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南部藩

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地理

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なんぶはん

日本の江戸時代に陸奥国岩手郡盛岡に城を構え、陸奧国北部諸郡を領有した外様藩。文化14年(1817年)に、南部藩盛岡藩に改称された。また、八戸の南部氏が分立し支配したところを八戸藩、七戸の南部氏が分知し支配したところを七戸藩と呼んでいた。

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はしわのわかば⑦ 菅江真澄テキスト三十日(ミソカ) をちかへり時鳥の鳴ヶば、 ほとゝぎすこゑなをしみそ庭に咲く花の卯月も明日はちりなむ 五月朔ノ日 あすは此家(ヤド)を出たゝむ、去年より馴むつびたる人々に、ふたゝびのたいめ、いかヾなンどおもふ曉郭公の鳴けば、 時鳥なみだなそへそ見る夢もこよひばかりの宿のまくらに ほどなう、しらみて、 二日になりぬ。 去年より、なにくれと、たのもしかりつる人々の情さすがに、けふの別れに、むねうちふたがり涙おつるを、心づよくも巳ひとつ斗にあゆひしてたちづれば、良知の弟(オトウト)良道の云、 別れては道のちさとをへだつともかきつめてとへ壺の石書(ブミ) と聞えたる返し。 書(カキ)かはし壷のいしぶみ…

#菅江真澄#紀行文#旅日記#江戸時代#陸奥国#南部藩

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晴耕雨読 趣味と生活の覚書5ヶ月前

はしわのわかば③ 菅江真澄テキスト八日 つとめて、里の童を道あないとして、きのふの路をいさゝか分て、大金(オホガネ)といふ処の岨に、桜の二三本(フタモトミモト)たてるが朝風に吹さそふをうち見やり彳めば、童の小河に臨(ノゾミ)てものうかがふさま、何ならむとおもへば石斑魚(カジカ)の鳴なり。 水におりたち、ころ/\といふ声をしるべにすくひ上たり。 此石ふしは秋に鳴くものならずやといへば、をりとして時もさだめず鳴(サカブ)もの也と方言(イへ)り。 なほ此花を見やりて、 汝れも又をしみやすらむ桜ちる山した水にかじか鳴也 童をさき立て拈花山正法禅寺(水沢市)にまうづ。 此寺の署扁(ガク)は光明皇后の真翰(ミフデ)也、吾国の鳳来寺の額(ガ…

#菅江真澄#紀行文#旅日記#江戸時代#陸奥国#南部藩

晴耕雨読 趣味と生活の覚書9ヶ月前

かすむこまかた10 菅江真澄テキスト廿八日 毛越寺のふる蹟見なんとて田の畔づたひして、礎の跡なンどにいにしへをしのぶ。 廿八日 毛越寺の衆徒某二人、日吉(ヒエ)ノ山に登り戒檀ふみにとて旅立ければ、此法師たちに、故郷に書(フミ)たのむとて、 ふる里を夢にしのぶのすり衣おもひみだれて見ぬ夜半ぞなき と、そのふみにかき入れたり。 廿九日 けふもとし越なりとて家々の門餝り、窓てふ窓のあるごとに、あらたに、しりぐへ繩ひきはえ、しで かけて、とし忌(ミ)せり。 此月は小にて、けふ正月(ムツキ)は極(ハツ)る也。 ニ月朔日 けふは松の林に竹の森とて栗の樹(キ)の鬼打(オニウチギ)立て、正月(ムツキ)の門松竹荘飾(カザル)にひとし。 こと郡にて…

