東松照明とは アートの人気・最新記事を集めました - はてな (original) (raw)

東松照明

(

アート

)

とうまつしょうめい

日本の写真家。
1930年1月16日、愛知県名古屋市生まれ。2012年12月14日、死去。
長崎、沖縄などの社会的なテーマを扱った作品で知られ、戦後の写真界に大きな影響を与えた。

東松照明と沖縄 太陽へのラブレター

東松照明と沖縄 太陽へのラブレター

東松照明写真集 camp OKINAWA (沖縄写真家シリーズ 琉球烈像 第9巻)

東松照明写真集 camp OKINAWA (沖縄写真家シリーズ 琉球烈像 第9巻)

東松照明1951‐60

東松照明1951‐60

関連語 リスト::写真家

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ

本まるさんかくしかく Blog1ヶ月前

都市を視る アサヒカメラ増刊 都市を視る アサヒカメラ増刊 / 朝日新聞社 1983 / 260x180mm / 322ページ / モノクロ は「本まるさんかくしかく」で販売中です。 hon034.stores.jp 都市写真特集です。ウィリアム・クラインに始まり、高梨豊、柳沢信、内藤正敏、富山治夫、東松照明、朝倉俊博、森山大道、倉田精二、須田一政、深瀬昌久、石元泰博、桑原甲子雄など。豪華で濃いー、1冊。

#ウィリアム・クライン#高梨豊#富山治夫#東松照明#朝倉俊博#森山大道#倉田精二#須田一政#深瀬昌久#石元泰博

ネットで話題

もっと見る

185ブックマークこれが戦後日本?!東松照明の写真に固定概念が崩壊:DDN JAPANjapan.digitaldj-network.com

16ブックマークこれが戦後日本?!東松照明の写真に固定概念が崩壊:DDN JAPANjapan.digitaldj-network.com

13ブックマーク日本を代表する写真家 東松照明死去 (1930-2012):DDN JAPANjapan.digitaldj-network.com

12ブックマーク東松照明 - Wikipedia東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本の写真家。 戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳・木村伊兵衛が審査員...ja.wikipedia.org

8ブックマーク日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ/東松照明オーラル・ヒストリー東松照明オーラル・ヒストリー 2011年8月6日 沖縄県那覇市、東松照明スタジオにて インタヴュアー:池上裕子 書き起こし:金岡直子 公開日:2013年1月12日 東松照明(とうまつ・しょうめい 1930年~2012年) 写真家 1930年名古屋市生まれ。戦後日本を代表する写真家の一人で、長崎の被爆者に取材した写真や、米軍基地...oralarthistory.org

7ブックマーク東松照明、森山大道ら出展、「1968年」から写真を問い直す『日本写真の1968』展 | CINRAwww.cinra.net

5ブックマーク東松照明の世界homepage2.nifty.com

5ブックマーク写真家の東松照明さんが死去 NHKニュース長崎の被爆者や沖縄のアメリカ軍基地などを撮り続けてきた、日本を代表する写真家の東松照明さんが、去年12月、沖縄県内の病院で亡くなっていたことが分かりました。 82歳でした。 東松照明さんは昭和5年、愛知県に生まれ、愛知大学在学中に本格的な写真活動を始めました。 その後、プロの写真家になり、原爆投下が...www3.nhk.or.jp

5ブックマーク前衛芸術と学生運動で熱狂する1960年代後半を克明記録、東松照明の写真展『新宿騒乱』 | CINRAwww.cinra.net

関連ブログ

アート観客 since 19962年前

日本列島クロニクル ― 東松照明の50年。1999.2.6~4.4。東京都写真美術館。日本列島クロニクル ― 東松照明の50年。1999.2.6~4.4。東京都写真美術館。 1999年2月23日。 大物らしいが、失礼ながら、まったく知らない人だった。それに活動期間から考えても、過去の自分の遺産でやっている人だと思っていた。 でも、軽みがあった。椹木野衣が後に評価しているのを知るが、確かにコンピュータの部品を置いた風景写真はよかった。これからの人のように見えた。とても今のものだった。 「どんなことでも、私に引き寄せないと、写真は撮れない」。 そんな言葉に実感がある。 写真館を出てから、恵比須の駅で実家に電話をする。寒い日だった。母は話の途中で急に泣き出し、その後すぐに何ごともない…

#東松照明

k-bijutukanのブログ13時間前

『現代の美術 art now12 拡がるデザイン世界』続き(閑人亭日録)『現代の美術 art now12 拡がるデザイン世界』講談社(第11回配本)1972年3月10日第1刷発行、高階秀爾・編著、巻末の「デザイン世界の現象学」高階秀爾を読んだ。《 今日においては、芸術とデザインとは、かつてのように切り離されたものではなくなっている。なるほど、手づくりによる一品制作と、機械的手段による複数制作という差は残っているが、芸術そのものが機械的手段を利用したり、デザインの世界が却って無用の美をも取り入れようとしたりする現象が、しばしば見られる。ある意味では、芸術はデザインを通じて社会とのつながりの回復を求め、デザインは芸術の衝撃力を自己のものとしようとしているように思われる…

