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村上天皇

平安時代中期の天皇。第六十二代。名は成明。
延長四(926)年生、康保四(967)年没。践祚天慶九(946)年。
醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経の娘穏子。保明親王・朱雀天皇は同母兄。
保明親王とその子慶頼王が皇太子のまま死去し、朱雀天皇にも男子がなかったため、天慶七(944)年に立太子。二年後に朱雀天皇の譲位を受けて践祚。
天暦四(950)年、藤原師輔の娘藤原安子に男子が生まれると、これを立太子した*1
関白藤原忠平やその子藤原師輔を補佐として在位した二十一年間は、父の「延喜の治」と並ぶ聖代とされる「天暦の治」と呼ばれる。
また文学、とりわけて和歌を好み、天暦五(951)年に梨壺に和歌所を設け、源順・清原元輔・紀時文・坂上望城・大中臣能宣らを召して『万葉集』の訓点と『後撰和歌集』の撰進を行わせた。多くの歌合を主催したことでも知られ、とくに天徳四(960)年の内裏歌合は晴儀歌合の模範とされる。
家集は『村上天皇御集』。『後撰和歌集』以下の勅撰集に五十七首入集。
日記『村上天皇宸記』、有職故実書『清涼記』も著書とされる。

后妃と子女

*1:後の冷泉天皇

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