『道明寺線』『吉野線』と、南大阪線系の狭軌(1,067mm)を全走破したかったのですが、酷暑でへとへと。『もう、古市の連結・解結でいいや』とあきらめて帰って来ました。秋には、吉野まで足を延ばしたいな、と思っています。 【写真:古市止まりが、次は『急行・橿原神宮前行』に化けて、待機線へ】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆固定編成の阪急京都線沿線で育った『私』には、超新鮮路線です。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…
一睡の夢:国鉄末期の12年•3ヶ月前
弘南鉄道 モハ2250(モハ1207) 94-31981/10/05 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢、モハ2250 今回は旧富士身延鉄道から省線/国鉄を経て、弘南鉄道譲渡となったモハ2250から。 合計4両の譲渡のうち、この1両モハ2250のみ、最後まで2ドア車として使用されてた。 しかし残念ながら1981年10月に最初に訪れた時は、既に廃車解体が始まっていた状態。 車体はまだともかく、まず床下から取り外しが開始されていた。 弘南モハ2250←国鉄モハ1207←鉄道省モハ93008←富士身延モハ112(1928年製) RM LIBRARY 238買収国電のP19に、モハ1207の飯田線時代の画像あり。 1981/10/05 弘南鉄道大鰐線 津軽大…
YOBIUMA Satsuki(呼馬皐月)のブログ•3ヶ月前
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝 六崎の大師堂(56番)&浅間神社(元38番候補)(令和6年8月2日その2) 六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、六崎の鏡宝寺(1番&31番&38番)&妙見神社の次は、六崎の56番大師堂、続けて、六崎の浅間神社(元38番候補)に参ります。 鏡宝寺から門前の千葉県道65号佐倉印西線に出まして、六崎鏡宝寺境内から千葉県道65号左(南)でも良いのですが、ここは県道を横断して妙見神社前の丁字路まで戻って左へ、旧道で南へ進みました。その道が県道に合流するところ、六崎56番大師堂北の二股三叉路合流直後の県道右(西)側に、56番大師堂があります。 六崎の56番大師堂 六崎組十善講八十八ヶ所56番。六崎56番大師堂六崎56番大師堂御詠歌額御詠歌額の冒頭「五十六番」。…
花と木と山が好き•3ヶ月前
今さらだけど『四畳半襖の下張り』は永井荷風の作品か?「幻の古典ポルノ」は本当に荷風の作品なのだろうか?ずっとむかし、荷風の作品と伝えられる小説『四畳半襖の下張り』が「わいせつ文書」として、ある出版社が摘発されたことがある。その事件をまだ覚えておられる方もいることと思う。文学作品(芸術?)かポルノか、後日興味をもち伏字の目立つ本を購入したことがある。しばらく経って、さて読んでみようか、と思っては見たものの、探しても見当たらなかったので未だに読んでいない。 で、数日前のことだ。毎朝、荷風の日記(岩波全集版)を読んでいるのだけれど、次のようなことが書かれていた。戦後、千葉県市川に転居した頃(荷風六十九歳)に書かれた日記には……昭和二十二年一月十二日「…
ヒガチャンの大坂まち歩き•3ヶ月前
79年前に京橋駅でおきた出来事1945(昭和20)年8月14日、米軍B-29数十機が大阪砲兵工廠(陸軍造兵廠)への空襲を行った。 12時30分ごろ、城東線(省線)京橋駅にも1トン爆弾を数個落とした。被害は駅舎やレールだけでなく、たくさんの死者も出た。 ↑京橋駅であった悲惨な出来事 ↑慰霊祭のご案内 毎年、慰霊祭に参加をしている。知人(92歳)も参加していたが、最近は猛暑でご欠席が続く。「平和の語り部」として学校での平和学習に励んでおられる。 ↑京橋駅空襲被害地図 若い方の参加も多い。真剣な表情で慰霊祭に参加される青年たちのまなざしに未来のニホンを託していいと思っている。 【参考文献】 『片町線・草津線・関西本線〜そのルーツ…
のら印BLOG•4ヶ月前
旧陸軍火薬製造所分工場跡と奈良街道・宇治市木幡周辺前回は、京都府宇治市の黄檗周辺にある、旧陸軍の火薬庫や火薬製造所跡を訪ねました。 今回は、北隣の木幡周辺を歩いてみます。 JR木幡駅です。 駅周辺には、宇治陵と呼ばれる、平安期に栄華を極めた藤原北家の陵墓が点在しています。 写真は、その総遥拝所でもある1号墳。 石碑には「藤原氏塋域(えいいき)」と書かれ、藤原道長の名前もあります。 大きな製茶場や、 長屋門の奥に洋館が残る旧家もありました。 そんな木幡駅のすぐ北側には、今は「木幡緑道」と呼ばれていますが、旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場への引込線跡が残されています。 説明板にある、地図に加筆してみました。 青く印をつけた2つの宇治火薬製造所のうち…