10日後の花道の日記 (original) (raw)

初めまして。10日後の花道です。

突然、肺がんステージ4を宣告されました。

きっかけはふとした、人間ドック

これまで体調になんの違和感もなく、しいていうなら声枯れだけ症状がありました

人間ドックの結果は

「肺に影があります。大きな病院にいってください」

驚きました・・・・。でも

「まぁ大丈夫だろう」そう思って大きな病院に行くと先生から

「すぐPET検査をしましょう。」

次回、衝撃の宣告

天の声です

昨日10月9日は夫の四十九日でした

法要は5日土曜にさせて頂きました

仏教では 亡くなってから49日の間は

故人は現世と来世の間をさまよっているといわれています

この間、初七日から7日ごとに閻魔さまの裁きを受け、49日目の最終審判

によって来世の行き先が決まると考えられています

しかし仏教の中でも浄土真宗は考え方が大きく異なり

「往生即成仏」という

“人は亡くなったらすぐに極楽浄土に行くことができる”

という考えかたとなっていますので

四十九日法要は故人に生前の感謝を伝え、仏教の大切さを改めて認識する機会とされているそうです

うちは浄土真宗本願寺派です

なので極楽浄土に行けているのかな?

とにかく夫が苦しまず幸せでいてくれるよう祈ります

四十九日の前日8日に 高校時代の友人が四人うちに来てくれました

火曜日ですが みんなの仕事の都合で集まれるのは平日になります

その中の三人は家に泊ってくれました

お店で集まるよりずっとリラックスできますし、

帰りの心配もいらない為

寝ることも忘れて

朝の四時ごろまで話し込んでいました

ものすごく楽しかったです

また ミニ同窓会しようね

(^。^)y-.。o○

夫が亡くなってから 友人と会う機会が増えました

みんな心配してくれて 本当にありがたいです

私は高校時代の親しい友達の中で

結婚するのも 出産するのも 一番早かったのですが

夫が亡くなってしまうのも一番早いなんて

61歳はちょっと早すぎませんか?

考えてみれば お義母も、お義父さんが亡くなった時は50代でした

家系的に男の人は早く亡くなってしまうようなので

この因縁は息子たちに継がれないようにしないといけません

因縁が切れるよう善行を積んでいこうと

真剣に思っています

涼しくなりましたね

急に 夫を思い出し 寂しくて 泣いてしまうことも まだありますが

気持ちを切り替えて 楽しいことをたくさんしていこうと考えています

みんな 宜しくね♡

天の声です

急に涼しく(寒く?)なりました

葬儀の直後はあまり泣くこともなく 過ごせていたのですが

最近落ち着いて時間にゆとりが出てきたせいか

夏が終わったせいか

急にさみしさがこみあげてくる時があります

夫と話がしたいなと思います

聞きたい事がたくさんあったのに

元気な時は毎日たくさん話をしてくれました

ちゃんと聞かないと

「全然聞いとらんやろ-」

と言って すねてしまうような人でした

夫は昨年の夏の 背骨の手術あたりから

常に痛みと闘っていたので

調子の良い時はあまり無く

家での会話が減っていました

子どもや孫 友達などと一緒にいる時は

前と変わらない様子でしたが

私と二人だと いつも痛そうにしていて

私も体調が万全ではなかったので

会話が激減していました

今思えば 痛そうでも 遠慮せずもっと話しておけばよかった

夫の荷物を整理していると 時々「これは何?」というものが出てきて

つらくなる時があります

私の知らないところで買い物をしていたり 領収書が出てきたり

夫には生前

私が見て悲しくなるようなものは 処分しておいてね

と 冗談まじりに言っていたのですが

(色々前科がある夫なので 私は本気でしたが)

