【名著紹介】今日の芸術 岡本太郎 光文社知恵の森文庫② (original) (raw)

5 自由に表現するということ

自ら何かを創造する、それは芸術でも人生でもどちらにしてもですが、その時に手本がなく自由にといわれると難しくて困惑してしまいます。

それは自信がないからであり、そして自信がない人間は見栄を張ったり卑屈になったりして真の自分を押し出すことを恐れます。

「人間は制約されるほうには慣れているし、ひじょうに楽ですが、自由という自分の責任においてやりとげるものには困難を感じ、なかなか自信を持つことができない」

「人間というものは、とかく自分の持っていないものに制約されて、自分のあるがままのものをおろそかにし、卑下することによって不自由になるものです。まねごとになってしまうからといって、自己嫌悪をおこし、絵を描くのをやめるというような、弱気なこだわりも捨てさらなければなりません。それならばこのつぎは、似ても似つかぬように下手に描いてやろうというほどのふてぶてしい心がまえを持てばよいのです」

「自分自身の喜びや確信から出発しないで、便利な型やポーズだけを利用する習慣を身につけてしまうと、おとなになってからも、ほんとうに思っていることを発表することは、世渡りに都合がわるいから、そっちのけにしてしまいます。そして世間の通り相場だけを使いわける、不明朗でけちくさい人間になってしまうのです」

6 日本文化の問題点

世界的な視点で芸術を見ていた太郎ですが、現実の土台である日本文化にもしっかりと目を向けました。

日本文化は大陸などから影響を受けて発展をしてきました。

しかし「そのとり入れかたは、かなり生ぬるい、しばしばきわめてご都合主義的なやりかたでした。ほんとうに、まともにぶつかって、自分たちの生活全体が新しい文化によってひっくり返され、根こそぎ変わってしまうというような危険な方法ではなく、お体裁よくとり入れてきた」と批判します。

「『よきを取り、悪しきを捨てる』という、小ざかしい迷文句があります。これは論理的にいってまちがいです。都合のよいところだけを取るのでは実体はつかめません。私は逆に都合の悪いものをこそ取るべきだと言いたいくらいなのです。そうしたら、かえってほんとうのいいものがはいってきます。外から見て、いいと思っているようなものは、実にならない上っ皮であって、悪いと考えられるもののほうに本質的なものがあるばあいが多いからです。危険をおかし、身を張ってそれと対決し、消化して、それ以上のものをつくりあげてゆくという、たくましい精神でなければ、文化の交流なんてできません」

日本のそんな文化の取り入れ方による悪しき例が、日本の敗戦でした。

明治以降日本は西洋の機械文明を輸入して強国になったものの、「その西洋科学の裏にあって、それをささえている合理主義やヒューマニズム、自由の精神は、べつに利用価値がないと思ったのか、そっちのけに」しました。

その結果日本は泥沼の戦争へと突入していくのです。

太郎はこれを「ご都合主義的に、手段としてだけとり入れた不幸な例」と表現しています。

古い型を否定して新しいものを創造することが芸術であるにも関わらず、日本では新しいものは邪道だとして非難されがちです。

「日本人はとかく『邪道』といえば悪い、ダメなものと、信じてしまう。芸道の形式主義からきた考え方が、しみこんでいるからです。芸術にとって、それはまことに不幸な精神と言わなければなりません」

7 謙虚という言葉

謙虚とは自分なんてとへりくだる姿勢ではなく、むしろ「自分の責任において、おのれを主張すること」です。

「謙虚とは権力とか他人にたいしてではなくて、自分自身にたいしてこそ、そうあらねばならない」のです。

日本では「だれかが」という言葉が用いられ、「自分が」という人はほとんどいません。

それを太郎は、「おたがいに責任をなすり合い、自分はのがれようとしている」と指摘します。

「『だれかが』ではなく『自分が』であり、また『いまはダメだけれども、いつかきっとそうなる』『徐々に』という、一見誠実そうなのも、ゴマカシです。この瞬間に徹底する。『自分が、現在、すでにそうである』と言わなければならないのです。現在にないものは永久にない、というのが私の哲学です。逆に言えば、将来あるものならばかならず現在ある。だからこそ私は将来のことでも、現在全責任をもつのです」

太郎は、自分の決意は公言することが重要だと考えています。

それが全責任を負うことにつながるのです。

「あくまでも自分の言葉にたいして百パーセント責任を負わなければならないのです。だから、うぬぼれていられるどころではありません。おのれ自身にたいしては逆に残酷に批判的で、つまり謙虚でなければならないのです。日本ではどうもこれをとり違えて、謙虚というのは他人にたいしての身だしなみくらいに思っている」

8 今ここに現実がある

現実とは自分の足元にある問題であり、「直接利害も関係もないあちらだけに現実があって、こちらには何もないかのようにふるまう」ことは間違いです。

また伝統というのは過去のものではなく、「われわれが現在において新しく作るもの」です。

「われわれは今日、猛烈な超近代的意識をもって、まちがった伝統意識を切りすて、自分たちの責任において新しい文化を創りあげてゆかなければなりません」