調所広郷とは 社会の人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

調所広郷

(

社会

)

ずしょひろさと

薩摩藩士。1776〜1849年。通称、調所笑左衛門。薩摩藩家老として、破滅的状況にあった藩財政の立て直しにあたった。殖産興業を積極的に推進したほか、一方的な債務のリスケで事実上の踏み倒し、琉球を通じての密貿易など強引な手段を用いて財政再建をなしとげた。次期藩主を巡る権力闘争に絡み、自殺したとされる。

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。2年前

西田橋と高麗橋と玉江橋、鹿児島の城下町の風情をつたえる鹿児島市にある石橋記念公園・祇園之洲公園には、アーチの美しい石橋がある。これらは19世紀半ばにつくられたもので、もともとは甲突川(こうつきがわ)に架けられていた。上流から玉江橋(たまえばし)・新上橋(しんかんばし)・西田橋(にしだばし)・高麗橋(こうらいばし)・武之橋(たけのはし)。これらをまとめて「甲突川五石橋」と呼んだりもする。 西田橋 甲突川五石橋は近年まで生活道として使われていた。しかし、1993年8月6日に鹿児島市で水害があり(「8・6豪雨」や「8・6水害」という)、新上橋と武之橋は流失。残った玉江橋・西田橋・高麗橋も移設保存されることになった。解体と移設工事を経て、2000年に石橋…

#甲突川五石橋#石橋記念公園#祇園之洲公園#岩永三五郎#種山石工#石橋#薩摩藩#調所広郷#鹿児島

ネットで話題

もっと見る

10ブックマーク調所広郷 - Wikipediaja.wikipedia.org

6ブックマーク18 薩摩藩経済官僚(調所広郷) 佐藤 雅美(1986) - 小説を 勝手にくくって 20選!薩摩藩経済官僚 回天資金を作った幕末テクノクラート【電子書籍】[ 佐藤雅美 ] 価格: 660 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 蘭癖大名として名をはせた島津重豪は、11歳で家督を継いでから隠居後して89歳で亡くなるまで実権を握り続けた。11代将軍徳川家斉の岳父の体面があり、また近代化た邁進したため浪費も激しく、18...nmukkun.hatenablog.com

関連ブログ

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。8日前

『島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略』、なんだかんだで700年島津(しまづ)氏は12世紀末に惟宗忠久(これむねのただひさ)が南九州に所領を得て、その歴史がはじまる。日向国・大隅国・薩摩国にまたがる島津荘(しまづのしょう)を領したことから「島津(しまづ)」を名乗りとした。また、三ヶ国の守護職にも任じられる。 初代の島津忠久(惟宗忠久)から29代当主の島津忠義(ただよし)まで、じつに約700年間にわたって南九州を治めた。 こんな本が出た。読んでみた。 『島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略』著/新名一仁・徳永和喜 島津氏 鎌倉時代から続く名門のしたたかな戦略 (PHP新書) 作者:新名 一仁,徳永 和喜 PHP研究所 Amazon 700年の歴史が「…

小説を 勝手にくくって 20選!1ヶ月前

18 薩摩藩経済官僚(調所広郷) 佐藤 雅美(1986)薩摩藩経済官僚 回天資金を作った幕末テクノクラート【電子書籍】[ 佐藤雅美 ]価格: 660 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 蘭癖大名として名をはせた島津重豪は、11歳で家督を継いでから隠居後して89歳で亡くなるまで実権を握り続けた。11代将軍徳川家斉の岳父の体面があり、また近代化た邁進したため浪費も激しく、1801年に121万両だった借金はみるみる膨らみ、1835年には500万両にも及んでしまう。当時の島津藩の月の収入が10万両であり、財政は完全に破綻していた。 身分が低い城下士出身の調所広郷は、茶道家として重豪に仕えた。文字通りの「茶坊主」だが、重豪は「ダメモト」で借金調達を申し付ける。…