「わかった」と言いながら 全く整理せず亡くなってしまいました

痛くて動けず

まだ時間はあると 思っていたのでしょう

最後の入院の際に 少し整理をしていたところ

やはり「これは何?」と言いうものが出てきていたので

電話で確認して 謎が解けたものもあります

まだ 不明なものがあって

聞きたいのですが

返事してくれない

ずっと謎のまま なのかと思うと 悲しくなります

皆さん 常日頃から身辺整理はしておいてくださいね

残された人は大変なので

バスケットの試合を見ているときと仕事しているとき の他は

ずっと話しているような人だったので

家の中が静かすぎます

何気ない会話が なんて幸せな時間だったのか

夫と話しがしたいです

一人で暮らしていくということは

これに慣れないといけないのですね

最近は土曜日曜祝日は友達と会う約束をしています

みんな つきあってくれて ありがとう

\\(⋈◍>◡<◍)。✧♡

天の声です

昨日は粗大ごみを処理施設へ搬入して捨ててきました

一人暮らしになるので、なるべく物を減らそうしています

沢山捨てたのですが 料金はたったの800円

このシステムはありがたいですね

以前マンションへ引っ越しする際に

夫が一人でタンスなどを積んで

捨てに行ってたことを思い出します

一人で積んで 一人で捨てていました

あの頃は すっごく元気だったのに

とか思い出してしまいます

長男の近くに引っ越しする予定でしたが、

私の仕事のエリアは かほく市がほとんどなので

毎日通うことを考えると 今の家からあまり離れていない場所が良いかな

と考えなおしています

本格的に転居先探しを始めます

寒い冬にこの家で一人で過ごすのは淋しすぎるので

今年中には引っ越し終わらせたいな

と思っています

どこで住もうかなー

天の声です

能登地方の雨の被害

心が痛みます

これ以上被害が大きくならないよう祈ります

今日は2024年9月22日 夫が亡くなってから一か月経ちました

本当にあっという間です

まだまだしなければならない事

考えなければならない事

沢山あります

先週

年金事務所へ行ってきました

遺族年金の申請の為です

遺族年金の請求に自分が行くときが来るなんて

チョットつらいですが

夫が一生懸命働いて残してくれた財産です

沢山の額が頂けるわけではありませんが

本当にありがたい

とりあえず あと残っている相続手続きが終わったら

私がどうやって生活していくかを考えなければなりません

自営業者だった為 医療保険は生きていくために必要だろうとかけていました

が 亡くなったときに頂ける死亡保険は県民共済のわずかな補償しかなく

今後生きていくための額にはまったく足りません

仕事をしようにも 持病があるため 新しく仕事を始めるのは難しいです

夫は自分が働けなくなったため 今後はこうして生活していこうと

と考えていたことがあります

(そのことに関しては後日書きますね。)

しかし 具体的な形にはなっていません

まだまだ時間は残っっていると思ってたのだと思います

ありがたいことに 子供とお嫁さんたちは「一緒に住もう」と言ってくれています

本当に嬉しかったです

現在次男は神奈川 長男は東京に住んでいます

私は友達がたくさん地元にいるので 県外で暮らすことは考えられません

長男夫婦は金沢市内に住んでいますので

一緒に住むなら長男夫婦と 同居することになるかと思います

二人ともとっても優しくて

いっしょに暮らせば 楽しいと思います

でも

我がままなのかもしれないけれど

病気をもっているので

いつまで一人暮らしができるかは

わからないけれど

出来る限り 一人で生活してみたいのです

今のところ日常生活に支障がでるような障害は無いので

このまま病気が進行しなければ 一人で暮らせます

進行してしまった場合は 施設に入ったほうが

気持ちは楽かな

親の介護を経験しているので そう思います

夫は 子供たちがいるので 私の事は心配しなくても

どうにかなるだろう と思っていたのかも しれないですね

私は家族に恵まれています

子どもの事で悩んだ記憶が全く無いです

男の子三人を育てるの大変だったんじゃない?

と よく言われますが

子育てが大変だと思ったのは

生まれてから歩くまでの赤ちゃんの時だけ

子どもたちがそれぞれ中学生になった時 子育ては終わった!!

