余談:『水滸伝』舞台の宋王朝の朝廷言葉など23:『孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜』 (original) (raw)

※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用

※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。

①国母(グゥオームー/guó mǔ)

後宮の和を乱し続ける張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)。本来であれば彼女を厳しく罰するべきであるが、仁宗が寵愛しているのでそれは出来ない。後宮の最高管理者である曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)は、皇后として複雑な想いを抱えながらわがままで自分本位な張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)を必死に守ろうとしている。宦官の張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)はその状況を良く知っているので、敬愛する曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)に「どうか自分を大切にしてください」と思いやりの言葉を掛けた。

古代の中華世界から存在する「国母」という尊称は、正式な階級や職務ではなく、伝統的な概念に基づくもの。一般的には現任君主の母親がそのように呼ばれた。その人物は実母であるかどうかは無関係なので、仁宗の場合はかつて太后の劉娥(りゅうが/liú é)が国母と呼ばれていた。このドラマ内では、上の画像の通り、「劉娥(りゅうが/liú é)が逝去した後、天下の民は皇后の曹丹姝(そうたんしゅ/cáo dān shū)を国母と認めている」と描写されている。ただ、皇帝の妻である皇后が「国母」と呼ばれることは一般的に無かったと思われ、このあたりの描写は創作的な部分かもしれない。(なお、宗実[そうじつ/zōng shí]が仁宗の後を継いで皇帝に即位すれば、皇帝にとって義母となる曹丹姝[そうたんしゅ/cáo dān shū]は太后となるので、そこでは国母と称されることになる。)

日本にもこの国母の制度が入り込み、明治維新によって権力体制が根本から変わるまで存在した。ただ、その国母の制度は状況に応じて柔軟に運用されていた。たとえば、平安時代のドラマティックな天皇としてお馴染みの一条天皇清少納言紫式部が生まれる大文芸時代を花開かせた天皇)、その実母の藤原詮子は出家をして仏門に入っていたにも関わらず、「女院」という名称で国母級の権力が認められていた。当時において「仏門に入る」という行為は俗世の社会的地位を全て捨てることを意味したが、平安時代は騒動や問題から一時的に避難する貴人の休憩施設のような性質も帯びていた。よって、藤原詮子のように皇族や高官たちが出家をしても、しばらくしたら普通に俗世の政治世界に戻ることが頻繁にあった。スキャンダルや事件を起こした後、"体調不良"で入院し衆目から逃げる国会議員のような構図だ。

②恩将仇報(エンジャンチョウバオ/ēn jiāng chóu bào:恩を仇で返す)

宋夏戦争で大敗北を喫した戦いにおいて、国を裏切り敵前逃亡を図ったという疑いがもたれている将軍、劉宣孫(りゅうせんそん/liú xuān sūn)と劉平(りゅうへい/liú píng)は既に絶命している。

"売国奴"である両名には民から激しい非難が寄せられ、官僚たちも彼らの投降書(敵に全面降伏をする代わりに命乞いをする書)を証拠として仁宗に何度も奏状を提出した。この時点で、世論は明らかに両名を悪者と決めつけた。

これが前回から延々と仁宗たちを悩ませている内部問題なのだが、ここに来て新しい真相が徐々に明らかとなって来た。どうやら、この"売国奴物語"を創作したのは、副将の黄徳和(こうとくわ/huáng dé hé)。この黄徳和(こうとくわ/huáng dé hé)は小役人から高官に至るまで様々な役人と贈賄関係にあり、また現地では敵側の党項人の商人たちとも結びついて、塩密売や妓女の人身売買の闇稼業を大々的に展開していたようだ。今回の敗戦によってその悪事がばれそうになった黄徳和(こうとくわ/huáng dé hé)は、投降書を捏造して劉宣孫(りゅうせんそん/liú xuān sūn)と劉平(りゅうへい/liú píng)を暗殺し、敗戦や密売等の罪をすべてその死人に押し付けた。

この展開は創作ではあるが、「悪人の手のひらで踊らされる世論」というのは、現実にも実に何度でも起こり得る話である。恩将仇報(ēn jiāng chóu bào)、以怨報徳(yǐ yuàn bào dé)。善人に対して仇で報いるというおぞましい話があってはならない。そのような理不尽で残酷な仕打ちを誘引した悪人には必ず天意の罰が下される。

