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5 【南部藩儒官山崎士謙(鯢山)について】 (北有馬太郎関係)

その一 北有馬太郎(本名中村貞太郎)の日記に山崎士謙を見るのは、弘化3年(1846)11月9日、「東白乃ち発す。(中略)独り山崎士謙送って品川に至る。途赤羽邸を過ぎる。山本君山、船曳環、津留崎銀蔵、亦送って高輪に至って別れを告げる」、とあるただ一度だけである。北有馬太郎が学半ばで、失意のうちに江戸を去る日のことであった。 この日、山本君山ら久留米藩士たちと高輪で別れた後も、山崎士謙は北有馬太郎を送って1人品川まで至ったのである。この日の朝は、昨夜の降雪が溶け、路は泥濘が深かったという。この山崎士謙は、通称は謙蔵、名は吉謙、士謙は字で、鯢山と号した人である。文政5年(1822)に山崎治右衛門吉興…