#菅江真澄#旅日記#紀行文#江戸時代#南部藩#陸奥国

晴耕雨読 趣味と生活の覚書1年前

かすむこまかた⑦ 菅江真澄テキスト「忠衡密渡蝦夷ニ」といふくだりに 「其夜泉三郎忠衡は、郎徒共に暫く防キ矢を射させて後は館に火をかけ、自害の体にもてなし裏道より遁れ出て終蝦夷にこゝろざし、津軽ノ深浦へとぞ落行ける。 頃は六月廿日余り、深浦の港は兼て秋田ノ次郎が謀ひにて、交易渡海船一艘此港に泊して松前蝦夷の安否を聞居たりしが、忠衡は姿をやつし、主従十人余り賈人(アキビト)の体に見せ、羽州秋田の者なるが、平泉へ商売の為に久しく滞留し此度松前へ渡海せん為と偽り、此船にこそ来りつれ。 又忠衡がはからひにて、義経の御台所、姫君のいまだ四歳になり給へるを抱き、思ひ/\に姿をかへ深浦の辺に忍びおはせしが忠衡介抱し奉り、増尾十郎権頭兼房が一子…

#菅江真澄#紀行文#旅日記#南部藩#江戸時代

晴耕雨読 趣味と生活の覚書1年前

かすむこまかた⑥ 菅江真澄テキストまた康元、正嘉のころならむ、相模守時頼、最明寺して落飾(スケシ)たまひて、法ノ名を覚了房道崇と号(ナノリ)て国々めぐり給ひ、こゝにもしばし杖を曳(ヒキ)とめられしといふ庵の跡あり。 また舞鶴(マヒヅル)が池も雪に翅(ツバサ)のふり埋れ、梵字が池、鈴沢(スズサハ)の池、柳の御所は、清衡、基衡の館の跡にして、其むかし江刺ノ郡豊田ノ館をうつされて、豊田ノ御所とも云ひしと)なむ。 又秀衡、泰衡ノ館は伽羅楽(カララ)ノ御所といふを、人みな、からの御所と呼(ヨベ)り。 また泉ノ御所ともいへる、そは泉酒(イツミサケ)とて豊酒(トヨミキ)の涌(ワ)キたる事あり、酒は栄(サカエ)のよしをもて、居館(ヤカタ)は泉…

#菅江真澄#旅日記#紀行文#江戸時代#南部藩

晴耕雨読 趣味と生活の覚書1年前

かすむこまかた⑤ 菅江真澄テキスト四月(ウヅキ)ノ初午ノ日は白山神の祭にて、七歳男子(ナナツゴ)を馬に乗(ノセ)て粧ひたて、白兎(シロウサギ)の作り物あり。 此白兎は従者(スンザ)にてもろこしより神のぐし給ひしまねびといへり。 此処(コゝ)に斎奉(イツキマツ)る白山ノ神霊(カミ)は八十一隣姫(クゝリヒメ)の神にはおましまさず、その韓神(カラカミ)にてぞいまそかりける。 其日は田楽、うば舞(マイ)、さるがうなンどありて、賑(ニギハ)へるよし人の語る。 経蔵に戸ひらかせて入れば、立獅子(タチシシ)に乗る文殊師利菩薩(ボサチ)、獅子(シシ)の口索(タズナ)曳持(ヒキモタ)るは浄明居士、また筐(ハコ)さゝげ立るは善財童子また仏陀波利(…

#菅江真澄#旅日記#紀行文#南部藩#伊達藩

書痴の廻廊1年前

藩政小話 ―南部盛岡馬市場―毎年八月晩夏のみぎりに達すると、南部盛岡城下の街は俄かに騒がしさを増して、士農工商のべつなく誰も彼もが気忙しそうに動き出す。 江戸から客が来るためだ。 「将軍家用馬買上」のため、白河関をくぐり抜け、日本列島の上半身をはるばると、公儀役人の一団が――。 (江戸城桜田二重櫓) 南部藩にしてみれば、これほど名誉なことはない。 わが郷里たる甲斐国にも類似の噺は伝わっている。将軍様の膳部に添える箸の用材、柿であったか、ともかくそれを献上したということで、誇らしげに語る古老が昭和初期まで何処ぞの村に居たはずだ。 「将軍(くぼう)様ご愛用」のブレンドは、それほどまでに強いのである。 ましてや乗馬(のりうま)…

