1月11日は「いい飯寿司の日」標津町の「鮭飯寿司」にのめり込む (original) (raw)

標津町「鮭飯寿司」大試食会

オリンピックイヤーを迎えて間もない2020年の1月11日、北海道標津町の生涯学習センター「あすぱる」では何やら惣菜パックのようなものを持った町民が列を作り、正装したスタッフが慌ただしく右往左往していた。

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「新春」とか書いてある時期に標津にいるとは。

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熱気を帯びた受付。外は雪。

皆が持ち込んでいるのは「飯寿司(いずし)」である。

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一見どれも同じに見えるが……。

標津町では毎年1月11日は「いいいずし」の日として、サケを使った郷土料理「鮭飯寿司」の試食会が開催される。希望者は作った鮭飯寿司を出品し、審査員の投票によりその年一番のいい飯寿司が選ばれる。

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持ち込まれた飯寿司が試食用に並べられる。まさに飯寿司グラミー賞。

今年は46人のエントリーがあったがその中に、なんと私の飯寿司があった。おそらく道外初の出品者だ。私の飯寿司というからにはそれ相応の事をしているわけだ。

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マイ飯寿司です。

渋谷で道東の珍味を知る

飯寿司を知ったのは渋谷だった。昨年の5月、渋谷ヒカリエで開催された道東地方の紹介イベントで提供された標津の珍味セットに一かけらが乗っていた。

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手前から時計回りに鮭節・山漬け・すじ子粕漬け・ちゅう(サケの胃袋塩辛)・めふん(同じく腎臓の塩辛)で、飯寿司。

「飯寿司は魚とご飯や野菜、麹を混ぜて漬け込み、乳酸発酵させる北国の郷土料理です。標津はサケの町という事もあって、サケを使った飯寿司が作られています」

なぜか渋谷まで来てスタッフとして標津のつまみを啓発していた標津サーモン科学館の西尾さんに教えてもらう。口にした途端に身から滲み出る濃密な酸味、未体験のサケの味わいである。

「サケ漁がひと段落する秋の終わり頃に漬けて年末近くに出来上がります。正月料理としていただくのですが出来具合が気温など様々な要素に左右されるので、漬けた家ではその間気が気でない時期を過ごします」

--レシピ通りに作っても思い通りにいかないんですか?」

「はい。もちろんノウハウはありますが最後は開けてみないとわからないのです......」

標津の人をそこまでそわそわさせる支配力を持った鮭飯寿司とは一体なんなのか、もっと知りたいと思った。

標津に見に行った

半年ほど経った2019年11月22日、私は西尾さんと共に標津町でサケ漁を営む漁師の大山さん(仮名)の自宅を訪れていた。

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前日に見た野付半島の夕焼けがすごかった。金曜ロードショーが始まるかと思った。

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西日を浴びて飛ぶオジロワシ、かっこいい。

飯寿司知りたい欲を西尾さんに相談したところ、展示用の魚の捕獲などでサーモン科学館がお世話になっている大山さん宅の飯寿司づくりを見学させてもらえる事となったのだ。

飯寿司作りは大山さんの奥様が中心となる。

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台所にはすでに大量の野菜が積まれていた。

「わたしの家では大根と人参、しょうがを入れます。これを千切りします。」

--すごい量ですね。

「はい、飯寿司の準備で一番大変なのが下準備で材料を切ることなんです」

「あと、うちではイクラを入れます」

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おお、でもなんかいわゆるイクラとはちょっと違うような......

