写りすぎない美しさ(1) (original) (raw)

2018年 02月 04日

写りすぎない美しさ(1)

真ん中の写真は「2B」の玄関を入った部屋の写真。このブログに掲載した写真で見るとテーブルの上のMacBookが白飛びして見えるがプリントでは飛んでいない(実はこの写真でも飛んでいない)。今回の展示作品31枚の中で一番目に止まった写真である。窓際の並んだ小さなテーブルの一番右側のテーブルの上にはLEICAとハッセルブラッドのものではないかと思われるレンズが1本置かれている。渡部さんはカメラやレンズをこんな風に無造作に棚の上に置いている。「ちゃんと使ってあげていれば防湿庫になんて入れなくても大丈夫」と嘯いている(本当のことだけれど)。

このLEICAが置かれているテーブルの下の部分がこの写真の中のディープシャドーなのだけれど、近寄って目をこらして見るとしっかりディテールが残っている。デジタルカメラでこのシャドーのディテールを潰さないように撮影したらMacBookの表面は間違いなく白飛びするだろうと思う。MacBookの筐体を白飛びさせない露出で撮影すればテーブル下のシャドーは潰れるだろう。デジタルカメラの場合、シャドーのデータは「いくらでも」残っているのでPhotoshopで起こせばディテールは出てくる。だから、デジタルフォトであれば割と簡単にこのようなプリントを作ることが出来ると思う。フィルムはハイライトが粘るからシャドーの階調を残すギリギリの露出で撮ればハイライトが飛ば無いのかもしれないがこの輝度差だと厳しいのでは無いかと思う。

私は渡部さんに「この写真だけれど、デジカメで撮ったらシャドーは潰れるよね?」と聞いてみた。渡部さんは「APS-Cセンサーのデジカメだとシャドーは潰れる。フルサイズなら残るかもしれないが潰れるかもしれない。しかし、中判カメラならシャドーの階調は残る」と語った。「これベタ焼きだよね? 手を入れずに焼いてハイライトは飛ばず、シャドーは潰れずなんてできるの?」と聞いてみた。「8×10は情報量が多いから。小さなフォーマットのカメラとの違いは上と下の一段に出てくる。だから、ハイライトとシャドーの微妙な階調が残る」ということであった。こういう話というのは、実際にプリントを前に作家本人に聞いてみないと知ることの難しい話である。私は、こういう貴重な話を聞かせて貰った者の「務め」として、一人でも多くのモノクロ写真愛好家にこういう話をお伝えしたいと思っている。

渡部さんは、上と下の一段の微妙な階調を残せる光を拾って写真を撮っていると言うことである。そこが美しいモノクロ写真の"肝"だからだ。

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私はモノクロ写真に特段の思い入れは無い。撮っている写真の95%以上はカラー写真である。私は「記録」として写真を撮っているので作品志向が無い。だから、基本的にカラーで写真を撮る。しかし、昨年10月にこのエキサイトブログの「モノクロ写真」ジャンルに登録した直後に同じく「モノクロ写真」ジャンルに登録されている方からコメントを頂き、その後ちょくちょく楽しい会話をさせて貰っているのだが、その方がハッセルブラッドやローライフレックスでモノクロ写真を撮っておられるので私も昨年の10月ぐらいからよくモノクロ写真を撮るようになった(私の場合デジタルモノクロームであるが)。いまさらフィルムで撮る理由は人それぞれであると思うが、「柔らかい描写」というのはフィルムで撮った写真のもっとも大きな魅力だろうと思う。

毎度毎度渡部さとるさんの話を持ち出して恐縮であるが、彼は日本を代表するモノクロ作家の一人であり、モノクロ写真を愛好するアマチュアフォトグラファーに与えてきた影響の大きい人物なので彼の言葉を借りることには意味があると思う。モノクロ写真に取り組んだことの無い私が自分の考えだけを記したところ説得力に欠けるだろう。しかし、渡部さんの言葉を借りれば、私の話も多少は説得力を得ることが出来るのではないか思うし、それ以上に、モノクロ写真愛好家の中にも渡部さんの言葉にあまり触れていない人々もいると思うので、そういう方々に渡部さんの「生の言葉」を少しでも伝えたいと思って彼の話を持ち出している次第である。

私が渡部さんと初めて話をしたのは、11年前の2月末のことだったと思う。それは、彼がギャラリー冬青で行った最初の個展「da・gasita - 43年目の米沢」の打ち上げ懇親会の席でのことだった。そのとき、私は自分の疑問を彼に問うてみた。「まったく分からないというわけでは無いのだけれど、どうしてゼラチンシルバープリントをやっている人の写真には『眠い』トーンの写真が多いの?」と。渡部さんは即答した。「それがフィルムの魅力だから」と。そして「写りすぎないというのがフィルムの一番の魅力だと思う」と話してくれた。ゼラチンシルバープリントで作品を作っているモノクロ作家の多くが「柔らかい」プリントを作っているのだから、それこそがフィルムで撮った写真の魅力なのだろうとは察していたが、「それがフィルムの魅力だから」ときっぱり言い切られると、分からぬでは無いが「うーん」という思いもあった。

当時の私は、「白と黒」のはっきりしたモノクロ写真が好きだった。それは必ずしもハイコントラストな写真という意味では無い。中間調ばかりといった感じのモノクロ写真があまり好きでは無かったのだ。私はそのような写真に対して「これは白黒写真じゃなくてグレー写真」などと口さがないことを言ったものだ。ちなみに、渡部さんの写真は白や黒がはっきりした写真の方が多い。彼の写真にはグレートーンの写真はそれほど多くないし、「眠いトーン」の写真も少ない。彼の写真はコントラストが強いわけでは無いのに「眠いトーン」ではない。彼の写真のハイライトは柔らかく綺麗である。黒は締まっているけれどその中にはほどよい階調があって潰れた感じでは無い。モノクロプリントのひとつの理想型なのである。

話が長くなりそうなので、この続きはエントリーを改めて書くことにする。

by dialogue2017 | 2018-02-04 17:30 | 写真論

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