気まぐれ腕時計館 (original) (raw)
オメガスピードマスターmark2に関して勘違いしていました。
このベゼル無しのオーバルケースは当時の流行で奇をてらったものと考えていましたが、
そもそものデザインの起源が流行というよりも機能であったことを僕は理解していませんでした。
初代マーク2が世に出たのは1969年。アポロが月着陸した年。
ここからスピマスプロが不動の地位を現在まで維持していることは周知の通り。
しかし、これもスピマス好きなら周知の通りでオメガでは通常市販モデルがNASAに採用されてから更に宇宙仕様に特化したモデルを開発しようとアラスカプロジェクトを始めていました。
スピマスがNASAによる宇宙計画に採用されましたが、オメガとしては棚からぼた餅的なお話。特別に宇宙用に開発した腕時計ではなかったことは明白でたまたま当時のライバル達よりも頑丈であったというのが理由。
スイス時計を代表していたオメガですからウォッチメーカーとしてはプライドもあったでしょうし、おりしも東方から不吉な風も吹いてきていましたし、威信をかけてアラスカプロジェクトをはじめた…のだろうというのは推測に容易いですね。
真の宇宙用時計を開発すべく立ち上げられたアラスカプロジェクトですが、出来上がった最高最強の腕時計がNASAに採用されることはありませんでした。理由は「必要ないから」。今使っている普通のスピードマスターで十分との判断。合理的な某国らしい結論です。ただロシア(当時のソ連)には採用されたと聞きました。腕時計に国境なし。
数々の創意工夫がなされたアラスカプロジェクトですが、その中のコンセプトの一つとしてデザインは引っ掛かりが少ないことでした。宇宙服などに腕時計の出っ張りや角が引っかからないように。その一つのプロトタイプとしてベゼルのないオーバルケースやクッションケースがありました。そしてプッシュボタンや竜頭も引っかかりにくいようにケースに埋没させるような形状。マーク2はそのコンセプトで作られたようです。
スピードマスターマーク2のデザインが、ジェラルドジェンタ氏がデザインしたオメガコンステレーションのCラインからきていることは製造された年代から容易に想像がつきます。
後にアラスカプロジェクトに繋がる時代を反映して機能美へと集結させたスピードマスターマーク2。当時も宇宙には行けず、人気もさほどなく、今の中古市場を見てもプロフェッショナルと同じ機械を使っていながらかなり格安、自動巻コアクシャルとして復刻させたものの数年で廃番となった不遇のスピードマスターではありますが、その存在意義は思っていたよりもスピードマスターの歴史において重要なメルクマールではなかったかと僕は思うのです。
.....と長々と書き連ねましたが、
ジェラルドジェンタ氏デザインのコンステが色んな意味で好調だったので、オメガのデザインコンセプトとしてコンステ、シーマス、スピマスの3本柱をCラインを基調とした流線型デザインで未来的志向を目指そうとしてた矢先にNASA採用の話が突如舞い込んできた。これ幸いと渡に船で自社のイメージをさらに未来志向のデザインにとしていったという推測はアサハカであろうか?とりあえず、この時代のデザインは70年代に夢の未来を思い描いていた少年だった現オジサンには未だ刺さるのであります。そして色々とこじつけたくなるのです。
シンプルな造形ほどバランスが重要なものはないと思う。
IWCというメーカーはその土地の習性か、そもそもの信念なのか、
モノをキッチリ作りたいという設計者や技術者たちの気持ちがときには迷走しながらも使用する側にその矜持が伝わってくる。
