弥生の土を集めてマイ弥生土器をつくる (original) (raw)
弥生土器は無印良品みたい
文京区弥生というエリアは、上野のすぐ近くだ。実際に土器作りに着手する前に、上野公園にある国立科学博物館で弥生土器の特徴をチェックした。
縄文土器と違い、表面がツルツルなのが特徴。これなら作りやすいかも。
弥生土器の特徴は、縄文土器のような装飾はなくなり、無印良品のようなシンプルさがあげられる。実用性重視の時代だったようだ。
模様をつけるのは大変なので、単純なのは助かる。
ちなみにこれが弥生時代のようす。シンプルな土器に服装。無印良品時代と言っていいだろう。
現代の弥生のまちとは
では実際に弥生のまちへ行ってみよう。
片側が大学の敷地で、片側が民家。もうほぼこんな町並み。土あるかな?
弥生のまちはほぼ東大キャンパス!
実際に行って町を歩いてみると、弥生は2丁目までしかないせまいエリアだと気づく。
いや、土地の広さは充分かもしれない。なぜかせまいと感じるのは別の理由だ。驚いたことに、弥生のまちのほとんどが東大の敷地だったのだ。
赤線の中が弥生。弥生のまちは東大の弥生キャンパス(左)と浅野キャンパス(右)でほとんど埋まっていた。
知らなかったが、東大は赤門のある本郷キャンパスとは別に、弥生キャンパス(弥生1丁目)と浅野キャンパス(弥生2丁目)があり、後者ふたつが弥生のまちの7~8割を占めていた。
それ以外はほぼ民家。東大に縁のある人が住むのか、高級住宅が多く並んでいる。
逆に水田の跡地や高床式倉庫の復元など、「弥生時代らしさ」は一見したところほとんど見当たらない。
「弥生」が入った建物名がいくつかあるのが弥生らしいところ。
もらえそうな土をさがす
さて、土器を作るには何はなくとも土を手に入れなければいけない。できれば粘土質が良いがこの際土ならなんでもいい。
しかしここは東大キャンパス及び住宅街だ。野原や山の中であれば少しくらい土を頂戴しても良いかなと思うが、見渡すかぎりアスファルトの道路である。
人んちの土を勝手にもらう訳にはいかない。土を手に入れるのが難しい現代よ。
もし弥生時代の人達が現代にタイムスリップしてきたら、こんなんじゃ土器が作れないといって騒ぎ出し、土をめぐって争いが起こっただろう。
そう考えると、土というものが非常に貴重なものに思えてくるから不思議だ。
「土を分けてもらえませんか」 弥生に住む人に無茶振り。
道行く人に声をかけてみることにした。土を分けてもらうのだ。
優しい弥生の人たち
弥生時代は稲作がはじまり、貯蔵技術も発達した時代だ。それゆえに集落ごとのモノの奪い合いが始まったといわれている。まだまだ野蛮である。
しかし現代の日本は他人のものを奪わずとも生きられる時代。「弥生土器を作りたいんです」と話すと二つ返事で協力してくれた。
「うちのはそんな歴史ある土じゃないからお隣行きましょう」とお母さん。
声をかけた方のお隣の家で土を分けてもらうことに。「砂利ばっかりで悪いね」と謝られてしまった。
声をかけた方は、「うちのは有り難みがない。せっかくなら昔からある家に声かけましょう」と謙遜して隣の中村さんちに声をかけてくれた。
するとご夫婦が出てきて、これで良ければとすぐさま土を提供してくれた。いきなりの無茶振りに皆なんて寛容なんだろうか。「頑張ってね」とエールまでもらってしまった。
早くも貴重な弥生の土を無事ゲット。小枝や砂利が混じったサラサラとした土だった。
中村さんご夫婦はこれ全部持っていっていいよ、と鉢を差し出してくれたのだけど、とても貴重に思えたので遠慮してほんの少しもらうだけにとどめた。
それに、せっかくなら弥生のいくつかのポイントの土がほしい。そうでないと中村さん式土器になってしまう。
次は弥生美術館(竹久夢二美術館)の隣の喫茶店にお願いしてみる。ちょっとなら、とOKいただいた。
不審者みたいだけど許可とってます。
なぜいま弥生土器を作るのか
土を取ったあとにお店の方に改めてお礼を言うと、「ところで弥生の土器を作って一体どうするの?」と純粋かつ返答に困る疑問を投げかけてきた。
