好きなもん、気になったもん、集めたもん (original) (raw)
初泊まりキャンプ🏕
これまでデイキャンプは何度も楽しんでいたが、昨日から初テント泊に行ってきた。
キャンプの先輩たちと一緒に今回は和歌山県野口オートキャンプ場へ行った。
野口オートキャンプ場 | 日本最大級のキャンプ場検索・予約サイト【なっぷ】
オートサイトとフリーサイトに分かれており、到着したときには既に数組が入った状態。
グループキャンプやファミリーキャンプを楽しむ人が多かった印象だった。
天気も晴れており、このキャンプ場では珍しく風も穏やかとのこと。
テント設営
に四苦八苦しながらなんとか完了!
可愛い。周りの高そうなオシャレテントを見ても自分のテントが1番可愛い。
ひと仕事した後、とても過ごしやすい気候の中で…
昼からいただきました🥃
肉に合わせて呑むハイボールの美味いこと…
それだけでもう満たされた気持ちになった。
そこからのんびりしつつ、
焚き火の準備。
これがまた大変。
連日の雨で木がしっけており、なかなか火がつかない…
火種をつけて、火吹き棒で吹き、火が消え、火種つけて、火吹き棒で吹き…のループ。
なんとか着火したときの何とも言えない達成感。
そこからは夜ご飯。
おでん🍢
そこにホタテを投入!
美味い!
そして語る!語る!語る!
火を囲みながら話すと自然と気持ちがほわ〜っとなる不思議。
_パチパチと火が爆ぜる音と、秋らしい虫の音と、満天の星の組み合わせ_は最強のリラックス空間。
そして、念願のテント泊。
はい、爆睡。
そして、夜明け。
はい、感動。美しい。
朝ごはんは昨日のおでん汁に水餃子とうどんを投入!!
照りつける太陽のもと、汗だくでテントやギアの撤収完了。
周りの人たちも落ち着いており、すごく気持ちのいい1泊2日だった。
また行きたいキャンプ場だと思った。
転んでも
「七転び八起き」ということわざがある。何度失敗しても、これに屈せずふるい立つ姿をいったものである。
人生は長い。世の中はひろい。だから失敗もする。悲観もする。そんなとき、このことわさはありがたい。
だが、七度転んでも八度目に起きればよい、などと香気に考えるならば、これはいささか愚である。
一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。一度で気のつく人間になりたい。
そのためには「転んでもただ起きぬ」心がまえが大切。このことわざは、意地きたないことの代名詞のように使われているが、先哲諸聖の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。
転んでもただ起きなかったのである。意地きたないのではない。真剣だったのである。
失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい。真剣ならば、たとえ失敗しても、ただは起きぬだけの充分な心がまえができてくる。
おたがいに「転んでもただ起きぬ」よう真剣になりたいものである。
朝読書ですごく響いた箇所。
明日からも仕事を頑張ろう。楽しもう。
転んでもそこから何かを見つけ、次にいかそう。
今日は帰りの会で子どもたちがもめていた。
教室に入ると耳を抑えている子が人、もう1人は何か深刻そうな顔で見つめていた。
話を聞いていると、深刻そうな顔をした子が自分の話を聞いてくれない子に対して、きちんと聞いてほしいということを何回も言っていたとの事だった。耳を押さえていた子はそんなに何回も言わずに進めれば良いのではないかと意見したところ、周りの子からそんなにキツく言わなくても良いのではないかと止められたとの事だった。
自分の話を聞いてほしいと言って言われたのが、姿勢の保持が難しくなかなか集中して話を聞けない子だった。
本人は誰かを嫌な思いにさせてやろうや無視してやろうなどと言う気は全くない。
ただ集中して聞くということが苦手なだけで。
しかし、全体での話し合いを通していく中で、自分のした行動が周りの子を巻き込んでしまったと感じ、少し落ち込んだ様子だった。
確かに一人一人個性や特性はある。ただし、特性があるからと言って、全てが許されるわけではない。
社会で生きていくためには、最低限のマナーや協力しようとする姿勢というものが大切になってくる。