それは愛着からくる錯覚と言われても仕方はないが、数十年様々な腕時計を使ってきて、私自身も技術者の端くれとして心からそう思える腕時計はこのIWCのインヂュニアのみだと言っても過言ではないのです。もちろん全部の時計メーカーを知っているわけではないし、主に実用時計ばかりを100本以上は軽く買ってきたものの非常に狭い了見であることは御承知いただきたい。
お盆に増えた急激な体重増加を解消すべくサボっていたランニングを再開。
この2週間で合計80kmほど走りまくって、なんとか元に戻しました。
そんなおり、見なきゃいいのに時計店をチラ見してると、セイコーのスーパーランナーズに出会いました。フォントもスマホ並に大きく見やすいのに驚き。何気に色合いもカッコいい。
よく見ると東京マラソン2019と買いてある。
「なんだ!東京マラソンモデルか…」と残念に思った理由は、東京とは殆ど縁がなくましてや東京マラソンなど全く縁のない存在の自分にとって東京マラソン限定モデル(売れ残りというのはこの際どうでもいい)というのは食指が遠ざかるのです。デザインは気に入ったものの一旦買うのはやめました。
しかし、腕時計においてデザインは最も重要だと思う自分にとって一度買おうと思ったカッコいい時計は頭から離れません。調べると機能も悪くない。ランニングをしない人にはさっぱりわからないと思いますが、スーパーランナーズはすでに3世代全部買っていて、これで4世代目。「このデザインと機能は完成形だな…」と確信。
買う理由を考えました。
「そうだ!この時計をつけて東京マラソンを走ろう!」
抽選という関門があるのは承知していますが、東京マラソンを走ることを目標に、この時計と走り続けようと思います。
一度走り出すと、走りつづけたくなるのが似非アスリートのサガ。
勝手に自分で引退を決めたフルマラソンであったが、モチベを維持するには目標が必要。
腕時計は人生のゴールまで私のモチベーション起爆剤であり続けるのです。
セイコープロスペックス
Diver Scuba SBDC123
ムーブメント キャリバーNo6R35
駆動方式 メカニカル 自動巻(手巻つき)
精度 日差+25秒~-15秒
駆動期間 最大巻上時約70時間持続
石数 24石
機能 秒針停止機能
カレンダー(日付)機能つき
ケース材質 ステンレス
ケースコーティング ダイヤシールド
ケースサイズ
厚さ:13.2mm
横:42.7mm
縦:46.6mm
ガラス材質 カーブサファイア
ガラスコーティング 内面無反射コーティング
重さ 180.0g
2010年代にセイコーはファースト、セカンド、サード、300mダイバーなど、ヘリテージダイバーを次々と復刻させました。
セカンドは、復刻シリーズの最後の方、2019年にSBDX031として1970年モデルをほぼ忠実にデザインして8Lキャリバーを搭載した高級モデル(発売当時定価45万円)として出され、その後に6Rを積んだ現代解釈モデルとしてSBDCシリーズが発売され現在も販売店に並んでいます。SBDC123は5500本限定の青文字盤モデルとなります。2020年モデルです。私は店頭在庫品を買いましたが、このブログを書いている2024年2月現在、ネットにも在庫があるようです。ただしISO改定適合前モデルですので3時位置に夜光がありません。1970年のオリジナルにもついていませんし私はこだわりませんが、こだわられる方はご注意ください。現在のダイバーズウォッチに関するISO6425適合では3時位置に夜光が必要です。
「アガリのダイバーズウォッチ」としSBDC123としましたが、その大きな理由の一つには前回までに書き記した植村さんのチャレンジ精神や人柄にほだされて、彼の生き様への憧れを腕時計に込めたと同時に、純粋にSBDCシリーズのセカンドダイバーが非常に優れていると感じたからです。
