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あかりの日記12日前

折口信夫『死者の書 身毒丸』死者の書,身毒丸 (中公文庫 お 41-2) 作者:折口 信夫 中央公論新社 Amazon まず俺は学生の頃に日本史をやってなかったので、奈良時代前後の日本史を軽くさらって、人物関係を確認しよう。 7世紀後半、大化の改新の後に即位した天智天皇が崩御すると、その子大友皇子と、弟大海人皇子との間で、皇位継承争い(壬申の乱)が起こり、大海人皇子が勝利して、天武天皇として即位し、奈良時代には天武系の天皇が即位するようになる。本作に出てくる大津皇子は天武天皇の子である。 710年に平城京への遷都が行われる。聖武天皇の時代、藤原不比等、その子4兄弟(藤原四家)が力を握る。本作の南家郎女は藤原南家の娘である…

関連ブログ

東京ひとり時間1ヶ月前

【読書記録】『四神の旗』馳星周著こんばんは! 都内在住アラフィフ主婦のnicoです。 ひとり時間を楽しんでいます。 馳星周著、 『四神の旗』読了。 ※奈良時代の小説一覧はこちら。 本作は藤原不比等が主人公の 「比(なら)ぶ者なき」という作品の 続編です。 不比等の子、 藤原四兄弟を 聖武天皇を守護する四方神、 青龍(東)、 白虎(西)、 朱雀(南)、 玄武(北)になぞらえた物語で 729年の長屋王の変を 主題としています。 古代史研究者の小林理恵氏の協力を得て、 史実も踏まえた創作となっているそうです。 四兄弟はそれぞれ家を立て、 長男:武智麻呂(たけちまろ)は南家、 次男:房前(ふささき)は北家、 三男:宇合(うまかい)は…

東京ひとり時間1ヶ月前

【読書記録】『阿修羅』梓澤要著こんばんは! 都内在住アラフィフ主婦のnicoです。 ひとり時間を楽しんでいます。 梓澤要著、 『阿修羅』読了。 ※奈良時代の小説一覧はこちら。 757年に起きた 藤原仲麻呂を排斥しようとして失敗した 「橘奈良麻呂の変」の首謀者、 橘奈良麻呂 (たちばなならまろ)が主人公の作品。 奈良麻呂は 左大臣・橘諸兄(もろえ)の嫡男で 母は藤原多比能(たひの)です。 母・多比能のことは よくわかっていないそうですが、 藤原不比等の娘で 聖武天皇の皇后・光明子の妹であることは 確かだそうです。 しかし、 光明子の母である県犬養橘美千代 (あがたいぬかいのたちばなのみちよ)が 多比能の生母なのか養母なのかが…

万葉集の歌碑めぐり3ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう(その2599の5)―書籍掲載歌を中軸に―●歌は、「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思えば(大伴家持 19-4292)」、「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(大伴家持 20-4516)」である。 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)を読み進もう。「そしてやはり越中歌のごとき秀作が勝宝五年の二月に歌われる。(巻一九、四二九二)(歌は省略) うらうらと照れる春日のゆえに心が悲しいという詩情はかつて何びとも所有しなかったものであろう。しかもそれは『独り物思いに沈むと』、といっている。沈みゆく心には、まぶしい春日が逆に暗いのである。この逆説的な感傷は、しかし近代人ならたやすく理解できる…

万葉集の歌碑めぐり3ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう(その2599の4)―書籍掲載歌を中軸に―●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(大伴家持 19-4139)」、「しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも(大伴家持 19-4250)」、「いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七申さね(大伴家持 19-4256)」、「青海原風波靡き行くさ来さつつむことなく船は早けむ(大伴家持 20-4514)」である。 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)を読み進んでいこう。「勝宝二年三月における家持越中歌の第二の到達は、この都への去来する思いに媒介されておとずれたようである。家持三十二歳であった。(巻一九、四一三九)(歌は省略)。これはその歌の一…

万葉集の歌碑めぐり3ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう(その2593の2)―書籍掲載歌を中軸に―●歌は、「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(大伴家持 20-4516)」である。 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「奈良麻呂の変」の続きを読み進もう。 天平勝宝九歳(七五七)三月、孝謙天皇は、聖武天皇の遺詔によって立てられた道祖王(ふなどのおほきみ)を廃し、同四月、仲麻呂と縁のある大炊王(おおいのおおきみ)を皇太子とした。仲麻呂の筋書きであるのは明らかである。「勝宝元年の仲麻呂の破格の昇進以来の彼への妬みは、この強引な皇太子決定を契機として人々の心についに爆発した。この専横をもっとも憤(いきどお)ったのは、諸兄のこ、時の参議橘奈良麻呂であった。・・…

