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私の生い立ち (岩波文庫)

晶子の知られざる自伝.生家,家族,遊び友だち,学校,街の風景など,堺で少女時代を過ごした晶子の生活と心情のディテールを,一少女の立場から素直に綴る.大人になった晶子が記憶に残る少女の姿を記録に留めた「私の見た少女」を併収.大歌人を育んだ時代の風景を,竹久夢二の挿画とともに,しみじみと味わう――.

与謝野晶子の幼少期を描いた「私の生い立ち」「私の見た少女」は,明治期における女流文人の自己形成を辿る貴重な記録であると同時に,その後の文学的飛躍を予感させる,叙情的な自伝的文章.雑誌『新少女』に寄せたこの二章は,いわば〈少女〉という主題のもとに記憶を編み直した文学の胎動が,既に脈打っている.記憶の濾過を通して「少女」の時間が純化されていながら,その文体が時折ぎらりと光る知性と批評性を含んでいる.

歌人晶子が自らを育んだ堺という土地の風土,菓子商という家業の匂い,家族や友人との微細なやりとりなど,記憶の地層が繊細な筆致で掘り起こされている.平安朝以来の修辞と情念が,幼年期という時空を借りて再演されている.そこには旧来の女流詩歌の感性にとどまらぬ奔放,奇峭が混在する.上田敏が晶子を評して「王朝女流歌人以来の系譜を受け継ぎながら,それを突き抜けた存在」と述べたのは,修辞的評価ではなかった.

伝統と革新の対位法において,晶子の幼年期はすでに「個」としての声を持っていた.挿画に竹久夢二が起用されたことも注目すべき点である.夢二の線は甘美で儚いが,背景には明治から大正にかけての都市化や少女趣味文化の胎動がある.晶子の「私の見た少女」と夢二のイラストレーションは,ある種の時代的共振を持って一体化する.抒情性の裏に潜むモダニズム的感性――夢二と晶子という二人の表現者が共有する〈詩的なるもの〉への眼差しである.

『明星』誌に登場し,革新的短歌を連発した晶子が,明治34年に刊行した『みだれ髪』によって引き起こした衝撃は,近代短歌史における一つの革命であった.恋の情念を率直かつ官能的に詠み上げた同歌集は,当時の批評家たちを困惑させ,一部では不道徳との猛批判も浴びたが,文語短歌の因襲に対する挑戦の裏返しであった.与謝野晶子という存在がその後に展開していく活動――文学,翻訳,教育,言論――の核とも呼ぶべき感性の原点が,繊細な輪郭で描き出された記録である.

私の生い立ち (岩波文庫)

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原題: 私の生い立ち

著者: 与謝野晶子

ISBN: 9784003103838

© 2018 岩波書店

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人口345万人,人より牛が多い南米の小国ウルグアイ.そこで毎日のようにトラクターに乗って農業に勤しむ男.小太りでどこか風変りな彼こそが,ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ.国民のより良い生活の為に自己犠牲をいとわない彼は,収入の9割を貧しい人々の為に寄付し,子供たちの教育向上を目的に学校を新設するなど,予想外の政策を数々打ち出す….

ラテンアメリカの小国ウルグアイの元大統領でありながら,世界中で最も"貧しい大統領"として称賛を集めたホセ・ムヒカ(José Mujica).本作が映し出すのは,称号よりもはるかに複雑で矛盾に満ちた存在である.ムヒカは青年時代に都市ゲリラ"トゥパマロス"に身を投じ,6度の銃弾を受け,13年もの獄中生活を送る.そのうち約2年は,完全な独房で光も音も遮断された環境だった.精神の均衡を保つために,独房の壁に昆虫と会話し,詩を記憶の中で朗誦し続けたという.逸話はしばしば美談のように語られるが,映画の中ではむしろ,人間の存在が極限状態でどう変容しうるかの証言として提示されている.

ムヒカの哲学は,極限的経験の堆積から発生した生の叡智なのである.本作では,エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)が自らインタビュアーとして登場し,ムヒカと終始穏やかな対話を重ねていく.構図は,いわば"二人の敗者による世界史の再読"である.ユーゴスラビアの崩壊を体験した監督と,革命の失敗を経て権力に就いたムヒカは,革命の裏切られた夢を知る者同士である.裏切りを反省的に再構成し,英雄譚や清貧の神話を巧妙に解体していく.ムヒカは国家のリーダーでありながら,公邸には住まず,農場で畑を耕し,愛犬マヌエラとともに暮らし続けた.

貧しいライフスタイルがメディアに称賛される一方で,ムヒカ自身はそのイメージ化を強く警戒していた.「私は清貧であることを誇っているのではない.執着に縛られないよう努めているだけだ」.簡素な生き方は,倫理あるいは戦略でもなく,むしろ存在論的な選択であった.本作は非英雄的態度の背後にある哲学的構造を,日常の細部――濡れた鍬,古びた椅子,素手で豆を剥く所作――からすくい取る.国連会議での演説――「人類は発展のために生きるのか,それとも幸福のために生きるのか」――も映画の中核をなす.現代の政治が喪失した「目的論の回復」を目指すものであると同時に,グローバル資本主義への根源的な批判でもある.

