寝る前の眠れなくなるボルヘス『記憶の図書館』 (original) (raw)

「もし愛だと言われなければ、抜き身の剣と思ったことだろう」

ボルヘスが記憶の底から汲み出したセリフだ。キプリングの短篇に出てきたという。驚くべき言葉だ。この一行は、私に<届いた>。

ボルヘスは続ける。驚くべきは形式だと。

もし、「愛は剣のように容赦がない」と直喩で言ったなら、何も言ったことにならない。あるいは、愛を武器に喩えたとしても同様になる。もちろん、愛と抜き身の剣を取り違える人なんていない。

ただ、ありえない混同が、想像力にとってありえるものになり得る。しかも、文の構造のおかげで、混同が起こっている。なぜなら、「最初はそれを剣だと思ったが、やがて愛なのが分かった」と言っても馬鹿馬鹿しいものになる。

確かに、ボルヘスの指摘する通りだ。このセリフは、このシンタックスでないと成立しない。ちょっとでも言い換えたり、構造をいじっても、私には届かなくなる。「もし愛だと言われなければ、抜き身の剣と思ったことだろう」は、これで完璧になる。

ラジオ対談をまとめた『記憶の図書館』の一節なのだが、ボルヘスの記憶の深さ、魅力的な語り、無尽蔵の洞察に驚く。

ポー、ワイルド、カフカ、メルヴィル、ダンテなど、偏愛する作家への想いや、創作のインスピレーションの源泉、一つの挿話をどう育てるかといった指南など、汲めども尽きない118の対話を一冊に集成したものがこれだ。

枕元に置いて、夜、眠る前に二つ三つ読むのだが、ついつい耽ってしまう。気になる作品をネットで検索したり(深夜テンションで注文したり)、夜更かしの友やね。

blanc(仏)とblack(英)で意味が真逆な理由

ラジオ番組なので、話の転がっていく先が突拍子もなくて面白い。

たとえば、ポーの最高傑作として『アーサー・ゴードン・ピム』を挙げて、そこに登場する「白を怖がる人々」から、メルヴィルがこれを読んでいたはずだという。そして、『白鯨』のクジラがなぜ白色だったか、という話につながる。

さらに「白」という言葉そのものに注意を向ける。白は、ロマンス語圏でどう言われているかを次々と挙げる。

フランス語ではブラン(blanc)

ポルトガル語ではブランコ(branco)

イタリア語ではビアンコ(bianco)

スペイン語ではブランコ(blanco)

そして、英語でブラック(black)は「黒」であることを指摘する。白と黒が逆の意味になっている!?

ボルヘスは解説する。これらの語は、もともとは同じ意味―――色が無いこと―――を持つという。例えば、英語のブリーク(bleak)は、「色を失った」という意味になる(※)。

最初、ブラックは「黒」そのものではなく、色の無いことを意味していた。色が無いことが、影の方に転んで、ブラックが黒になったのが英語になる。一方で、光の方、澄明さに転んだのが、ロマンス諸語になるというのだ。

確かに、言われてみれば英語にもblank(空白)という語がある。「無い」ということの語源はここにありそうだ。

天の賄賂から解放される

もう一度、読み直そうと思ったのが、バーナード・ショー。

ボルヘスはショーを高く評価しており、さまざまな警句やエピソードを紹介してくれる。中でもピカイチだったのが、「わたしは天の賄賂から解放された」だ。

ここで言う賄賂とは、「善行には報いがある」という考えだ。あるいは、同じことになるが、「罪は罰せられる」という恐怖だという。信心を強化する上で、まさに天国は賄賂であり、地獄は脅迫になる。ボルヘスは、ショーの言葉を続ける(ボルヘスは盲目なので、諳んじていることになる、すげぇ!)。

「神の務めをそれ自体として果たそう。その遂行のために神はわれわれを創造された。なにしろ今生きている男女だけがそれを遂行できるのだから。わたしが死んだとき、借りがあるのは神であって、わたしではありませんように」

この発想が凄い。

これは、プラトンやカントが回避した問題への最適解になる。因果応報を神意と徳の問題にすり替えたプラトンや、幸せと徳が一致する条件として、理性を持ってきたカントには合意できない(なぜなら、2人は「運」の問題をスルーしているから)。

神は万能とされているらしい。だが、その神に向かって「借り」を作ることができるという発想が秀逸だ。人どころか、人が住まう世界そのものを創り出した神に向けて、何か贈り物ができる……そう考えるだけで、嬉しくなる。

寝る前の眠れなくなるボルヘス

以下、お気に入りのボルヘスの言葉を引用する。射程が広くて深すぎるので、どこが刺さるかは人によるが、少なくとも私にぶっ刺さったやつばかり。

おそらく未来は取り消しがきかないものです。しかし過去は違います。過去は思い出すたびに―――記憶の貧しさや豊かさのおかげで―――望みのままに、どこかしら修正されますから。

今は世界大戦と呼ばれる最初のヨーロッパの内戦

記憶は嘘をつくでしょうけれども、その嘘もすでに記憶の一部であって、わたしたちの一部なのです。

音楽と同じく詩は翻訳できない。

わたしたちがシェイクスピアを読むとき、一時的にであれ、わたしたちはシェイクスピアなのです。

多くの本は各々のページではなく、その本が残す記憶のために書かれます。

寝る前の、眠れなくなる一冊としてどうぞ。


※「blue」も同じ語源という説もあり

http://hidic.u-aizu.ac.jp/result.php?tableName=gokon&word=bhel-1