その理由を以下に書きます。
まずはセイコーダイバーであること。
私はダイバーズウォッチが大好きです。
日常的に水を扱う機会が異常に多いということもあり高い防水性には拘りを持っています。
そして世にダイバーズウォッチは数えきれないほどあります。其々に特徴があり魅力的であります。
ですが、ダイバーズウォッチに最も必要なのは何でしょうか?私はズバリ、信頼性だと思います。
セイコーダイバーズは潜水プロフェッショナルの世界でも信頼を得ています。「命をかけるならセイコーダイバーを選べ!」と唱える職業ダイバーさんもおられました。実際にセイコーダイバーの進化はそういったプロフェッショナルの世界と共に進化しました。その意味では最高のセイコーダイバーは7Cクオーツを積んだツナ缶マリンマスター。これは本気で世界最高のダイバーズウォッチだと私は思います。ただ、あまりに潜水に特化したモデルですので普段使うのにはサイズも大きくシャツの袖には収まらないですし、デザインも古い観念からはオンタイムに使うには難があるかと思います。そして電池交換式クオーツなので定期的にメーカーでの電池交換が必要。メーカーで定期的に電池交換してもらうというのは安定した防水性能の維持にもつながりますから更に安心でもあります。とは言え少々面倒ではあります。もちろん、そんなの関係ないと思われる猛者もおられるとは思います。そのあたりは全くご自由に使っていただきたいですし、こうでないとならないという形式ばったことは普段の生活に腕時計そのものが必要かと問われる今の時代には無意味だと思います。
とりあえず、世界最高性能のダイバーズウォッチを製作しているセイコーが作るダイバーズウォッチは、普段使うにはどのモデルを選んでも信頼性において比類ないモデル群だと私は思います。
それならば、信頼できるダイバーズウォッチメーカーのしかも日常に使いやすいサイズとデザインのものが、たとえそれが最高性能の防水時計でなくても、毎日使う道具としてはより適しているのではないかなと私は考えます。
- 次の理由ですが、6Rというムーブメント。
これ、色々と情報を見ていますが実は当たり外れはあるようです。ただし実用上困るような当たり外れではないです。私自身6Rダイバーを他に2本、4Rダイバーを1本所有していますが、すこぶる優秀な精度というわけではないですが取り立てて悪くもなく困ったことはありません。それに6Rも4Rも元はセイコー5に使われていたムーブメントの改良版です。セイコー5はセイコーが何十年も唯一途絶えずに作り続けた機械式時計です。それだけで信頼度は高く、そして何より安い。壊れても機械在庫は豊富なのでほぼ必ず直ると考えて良いでしょう。アガリの時計とするのに、必ず動くように直るというのは大きな要素です。
セイコーダイバーズには様々なムーブメントが搭載されています。
先に書いた電池交換式クオーツ、ソーラー電池クオーツ、スプリングドライブ、今はないですが自動巻き発電キネティックなどもありました。そして8Lを筆頭にした機械式群。8Lはもちろん良機であり、壊れても雫石工場がの意地でも直してくれるでしょう。しかしルーツがセイコー5である6Rや4Rならば、メーカーでなくてもいざとなれば、どうにか何処でも治してもらえる可能性が高いと言えます。私の知り合いに50年以上一つのセイコー5を使っている方がいてOVHしたのは10年前に私のススメで一度だけ。その方、精度はあまり気にされていませんが、私にはこの身近な事実が何より6Rや4Rに対する信頼性を高めているのです。何より安いというのもありがたいですね。ずっと前に書いたことがありますが、そもそもダイバーズウォッチはハードに使うことを想定された時計、高級品である必要があるでしょうか?
