子孫を残す行為とトランスジェンダーの世界 (original) (raw)

数日前のこのニュースをみて色々と考えさせられました。

生まれた子供に重きを置いた判決であり、異論を唱えるものではないけれど何かモヤモヤ。一審と高裁も判断が異なる位だから私なんぞが?であっても当然かもしれない。

この後、自分の頭の整理上オス・メスという表現を使用します。気になる方はこれ以降読むのをやめてください。

カエルに限らず人間以外の生物の生きる目的が子孫を残すことにあるとすれば、子孫を残す行為は自然界において最も崇高(或いは自然)なものだろう。

人間はそこに快楽が加わるからややこしいが単為生殖等でなければ、また哺乳類であればオスとメスの営みによってその目的が達成される訳なので、精子なるものはオスの象徴ともいえるだろう。ゆえにこの方は女性に変わった時点でオスであることを否定したのではなかったのかと?頭が混乱する。オスを否定した者がオスの象徴ともいえる自分の精子を保存していた。さらにそれを行使してメス(失礼)に出産させた。

高裁はメスになった時からオスではなくなったと考えたのではないだろうか。論理的に考えれば答えはそうなるような気もする。ただそれだと子供が救えない。

またオスを否定してメスになったが、子孫を残したいと思った相手がメスだったことも私には理解しがたいところだった。メスになりオスの子孫を残したいとなれば代理母しかないだろうし、それならばまだわかる。

私なんぞには一生分からないトランスジェンダーの世界なのかもしれない。