話し合いが終わった後、もう一度帰りの会を進め直すように伝えた。
私はその姿を褒めた。
聞くことが苦手、1日の終わりで疲れている。その事はよくわかるが、聞こうとする姿勢を相手に伝える気持ちは常にもち続けるべきだ。そして今、君はそれができていたと伝えた。
自分の知らぬところで相手を傷つけてしまっていると言う事はよくある。今回はその子にとって良い機会だったのではないか、そして周りの子にもそれがわかるいい機会だったのではないかと考える。
もう1人自分の話を聞いてもらえないからと言って、必要以上に相手を責め立てると言う必要もない。ある程度話をして、それでも伝わらなければ身を引く。そして別の方法を考えると言うのも力として必要だと思う。
子どもたちにはそのように社会で生きていく力、困ったときには、どうすればいいかを考える力を身に付けて欲しいと感じている。
もしかしたら自分も人に対して嫌な言い方をしていたり、気に障る行動をしているのかもしれない。そのようなことがないように日々、客観的に自分を見て、そして相手の反応見て行動していくことが大切だとわかった。
自分らしさを大切にし、周りと協力して。
気を悪くする人がいるかもしれないけど言っちゃおう。この問いは、みんな重要問題と思っているけど、本当はそうじゃない。
くだらない問いなんだよって。この問題に悩んでいる人は、第一に、わかりあうことは難しいと思っている。第二に、わかりあうことはよいことだと思っている。でも、このふたつの考えはどっちも間違っている。順番に説明するね。
まず、他人の心をわかるのはすごく簡単。ヒトはそういうふうにできているんだから。こういう実験がある。幼児に絵を見せてお話を聞かせる。「サリーとアンが遊んでいました。サリーは、ボールをかごに入れてお部屋を出て行きました。サリーがいない間に、アンはボールを箱の中に移しました。するとサリーが帰ってきました」。そうして、質問する。「サリーはボールで遊びたくなりました。どこを探すでしょう」。三歳くらいまでは「箱」と答えちゃう。四歳からは「かご」って答えることができる。つまり、サリーの心の中を推し量って、サリーはどうするかを予測する力が身についたのね。この能力のモトは生まれつき備わっていこんな風に言うと反論されそう。ボクがわかりあいたいのは、話を合わせているけど、はらわたは煮えくりかえってるとか。でも、そもそも心の奥をわかりあうって、そんなによいことなの?
たとえばいじめ。いちばんイヤなのは、みんなで無視したら悲しむぞ、と相手の心の奥底までわかってやる陰湿ないじめじゃない?そして被害者が傷つくのは、いじめっ子のそうした魂胆をわかっているからじゃないかな。ね、心の中をわかりあうことじたいがよいことだとは言えないでしょ。
むしろ、心の中に誰にも知られない思いをもっておく方が大切だ。それこそがキミの個性だから。誰にも見えない心の奥でキミは自分を育てている。そしてそのヒミツの一部をごくわずかな人に伝えることで、キミは濃淡のある人間関係をつくれる。これが、ブライバシーが大切にされてきた理由なんだ。みんなテレパシーで心の中がお見通しになったら生きやすいと思う?じゃあ、なぜわかりあうことが大切だと思われているのだろう。
「わかる」にはもうひとつの意味があるからだ。A中学に行きたい理由を説明したのに、ご両親が「わかったけどやっぱりだめ」と言ったとする。キミは「ボクの気持ちをわかってくれない」と思うだろう。この「わかる」は「知る」じゃない。「尊重する」とか「許す」だ。こっちの意味での「わかりあう」方がずっと大切じゃないかな。イスラム教徒とキリスト教徒がお互いの仰をわかりあうことはできないかも。でも、互いに認めあい許しあって生きていくことはできる。わかりあえない相手とわかりあえないままでどうやって共存していこうか。こっちの問題の方こそ考える価値があると思うよ。
今日、子どもから「酸素あげる。酸素あげる。酸素あげる。」と連呼されながら紙をもらった。
『???』
「なんで酸素?」と問うても答えは返ってこない。
代わりに、酸素は生きるために必要なものだの、赤血球や白血球もそういうものだの、そんなことばかり教えてくれた。
よくよく聞いていくと「はたらく細胞」にハマっていて、そこから得た知識らしい。
だとしても、なぜ酸素をくれたのか?