※「悪人の手のひらで踊らされた世論」というプロットを大々的に物語に組み込んで人気を博したのが、2015年製作の中国歴史ファンタジー『琅琊榜 ~麒麟の才子、風雲起こす~』。本ドラマで仁宗役を演じる王凱(ワンカイ/wáng kǎi)は『琅琊榜 ~麒麟の才子、風雲起こす~』の出演から注目を浴びる事になった俳優。上の場面は第二十八集の一場面。王凱(ワンカイ/wáng kǎi)が演じるのは、重要人物の靖王役。彼はかつての朋友が所属する軍が国家を裏切って謀反を起こして全員粛清されたという捏造事件の真相を追っている。

※ちなみに、先ほどの場面の手前にいる人物がこの人、高官の沈追(ちんつい/chén zhuī)。彼を演ずるのは馮暉(フェンフイ/féng huī)で、『仁宗 ~その愛と大義~』では官僚の夏竦(かしょう/xià sǒng)役を演じている俳優だ。先ほどの黄徳和による塩密売にも一枚噛んでいる腐敗気味の役人であるが、人心掌握や統制力には優れた才能を発揮する人物として描かれている。

※今回の黄徳和の一件は国家運営の中核にただならぬ損害をもたらすという事もあって、仁宗の態度は非常に厳格。「查到哪儿办到哪儿 查到谁 办到谁(あらゆる場所であらゆる実情を調べ上げて即座に処罰し、あらゆる人物のあらゆる実情を調べ上げて即座に処罰しろ)」と強い口調で蘇舜欽(そしゅんきん/sū shùn qīn)に言いつけた。

③補足:印刷史で見逃せない天才発明家の畢昇(ひつしょう/bì shēng)

開封の市場で大人気を博している、范仲淹(はんちゅうえん/fàn zhòng yān)や蔡襄(さいじょう/cài xiāng)たちの散文が掲載された書籍。若い人たちの勉強や醸成に役立つという事で、仁宗がそれらの書籍を大量に買って朝廷の書院などに配布するよう指示をした。

蘇舜欽(そしゅんきん/sū shùn qīn)たちはこれらの書籍がただ散文を掲載しているだけではなく、当人の書体までも模倣されているというあまりの技術の高さにただただ驚愕。その印刷方法は、范仲淹(はんちゅうえん/fàn zhòng yān)たちの書をいったん木彫りにし、これを組み合わせて特別な装置に組み込み印字するというものであった。

※画像:百度百科「毕昇(活字版印刷术发明者)」より引用。右上にある二枚の円盤のようなものが、活字版の棒を組み込む装置となる。

「活版技術の発明者」というと15世紀のドイツ人技師、ヨハネス・グーテンベルクの名前がよく知られているが、これは近代のおける科学的発明(火薬、印刷、方位磁石など)の起源を名乗りたい欧州式の印象操作であると言える。実際には、それらの発明の原点は中国やアラビアなどにあり、ヨーロッパ人は発明者ではなく改良者に過ぎない。

活版印刷技術の真の発明者と言えば、グーテンベルクより四世紀も前、北宋王朝において活躍した畢昇(ひつしょう/bì shēng)の名を挙げることができる。彼は淮南路蕲州蕲水県(現在の湖北省黄岡市英山県)に平民として生まれた職人で、長期間杭州の書籍店で木版の彫刻工として働き、手作業での印刷に従事していた。ここでは木彫りの1枚版に墨を付けて印字していく木版印刷が用いられていたが、労力やコストの大きさ、効率の悪さが課題となっていた。

『夢渓筆談』によれば、畢昇(ひつしょう/bì shēng)は前任者の経験や自分の新しい着眼点を基にして活版技術を抜本的に革新し、1枚版ではなく個別の文字の木片(活字版)を組み合わせる活字印刷術を発明した。活字版は一度作れば組み合わせによってどの書籍でも印刷できるという利点がある。活字版を作るまでは時間が掛かるが、その後の印刷はもはや木版印刷とは比べようもないほどに自由自在に行えた。

彼の印刷技術が話題になり始めたのは、まさに仁宗の治世。その後、完全にこの技術が普及する前に、畢昇(ひつしょう/bì shēng)は皇祐3年(1051年)に逝去したと言われている。

④学士(がくし/xué shì)、師傅(しはく/shī fù)