「1回ゆでたものを使います。いつも食べているような醤油漬けじゃないので味はあまりしません。どちらかというと彩りですね」

「イクラでなくグリーンピースを使う家もあります。野菜もキャベツを入れたり、切り方もイチョウにしたり、漬け方も家によってみんな違うんですよ」

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大山家のレシピを見せてもらった。

「私は親から教えてもらったやり方で作っています。親のやり方を守ったり、お嫁に行った先のやり方を取り入れてアレンジしていったり、伝わり方もいろいろですね」

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鮭だけでなく、ハタハタやほっけなども使われる。地元のスーパーで贈答用として売られていたりもする。

飯寿司作りへの関与が始まった

「倉庫に飯寿司に使うサケが置いてあるので見てください」

ものすごく要領良く説明、進行してくれる大山さんの勧めるがまま倉庫へ向かう。

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うおー壮観!いいサケ見たわー!って感じの西尾さんの笑顔。

美術の教科書で見た高橋由一の絵のような立派なサケがずらり。西尾さんがつぶやく。「これは漁師さんだからゲットできるやつですね」

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サケは遡上する前に海で取れたものを使う。「銀毛」と呼ばれる脂ノリのいいものだ。

サケは全部で11本。これ全部飯寿司になるのか。

「うちでは去年塩漬けにして冷凍したサケを使います。そうすると身も締まるし寄生虫なんかも安全なので」

--なるほどー。

「西尾さんと伊藤さんでサケ切ってもらいましょうか。リビングにテーブル出して、まな板と包丁貸すんで」

--はい。

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ワイドリビングにでかいサケ搬入。

大山さんのテキパキしたディレクションにしたがい、さばきにかかる。

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私だとクオリティが大惨事になるので西尾さんがまず3枚におろす。

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ウロコ掃除はおれの出番だ!

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おろしたものを適度な大きさに切る。「いいか、飯寿司ってのはな、掃除機8年包丁10年つってな〜」この時点では余裕しゃくしゃく。

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塩かげんを見るためにハラスを焼いて試食、もう全部焼けばいいのにと思う程うまい。

もっとも過酷な工程「切る」

これは、大変だ……。

サケの身はしっとり柔らかくなっているものの、皮には弾力があって包丁を入れるごとに確かな手応えがある。そしてなにより、でかい。

半身で50〜60きれぐらいは取れるのでこれを2×11本…想像しただけで手首がけんしょう炎を起こしそうになる。

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雪に埋もれた番屋の隅で、わたしゃ夜通しサケを切る〜、って石狩挽歌している場合ではない。

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サケどっさり、しかしまだまだ切らねばならぬサケがたくさんある。

カウンターキッチンからは相変わらず大根や人参を千切りにする音が響き渡る。

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応援に駆けつけてくれてた妹さんと共にひたすら切る。

「とにかく飯寿司は材料を切るのが大変、うちみたいに近くに住んでいる兄弟や親戚なんかを呼んで手伝ってもらう家は多いと思います」
--そういえば旅館で飯寿司作りの取材に行くと話したら女将さんに「ああ、切るの大変ですよ」と言われました。一大イベントなんですね、下準備。

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漁から戻ったご夫君も魚切り参戦、さすが手並みが違う!

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どっさり積み上がった切り身。

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野菜チームの成果がこれ。

狂乱の材料切りがひと段落すると、炊いたご飯と麹を混ぜてだいたい下準備は完了。

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熱いうちに麹と混ぜておく。

「明日の朝から漬け込みをやります。切るのに比べたら全然楽ですよ」

飯寿司は夏から、はじまっている

翌朝、倉庫でいよいよ漬け込みに取りかかる。先日の夕焼けに心奪われたので早起きして野付半島まで日の出を見に行ったが分厚いコンクリートのような雲に阻止された。

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はやく飯寿司漬けに行けよ。

「いつもは樽2つ分漬けるんですけど、今回はもうひとつ小樽を用意したので伊藤さんはそれに漬けてください」
--専用樽まで!なんかすいません。

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まずは樽の底に笹の葉を敷く。

「なれずしなんかでも笹を使っていますけど、見栄えだけでなく殺菌とか消毒のためでしょうね」

--青々としてますね。この季節だともっと褐色がかってそうな気もしますが。

「笹はね、8月に取っておいて冷凍しておくんですよ」

--へー、もう夏から始まっているんですね!飯寿司は。

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切った野菜と麹入りの飯を混ぜ、塩、砂糖、調味料、日本酒を加える。

