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文章博士

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もんじょうはかせ

日本の律令制の時代にあった大学寮紀伝道の教官。令外官で文章生に対して漢文学及び中国正史などの歴史学を教授した。

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【源氏物語651 第21帖 乙女6】若君の師から字《あざな》をつけてもらう式は東の院ですることになった。高官たちは皆この式を珍しがって参会する者が多かった。博士たちが晴れがましがって気後れしている。若君の師から字《あざな》をつけてもらう式は 東の院ですることになって、 東の院に式場としての設けがされた。 高官たちは皆この式を珍しがって参会する者が多かった。 博士たちが晴れがましがって気おくれもしそうである。 「遠慮をせずに定《きま》りどおりに厳格にやってください」 と源氏から言われたので、しいて冷静な態度を見せて、 借り物の衣裳《いしょう》の身に合わぬのも恥じずに、 顔つき、声づかいに学者の衒気《げんき》を見せて、 座にずっと並んでついたのははなはだ異様であった。 若い役人などは笑いがおさえられないふうである。 しかもこれは笑いやすいふうではない、 落ち着いた人が 酒瓶《しゅへい》の役に…

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辛酉(かのととり)「辛酉」(かのととり)は、 干支の組み合わせの58番目で、 「陰陽五行」では、 「十 干」の「辛」は「陰の金」、 「十二支」の「酉」も「陰の金」で 「比和」(ひわ)です。 「比和」とは、五行同士の関係性の中で、 同一五行になる関係のことです。 「木と木」「火と火」「土と土」 「金と金」「水と水」の組み合わせが 「比和」の関係になります。 「気」が重なることによって、 更にその「気」が高まります。 良い方向に働けば、ますます良くなりますが、 悪い方向に働けば、ますます悪くなる 組み合わせです。 「辛酉」(かのえとり)は、 「庚申」(こうしん)に続いて 「干支」の「辛」「酉」ともに 「金性」なので…

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『紫式部の父親たち 中級貴族たちの王朝時代へ』繁田信一 書簡集『雲州消息』から平安朝を読み解く繁田先生の本が面白い 2010年刊行。筆者の繁田信一(しげたしんいち)は1991年生まれの歴史学者。 2004年に吉川弘文館から出た『陰陽師と貴族社会』が最初の著作。以後、平安朝に関連した著作を二十作以上、世に送り出している。 大河ドラマ『光る君へ』にハマっているわが家。他の時代と比べて圧倒的に足りていない平安時代の知識を求めて、あれこれ関連書籍を読みふけっている。 先日このブログでも紹介した『殴り合う貴族たち』が面白かったので、引きつづき繁田信一作品を読んでみることにした次第。 内容はこんな感じ 紫式部の父親、藤原為時のような中級貴族たちはどのような日々を過ごしていたのか。受領の職を求めて奔…

Ob-La-Di Oblako 文庫4ヶ月前

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いずぃなり4ヶ月前

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大河ドラマ 光る君へ 第20話「望みの先に」ネタバレあらすじ 平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。第20話「望みの先に」ストーリーを見ていきます。 (法皇に矢)996年(長徳2年)に起きた「長徳の変」。藤原伊周と藤原隆家兄弟が花山法皇を襲った「花山院闘乱事件」とも呼ばれる政変です。いきなり矢を射られた花山院。矢は院には命中しませんでしたが、院は、飛んできた矢に驚いて腰を抜かしました。この騒ぎに屋敷の中から斉信が飛び出してきます。そして「院!大丈夫ですか?」と。。 ここで、この男が花山院だということに気がついた伊周と隆家は、従者たちを置いて逃げ去ります。まずいです、非常にまずいです。院に矢を放ったのです。一歩間違えれば院に矢が当たり、死んでいたか…

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