先ほどの活版印刷技術に大興奮の蘇舜欽(そしゅんきん/sū shùn qīn)。そこに張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)が登場。蘇舜欽(そしゅんきん/sū shùn qīn)から「これ市場で売っていたんだって?作っているのはどんな人なんだ?」と聞かれ、張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)が「畢という姓の匠でした」と答えている。本ドラマでは深く言及はされなかったが、おそらく先の畢昇(ひつしょう/bì shēng)のことを言っている。

この場面で気になる言葉が、張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)が蘇舜欽(そしゅんきん/sū shùn qīn)を呼ぶ時の「学士(がくし/xué shì)」、そして畢昇(ひつしょう/bì shēng)を呼ぶ時の「師傅(しはく/shī fù)」というそれぞれの肩書表現だ。後者の「師傅(しはく/shī fù)」は『西遊記』で玄奘の呼び名として定着している、同じ発音の「師父(しふ/shī fù)」と似た「お師匠さん」という意味を持つが、若干のニュアンスが異なる。

それぞれの使い方や意味合いは次の通りだ。

  1. **学士(がくし / xué shì)

【意味】: 学問や知識を身につけた人を指す言葉で、広く「学問を修めた人」という意味がある。

【用途】:この場面では、官職としての「学士」が肩書表現となっている。それまでも中華世界では宮廷や政府で文官として仕える高い学識を持つ官吏のことを「学士」と呼ぶ事があった。今回の蘇舜欽(そしゅんきん/sū shùn qīn)はまた「翰林学士(皇帝の側近として政策立案や詔書の作成などを行う職種)」という官職に属していたので、張茂則(ちょうぼうそく/zhāng mào zé)は彼を「蘇学士」と呼んだ。

  1. 師傅(しはく / shī fù)

【意味】: 「師傅」は、一般的に「師匠」「先生」という意味を持つ。特定の技術や知識を教える立場の人や、熟練した職人に対して敬意を込めて呼ぶ肩書表現となる。

【用途】:特に尊称として、特定の技芸や技術を持つ熟練者や先生に対する敬称として用いられる。当時、武術の先生や工芸職人などが「師傅」と呼びかけられた。また、皇帝や王子の教育を担当する高官にも用いられる表現で、本ドラマでは描写は無かったものの、仁宗の教育担当者であった晏殊(あんしゅ/yàn shū)は「師傅」の立場にある。現代中国では、タクシーやトラックの運転手にも「師傅」がよく用いられている。

  1. 師父(しふ / shī fù)

【意味】:「武術」「宗教」の分野に特化された「精神的な指導者」「より親しい関係にある師匠」を意味する。「父」という字が含まれているため、より親しみや深い尊敬の意を込めた肩書表現となる。

【用途】武道の師匠や宗教的な指導者、僧侶や道士などに用いられる。家族的な温かみのある師弟関係で用いられることが多い。『西遊記』でも孫悟空たちが玄奘を「師父」と呼ぶとき、そこには尊敬と親しみが込められている。

⑤臣蠢鈍(チェンチュンドゥン/chén chǔn dùn)

張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)の位が低く、また戦時中ゆえに倹約を仁宗が推奨しているにも関わらず、張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)に貴重な素材を用いた豪華過ぎる冠をが届けられた。張妼晗(ちょうひつかん/zhāng bì hán)が何も考えずに嬉しそうに被ってる様子を見て、仁宗は直接彼女を咎めず、冠の選定の責任者である宦官(副都知)の楊懐敏(ようかいびん/yáng huái mǐn)を呼んだ。

仁宗は穏やかな顔をしているが、冠を選んだ人物の処罰を言いつけた。あまり聡明ではない楊懐敏(ようかいびん/yáng huái mǐn)はなぜ自分が叱られているのかよく分からず、「臣蠢鈍(チェンチュンドゥン/chén chǔn dùn)」という儀礼言葉を用いて返事をしている。これは臣(臣下の第一人称)が蠢(愚か)で鈍(鈍い)と申し出ており、すなわち「私は愚かで知識や能力が足りません」という謙遜を示す表現となる。臣蠢鈍なのでどうかお教えください、あるいは罰してください、といった言葉に繋がる。