#大野史朗#盛岡藩#南部藩#馬市#江戸時代

晴耕雨読 趣味と生活の覚書1年前

けふのせはのゝ⑦ 菅江真澄テキスト廿八日 あるじにいざなはれて、阿部(安倍)のふる館のあと見にとて行ぬ。 加志といふ処に、黒沢尻四郎政任のありしいにしへを偲ぶ。 北上河をへだてて、国見山のいとよく見やられたり。 国見てふ名はところ/″\に聞えたり。 神武の帝八十梟を国見丘に撃給ふのとき、 「かん風のいせの海の大石にや、いはひもとへるしたヾみの」 とながめ給ひしことどもありけるをおもひ出、はた 「やまとにはむらやまあれどとりよろふ、あめのかぐやまのぼりたち、国見をすれば」 とずしたり。 里人のいへらく 「音に聞くにみの山の霍公鳥否背の渡くり返しなく」 又いふ 「みちのくの門岡山の時鳥稲瀬のわたりかけて鳴也」 此ふたくさ、いづれを…

#菅江真澄#紀行文#旅日記#南部藩

晴耕雨読 趣味と生活の覚書1年前

けふのせはのゝ⑥ 菅江真澄テキスト十日大瀬河(石鳥谷町)といふに土橋かけたるを渡る。 この流は藤原朝臣盛方の、 「ほどもなくながれぞとまる逢瀬河かはるこゝろやゐせきなるらん」 とながめ給ひしは、これと、もはらいへり。 八幡(ヤハタ)(石鳥谷町)を過て宮部(花巻市)をくれば、花巻といふうまやあり。 むかしや牧のありけるやらんととふに、さはこたへず。 むかしは河岸に花多くありてちりうく頃、水にうづまかれてたゆたふよりいひし名とこたふ。 こゝに居る伊藤修といふくすし、けふは止りてとひたにいへれば、日たかう宿もとめたり。 夕暮ちかづくに旅人ふたりとぶらひ来るは、五瀬(伊勢)の国より国々めぐるとて、檍正唯、岩波良清とて歌よみ、はいかいす…

#菅江真澄#紀行文#旅日記#陸奥国#南部藩

晴耕雨読 趣味と生活の覚書2年前

けふのせはのゝ① 菅江真澄テキスト天明五年(一七五八)の秋、つがろじをへて南陪の鹿角郡になりて錦木のむかしを尋ね、岩手郡、和賀郡を過て仙台路にかゝり、江刺郡に片岡邑に宿りたるまでをかいのせたり。 其言葉みじかういひもたらされば、《けふのせはのゝ》と名づく。 (天明五年―一七八五)葉月廿六日 あしたのま雨ふりてぼどなう晴れ行。 遠近のやまのけしきたぐふかたなう見やりつつ行ば、遠う行ならん鴈の声のみして、しばしのうちに露ふかうこめて、そことかたもしらざれば、 「いづこにかさして行らん山たかみあさゐる雲に消るかりがね」 とながめたるいにしへ人の心までおもひ出られて、あはれいとふかく過れば、又村雨ふり出て枯れつゝ来れば、みちのおくの南…

#菅江真澄#紀行文#旅日記#陸奥国#南部藩

北海道~東北関係史検討グループ報告書3日前

「鬼の痕跡を探せ!」…修験の跡を追う「特別ミッション」の備忘録https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2024/06/01/113707 「山形市「盃山遺跡」を探る「特別ミッション」…中世城館以外での石垣の登録事例の備忘録」… さて、上記を前項として。 関連項は下記。 https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2022/11/14/194659 「対岸の状況はどうだったのか-3、あとがきの後日談…「姓氏家辞典」にある安藤氏、そして「修験道、日蓮宗、九曜紋」と言うキーワード」… https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/05/…

熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター6日前

池之端画廊で展示中のメモ 夫昼過ぎにパ台東区池之端四丁目(旧谷中清水町)池之端画廊の上野の森を巡る画家たち展(Ⅱ)。展示中の作品より ⭐️は池之端画廊蔵、以外は個人蔵 上野桜木③絹谷幸二(洋)⭐️⑥木内克(彫)②野間傳治/誘惑されるエバ(洋/野間仁根の息子/父たち地元の画壇は彼をデンちゃんと呼んでいたそう) 谷中①熊谷登久平/レダ(洋/義父です)②宮崎精一/臥(洋) 太平洋美術会(谷中清水町、谷中眞島町)⑤布施悌次郎 台東区池之端四丁目(旧谷中清水町)池之端画廊の上野の森を巡る画家たち展(Ⅱ)。展示中の作品より 1️⃣熊谷登久平(義父) 北斗会、白日会、独立美術協会と仲良く旅行したり、喧嘩別れしたり、飲んでた人たち。 2️⃣橋本八…

山口道具話 12日前

鉄瓶を振り返るやっと秋らしさが出てきましたが 昨年も同じようなことを考えていたみたいです akiz-looms.hatenablog.com でも 気候にしろ、経済にしろ 少しづつ今までとは変化してきている 局所的な大雨や物価高 100円で買えるもの少なくなり ワンコインとは100円玉ではなく500円玉。。。 と感じることもしばしばです(笑) そんな世間とは裏腹に 鉄瓶 いつものように鉄瓶で湯を沸かす 鉄瓶は新品の頃と比べれば やはり 使った分だけ変化しており 錆びも出てきてるけど それが普通であって変化していくことは当然のことなのかもしれない そう鉄瓶も言っている気がしてくるのは 暑さも一段落した季節のせ…

一人旅おやじがゆく12日前

具合良き写真 岩手編旅吉です。 よく撮れてたけど紹介してなかった写真を旅のルートごとに。今回は岩手編。最初の方、少しだけ秋田も。 以前から名前に惹かれていた後生掛温泉。岩手との県境に近い秋田の山の湯。営業開始と同時に入浴した。硫黄分が強い白濁した湯。九州で言えば雲仙と地形的にもよく似ていた。満足した。今回の旅は温泉に恵まれた。 県境の八幡平へ向けて標高を上げる。秋田側の遠景。 かなりグネグネと進み、ようやく八幡平(の麓?)に到着。日曜だったので、観光客多し。早速、遊歩道を歩く。感動的なまでの好天だ。 標識がなければ分からないくらい平坦な八幡平の頂上。 遊歩道は沼の間を縫うように続く。無風なので鏡のような水面に秋空…

メンヘラちゃんのミーハー活動17日前

#岩手県 #盛岡市 #櫻山神社 #盛岡城址公園盛岡城址公園内「櫻山神社」に伺いました。 盛岡城址公園は立派な石垣がたくさんありました。 (写真を撮り忘れました) 城址公園内の「櫻山神社」をご紹介します。 南部藩の総鎮守として信仰されているそうです。 南部せんべい、南部鉄器って南部藩から来ているのか!!と今更ながらに知りました📝 手水社 おもかけ地蔵 手水社の向かいには亀之助! タワシでこすって健康と長寿をお祈りします。 手作り感のあるかわいいおみくじもたくさんありました! また、敷地内にある「お守り岩(烏帽子岩)」も拝見できます。 実物はとっても大きくてびっくりしました! 南部家の家紋「向鶴」 由来は諸説あるそうです。 (御朱印と一緒にい…

ioritorei’s blog22日前

【中井貴一主演映画『壬生義士伝』】泣きどころ満載!後にアカデミー賞を受賞する名監督・滝田洋二郎の実力。中井貴一主演映画 壬生義士伝 壬生義士伝 泣きどころ満載!後にアカデミー賞を受賞する名監督・滝田洋二郎の実力 洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる 『壬生義士伝』とは あらすじ 後にアカデミー賞を受賞する名監督・滝田洋二郎の実力 時代劇 壬生義士伝 新選組でいちばん強かった男』 泣きどころ満載!後にアカデミー賞を受賞する名監督・滝田洋二郎の実力 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる 洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる… それが邦画の良さだと思う。 昔は当た…