1970年代、セカンドダイバーやサードダイバーが好んで選ばれたのは安くて壊れないからというのが第一の理由だったと思います。その流れを引き継いでいるのが現在の6Rや4Rのモデルではないかなと思います。高級ダイバーも好きですが、気兼ねなく普段使いできる普及品ダイバーこそが日常的に寄り添ってくれる腕時計と言えるんじゃないかなと私は考えています。
1993年から31年間、腕時計全般に興味を持って見てきて、それなりに自分の価値観は出来上がっています。細かい話にはなるのですが、アガリ時計認定の条件として、例えば植村さんなどのエピソード的思い入れ以外に、非常に重要視しているのが着け心地と時間の見易さです。どんなに凝った高級時計でもここが満たされないとずっと使い続けるのは無理です。
着け心地に関して言えば、重量は軽くはないですが、コマを腕周り16cmで調整して160gほど。割とゆったりめが好きなので腕周り16.5cmでも余裕で装着できる長さです。160gと聞くと「重い!」と思われるでしょうが、ダイバーズウォッチなら普通の重量でむしろ今時なら軽い方かもしれません。付属のシリコンラバーに交換すればかなり軽くなりますが、メタルブレスの方が付けたり外したりが楽なので私はメタルブレスのまま使用しています。そして着け心地は重量だけでは語れません。大事なのは重量バランスです。腕時計本体の厚み、そして重心の位置、重量を受け止める腕にフィットする面積、ブレスとのバランス、大きさ。特に大きさはケース径ではなくベルトを固定するラグからラグまでの大きさが重要で、1970年のオリジナルモデルSBDX031より若干小さなSBDC123(109も同様)は46.6mm。個人差があると思いますが、私の場合だとこの数字が50に収まるかどうかというところは非常に重要で50を超える時計はまずフィットしないし、着けてもはみ出しているようでカッコ悪いのです。46.6というのはちょうど良いサイズで、これがあまりに小さいと逆にダイバーズとしては格好いいとは言えなくなります。もちろんダイバーズでなければ小さくてもOKです。ブレスコマの稼働性も良好で、机上に置いた時にブレスが妙に歪まず普通に置けるのもお気に入りです。またケースなのですが、ブレスもそうですがダイヤシールドを使っています。傷がつきにくいように金属の表面加工を施してあるのですが、そのせいかどうか定かではないのですが、金属色がステンレス特有の白っぽさがなく若干チタンに近いような深みのあるグレーになっているのも隠れたお気に入り点です。
そして見易さなんですが、これは素晴らしいとしか言いようがないです。アナログ式(針式)腕時計には通常インデックスという目盛りがついています。腕時計の針がこの目盛りを指すことで時間を判別するわけですが、針がインデックスに届いているかどうか?つまりインデックスに届かないで寸足らずになっていないか?特に長針と秒針。ここは私的に重要ポイントで、インデックスにキチっと長針と秒針が届いていると非常に気持ちが良いのです。腕時計にそれほど興味なく私のページに来られた方(←そんな人は少ないとは思いますが…)は意外に思われるかもしれませんけれど、腕時計って案外と長針と秒針がインデックスに届いていないモデルが多いのです。実際、昔に所有していたロレックスサブマリーナ16610もそうでした。現行品は幾分マシになっているようです。高すぎますが…
(⇧ほんの少しですが微妙に届いていない長針)
調べるとサブマリーナと双璧の高級ダイバーズであるオメガシーマスター↓もそうでした。
ですが、SBDC123(109も同様)は絶妙に届いているのです。
(SBDC123)
夜光が長針先の形状に合わせてセットしてあるのも何気にポイントが高いです。
視認性に関しては言う事なし。
これは本当に重要で針がインデックスに届いていないと時間を見るたびにストレスなのですが、逆に届いていますと小気味良いのです。
- 青文字盤である事。
これはもう自分の好みだけの問題ですが、黒文字盤の腕時計も非常に沢山買ってきましたし持っていますが、腕時計に限った話ではないのですが基本的には色の中では青が1番好きなのです。