book235の日記2ヶ月前

だんドーン第40話「薩摩を癒す湯の花」感想/特定キャラ視点の余韻伊牟田を捕縛した小松。かつて邂逅した薩摩藩家老の調所広郷を回想しながら暗い目でこの先を思う。該当話はこちらから。 小松から見た家老像、重すぎ… 小松視点の今回、とてもいい。調所広郷って、歴史に詳しくない自分にとっては「なんか薩摩藩のあくどい家老」くらいのイメージだったけど、本音が見えない様子が怖い。 少年時代の小松は調所の死に様に、国家運営の責任を負うってこういうことなんだと思い知ったんだろう。その後、どうせ早死にするし、上手にバランスとって生きていければいいやと過ごしていたが、西郷たちとの出会いでギンギンにキマってしまった。 泰三子「だんドーン(2)」第11話:早世の名宰相 より ←もうサブ…

爽風上々のブログ2ヶ月前

「刀と日本語 刀からうまれた日本の言葉」調所一郎著日本刀というものは独特の発達を遂げ日本文化の中で大きな存在となっています。 それに伴い、刀に関する言葉がその原義を離れて広く社会で使われるようになっている例も数多くあるようです。 そういった事例を紹介しています。 なお、本書を手に取り序文を見ると、なんとそこを書いているのが徳川家広氏、(徳川家18代当主徳川恒孝氏の子息)、さらにそれに続けて細川護光氏(肥後細川家18代当主細川護熙氏の子息)が文を書いており、そこで気付いたのが著者の姓。 思い当たったのが薩摩藩家老の家柄で調所広郷が有名ですが、やはり著者はその子孫にあたるそうです。 良い名刀をいろいろと見ていることでしょう。 とはいえ、中身はさほ…

草思社のblog3ヶ月前

奇跡の財政再建をなしとげるも、西郷、大久保ら維新の元勲から「悪人」と憎まれた男の実像『幕末の薩摩藩 悲劇の改革者 調所笑左衛門』原口虎雄 著幕末の薩摩藩 悲劇の改革者 調所笑左衛門 原口虎雄 著 維新の大業をなした薩摩の「起点」となった人物に光を当てる傑作評伝! 本書の旧版(1966年中央公論社刊。現在絶版)は調所(ずしょ)笑左衛門広郷(ひろさと)の初めての伝記で、巷間の調所像を覆す衝撃的なものでした。江戸後期、薩摩藩は莫大な負債を抱え瓦解寸前でしたが、そこに起死回生の大手術を行ったのが薩摩藩家老・調所笑左衛門です。調所の財政改革を経て薩摩は洋式工業の中心、日本随一の富強国となり、のちに西郷らあまたの元勲を輩出しましたが、元勲らは調所を「極罪ノ者」としてその業績を抹殺し、その後調所のイメージは「悪人」として定着していきます。しかし…

映画とドラマに沼る主婦3ヶ月前

NHK大河ドラマ「西郷どん」第2話のあらすじNHK大河ドラマ「西郷どん」第2話のあらすじは以下の通りです。 「西郷どん」第2話「立派なお侍」 このエピソードは、1846年秋、18歳になった西郷小吉が元服して西郷吉之助と名乗るようになるところから始まります。彼は郡方書役助という職に就き、年貢徴収を担当する上司・井之上を補佐します。その年は不作で、農民・平六の娘、ふきが借金取りに連れて行かれそうになるのを、西郷吉之助は有り金をすべて渡して助けます。そして、お腹をすかしているふきらに、自分の弁当もあげました。 西郷家では、新たな生命が産まれ、家族は喜びますが、吉之助が家に戻ると、父・西郷吉兵衛から叱られます。家も貧しく生活は苦しいのです。一方…

映画とドラマに沼る主婦4ヶ月前

大河ドラマ「篤姫」の第2話のあらすじ大河ドラマ「篤姫」の第2話のあらすじは以下の通りです。 2008年に放送されたNHK大河ドラマ「篤姫」の第2話「桜島の誓い」の詳しいあらすじは以下の通りです。 このエピソードでは、薩摩藩の内紛が深まります。藩主・島津斉興の側室であるお由羅が、自分の息子・忠教を次期藩主にするために、他の候補者たちを呪い殺しているのではないかという疑惑が藩内で広がります。この疑惑は、斉興の次男・寛之助がわずか4歳で夭折したことによって加速します。斉彬の息子たちが次々と夭折していることから、藩内の体制に批判的な藩士たちはお由羅を疑い始めます。 一方で、調所広郷は於一(後の天璋院篤姫)を自宅に招き、自分が主導して作っ…