と思いました

赤ちゃんだった時以外で大変だったことは

上の二人が高校生だった時

仕事をしながらの

毎日の大量の買い物と、食事作りと、洗濯

(毎週10キロのお米が必要でした)

まだ私は30代だったので平気でしたが

今だと無理

若い時に子育てするのは体力的に楽ですね

他の苦労は何もなく 勝手に育ってくれました

話を戻しますが 今住んでいる家は一人暮らしには大きすぎるので

引っ越しすることになるだろうと思います

できれば長男夫婦とあまり離れていない場所がいいと思っています

その場所を探さないといけません

他に考えなければならないのはお墓のこと

うちのお墓は 美川にあります

少し遠いし もう遺骨を入れるスペースがなかったような...

「墓じまい」をしようか とも思ったり

夫が病気になる前から そのことは話していたので

四十九日の法要の時にお姉さんたちも交えて話し合おうかと思っています

天の声です

今日も暑くなりそうですね

予報では最高気温31℃のようです

9月18日なのに 暑すぎです

41年前の9月18日は私たちの結婚式の日でした

朝晩は寒いくらいだったような記憶があります

もちろんすでに長袖の服でした

結婚式の日はとてもお天気が良く、

爽やかな日だったと思います

最近、若い頃の写真を見返すことが多く

懐かしくて

ついでに 高校生の時に聞いていた音楽を

聞いてみました

音楽ってその頃の情景がよみがえりますね

あの頃はレコードしかなくて

買ってきたばかりのレコードに最初に針を落とすワクワクした瞬間とか

あったなー

今の若者たちはわからないでしょうね-

プリンセスプリンセスのダイヤモンドの歌詞の中に

《針がおりる瞬間の 胸の鼓動焼きつけろ》

という部分がありますが

これと同じですね♡

夫の通夜や葬儀に高校時代の友人がたくさん来て下さいました

わたしの高校時代からの友達も来てくれていて

二つの高校のミニ同窓会の様な感じ

なので あの頃は楽しかったなー キラキラしてたなー

と懐かしむことが多いのかもしれません

私は一人暮らしは初めてです

全部自分だけに使える時間を持ったのは初めて

とっても寂しい時もありますが

どんな毎日になっていくのか 少し楽しみでもあります

今度 高校時代の友人たちが みんなで家まで来てくれることになりました

楽しみです (⋈◍>◡<◍)。✧♡

天の声です

今日は何も用事が入っていません

忙しいほうが時間が早くすぎていいですね

一昨日 キャンピングトレーラーを 買取してくれる業者の方が来て

トレーラーを運んで行きました

狭い駐車場から出すのは至難の業なので、長男も来てくれていました

1月2日に家の駐車場に停めたあと、一度も動かしていません

トレーラーで最初の旅行をしたのが昨年2023年の4月

乗っていたのは10ヶ月ほどですが、

少し時間があると近場のキャンプ場へ行ったりもしていて

本当にたくさんの思い出を作ってくれました

最後 けん引されて家から出て行ったとき 涙が止まらなくなりました

昨年末のトレーラー離脱事故の後遺症で 修理しなければならないところもあり

その時にできた車体の亀裂を見るたびに「守ってくれてありがとう」と心の中で言っていました

実は長年支え続けてくれていた私の軽自動車「ハイゼット」も 8月上旬にエンジンがかからなくなり 車載車で家から運ばれて行きました

ハイゼットで今まで何度も冬を越えました

雪が積もっても四駆に切り替えられるので

大雪の時も一度も困ったことがありません

そして 名古屋への往復も何度もしてくれて 私と夫を支えてくれていました

長男の知り合いの方が「タント」を譲ってくださることになってましたので

タントが来るまでは、修理してハイゼットに乗るつもりでした

運ばれていった時も「またよろしくね」ぐらいの気持ちで

別れを惜しむこともなかったのです

それを知っている長男が

トレーラーとの別れに大泣きしている私を見て

ハイゼット」が悲しむよ

自分のほうが、たくさん支えたよ

って言っとるわ(笑)