それと、まるっきり植村ダイバーというより自分らしさを好きな色でもって表現できるかなと思いました。そう、自分流の植村ダイバーズです。もちろん通常の黒モデルSBDC109も凄く良いと思います。SBDC109の方が絶対的に主流でしょう。
手に入れやすい価格とは言え10万円を超える(購入時定価16万5千円)ような高価な腕時計はもう買わないかなと思っていたのですが、たまたま他の時計の電池交換で寄った店頭でSBDC123を見つけてから、1週間頭からコレが離れず、今を逃せば2度と植村ダイバーの青文字盤は手に入らないのではないかと思うと、「もう買うしかない!」と、もう一度店に出向いた次第でした。
以上4つのポイントに分けてSBDC123を選んだ理由を書きましたが、コレだけではアガリ時計とした理由としてはもう一つ足りません。
最後にアガリ時計としたもう一つの理由を書きます。
「カメラ・写真が趣味の本筋になった。」
なぜ10万円を超える腕時計をもう買わないと考えていたかという最も大きな理由です。
10万円出すなら写真に投資したいというのが今の私の本音です。写真は趣味としてとても素晴らしいと思います。
何故かというお話は他所で沢山していますので、このページでは割愛します。
本当に長年、腕時計という趣味をやってきました。しかしそもそも腕時計が趣味というのは何なのか?これは腕時計を趣味としながらも同時に疑問に思っていた事でした。初期の頃は腕時計を分解組み立てなどして技術者ぶってみたりしたこともあったけれど、それを続けるのはちょっと違うなと。では買い集める事なのか?いや…結果として普通では考えられないほど多くの腕時計を買ってきたけれど、本当は沢山欲しかったわけではない。起源を辿れば、たった一本の腕時計をトコトン愛用することが目的で、その意図に合った時計を探してるうちに気がついたら沢山買っていたという本末転倒。しかし、今SBDC123と出会えたことで、本来の目的を果たせる可能性が出てきたかもしれないということ。だけど今となっては長年付き合ってきてる相棒と呼ぶに相応しい腕時計たちも居る。オメガスピードマスターにブライトリング ナビタイマー、IWCのインヂュニアにジャガールクルト のレベルソ、これらはとても大切な思い出と共に私の日常の時を刻んでくれています。最後まで手放すことのない一生物。それとは別のカテゴリーで私にはG-SHOCKとセイコーダイバーが存在しています。(G-SHOCKの用途は言うまでもないですが、これもアガリの結論は出ているのでパワーがあればいずれ書き残したいと思います。)
先に書きましたがダイバーズウォッチという分野でセイコーダイバー以上に信頼できるダイバーズは無いと私は考えています。なのでベストを選んでみたかった。
そして7Cのクオーツモデルも買って、ダイバーズでは無いけれどダイバーズのようなキネティックモデルも買って、8Lモデルも買って、6Rや4Rモデルも他に買ってきて、スプリングドライブは買ってないけれど(すみません、個人的にSDにはあまり興味がない…)総合的な結論として私にとって真のダイバーズは即ちセイコーダイバーズなので、今、SBDC123をアガリのダイバーズウォッチとしました。
とは言え、人生はまだまだ続く(予定)なので何がどう変わるかわかりません。予定通りいかないのもまた人生。用意周到に準備して計画しても、予期せぬことは起こるもの。何事も。でもそんな時でもSBDC123を腕につけていれば、なんとか乗り切れるんじゃないかな。
そんな気にさせてくれる腕時計と出会えて手に入れた事を心から悦びたいと思っています。
欲しかったあのカメラのレンズを先送りにしてでも…
(おわり)
多くの偉業を残し、人々に勇気と感動と希望、そして何より心休まる笑顔を与えてくれた植村直己さんは40年前の今日2月13日にマッキンリーにて行方不明となり帰らぬ人となりました。
(北米大陸最高峰マッキンリー現在名デナリ)
植村さんは冒険家と呼ばれていますが、ご自身は自分が冒険家だと意識されたことはないそうです。冒険=危険を冒す というような意識はないと仰っていました。いつも用意周到で準備万端、行けると確信して臨まれたようです。それは確かに冒険ではなく、あえて言うなら挑戦と呼ぶべきでしょうか。