映画とドラマに沼る主婦4ヶ月前

大河ドラマ「篤姫」の第1話のあらすじ大河ドラマ「篤姫」の第1話のあらすじは以下の通りです。 2008年に放送されたNHK大河ドラマ「篤姫」の第1話「天命の子」のあらすじは以下の通りです。 物語は1835年(天保6年)、後に天璋院篤姫となる於一(おかつ)と、肝付尚五郎(のちの小松帯刀)が生まれたところから始まります。1847年(弘化4年)に於一と尚五郎が12歳の時、指宿・岩本村で郡役人を務める西郷吉之助が、領主の今和泉島津家当主・島津忠剛に年貢の減免を願い出ます。しかし、島津本家では今和泉島津家が年貢取り立てに対して消極的であるとみなされ、忠剛は財政を預かる調所広郷に呼び出されます。このことで忠剛は家名断絶の咎を受けることを恐れ、…

ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。4ヶ月前

近世における島津氏の分家、江戸時代の「〇〇島津家」いろいろ17世紀以降の島津氏の分家についてまとめてみた。 島津氏にはもともと分家が多い。鎌倉時代から続く歴史の長さに加え、子沢山な当主も多かったりする。そんなわけで、一族の枝葉をいっぱいに広げる。中世から続く家柄もあり、江戸時代に立てられた分家もあり。 中世の島津氏 薩摩藩における分家 薩摩藩主家/島津本家 重富島津家(越前島津家) 加治木島津家 垂水島津家 今和泉島津家 玉里島津家 日置島津家 都城島津家 花岡島津家 宮之城島津家 永吉島津家 豊州島津家(黒木島津家) 知覧島津家 佐志島津家(佐司島津家) 新城島津家 市成島津家 島津本家準三男家(忠広一流) 島津本家準二男家(島津大蔵家) 島津本家…

2)日本民族の伝統文化と天皇神話の400年宗教戦争。天皇の人道貢献と戦争回避の平和努力。 5ヶ月前

🏞97)─2・B─島津斉彬の対外認識と政略・戦略。アヘン戦争と琉球問題。~No.375 ・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 民族的な伝統力・文化力・歴史力そして宗教力を持たない現代日本人は、日本の近代化が理解できない。 ・ ・ ・ 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではなかった。 ・ ・ ・ 日本にとって琉球は、東南アジア・台湾・揚子江流域中国などの南からの侵略から日本を守る防波堤であるがゆえに琉球を自国領にする必要があり、清国(中国)の領有を認めるわけにはいかなかったし、琉球が近代的軍事国家として日本と攻守軍事同盟を結ばない限り琉球民族の自主独立を認めるわけにはいかなかった。 その為には、琉…

arimahamaの日記8ヶ月前

オートファジー890日目と豆麹作り2024/2/19月曜日 5時半に起床。 まずは豆麹の出麹。 次に洗濯。 外は小雨。 浴室乾燥機を使うことに。 朝食と昼食を作ったら、次の豆麹作りの用意。 圧力鍋で豆を蒸し始め。 タイマーをセットしたら、醤油の仕込み。 4瓶目が完成。 ついでに他の瓶の醤油も混ぜ混ぜ。 8時15分に豆が蒸し上がった。 冷ましている間、長女を駅まで送迎。 ついでに買い物を済ませてから帰宅。 10時から、最後の豆麹作り。 種麹と麦を合わせたものを大豆にまぶしたらパイレン布と晒布に包み発酵機へイン。 やることやったら、読書。 11時50分から食事の用意。 夫とモリモリ食べた。 お腹が満たされたら読書。 昨日に引き続き…