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堀内恒夫

プロ野球、読売ジャイアンツの元選手・監督。野球解説者。政治家。
通称「悪太郎」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は21→18番*1

略歴

1948年1月16日生まれ。山梨県出身。血液型O型。
甲府商業高校から1965年、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。
1年目の1966年、16勝2敗、防御率1.39を記録し新人王、最優秀防御率、沢村賞を獲得。

1967年10月10日の広島カープ戦でノーヒットノーランを達成。
以後、V9黄金時代、1970年代ジャイアンツのエースとして活躍。

1972年、26勝を挙げ最多賞のタイトルを獲得。
投手としてのフィールディング、さらに打撃も良さは有名で、主に8番を打ち、代打で使用された事もあった。

1982年、投手コーチ兼任となる。

1983年、現役引退。
1984年、コーチ専任となる。
1995年に一度退団。

日本テレビの野球解説者を経て、1993年、長嶋茂雄監督就任に伴い、一軍投手コーチに就任。
2000年、再び退団し、日本テレビの野球解説者に復帰。

2004年、原辰徳監督の辞任に伴い、読売ジャイアンツの監督に就任。

座右の銘は「ただ栄光のために」*2

2005年、成績不振により、辞任。
その後、日本テレビの野球解説者を務める。

2008年、野球殿堂入り。

政治家として

2010年4月22日、第22回参議院議員通常選挙に、自由民主党からの出馬を表明。7月11日の当開票の結果、比例代表で101,840票を獲得し党内で13位につけたが自民党として12名しか当選しなかったため落選した。
2013年7月31日、中村博彦議員が死亡したため繰り上げ当選。8月6日の中央選挙管理会で当選が正式決定した。任期は2016年まで。

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