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石井輝男

映画監督
1924年、1月1日東京生まれ。
1939年、東宝に撮影助手として入社。1947年、東宝争議で東宝から分裂した新東宝の設立に参加し、助監督に転身。成瀬巳喜男監督『石中先生行伏記』(50)や清水宏監督『しいのみ学園』(55)につきながら、脚本の勉強をする。
1957年、新東宝の社長が交代。新体制の下、当時では珍しいボクシングの世界を描いた『リングの王者・栄光の世界』(57)で監督デビューし注目を浴びる。その後、児童向けの<「スーパージャイアンツ」シリーズ>(57−58)、メロドラマ『天城心中・天国に結ぶ恋』(58)、日本版カスバもの<「地帯(ライン)」シリーズ>(60−61)、女侠客もの<「女王蜂」シリーズ>などを監督し、キレのいい演出をみせる。
闇の組織をセミ・ドキュメンタリー・タッチで描いた<「地帯(ライン)」シリーズ>は、良識派からは「煽情的だ」と非難を浴びたが、淀川長治氏などの一部の映画批評家からは絶賛され、興行的にもヒットを記録した。
1961年、新東宝の倒産で東映と契約。ニュー東京東映第1作となる『花と嵐とギャング』(61)で高倉健と初コンビを組み、泥臭いイメージの強かった東映アクション映画に、モダニズム溢れる演出で新風を吹き込む。それ以後<「ギャング」シリーズ>など、東映ギャングものに大きな影響を与えた作品を撮り、東映現代劇の中心的人物となっていく。その後、『霧と影』(61)や『黄色い風土』(61)、W・P・マッギバーンの「悪徳警官」を翻訳した『親分を倒せ』(63)などのミステリー物も手がけ、新境地を開拓していく。鶴田浩ニ主演の『昭和侠客伝』(63)で侠客映画のブームを起こし、65年には自ら脚本も手がけた『網走番外地』(65)を監督する。このシリーズで高倉健は一躍人気スターとなり、彼が唄った主題歌も大ヒットする。全18作としてシリーズ化された中、最初の10作品を監督。
1968年からは"異常性愛路線"1作目となる『徳川女系図』を監督。主演女優の失踪、助監督の「低俗映画反対」声明連盟書の突きつけなど、各方面からバッシングを受けるが、"異常性愛路線"3作目の『徳川女刑罰史』(68)は68年度東映の最大ヒット作となる。
1970年代に千葉真一と組んで撮られた『直撃!地獄拳』(74)、『直撃!地獄拳・大逆転』(74)は、コミカルなカンフー映画として人気を博し、香港アクション映画に多大な影響を与えたとも言われている。
1979年、『暴力戦士』を最後に映画界から遠ざかり、81年以降は多数のTV作品を演出。
90年代に入り、『恐怖奇形人間』(69)などの"異常性愛路線"が名画座で上映されると、若者の間でカルト的な人気を博し、"キング・オブ・カルト"監督としてファン層を広げ、再評価される。
1993年、つげ義春原作『ゲンセンカン主人』で14年ぶりに劇映画に復帰後、つげ兄弟の原作を起用した『無頼平野』(95)、『ねじ式』(98)を監督する。また、『地獄』(99)、『盲獣vs一寸法師』(01)と精力的に製作を続けている。
2005年、8月12日没。

参考文献:「日本映画人名辞典 監督篇」キネマ旬報社
「ねじ式」パンフレット ビターズエンド

石井輝男監督フィルモグラフィー

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