坂の回廊1ヶ月前

南部坂(港区)南麻布5丁目南部坂は港区に2か所あり赤坂とこちら南麻布にあります どちらの坂も南部藩の屋敷が近くにあったことからついた名称のようですが赤坂にいた南部邸場所に浅野家がきて南部邸は今の有栖川公園のある場所に移動 そこでも南部坂と命名したようです。 南部坂 結構急な坂… 有栖川公園の緑と絶妙なカーブ 中々の雰囲気です 有栖川公園 近くに謎の建物 すごい外観 アートです(笑) 赤坂の南部坂はとても風情があって好きな坂の一つです こちら南麻布の南部坂は都会の中でも自然を感じられ坂の大胆さとそのフォルムが良い坂だと思います 坂評価(5段階) プロポーション:★★★★ 知名度:★★★ 雰囲気:★★★★ 規模(大きさ、広…

2)日本民族の伝統文化と天皇神話の400年宗教戦争。天皇の人道貢献と戦争回避の平和努力。 1ヶ月前

⚔62)─1─日本は「外圧がないと変わらない」と言う人の「誤解」。~No.258No.259No.260 ・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 外圧に弱いのは、現代に日本人であって昔の日本ではなかった。 昔の日本がガ圧に弱かったら、敵国に侵略されて、民族系の神話物語、天皇家、国家は滅亡す、民族の伝統・文化・歴史・宗教・言語は消滅していた。 ・ ・ ・ 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではない。 ・ ・ ・ 2024年9月13日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「国家が崩壊するとき…「この国は外圧がないと変わらない」と言う人が「誤解していること」 岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授 わたしたち…

小説を 勝手にくくって 20選!1ヶ月前

19 大一揆 平谷 美樹(2020)大一揆【電子書籍】[ 平谷 美樹 ]価格: 880 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 南部藩は1772年のラクスマン来航事件より蝦夷防衛を命じられ、財政負担が増加した。南部家の家格を上げるために10万石から20万石に加増となったが、これは表高のみの加増に留まり、収入は変わらず20万石相当の軍役を負うこととなり、藩財政は窮迫する。更に気候も土地も稲作に適さない中で、体面を繕うために水稲生産を強行したため、小氷期の中で連年凶作に見舞われ、民衆も困窮していた。 しかし藩は抜本的に財政改革をする術を知らない。海岸線の土地、通称三閉伊と呼ばれる山と海に囲まれた地域は、一揆が起きても弾圧しやすいという理由…

盛岡観光は何もない?モデルコース半日.穴場.でんでんむし観光をご紹介。1ヶ月前

盛岡秋祭り2024|山車・交通規制・パレードなどについて盛岡駅東口での「おもてなし 山車ふれあいショー」 盛岡秋まつり2024|山車 ・パレード・ 交通規制など ◆今年も「おもてなし 山車ふれあいショー」が3日間開催! ◆八幡下りパレード 9月14日(土) 午後1時出発 ◆盛岡山車大絵巻パレード・出発式 9月15日(日) 午後5時10分出発(パレード出発は午後6時) ◆2024年の奉納組・山車演目 盛岡観光コンベンション協会 2024年山車運行コース ◆盛岡山車運行スケジュール (2024年) 【9月14日(土)】 【9月15日(日)】 【9月16日(祝・月)】 ◆注意事項 盛岡秋まつり「盛岡山車の運行」にご協力を! 盛岡秋まつり2024|山車 ・…