⑥補足:唐書《諫太宗十思疏》の教え

先ほどの場面、仁宗は副都知に「唐書の中に出てくる張行成の故事をお前は知らないようだな」と、晏殊(あんしゅ/yàn shū)のような回りくどい表現で指摘をしている。この唐書の逸話というのは《諫太宗十思疏(唐の太宗に対して国家を長治久安に導くための10の重要な考え方)》と呼ばれるもの。これは唐の諫議大夫である魏徵(ぎじょう/Wèi Zhēng)が唐の太宗(李世民)に対して上書した著名な奏疏(臣下から君主への意見書)だ。

唐の太宗は即位後、最初は非常に有能な統治を行い、歴史に名高い「貞観の治」と呼ばれる治世をもたらした。太宗は隋朝の暴政を戒めとして、「朕每临朝未尝不三思恐为民害(朕が朝廷に臨む時には、常に三度考え、民に害を与えないようにしている)」(『資治通鑑』巻1093)と語るぐらい、慎重な采配を振るっていた。ところが、世が発展をし始めた貞観中期になると、すっかり太宗が典型的な暗君のアホ状態に突入。彼は驕り高ぶって贅沢に走るようになり、「民を根本とする」姿勢を忘れ、専横的な振る舞いを始めてしまった。この悪政の始まりを目の当たりにした魏徵(ぎじょう/Wèi Zhēng)が、貞観11年(西暦637年)にこの《諫太宗十思疏》を提出したという訳だ。

《諫太宗十思疏》の原文と意訳は次の通りである。

<原文>

臣闻求木之长者,必固其根本;欲流之远者,必浚其泉源;思国之安者,必积其德义。源不深而望流之远,根不固而求木之长,德不厚而思国之安,臣虽下愚,知其不可,而况于明哲乎?人君当神器之重,居域中之大,不念居安思危,戒奢以俭,斯亦伐根以求木茂,塞源而欲流长也。

凡百元首,承天景命,善始者实繁,克终者盖寡。岂取之易守之难乎?盖在殷优必竭诚以待下,既得志则纵情以傲物;竭诚则吴越为一体,傲物则骨肉为行路。虽董之以严刑’,振之以威怒,终苟免而不怀仁,貌舟恭,所宜深慎而不心服。怨不在大,可畏惟人;载舟覆诚,能见可欲则思知足以自戒,将有作则思知止以安人,念高危则思谦冲而自牧,惧满溢则思江海下百川,乐盘游则思三驱以为度,忧懈怠则思慎始而敬终,虑壅蔽则思虚心以纳下,惧谗邪则思正身以黜恶,恩所加则思无因喜以谬赏,罚所及则思无因怒以滥刑:总此十思,宏兹九德,简能而任之,择善而从之,则智者尽其谋,勇者竭其力,仁者播其惠,信者效其忠;文武并用,垂拱而治。何必劳神苦思,代百司之职役哉!

<意訳>

私は聞きました。木を成長させたいなら、まずその根をしっかりさせなければなりません。川の水を長く流れさせたいなら、その源をきちんと整備しなければなりません。そして、国家を安定させたいなら、民の心を積極的に集めなければなりません。水源が浅いのに川の水が遠くまで流れることを期待することはできず、根が不安定なのに木が高く成長することを望むこともできません。徳が深くないのに国家の安定を願うのは不可能です。愚かな私でもそれは分かっています。ましてや、陛下のような明智な方ならなおさらお分かりのはずです。

国君が帝位という大きな権力を握り、天地の間で最も高い地位に立つ者として、皇権の偉大さを称賛し、その美徳を永遠に保たなければなりません。しかし、安泰の中で危機を考えず、贅沢を戒めずに節約を行わないこと、徳が薄く、欲望に打ち勝てないことは、木の根を切りながら木が繁栄することを求めたり、水源を塞ぎながら水が長く流れることを期待するようなものです。

すべての君主は天からの重大な使命を背負っています。これまでの歴史を見れば、偉大な治世を成し遂げた君主たちは常に深い憂慮を抱いていました。しかし、功績を成し遂げた後にその徳が衰えることも多いのです。始めはうまく行っても、最後までそれを保ち続ける者は少ないのです。天下を手に入れることは難しくありませんが、それを守り続けるのは難しいのでしょうか?創業時は力が有り余っていたのに、天下を守る段階では力が足りない。なぜこうなるのでしょうか?