万葉集の歌碑めぐり3ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう(その2593の1)―書籍掲載歌を中軸に―●歌は、「ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし すめろきの 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて・・・(大伴家持 20-4465)」である。 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「奈良麻呂の変を」読み進もう。 「彷徨の五年」といわれる聖武天皇の迷走、孝謙女帝の変則といった「間隙(かんげき)を縫って着実に地歩をのばしてきたのが、・・・藤原仲麻呂であった。仲麻呂は孝謙の即位と同時に・・・大納言に任じられる。・・・彼は同時に紫微令(しびれい)として後宮を手中に収め、中衛大将を兼ねて親衛隊の武力も握っていた。・・・勝宝の八年間・・・に確実…

ken ohwada 雑記帳6ヶ月前

奈良時代の出来事奈良時代の出来事を年表にまとめた。 奈良時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 飛鳥時代 後は 平安時代 関連記事 参考 奈良時代の概要 奈良時代の文化 奈良時代の小区分 奈良時代の出来事 前史 701年 (大宝元年) 大宝律令 制定 707年 (慶雲4年) 元明天皇 即位 708年 (和銅元年) 和同開珎 鋳造 708年 (和銅元年) 私鋳銭禁止令 奈良時代 前期 710年 (和銅3年) 平城京 遷都 711年 (和銅4年) 蓄銭叙位令 712年 (和銅5年) 古事記 完成 712年 (和銅5年) 出羽国 設置 713年 (和銅6年) 大隅国 設置 713年 (和銅6年) 風土記…

万葉集の歌碑めぐり6ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2521)―●歌は、「奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ」である。 茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(大原真人今城) 20230927撮影 ●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。 ●歌をみていこう。 四四七五、四四七六歌の題詞は、「廿三日集於式部少丞大伴宿祢池主之宅飲宴歌二首」<二十三日に、式部少丞(しきぶのせうじよう)大伴宿禰池主が宅(いへ)に集(つど)ひ飲宴(うたげ)する歌二首>である。 ◆於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無 (大原真人今城 巻二十 四四七六) ≪書き下し≫奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君…

万葉集の歌碑めぐり7ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2507)」―●歌は、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」である。 茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(丈部鳥) 20230927撮影 ●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。 ●歌をみていこう。 ◆美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟 (丈部鳥 巻二十 四三五二) ≪書き下し≫道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)のからまる君をはかれか行かむ (訳)道端の茨(いばら)の枝先まで延(は)う豆蔓(まめつる)のように、からまりつく君、そんな君を残して別れて行かねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角…

万葉集の歌碑めぐり7ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2501)―●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。 茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230927撮影 ●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。 ●歌をみていこう。 巻十九の巻頭歌である。その題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。 (注)天平勝宝二年:750年 ◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬 (大伴家持 巻十九 四一三九) ※▼は、「女」…

大和の国のこころ、万葉のこころ7ヶ月前

防人の歌(24)・・・巻第20-4349訓読 >>> 百隈(ももくま)の道は来(き)にしをまた更(さら)に八十島(やそしま)過ぎて別れか行(ゆ)かむ 要旨 >>> 多くの曲がりくねった道をここまではるばる来たのに、さらにまた多くの島をめぐって漕いで別れて行かねばならないのか。 鑑賞 >>> 上総国の防人、助丁の刑部直三野(おさかべのあたいみの)の歌。「百隅」は、多くの曲がり角。長い道のりを具象的に表現しています。「八十島」は、多くの島で、こちらも海路の遠いのを言っています。遥々陸路を辿ってきて、さらに難波から遥か筑紫に向けて船出する時の歌のようです。 防人歌について 防人歌は東歌の中にも数首見られますが、一般には巻第20に収められた…

万葉集の歌碑めぐり8ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2464)―●歌は、「筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ」である。 茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂万葉歌碑(大舎人部千文) 20230927撮影 ●歌碑は、茨城県つくば市大久保 つくばテクノパーク大穂にある。 ●歌をみていこう。 ◆都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之礽 (大舎人部千文 巻二十 四三六九) ≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹(いも)ぞ昼も愛(かな)しけ (訳)筑波の峰に咲き匂うさゆりの花というではないが、その夜(よる)の床でもかわいくてならぬ子は、昼間でもかわいくってたまらぬ。(…

4〕日本天皇・日本民族と中国・朝鮮両民族との2000年戦争。日本脳。心理学。日本民族の祖先。9ヶ月前

🎍25〕─2─6世紀半ばに感染症「天然痘」は朝鮮から日本に伝来した。『古事記』『日本書紀』~No.76 ・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年1月22日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「恐ろしい感染症「天然痘」が日本で流行した“原因”とは? 疫病退治の神と伝わった源頼朝の叔父・源為朝『鎮西八郎為朝」/都立中央図書館蔵 ■疫病が蔓延したのは、蘇我氏が仏法を広めたせい? 世界中に蔓延して猛威を振るう新型コロナウイルス。第二次世界大戦終結後の我が国を襲った、最大の試練といえるかもしれない。 しかし、歴史を振り返ってみれば、感染症との戦いは、1度や2度のことではなかった。それこそ、数え切れないほど疫病に苦しめら…

万葉集の歌碑めぐり9ヶ月前

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2443)―■やまぶき■ 「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。 ●歌は、「山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思う君はしくしく思ほゆ」である。 千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(大伴池主) 20230926撮影 ●歌碑は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。 ●歌をみていこう。 ◆夜麻夫枳波 比尓ゝゝ佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久ゝゝ於毛保由 (大伴池主 巻十七 三九七四) ≪書き下し≫山吹は日(ひ)に日(ひ)に咲きぬうるはしと我(あ)が思(も)ふ君はしくしく思ほゆ (訳)山吹は日ごとに咲き揃います。すばらしいと私…