【兄妹】兄とケンカ別れしていたが、12年ぶりに和解した話 (original) (raw)
兄と仲違いをして、一方的に連絡を絶ったのはアタシから。
それから12年間、一切連絡を取ることがなかった。
アタシ達は3つ年が離れた二人兄妹だ。
両親が共働きだったので、小学校から帰った後はいつも二人で遊んだ。
帰宅時間がアタシの方が早いので、兄が早く帰って来ないかなと、いつも窓から外を眺めて待っていた。
両親が残業で遅く帰って来ても、兄がいれば寂しくなかった。
その当時、土曜日は半ドンだったので給食がない。
そんな土曜日のお昼は兄と自転車に二人乗りをして、近所に1件しかない小さな商店へ行くのが定番だった。6枚切りの食パンと瓶入りのファンタオレンジ500mlを買いに行った。
イチゴジャムとマーガリンを半々に塗って食べるのが、二人とも大好きだった。
夏休み、3kmほど離れた従姉妹の家に遊びに行くのに、また兄と自転車を二人乗り。
その途中で夕立ちに遭い、雷が鳴り始めたので、空き家の軒下に自転車を寄せた。
ずぶ濡れで、雷が怖くて大泣きしているアタシに、兄は「大丈夫、泣くな」と言って、彼もまた泣きながら慰めてくれた。
考えてみれば、当時兄もまだ小学3年生くらいだったはず。それでも頼もしく思えた。
二人の仲の良さは、近所でも評判だったようで、周りの大人達はアタシ達兄妹が遊んでいる姿を、目を細くして見てくれていたようだった。
そして成人しても、ずっと仲が良かった。
仲違いをした理由は、とても話が長くなるので割愛するが、原因は「両親のこと」という事だけお伝えしておく。
12年は長い。
その間、本家の叔父・叔母が亡くなり、葬式の時も兄には一切声を掛けなかった。
また兄の子(アタシから見れば姪)が結婚し、更に孫も生まれた。
その時はコロナ感染症の最盛期で、それを理由に帰省しないのが良い言い訳になった。
現在、兄の家族は両親と同居している。
兄に会おうとしない娘を、父も母も心配し悲しんでいた。
母から聞いた限りでは、ニイちゃんはあんたの事をとても心配していると。
母は口を開けば、「仲直りしなさい。あなたは独り身で、お母さん達がいなくなったら結局はニイちゃんを頼って行くしかないのだから。」と言う。
ごもっともだ。
しかし、未だ許せない気持ちと、今更連絡しても、という気持ちの方が大きかった。
コロナ渦で、3年以上両親と会えない日々。
高齢の両親がいつ逝ってしまうのか、恐怖と後悔の念が大きくなっていく。
今年の大型連休に、3年半ぶりに帰省した。
以前ブログにも書いたが、母の痴呆が始まったようだ。
アタシは帰省してすぐに母の異変に気付いた。
このままでは、アタシの存在や、これまで生きてきた出来事や思い出を忘れてしまう。
母に、父に、心配事を取り除き安心してもらわなければ!
帰省した日、アタシは12年ぶりに兄と顔を合せた。少しの沈黙の後、「元気にしとったん?」と、にっこり笑った。
12年ぶりに氷が溶けた。
~Fin~