大抵の場合、深刻な憂慮の中では臣下を誠実に扱い、成功した後は自分を放縦し傲慢になることが原因です。誠実に対応すれば、対立していた国でさえも友好関係を結ぶことができる一方で、傲慢になれば血縁でさえも疎遠になるものです。たとえ厳しい刑罰で人々を監視し、威圧的な力で彼らを制圧したとしても、人々はただ罰を免れようとするだけで、君主の仁徳に感謝することはありません。表面では恭順に見えても、心から服従することはないのです。

君主が最も警戒しなければならないのは、この民の怨みです。民は皇帝を支え、その力で皇帝を押し上げますが、同じ民がその皇帝の統治を覆すこともあるのです。これは深く自戒すべきことです。腐った手綱で飛び跳ねる馬車を制御することができないのと同じで、この問題を軽視してはいけません。

君主たる者が本当に賢明であるならば、目の前の喜ばしいものを見るたびに、満足を知り自戒することを思い出すべきです。新しい事業を始めるときには、限度を知って民を安定させることを忘れないでください。高い地位にあることを考えたときには、謙虚に自制を強化することを心がけてください。自らの傲慢さを恐れるときには、川が下流に多くの水を集めるように、広く意見を集めることを忘れないでください。

狩猟を好むのであれば、網を三面に張り、一面は残して獲物を逃がすことを心がけてください。意思が弱まることを恐れるのであれば、慎重に物事を始め、終わりまで注意を払ってください。臣下の意見を聞かなくなることを恐れるのであれば、謙虚に彼らの助言を受け入れてください。奸臣の存在を考えるときには、自らを正して奸邪を排除してください。恩恵を施すときには、一時の感情で不適切な報酬を与えないように注意してください。刑罰を行うときには、怒りに任せて乱用しないように気をつけてください。

これらの「十思」を総括し、「九徳」の修養を広げ、有能な人材を選び、彼らの意見に耳を傾けてください。そうすれば、知恵のある者はその知恵を存分に発揮し、勇敢な者はその力を尽くし、仁愛の心を持つ者は恩恵を広く施し、忠誠心のある者は忠義を尽くすでしょう。文官も武将もそれぞれの役割を全うし、君臣の間に問題はなくなり、楽しみながらも長寿を全うできるでしょう。陛下が身を慎み、政務に直接携わらなくても、民は自然に教化され、何も心配することはありません。ですから、何もかもを把握しようとせず、全てを任せ、無為の治(自然体の統治)を実践すべきです。

<要点>

  1. **居安思危**(安定している時こそ、危機を考えるべき)
  2. **戒奢以俭**(贅沢を戒め、倹約を心がける)
  3. **虚心納諫**(謙虚に他者の意見を受け入れる)
  4. **慎終如始**(始めたことを終わりまで慎重に行う)
  5. **謙虚自省**(自身の過ちや不足を常に反省する)
  6. **広納賢良**(賢者を幅広く登用し、才能を集める)
  7. **厳選官吏**(公正に官吏を選び、適材適所を心がける)
  8. **勤政愛民**(政治に勤勉に取り組み、民を愛する)
  9. **強軍固防**(軍を強化し、国防を固める)
  10. **反省戒慎**(常に反省し、自らを戒める)

その後、朝議では黄徳和(こうとくわ/huáng dé hé)を中心とした不正事件の真相と、それに関わった全ての高官、小役人の存在が明らかにされた。黄徳和(こうとくわ/huáng dé hé)の斬首が建言されると、仁宗はいつもとは異なり「そんなことでは足らない」と断言。その刑罰は斬首ではなく祖法が廃止していた腰折を適用し、さらにその遺体を延州の城壁にさらすように命令。また、重臣の程林(ていりん/chéng lín)や呂夷簡(りょいかん/lǚ yí jiǎn)の息子たちなどを含め、黄徳和(こうとくわ/huáng dé hé)の闇稼業に関わっていた関係者全員に重罰を適用することを決定した。

最後に、仁宗は皇帝としてこのような事態を防げなかった反省も口にしながら、目の前の重臣たちにこう述べた。

仁宗:皆必 公 忠 能 廉(ここにいるすべての者が必ず公正であり、忠誠を尽くし、有能であり、清廉潔白であるべきだ)

重臣たちはこれを聞いて、言葉もなく、ただ静かに頭を下げた。

※今回の題材としたのは中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』の第二十三集。YouTube公式の公開リンクは次の通り。

www.youtube.com

作品紹介

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著作紹介("佑中字"名義作品)

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