5秒位考えた末に出てきたのは「満足する」というフンワリとした答えだった。そうだ、ただ満足したいのだ私は。
少し湿り気のある土をゲット! 小さい葉っぱや根も土器をつくるのには良いらしい。乾燥後に割れにくくなるための混和材になるのだ。
東大の浅野キャンパスに遺跡があるという情報をもらったので、そこに向かってみることにした。
浅野キャンパスの裏側(?)から入る。人がいなくて不安。
誰も住んでいなそうな古いアパートの前に弥生土器ぽいもの発見。
浅野キャンパスに向かうと、急に草木が茂るエリアになった。意図してなのかは分からないが弥生土器そっくりな壺が置かれていたりして雰囲気も出ている。
色といい、本物の弥生土器に見える。
人通りが少なくこのまま入っていいものか少し不安だったけど、キャンパス内は出入り自由らしいので進んだ。
ここが弥生二丁目遺跡。この辺で貝殻や弥生土器が発掘された。
弥生土器を発見したのは東大生
今から約130年前、考古学に興味をもっていた東大生が土器を発見した場所である。
「国指定の史跡」と書かれた案内があるのみで、知らなかったら単なる雑木林。蚊がたくさんいるので長居したくない場所だ。
ここの土、超ほしい・・・でも勝手に掘るわけにいかないしなあ。
靴の裏についた土を集める
勝手に土を掘るのは怒られそうなので、靴の裏についてしまった土を持って帰ることにした。これなら怒られないだろう、だって不可抗力でついてくる土なのだ。
靴についちゃったのだからしょうがないよね。
すくな!
さて、分量はだいぶ少ないが、これで3箇所の弥生の土を集めることができた。これらの土を使って弥生土器を作ろう。
ちなみに浅野キャンパスに入らずともこういう碑は見られます。
次の課題はこれらの土をどうやって固めるか、である。弥生時代ならば火をおこして焼き上げる所だろうが、そんな事が現代の住宅街でできるはずもない。どこもかしこも火気厳禁だ。
しかし手は打ってある。近くのコンビニであるものを購入した。
コンビニでピピっと
アマゾンの受け取り。
中身はセメント粘土だ。これに弥生の土を混ぜて固めることにした。
粘土をアマゾンで注文
前もってアマゾンで粘土を注文し、近くのコンビニに届くようにしていた。
水を加えるだけで30分くらいで固まるというセメント粘土だ。これに先ほどの土を混ぜ、器状に形作り乾燥させれば土器の完成である。
ちょっとズルしているみたいだが、これが文明の進化というものだ。土は少なく火気厳禁の現代だが、弥生時代には存在しなかったインターネット、アマゾン、コンビニ、セメントを駆使すれば土器は簡単に作れるのだ。(土器とは本来は「焼いたもの」だけれど、この際そこは目をつぶろう)
弥生にはコンビニが無かったので向丘のコンビニで買った。
コンビニだけ向丘
本当は全ての工程を弥生でやりたかったがコンビニは向丘というエリアのを使った。くまなく探したが弥生には土器作りに使えそうなお店が一つも無かったのだ。
惜しいところだけれど、昭和40年頃まで弥生は「向ヶ丘弥生町」という名前だったことを考えると、向丘も弥生のまちとして考えてもいいだろう。千葉にある東京ディズニーランド、みたいに広い心で受け止めたい。
さあ、ここから一気に土器を完成させるぞ。
まずは弥生児童遊園でワンタンと鮭茶漬けのカップを食べた。お腹が空いていた訳ではなく、これが無印良品タイプの弥生土器作りに必要なのだ。
そのすぐ近くに見つけた井戸の水をもらい、
さっきコンビニで買ったゴミ袋にセメントと水を入れ混ぜる。
そこへ、集めてきた3箇所の土を混ぜ込んで練る。
土をくれた弥生の人々の優しさを思い出しながら土を混ぜた。
固まるのが想像以上に早い
脳内でシミュレーションはしてきたのだが、なにせ土器づくり、というかセメントを扱うのが初めてなので思うようにはいかなかった。
大きいカップに粘土を入れ、一回り小さいカップで上から抑えて整形する。後でカップを剥がせば表面がツルツルになるという算段。
しかしセメントが乾くのが早くて綺麗にならない。あと、ここも蚊が多くて身体中がかゆい!
