海外の名門サッカークラブで活躍する日本人が増えたのはボスマン判決のお陰 (original) (raw)

中田英寿氏がプライベートで明かした「日本代表で一緒にやって楽しかった2選手」…内田篤人氏「かっこいい!」の写真 | ゲキサカ

今はサッカー日本代表選手はほぼ全員が海外クラブでプレイしているが、日本人がヨーロッパのクラブに移籍しやすくなった背景にはボスマン判決がある。ボスマン判決とはEUに所属する国の選手には外国人枠が適用されないという内容。1990年にベルギー人選手のボスマンが、ベルギー以外の国のクラブへの自由な移籍を求めて欧州裁判所に訴えたのでこう呼ばれている。

今日(10月11日)の早朝にはサッカー日本代表とサウジアラビア代表とのアウェイでの試合があって日本が勝って、ワールドカップ出場にまた近づいた。まあ、日本が次のワールドカップに出場をするのはほぼ確実だろう。

ところでサッカー日本代表のメンバーはほぼ全員が海外のクラブチームでプレイする選手ばかりになり、中にはアーセナル、リバプールなどの強い名門クラブチームでプレイしている選手もいる。かつては上の写真にアップした中田英寿がローマに所属をして、香川はドルトムントとマンチェスターユナイテッド、本田はACミランに所属していたというふうに、海外の名門ビッグクラブでプレイする日本人選手がかなり増えた。

このように日本人がヨーロッパの名門クラブでプレイできるようになったのは、実は言うと1995年12月に欧州司法裁判所で出された判決のお陰であることを知っている日本人はどれらいいるだろうか?

ja.wikipedia.org

↑がボスマン判決のウィキペディアの説明。この1995年12月に出された判決のお陰で、日本人のようなヨーロッパ人ではないアジア人の選手もヨーロッパのクラブチームでプレイしやすくなった。

ボスマン判決(―はんけつ、: Bosman ruling)は、1995年12月15日に欧州司法裁判所で出された判決である。 ヨーロッパ連合(EU)に加盟する国の国籍を持つプロサッカー選手は、以前所属した(前所属の)クラブとの契約を完了した場合、EU域内の他クラブへの自由移籍が保証され、その際クラブ側は選手の所有権を主張出来ず、またEU域内のクラブはEU加盟国の国籍を持つ選手を外国籍扱いに出来ない、とした。

ボスマン判決のお陰でEUに所属する選手はEUのクラブチームでは外国人枠が適用さればくなったので、外国人枠が適用されるようになったのは日本人などのEU以外の外国人選手だけになった。ボスマン判決のお陰で、日本人選手はヨーロッパのクラブチームに移籍しやすくなったのである。

1990年にベルギー人サッカー選手のボスマンはベルギーのクラブからフランスのクラブに移籍しようとしたが、所属していたベルギーのクラブがボスマンはベルギー人だから外国人枠が適用されるので、フランスのクラブには移籍できないと主張をして移籍を妨害した。だが、ボスマンは「私はベルギー人だがフランス語がフランス人のようにしゃべれるのに外国人枠が適用されるのは、『ヨーロッパは一つ』と主張しているEU(ヨーロッパ連合)の理念に反する」と主張をして、自分はEUに所属する国のクラブでは外国人枠を適用されないべきだと主張をした。そして、EUの裁判所である欧州司法裁判所はボスマンの訴えを認めて、ウィキペディアの説明のように、「EU域内のクラブはEU加盟国の国籍を持つ選手を外国籍扱いに出来ない」という判決が出たのである。

この判決の結果、例えば、極端な例をあげるとロンドンにあるアーセナルという名門チームなどは、2000年になるとスタメン選手の中にイングランド代表の選手は誰もいなくて、主にフランス人とオランダ人が主力というチームになった。バイエルンミュンヘンも2001年5月にチャンピオンズリーグで優勝をしたが、その時のスタメンにはドイツ代表選手は3人しかいなかった。EUに所属する国の選手は外国人扱いをされないのだから、特に大金を持っているビッグクラブはEU枠内の有名外国人選手と契約をして、試合で使うのは当然なことだ。

つまり、EU枠内のヨーロッパ人選手に外国人枠が適用されなくなったので、EUに所属していないアジアにある日本人選手に外国人枠を適用して契約することを、ヨーロッパのクラブチームは始めたのである。このボスマン判決のお陰で、中田英寿は1998年にはセリエAのペルージャ、1999年からは名門ローマと契約をして、小野伸二は2001年にオランダの名門フェイエノールトと契約した。

このころから、日本人若手選手がどんどんとヨーロッパのクラブチームと契約できるようになった背景には、ボスマン判決があるということを知っておいてほしい。

一方でボスマン判決で勝訴をしたボスマン自身は、この判決によって自分よりも才能がある外国人選手がどんどんと移籍したフランスのクラブに移籍してきてクラブをクビになり、他のクラブでも自分が勝訴をした判決のせいでクラブでレギュラー選手として活躍できなくなり、30代前半で引退に追い込まれた。その後はベルギーサッカー協会から危険人物とみなされて追放同然の状態となり、引退後は元プロサッカー選手に支払われる年金をもらいながら、家族と一緒に貧乏な生活を送っているという。