現在この時にも挑戦し続けてる人たちは数多くおられます。時に、「その挑戦に意味はあるのか?」と問われることもあるでしょう。しかし、何に挑戦をするのかよりも何かに挑戦する気持ちと行動が大切なんだろうと私は思います。そして多くの人には冒険に見えるような一見無意味に見える大いなる挑戦はそれを知る人に多大な感動と勇気を与えてくれるのではないでしょうか。同じことはできないけれど、自分にも何か挑戦できるのではないかと。たとえどんなにその挑戦が一見小さな事であっても、先へと進む大事な第一歩になるかもしれません。元より、そうやって一人一人の挑戦を重ねていくことで人類は進歩してきたのではないかなと思います。
植村ダイバーと名付けられたセイコーセカンドダイバー。私のように植村さんの挑戦に心打たれたものにとって、彼が信頼を寄せて旅に出た道具というだけで、少しだけ、挑戦する心のお裾分けをいただくような気持ちになります。もちろん、人によってはそれは他の時計かもしれません。それぞれの人にとってそのような腕時計があるのではないかと思います。持つ人の生きる時間を刻んで示す腕時計には魂が宿る気がしてなりません。それは妄想かもしれませんが、私には
たかが腕時計、されど腕時計
なのです。
「あとがき」に続きます。↓↓
https://echolo-lem-watch.hatenablog.com/entry/2024/02/14/024945
後編にするつもりでしたが、長くなりそうですから中編とします。
「セカンドダイバー」とは何か。
150mダイバーとしてファーストダイバーが世に発表されたのが1965年。150mダイバーの第2弾がセカンドダイバーということですが、現在多くのセイコーダイバーの特徴である4時位置竜頭を装備し、無骨で頑丈なケースに壊れにくい機械を入れる。この方式は現在に至るまで数多くの場所で信頼を得ている理由だと思います。
「セカンドダイバー」の名を更に「植村ダイバー」と呼ぶのはご存知の通り、冒険家の植村直己さんが1974年から1976年にかけての北極圏12000km犬ぞりの旅に使用した時計だったからです。
冒険家の植村さんを知らない世代の方もいらっしゃると思うのですが、超簡単に説明しますと1960年代から80年代初頭に活躍した冒険家です。
日本人初のエベレスト登頂が有名。これだけでも十分すごいですが、五大陸最高峰登頂、北極圏での犬ゾリの旅など数々の冒険、そして何より人なつっこい純朴な人柄で植村さんを慕う人が多かったのではと思います。エベレスト登頂の際にはおそらく支給品か貸与品のセイコー300mダイバーを使用。北極圏12000kmの旅ではおそらく自前だったろうセカンドダイバーを使用。何故かこちらの方が有名で植村ダイバーと呼ばれています。ひょっとするとその次のノースポールへの旅でのエピソードと混同されているかもしれません。そのエピソードとは簡単に述べますと、当初用意したロレックスが動かなくなり、取材記者から借りたセイコーで助かったという逸話なんですが、これをセカンドダイバーだと思ってる人も少なからずいらっしゃるのでは?と思います。植村さんの北極圏での冒険は大きなのが3つもありますから混同されても仕方ないかもしれません。ノースポール編のロレックスの代打話は「セイコー」というだけでモデル名は不明です。もちろんセカンドダイバーだったかもしれません。植村さんに貸してくださった設楽という記者さんも、もうこの世には居られません。お子さんがご存知かどうか、定かではありません。
ロレックスが動かなくなった理由は植村さんにあります。凍傷を恐れた植村さんが革ベルトに交換して使っていたところ切れてしまって、紐に吊るして使用してたら寒さで油が固まって止まってしまったという顛末。セイコーと交換されたロレックスは記者さんが普通に暖かい環境に持っていくと動き出したとのこと。そう。腕時計は身につけてこその道具なんです。
そしてあまり語られない謎ですが、
何故、ロレックス(エクスプローラ2)を植村さんが使用されたか?