との言葉に「本当にそうや」と思い

涙が止まりました

本当にハイゼットは働き者で

買い物した私を家まで運んでくれて そこで故障

買い物した場所で動かなくなったら

それも大変

名古屋に行っているときに故障しても大変です

最後まで黙って文句も言わず 働いてくれていました

タントが思いがけず早くもらえることになり

ハイゼットはそのまま廃車に

最後の別れを惜しむこともなく 家からいなくなってしまいました

ありがとう「ハイゼット

ありがとう「トレーラー」

金沢市内に住んでいる長男は

何かあると すぐに来てくれます

これができるのは

大学卒業後からずっと務めていた会社を退社し

転職したからです

前職の関係で 地震発生直後から能登に入って復興の為働いていた長男は

夫の姿を見て、そして地震でめちゃめちゃになっている能登を見て、人生観が変わったそうです

夫が21歳の時の子どもなので 長男は40歳

人生何が起こるかわからない 自分のやりたいことをしていこう

と思ったとの事

それでずっとやりたかった仕事に転職しました

さすがに 会社を辞める時は相談にきてくれましたが

夫も私も反対はしませんでした

子どもたちを 信頼していますので 子供たちの決断は応援するのみです

長男も次男も三男も 立派に育ってくれています

夫は「どこに出しても恥ずかしくない子供たちや」って常々言ってました

私たちがしたことは ただ一生懸命に働いたことだけ

子どもたちは勝手に育ってくれました

あっという間に時間は過ぎていく

後悔のない人生を歩んでほしい

と夫は思っているはずです

私も 3人の子ども、お嫁さんたち、かわいい孫たちがいて

とっても ラッキー だと思います

夫の相続の手続きが終わったら これから私がどう生きていくか を考えます

子どもたちには迷惑はかけたくないなー

と思います

これからどうなるのか

たくさん相談すると思うので宜しくお願いします(^。^)y-.。o○

天の声です

今年に入ってから、あまりにも慌ただしく時間が過ぎています。

昨年末からの夫の病状の経緯を

改めて書いてみます

夫のガンにものすごく効果のあった「ジオトリフ」が中止になったのが

昨年の10月

それからの抗がん剤はどれもあまり効果が出ず、

ガンはずっと増大し続けていたのかと思われます

今年のお正月は富士山の日の出を見てきました

その後、能登地震

1月2日に自宅に戻りました

この旅行が夫の運転する車での最後の旅行

その後 四月上旬に 長男夫婦と一緒に二度目の北海道旅行にいきました。

この時は杖を使って歩いていました。

痛そうではありましたが、

一キロ以上の道を歩いたり、

ビールの飲み比べをしたり、

美味しそうにご飯をたくさん食べたりしていたなぁ

その後食欲が落ちてきましたが

5月25日は 長男夫婦たちと「しゃぶ葉」で食事

(その際はビールは飲まず)

次の日はかつ丼が食べたいとの希望で

夫が行きたかった高岡市のお店でかつ丼を食べてきました

次の日から体調優れず、寝ている時間が増えました

仕事を辞めてからも ジムには時々行き 自分のできるトレーニングをしていまして

最後にジムに行ったのは5月29日

帰った後疲れ果て、何もできず寝ていたのを思い出します

6月ごろから痛みが増大し

入退院の繰り返し

7月8日愛知県の病院へ

その日の夜 名古屋で宿泊

夫と長男と私の三人で夜ご飯を食べに行きました

夫はほとんど食べることができませんでしたが、

カキフライが美味しかったと言ってたことを思い出します

その際は足のむくみもひどく 痛そうではありましたが 自分で歩いていました

これが最後の旅行と外食

ガンかもしれないと告げられた日から 3年10ヶ月

最後の3ヶ月は本当に大変でした

でも他の日々は、私にとっては充実した楽しい日々

何気なく過ぎる時間が、とてもありがたく

一日終わるごとに感謝できる日々でした

書いていると 涙が出てきた

今日はこの辺でやめますね

また次回