k-bijutukanのブログ2日前

『現代の美術 art now12 拡がるデザイン世界』(閑人亭日録)『現代の美術 art now12 拡がるデザイン世界』講談社(第11回配本)1972年3月10日第1刷発行、高階秀爾・編著、「はじめに」を読んだ。《 これまで、現実の社会には背を向けた「自律的」な世界だけで純粋な美を追求していた芸術家たちに代わって、今や社会そのもののなかで生活に直接結びついて価値を生み出して行くデザイナーたちが、われわれの感覚世界の主役となってきたのである。 このような状況に呼応して、芸術家の側でも、積極的に社会に参加して行く姿勢を示す動きが顕著に見られるようになってきた。ひとつには、かぎられた枠の中で自由に「美」の表現を追求した結果、「美」そのものが徹底的に解体されて、造形…

あまはじノート14日前

【沖縄戦・ガマフヤー・戦争・台湾ひまわり学生運動】の記事をカテゴリー別に読んでみる▲@2014 TAIWAN 2021~2024年までに書いた記事のアーカイブを、カテゴリー別にまとめ下記においています。 (現在、記事の更新はおわっています) ぜんぶで130超の記事があるので、すこしずつ読みすすめるのもおすすめです。 ※カテゴリーが重複した記事あり。 ▼太陽花學運(ひまわり学生運動)2014年台湾現地で見たひまわり学生運動の記録。10年前、自宅徒歩圏内で起こったできごとを観察していました。記事作成中は、グーグルストリートビューで立法院のまわりをぐるぐるまわっていました。 amahaji.hatenablog.com ▼ガマフヤー(具志堅隆松)ハンスト2011・2022@沖縄県…

nekoSLASH1ヶ月前

【写真展】2024.8/31-9/28_丹野章 初期作品「サーカス」「地底のヒーローたち」より @The Third Gallery Aya丹野章、1950年代「サーカス」は知っていたが、1960年代以降の「地底のヒーローたち」は知らなかったし初見だった。炭鉱!

一朴洞日記2ヶ月前

ほっつき歩いた頃今はフィルムセンターとなっている、京橋の日本近代美術館で、新進気鋭の写真家たちを特集した「現代写真の10人」展があった。一九六六年の七月から八月へかけてだ。高校生にとっては、知らぬ名前ばかりが並んでいた。出展者最年少の篠山紀信という人が二十五歳と聴いて、あぁ、だんだん自分らと近くなってきたなぁ、と感じた。 今プログラムを眺めると、その顔触れにため息が出る。安斎吉三郎、佐藤 明、篠山紀信、高梨 豊、東松照明、富山治夫、中村由信、奈良原一髙、細江英公、横須賀功光の十人だ。およそ三十歳前後で、出るべき人は出てきていたのだなあ、といった想いがする。 写真についても写真家についても、ひとつも予備知識がな…

時々、さんざめく4ヶ月前

TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション@東京国立近代美術館TRIO展である。…トリオ…トリオ…(脱線しかけている脳味噌を強引に本編にもっていこうとしている) www.momat.go.jp パリ市立近代美術館・東京国立近代美術館・大阪中之島美術館のモダン=近代美術のコレクションをテーマをもって展示する、という、あまりない切り口での展覧会。 前後期制で入替あり。書き手が拝見したのは前期。 写真も結構OK。 最初のテーマは「コレクションのはじまり」。 ええと…大阪中之島美術館、佐伯祐三「郵便配達夫」持ってきたのだが。 morina0321-2.hatenablog.com これ、1年前に拝見した展覧会の最後の作品…。 前回は写真NGで今回はOKなんだよね…

マン・レイと余白で4ヶ月前

STAN GETZ WITH GUEST ARTIST LAURINDO ALMEDIA中部学生写真連盟「高校の部」の先輩、杉山茂太氏のお宅に伺うようになったのは1969年に入ってからだったか、徹夜で写真のレクチャーを受け刺激された。東松照明や細江英公、ロバート・フランクやウィリア・クラインの写真集を手にとったのはこの時で、先輩は上掲のレコードをいつも掛けていた。ステレオの無い家に育ったわたしには新鮮な音色、けだるくて陽気、ジャズ・サンバというのかしら。先輩は私家版写真集『SUD』を見せてくれながら、南の光を語る(写真が語る)。吸っておられた煙草は「eve」だった。

60歳からの自分いじり5ヶ月前

(講義関連)アメリカ(33)50年代と70年代の開放感tsuki-mado.jp ここもこんな感じであと10年もてば、一周まわって脚光浴びることもあるかも。 (ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(33)50年代と70年代の開放感 まずは、1970年代の回顧から。 24-5p「昭和50年代初めの渋谷を回想するとき、とりわけ懐かしい記憶が浮かびあがってくるのが道玄坂小路の台湾料理店「麗郷(れいきょう)」の一角だ。…「麗郷」の脇から百軒店(ひゃっけんだな)や円山町の方へ上っていく階段道は思い出深い。…坂の中腹あたりに「ミウラ&サンズ」というアメカジ少年にとって重要な1軒が存在した。/ミウラは店を始めた三浦という人の名で、息子を表す「…