ノースポールへの旅の前に日本ロレックスから冒険者アワードという賞を貰われて、エクスプローラが贈られたそうです。自分の冒険の価値が公に認めてもらえたことが人のいい植村さんのこと、余程嬉しかったのでしょう。律儀にロレックスで冒険に出られたということのようです。その前に北極圏12000kmというとんでもない冒険でセカンドダイバーを使用して成功しているのにわざわざ道具を替えるというのは、今風に考えますとスポンサーの変更に近い感覚でしょうか。今でこそ多くの冒険家をはじめ挑戦する人たちのサポートをしているセイコーなんですが、実は正式に植村さんのスポンサーになったことはありません。ただ国を挙げたイベント、例えばエベレストもそうですが南極越冬隊などでもセイコーダイバーが公式に使われていましたからセイコーダイバーに対して植村さんがご自身で信頼を寄せておられたことは想像に難くありません。個人の冒険をサポートするという志向が当時はまだ少なかったのでしょうね。
ここからは誰も言及していないですが、ノースポールでは借り物のセイコーで無事に冒険を成功させた植村さんですが、その後、冬季エベレスト登頂の断念、フォークランド紛争による南極大陸冒険の断念が重なり、おそらくモヤモヤされてる中で冬季マッキンリーへの登頂を計画、自身の誕生日(2月12日)に登頂したものの翌日の13日に消息不明となり帰らぬ人となりました。
成功した冒険では、腕時計をはじめその時に使われていた道具の名も有名になりますが、うまくいかなかった冒険では当然ですがパッとしません。
ここからは私の想像と、そして事実を交えてお話しますが、ノースポールの旅でせっかく自分を讃えてくれたロレックスに理由はどうあれケチをつける形になった人柄のいい植村さんが南極大陸冒険でロレックスの名を自身の冒険であげたいという想いは想像に難くありません。たかが腕時計にそこまで思うかと言われるでしょうが、私がそう思う理由は植村さんが用意周到な人だったということです。冒険に使う道具は普段から使うべきと考えられていた植村さんです。そして数年に及んだ北極圏12000kmという物凄い旅でセカンドダイバーは十分に機能したわけです。そんな実績あるセカンドダイバーを使わず続くノースポールでロレックスを使用したというのは、それだけに恩に報いたい想いがあったということだろうと考えます。だからおそらく南極でもロレックスを持って行かれたのだろうなと私は考えています。何故なら、これも殆ど語られることがありませんが、最後となった冒険の冬季マッキンリーで、植村さんが使われたのもロレックスだったからです。これは、植村さんの奥様からお聞きしたお話です。植村さんが最後に使われていた腕時計はロレックスだったのです。どこかで、恩を感じておられたロレックスで成功したいというお気持ちがあったのではないかと。自分の命を預ける道具に一際こだわられる植村さんだからこそ私はそう考えます。植村さんが消息を絶たれた直接の原因は未だわかっていません。もしも身につけておられたのがかつて成功を幾度も重ねたセイコーダイバーであったなら、ひょっとして…
いやいや、そんなこと全く関係ないよ!たかが腕時計じゃないか!と皆さんが思われることは容易に想像できますが…
されど腕時計であります。道具には魂が籠ると言います。人と同じく心から邪心なく信頼できる道具と一緒に動くというのは、もしも「運」というものが存在するならば、なんらかの幸運を導く見えないけれど確実に存在する何かがあるのではないかなと私は考えます。
もう一度言います。
たかが腕時計、されど腕時計なのです。
(今度こそ「後編」に続く)↓↓
https://echolo-lem-watch.hatenablog.com/entry/2024/02/13/203833
SBDC123です。
いわゆる植村ダイバー復刻版の青。
2020年に出された限定版です。
レギュラーの黒はSBDC109ですね。
植村ダイバー復刻版が世に出てから少し時間が経ちましたが、ようやく買いました。
結論を言いますと、
腕時計はもうコレだけでいい…かも。
そう思えるほどドンピシャにハマりました。
私がセイコーダイバーを好きなことは過去の記事からもわかってもらえると思いますが、それは以下の理由からであります。
5つ目の理由は私にしか必要ない理由であるとは承知しています。笑
8L搭載のマリンマスター300mのディープフォレストというモデルを買ってセイコーダイバーは完結したかなと思っていたので、セカンド復刻版が出てもあまり気にはならなかったのですが、じっくり見てみますと6R35モデルの完成度の高さと植村ダイバーという歴史的モデルに衝動を抑えきれず、ついに買ったという次第です。
後編に続きます↓
https://echolo-lem-watch.hatenablog.com/entry/2024/02/11/202409