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で、笹の上にざざっ、と散りばめる。

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ここでさらにイクラとしょうがを投入。

いよいよサケの登場だ。

「サケは隙間なく並べてくださいね」

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樽の形に沿って並べる。カルロス・ゴーンが隠れてもわからないくらい敷き詰めるのがコツ。

手酢のようにして酢を軽く塗る、ここまでが一連の作業である。

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近藤酢造「娘酢」を薄めずに使う。かなり濃厚で顔を近づけただけでむせそうになった。殺生石か。

私の隣でお手本として漬けていた妹さんの盛り付けの美しさに息を飲んだ。

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花だ!大輪のサケの花だ!おれのでこぼこでなんか恥ずかしいな。

この工程を繰り返し、野菜・麹とサケの層を重ねてゆく。落し蓋ができる程度まで積み上がったら最後にまた笹の葉を敷く。

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一番上の層は野菜にする。

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「いい飯寿司になれよ」蓋をして願いをこめる。

手首がおかしくなるまで切りに切った材料を3つの樽に押し込んで漬け込み作業はひとまず終了した。

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重しをのせて圧をかける。

--あの、素朴な疑問なんですが……これ、全部食べるんですか?

「いやあ、うちではあまり食べないですね」

--え?

「だいたいね、配っちゃうんですよ」

--へー、親戚とかですか?

「そう、それとご近所で交換したり。うちのは美味しくないけど食べてーとか、今年はちょっとお酢の効きが悪くてねー、とか言い訳しながら」

--飯寿司コミュニケーションだ。

「そうそう、話題作りですね」

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約1週間ごとに重りを追加して圧を強めていく。

このまま飯寿司は年末までゆっくりと発酵を進める。私は東京に帰り、大山さんや西尾さんからその様子をレポートしてもらう。

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標津線川北駅跡地を見て帰京。

飯寿司文通

東京に帰って1週間後、標津から便りが来た。飯寿司の重りを増やしたという。

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大山家に様子を見に行った西尾さんから。「期間中は心のどこかに飯寿司の存在がある、その気持ちがわかります」

私も東京で落ち葉を見つめたりしながらほのかに飯寿司の具合が気になっていた。でも飯寿司は私の事なんか気にしてないだろう、切ない。

飯寿司は確実に、関わった人の心の一角を支配しはじめていた。

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気温が下がりすぎると発酵が鈍るので毛布をかけたりしてあたためる。漬けたら漬けっぱなしかと思いきや細かいケアが必要なのだ。

2週間ほど経った12月9日、重りをさらに増量。

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これだけ重ねれば中でサケが蘇ったとしても出てこれまい。

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蓋の上が薄くにごった水でひたひたになっている。

さらに発酵が進むと蓋の上の水が白い泡状の「かんむり」と呼ばれる状態になる。

大山さん曰く
「かんむりが上がってくる(できる)かが上順調かどうかを見る目安のひとつになります」

呼び方の由来はわからないとの事。「かぶれ」と呼ぶ地方もあるので蓋の上に被っている、みたいな語源なのかと思いきや、なぜか「ば」と呼ぶ家もあるという。

「ば」とは……。モノが溢れ、機能や意味で体系化されたこの世界で名前はここまでミニマムになれるのか。私はこの先どんどん老いていろいろ失っていくだろう、しかし、伊藤でなく「い」と呼ばれて「はい」と返事できるまでになれるだろうか。

かんむり不作、しかし歓喜

クリスマスも飯寿司である。12月24日、漬け込み開始から1ヶ月、少し不穏なメッセージが飛び込んできた。

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「他の家でもかんむりが上がってこない、寒いからかな」その年の気温の感覚を飯寿司で共有できるのだ。

寒さで発酵がうまく進んでいないのであろうか。うまくいきますように、飯寿司のひと樽オーナーと化した私は、練馬から石神井側のめっちゃ向こう、標津に向け祈った。

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かんむりができるとこんな感じ。

12月26日、結局大山家ではかんむりが上がらないまま、次の工程へ進む事にした。
樽を上下逆さまにして半日から一晩寝かす。

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翌日の午後、開けて試食してみるとの事、ドキドキ。

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私から標津チームに送ったばかなメッセージを見ておいてほしい。

12月27日14時、大山家から立ち会えなかった父親に宛てたような明らかにテンションの高い画像が次々と送られてきた。

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1ヶ月前、私が敷いた笹だ!