第二遊歩道ノート5ヶ月前

川田喜久治回顧展|KYOTOGRAPHIE川田喜久治見えない地図 ■2024年4月13日〜5月12日(KYOTOGRAPHIE 2024)■京都市京セラ美術館(本館南回廊2階) 村上隆展とキュビスム展というブロックバスター的企画に加え、4月中旬からは「ジブリと金曜ロードショー」展までもが始まってしまった京都市美術館。今、日本で一番カオス的賑わいを見せているミュージアムかもしれません。 ただKYOTOGRAPHIE2024のプログラムとして同館内で開催されている川田喜久治展にまで外界の喧騒は及ばないようです。落ち着いた雰囲気の中で鑑賞することができました。 www.kyotographie.jp 京都国際写真祭は比較的若いアーティストを…

60歳からの自分いじり6ヶ月前

(講義関連)アメリカ(24) 『ヨコスカ・フリーキー』から『ベットタイムアイズ』へ(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(24) 『ヨコスカ・フリーキー』から『ベットタイムアイズ』へ 山田詠美は1959年に生まれ、明治大学漫画研究会に所属している時代にプロデューが決まり、主婦の友社の『ギャルコミ』に「ヨコスカ・フリーキー」(1982年3月号~83年1月号、本名の山田双葉名義)を連載します。横須賀を舞台にハーフ(黒人の父、日本人の母)のJBと女子高生との恋愛マンガです。小説家としては、1985年に「ベットタイムアイズ」――売れないクラブ歌手キムと黒人米兵スプーンとの同棲生活を描く――で文藝賞を受賞しデビュー。芥川賞の候補にもなりました(その後、1987年「ソ…

風の旅人 〜放浪のすすめ〜6ヶ月前

第1459回 時代の先端を疾走し続ける91歳。現在、東京と京都で同時開催中の川田喜久治さんの写真展。 本日、東京のPGIギャラリーでのオープニングパーティがあったので、野町和嘉さんと訪れた。 川田さんは、私と同じ1月1日生まれだが、今年、なんと91歳になった。 2022年の秋の展覧会でお会いして以来なので1年半年ぶり。さすがに、これくらいの年齢の方は、1年とか2年後に会うと、老いを感じるのが普通で、今回もそれなりに覚悟をして出かけたのだが、まったく変わっていなかったのでびっくり仰天。 野町さんも、前回、川田さんとお会いしたのは私と一緒だったので、同じく1年半ぶりで、その変化の無さに、「化け物だあ」と唖然。お顔に皺やシミが出ているわけではな…

風の旅人 〜放浪のすすめ〜6ヶ月前

第1455回 自分の計画通りに作るのか、何かに導かれるようにして作るのか。レヴィ=ストロースは、生命原理は、エンジニアリング(設計思想)ではなくブリコラージュで成り立っていると述べた。 毎月、東京と京都で交互に行っているワークショップセミナーの冒頭で、このことについて詳しく説明してから本題に入ることにしている。 ウィキペディアなどで「ブリコラージュ」を調べると、「寄せ集め」とか中途半端な説明になってしまっているので、もう少し具体的な説明が必要だ。 たとえば石工が作る石垣とか、宮大工が作る建築物、工業製品だと、ダイソンが作った掃除機などが、ブリコラージュに該当する。 設計図を作って、それに基づいて完成させるのではなく、石や木など、物づくりに用いる物の声に耳を傾けるよう…

マツフサコ6ヶ月前

写真は複製可能か。変わる写真家──中平卓馬 火|氾濫──東京国立近代美術館出力するメディアに応じて写真の見せ方を変えること。写真やカメラに対するだけでなく、かたちとなる先のメディウム・スペシフィシティを重んじることが中平卓馬の強度であり、それを展覧してくれているのがよい。 〈日常〉1997 ・展示プリント 2枚1組で見せ始めた頃という。97年の展示用プリントは余白が黒焼きされている。 〈日常〉、中平元氏蔵 ・パンフレット 冊子では白の余白。蛇腹式で1面に1枚としつつ、隣り合う2枚を1組として、細い黒枠で囲っている。 『日常―中平卓馬の現在―』展覧会パンフレット、個人蔵 〈デカラージュ〉1976 ・展示プリント ギャラリーの角を床から天井まで撮影し、平面化。 〈デカラ…

第二遊歩道ノート6ヶ月前

中平卓馬が写した「京都」|東京国立近代美術館中平卓馬 火 ー 氾濫 ■2024年2月6日〜4月7日■東京国立近代美術館 来年没後10年を迎える中平卓馬(1938-2015)の非常に大掛かりなレトロスペクティヴです。 中平が最期までもち続けたのであろう写真に対する研ぎすまれた思念を東近美のキュレーターたちが正面から受け止めたような素晴らしい企画展でした。 www.momat.go.jp 「火 ー 氾濫」というタイトルが付けられています。この「火」については英題の" Nakahira Takuma: Burn—Overflow"の方がわかりやすいかもしれません。"Fire"ではなく"Burn"が使われています。 中平卓馬は1973(昭和48…