その答えは結局返ってこずモヤモヤ。
普段から子どもたちには、互いに助け合うことを目指して過ごすように伝えている。そのためには
相手の良いところを見つけ称える。自分の良いところに自信をもち、どんどん行動していく。
そんなことを大切にしている。人の世と言うのはお互いに持ちつ持たれつの関係でできていると考えている。
得意なことはどんどん活かし、苦手なことは協力して乗り越えていく。そうするための関係性をどのように構築するかを日々考えている。
困っている(ように見える)人がいたら、まずは自分がしてあげたいことをする、そして相手の反応を見る。それが嬉しそうなのであれば続けていけばいいし、嫌そうな顔をしているのであればやめる。たまに嫌なのにそうでもない。嬉しそうな顔する人がいるので、そこを見抜く力は身に付けていきたい。子どもにも伝えていきたい。
合掌のように右手と左手を合わせるよう、自分と相手を上手く合わせていく。そして協力していけるような感性を身に付けていってほしい。
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今日就業時間が17時15分で、残業代が1時間で付くと言う人が18時10分に帰らされたと言う話を聞いた。
これは全く相手のことを思っていない。残業代は出さないがただ働きをさせる。そのような魂胆が丸見えである。本当に力のある上司ならば、就業時間に終わるように仕事をマネジメントするはず。
どうしても終わらない仕事量なのであれば、相手のことを考え残業代がつくようにするはずだと思った。
残業代が発生する時間ギリギリで追い出すと言うのは、マネジメントできていないという自分の評価を気にした保身にしか感じない。
そのようなことをしていると関係性が希薄になる。
このやり方ではどう頑張っても合掌するように心を合わせるというようなことにはつながらない。周りのモチベーションは下がり、仕事の効率も下がる。するとマネジメントもうまくいかなくなる。
すると、より自分の評価を下げるということにつながる。
気づいてしているのか、気づかずにしてしまっているのかいささか疑問に思った。
子どもたちでさえ、相手を思う気持ちがあるのに、大人がその気持ちをもてていないことが残念に感じた。
「人との縁を生かすことによって、自分も生かされる」と教えるのが仏教です。
自力ではなく、人は他力で生かされているのだと。
合掌とは、右の手のひらを相手だと思い、左の手のひらを自分だと思って、両者をひとつに合わせて「ありがとうございます」と感謝の心を捧げる行為です。
人間関係の喜ばしい部分も、嫌なところも両方をひとつに合わせて、「ありがとう」といってみてください。
「手放す力」 升野俊明
それにしても、酸素をもらったのはなぜだろう。いささか疑問が残る。
今日、初めての教育実習担当の期間が終了した。
「今年、実習生を担当してくれんか?」と話をされた時は、やっと任せてもらえるのかという嬉しさ3割・自分に務まるのかという迷い7割だった。
結果的にいうと、今回担当させてもらったことで自分にも新しい発見できたことが多かった。担当を任せてもらえて良かった。
- 子どもが前向きになれる声かけ
- 落ち着いて学習できる環境作り
- 考える場面と考えを繋いでいく意識
- 自分が安心して過ごせる場所づくり
この4つについて多く学ぶことができたと話してくれた。
自分が大切にしていることを感じ取ってくれたことが、担当として嬉しかった。
_最後には、「今回のクラスを越えるようなあたたかい雰囲気のクラスを目指します」_と力強い言葉を伝えてくれた。
毎日、放課後の振り返りでは
- 担任では見えていない子どもの反応
- 他学年・他学級と比べてのクラスの様子
- ほかの教員の指導方法
- 自分の授業についての感想 を話し合った。
自分一人では分からなかった視点をどんどん感じることができて面白かった。
人の授業や考えについて「あーでもない、こうでもない」と話し合うことは大好きだ。
自分の授業や考えについて対しても「あーでもない、こうでもない」と言ってもらうことも大好きだ。
新しい発見を楽しむことや、出てきた反省を次にどう生かすのかを考え直す大切さを改めて気づかせてくれた。
どんなことでも楽しみ、どのように生かしていくかを考え続けていきたい。
自問自答
大事なことは、まず自分で自分を評価することである。自分のした事が本当に正しかったかどうか、その考え、そのふるまいに本当に誤りがなかったかどうか、素直に正しく自己評価するということである。
そのためには素直な自問自答をくり返し、行わなければならない。自ら問いつつ、自ら答える。これは決して容易なことではない。容易な心構えでできるものではないのである。
しかし、そこから真の勇気が湧く。真の知恵も湧いてくる。
「道をひらく」 松下幸之助
今回の教育実習についても、伝えたいことは全部伝えられたのか・何か成長してもらえるきっかけになれたのかを自問自答していく。
初投稿?初アップ?