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笹を取り除くと……。おお、いい感じではないか。

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「とりあえず美味い!」やったー!

かんむりこそできなかったが乳酸菌たちはきちんと仕事をしていた。できるやつはむやみにアピールなんてしないものだ。

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次々と送られてくる生まれたての飯寿司画像、それを見て微笑む私。

約1ヶ月間、漠然とした不安を抱きながら経緯を見守っていた私の心が安堵に包まれた。

ここまで深く飯寿司づくりに関わるのは初めてだったという西尾さんも同様である。

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飯寿司ロスで無気力になりそうなコメント。

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感動のあまりおっさん同士でわけがわからないやりとりをしていた。

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早速大山家を訪れた友人に配られていた。樽から出した瞬間に飯寿司コミュニケーションは始まる。

審査員席でおろおろする

年が明けて、また飯寿司試食会の取材で標津に行った際に大山家で出来上がったマイ飯寿司を試食させてもらう事になっていたのだが......。

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いつの間にか私の飯寿司が試食会にエントリーされていた。

当日、標津入りしてマイ飯寿司を試食。

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会いたかったぜ!

でろんと入った大きめのサケがとにかくうまい、発酵しても素材のうまみをしっかり感じられる。酸味は抑えめで一般的な評価としては少し漬かり方が浅いのかもしれないが、かえって私のような飯寿司ビギナーにはとっつきやすい味なのではないか。

このマイ飯寿司を抱え、生涯学習センター「あすぱる」へと急いだ。

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で、これを持って並んだわけです。(記事の冒頭)

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案内された席がなんか一般来場者と違うんですけど……。

なんと、一次審査の審査員に選ばれてしまった。粛々とイベントが進行する中で所在なげに食べ比べ用飯寿司を見つめる。

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場違いだし北海道の寒さにビビって1人だけ妙に厚着。

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テーブルは6つ、それぞれのテーブルで審査員が試食して美味しかったもの(番号がつけられて誰が作ったものかはわからない)に投票し、一番得票の多い飯寿司が最終審査へと進む。もちろん自分が出品した飯寿司とは重ならないよう配慮されている。

大山さんから聞いたとおり同じ飯寿司でも味わいは実に多彩、酸味が強かったり、ほんのり柚子の風味がしたり、集められた品々全てが個性を放っている。世界にひとつだけの寿司だ、ナンバーワンにならなくてもいい。とか言いながら投票はしたのだが。

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会場は人と飯寿司で溢れ、もはや自分の飯寿司がどこで、どういう動きをしているのかわからない。

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過去に栄冠に輝き、殿堂入りした「名人」の飯寿司試食も行われる。あっという間に人だかりができていた。

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サケと言えばこの人、サーモン科学館の市村館長も実行委員として最終審査に参加。スーツ姿が珍しすぎるので会う人会う人に「どうした、何があった」と言われていた。

残念ながらマイ飯寿司は最終審査に残れなかったが、私が審査員として投票した飯寿司は見事優秀賞(大賞の次)を獲得した。

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やった、おれは飯寿司目利きだ!(たまたま)

飯寿司は標津の人を明らかに饒舌にしていた。会場でちょっと聞いただけでも秘訣は重しのかけ方だとか、いや、私は最後のほう重しは外しちゃうわよだとか、ていうかタッパーでも漬けられるぞとか、まあ結局好みじゃないの?とか、聞けば聞くほど、食べれば食べるほど、飯寿司がわからなくなった。飯寿司よ、お前はなんなのか。

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練馬で飯寿司の日々