早く! とにかく早く!
暗くなってきた公園で、真剣に鮭茶漬けのカップに粘土を押し付けていった。
もらってきた土は全部投入しているのだから、失敗は許されないのだ。しかしどうだろう、セメント粘土と土をまぜまぜしている内に既に固くなってきてしまった。
とにかく早く器に形作らねばいけない。早く! 早く! 今日これだけは言うまいと思っていたが焦りでテンションが上がりついに「ドキドキする~」と口走ってしまった。
ワンタンのカップを上から押し付ければ終わり。でも押し付けても変わらないほどだいぶ固まっちゃってるけどね。
やれることはやった…。
この作り方、セメントで綺麗に鉢を作る人のブログを参考にしていたのだけど、まるで様子が違う。
その人はゴミ袋ではなくバケツで混ぜていたからだろうか。それとも鮭茶漬けではなく牛乳パックでやっていたからだろうか? いや、たぶんそこら辺の土を混ぜるという工程が余計な時間を取ってしまったのだろう。
とにかくこれ以上はもう何もできないので、うなだれて家に持って帰った。
1日置いたらしっかり乾いていた。しかし内側はボッコボコで端が汚い。がっかりである。
翌日様子を見てみると、白く固まっていた。しかしダマになっていた部分や端の薄い部分を触るとポロポロとれる不格好な作品に。半日かけて作っただけに悲しくなってしまう。
鮭茶漬けのパックに入った姿がまた間の抜けた風貌でニクい。
そして2週間後(現実逃避してた)、また遺跡にやってきた。
家だとどうしてもテンションが上がらないので、再度蚊がたくさん待ち受ける遺跡に戻ってきた。ここで現代の弥生土器としっかり向き合いたい。
さけ茶漬けのパックをはいだ。外側もちゃんと塗り込めていなかったようでいびつになってしまっていた
どの角度からみても残念。
ヤスリをかけたり色をつけるとさらに綺麗に見える、と参考ブログに書いてあったのだけど、どうもこれ以上よくなる気がしない。
もうこのまま置いて行きたい。
しかし科学博物館で見た鉢タイプ(右)に似ていなくもない。
そして、所々に集めてきた茶色の土が見えて面白い。
今は個性が活きる時代
残念ながらいびつな形になってしまったマイ弥生土器。しかし見方を変えてみれば、個性が出ていてこれはこれでアリなのでは、という気持ちになってきた。
よく注目すると、自分が手に入れた土が覗き見える土器。そんなの他にはないだろう。ボコボコになった表面も、出そうと思って出せる形ではない。これは個性なのだ。個性が求められる現代にピッタリの弥生土器なのだ!
植木鉢ということにして緑を合わせたらけっこう合うかも。
鮭茶漬けのパックの模様で一本だけ線が入っているのがクールに見えてきた。かつ、自然な崩れ感には儚ささえ感じられる。モダンアートだ。
別角度からも。いろんな表情が見られる良い土器じゃないか。よし、満足!
弥生式植木鉢ができた
実際の土器作りとは工程が全然違うのだけど、それでも綺麗につくることの大変さを知る事ができた。無印のような洗練された弥生土器を作るのは私には到底できなそうだ。
それにしても今回、遺跡といい公園といい、たくさん蚊に刺されて辛かった。弥生時代の人たちも蚊に刺されて大変だっただろうなと同情する。もし弥生時代にタイムスリップできたらキンカンを届けてあげたい。
トータル20箇所くらい蚊に刺された。土器作りは大変だ。