以前から興味をもっていた“ブログ”を始めている。
友人に進めてもらったがどんな風に書けばいいか分からない。まず、この口調が堅苦しい。
_逆に、とりあえず思ったことをそのまま書いていこかな〜とも思ってます。_みたいな方がしっくりくるのかも分からない。
とりあえずぼちぼち書きます。
【美味しかったもん】
初めて行かせてもらった洋食Katsui(勝井) 山の辺の道 | 御堂筋ロッヂ| 柳本駅中食堂 ピクトン| 喫茶マウンテンさん。
開店前から天理市トレイルセンターでお土産などを見物し、11時開店と同時に席へ案内してもらった。
店員さんは明るく接してくれ、厨房も和気あいあいとしていていい雰囲気👏✨
色んなランチメニューがあったが、これを注文!
名前は忘れた。
けど、海鮮(ブリ、サーモン)もヘレ肉も美味しかった。ランチメニューが豊富なので、また行きたいし、ディナータイムにも行ってみたい。
数年前から行きたいと思っていたお店に行けて嬉しかった。
【考えたもん】
同期2人が新しい職場にうつり、「自分が薄まって嬉しい」と共感し合っていた。
それに対して違和感がすごくあった。
自分のすること、考えていることに興味をもってもらえないことの何が嬉しいのかが分からなかった。
周りに「それはどうしてしたの?どういう目的があるの?」とか、「こう考えてるんやけど、どう思う?」みたいにどんどん声をかけてもらえるほう(自分を濃くする)がいいやん。
って思った。
けど、話を聞いているうちに、2人は人数の少ない中で活躍していたこと、些細なことで言いがかりをつけてくる人が周りにいたことなど、今の自分の状況とは大きく違った環境で頑張っていたことが分かった。
話している人の言葉だけでなく、背景にある環境や経験を知ると、自分が新しいことに気付くことができるんだな〜と考えた。
きっと「自分が薄まること」が嬉しいというよりも、周りに気を遣わず「自分らしくいれること」が嬉しいんじゃないかな?と今、書きながら考えている。
全くタイプの違う2人だが、いつも楽しい刺激をくれる。次は山登りをしようと約束した。次はどんな話を聞けるのか、今からとても楽しみ。
日々是新(ひびこれあらた)
きのうはきのう、きょうはきょう。
きのうの苦労をきょうまで持ち越すことはない。「一日の苦労は一日にて足れり」というように、きょうはまたきょうの運命がひらける。昨日の分まで背負ってはいられない。毎日が新しく、毎日が門出である。
日々是新なれば、すなわち日日是好日。素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。さあ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。
道をひらく 松下幸之助
ブログをスタートした今日。
新しい刺激をくれた美味しいもんと同期たちに感謝して、明日から頑張ろう。
うーん、やっぱり口調が堅苦しい。