粕本集呆の「競馬の花道」1ヶ月前

岩手競馬「不来方賞」(3歳交流GⅡ)予想日曜日の競馬の結果 中央新潟「新潟記念」…ハズレ(ただしライトバック除外で4点返還) 1着 4番シンリョクカ(8番人気)△ 2着 7番セレシオン(3番人気) 3着 9番キングスパレス(1番人気)◎ —新潟巧者としてセレシオンが人気ありますが、全体を通して見れば人気ほどの実績はなく、それなら(2.2.0.1)と実はセレシオン以上に新潟に実績あるこの馬(バラジ・8着)の方が面白い。 2か月間の競馬断ち後の 最初の結果がこれだよ…… 言い換えれば実績はないけど人気はある。阿呆のカスよりよっぽど馬券がうまい人たちが推しているのだから、実績は足りなくても補って余りある実力があったということ。同じ枠が来な…

降誕祭の夜1ヶ月前

盛岡への旅 8月15日〜16日パート2次は、桜山神社に行きました! 盛岡にいる時に車のお祓いをお願いした神社でした。おかげで、以前乗っていた車は12年間で21万キロ走りました。小さな事故や故障等はありましたが、命を守っていただきました。南部藩と関わりのある神社であったと記憶憶しています。 南部家の家紋だったような気がします。 可愛らしい石像もありました! 続いて、三石神社へ行きました。 巨大過ぎます! 【岩手】の県名の起源になったといれる石と鬼の手形があるということでしたが、ここも初めて訪れました。手形はどこかにあるか分わかりませんでしたが、なぜここにこんんな大きな石が3つもあるのかと考えると非常に興味深いです。 確かに巨大な石が…

げんさんのほげほげ日記2ヶ月前

角館、そして尾去沢鉱山へひたすら真っすぐに進む道…鉱山跡に入ったのは初めての体験でした 今日の東京は一日晴れ。 お盆を過ぎて少しは涼しくなるといいなぁ~と思いましたが、 いやいや全然…暑い!暑い! 本日の最高気温は35度まで上がりました。 以前は8月の終わりともなれば、風がやや涼しく感じて、 ふと秋を感じたものでしたが…世の中すっかり変わってしまいまして~♪ (外を歩いていると汗がぶわぁーと流れてきましたよ~はぁ…😊) …さぁ、気を取り直して! 本日はこちらの旅の続きをご紹介したいと思います。 genta-san.hatenablog.com genta-san.hatenablog.com 竿燈祭りを楽しんだ翌日は…

WariYamamotoの日記2ヶ月前

Book Review 15-13 時代小説 # 雪渡の黒つぐみ 『# 雪渡の黒つぐみ』(櫻井真城著)を読んでみた。著者は岩手県北上市生まれ。本書で第18回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。江戸時代の寛永二年(1625年)。陸奥では過激な新興宗教・大眼宗が台頭して、南部藩と伊達藩とが領地争いが燻っていた。そこにキリスト教迫害が絡む。南部藩の若き忍者Kは、隣国・伊達藩の動向を探る命を受ける。横手城を炎上させた謎の新興宗教・大眼宗教祖とは誰だったのか。その途中に女忍者や遊女として売られてきた娘と出会う。Kは手裏剣も弓も使わないが、どんな声も完璧に真似できる“声色使い”が特異な能力である。最後、キ…

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「母の待つ里」を読了しましたお題「我が家の本棚」 久しぶりに本の感想です。 「母の待つ里」という浅田次郎さんの作品を4日間かけて読み終えました。 ふるさとで一人で暮らしている母のところに、60を過ぎた男女3人がそれぞれ帰っていく、という表題通りのおはなしです。 ネタバレなしだと、こんな書き方しかできません。 読むひとによって捉え方がずいぶん違うと思います。 でもたくさんの人に読んで、いろいろな感想を持ってほしい作品です。 3か月前に91歳の父を亡くして、5年ぶりに帰省したわたしにとっては、実体験に近くてのめり込んで読んでしまいました。 さらにこのふるさとの舞台になっているのは、わたしの生まれ故郷の岩手です。 バンバン出て…