ムヒカの語り口には誇張も激情もない.だがその静かな語りの中に,政治は生の管理ではなく,生の解放であるべきだという強固な倫理が宿っている.妻ルシア・トポランスキー(Lucía Topolansky)の存在も映画の中で控えめながら重要な位置を占めている.かつては共に武装闘争を行い,後には政治の場で肩を並べた妻との関係性は,思想的パートナーシップとして描かれている.カメラは彼女の表情をあまり追わないが,交わされる短い視線,沈黙の共有が,ムヒカという人物を補完する.この映画の核心は,ムヒカの人生を通じて「理想とは敗北に耐える力である」命題を導き出している点にある.革命も,政治も,人生も,勝者の物語としては描かれない.だが敗者の誠実が,思想となって結晶する.

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原題: EL PEPE, UNA VIDA SUPREMA

監督: エミール・クストリッツァ

74分/アルゼンチン=ウルグアイ=セルビア/2018年

© 2018 CAPITAL INTELECTUAL S.A, RASTA INTERNATIONAL, MOE

実存主義とは何か

実存主義への非難に応えたサルトルの講演と討論からなる入門書.本書は実存主義の本質を伝え,その思想がヒューマニズムに直結することを明快に描いている.今回改版にあたり,その発想を具体的に示す初期作品を5点増補した.サルトル哲学理解への新たなアプローチのための必読書――.

戦後フランスにおける思想的混乱の渦中に登場し,実存主義をめぐる誤解を解きほぐし,同時に新たな論争の火種ともなった短くも濃密な一書.1945年10月,パリのクラブ・マントナンで行われた一般向け講演の内容に基づいている.ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre)はこのテクストで,有名な命題「実存は本質に先立つ(L’existence précède l’essence)」を掲げる.すなわち,人間にはあらかじめ定められた「性質」などというものは存在せず,むしろ各人がその行為を通じて自らを構築するのだという,根本的な自由と責任の思想である.

サルトルにとって,この立場は神の不在を前提とするものであり,それゆえに人間は「自ら選ばざるを得ない存在」「自由という刑に処されている」存在として,根源的な孤独と向き合うことを運命づけられる.講演の中で紹介される例――ドイツ占領下のフランスにおいて,祖国のために戦うか,あるいは老いた母の世話をするかで板挟みになる青年――は,選択の困難さと責任の重さを描き出す.神も,倫理も,感情も,青年に正しい道を示してはくれない.彼は自ら判断し,決断する他ない.この決断が,人間性とはかくあるべきという像をも同時に生み出すというのがサルトルの主張である.ここには,思想としての実存主義が持つ過酷さと魅力が凝縮されている.

一般に,自由とは望ましいものとされるが,実存主義において自由とは苦しみの源泉である.選択の重圧であり,失敗の言い訳が許されない状況でもある.サルトルのいう楽観的厳格さ(la rigueur optimiste)とは,逃げ場のなさを受け入れた上で,それでもなお世界に関与することの意志である.批判的に見るならば,本書の実践的応用には疑問が残る.完全な自由や全責任などという前提自体が現実には成立しがたく,現代的視点からは構造的な不平等や無意識的動機が考慮されるべきだという異論もある.サルトル自身が後年マルクス主義へと傾斜していく中で,この自由至上主義的立場を修正していくことからも,本書の立場が晩年の思想とは異なる暫定的なものであることがわかる.

とはいえ,本書が現代に至るまで読み継がれているのは,その鮮烈な宣言性と,思索を促す力ゆえである.サルトルはこうも述べる――「人間は,自分以外の何者かに責任を転嫁することで,自らを欺く存在だ」.講演が行われた当時,聴衆の中には後に構造主義者として頭角を現すレヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)も含まれていたという.ストロースはのちにサルトルの人間中心主義を「哲学的ロマン主義」として批判することになるが,まさにこの講演が,戦後フランス思想のダイナミズムの起点の一つとなったのである.

実存主義とは何か

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Title: L'EXISTENTIALISME EST UN HUMANISME

Author: Jean Paul Sartre

ISBN: 4409030426

© 1996 人文書院

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どこまでも雪と氷が広がる南極大陸.考古生物学者ケイトは,氷の中で発見された,太古の昔に死んだと思われる生命体の調査のため,ノルウェー観測隊の基地へと降り立った.しかし,"それ"は,まだ生きていた.調査の中,ケイトたちが解き放った物体は,狙いをつけた生物の体内に侵入,細胞を同化して,その生物になりすまし,自らの生存のため人間同士を争わせようとする宇宙からの生命体だったのだ….

そつのないプリクエル(前日譚)の典型である.物語を拡張するよりも,既存の作品に残された「謎」「断片」に意味を与える作業に徹する.本作もその意図を明確にしており,「エイリアン」「猿の惑星」シリーズのように,原典の余白を埋めることに全力を尽くしている.前作(1982年版)は,ジョン・カーペンター(John Howard Carpenter)の手によって緻密に構築され,弱冠22歳の俊才ロブ・ボッティン(Rob Bottin)が手掛けたSFXは革新的だった.ボッティンは,異常なまでに身体を酷使し,過労で入院したという逸話が残る.彼の執念は,まさに生理的嫌悪感とサディスティックな恐怖を画面に具現化することに成功した.カーペンターは当初,「遊星よりの物体X」(1951)のリメイクを依頼されていたが,古典的な怪物映画へのアンチテーゼとして,パラノイアと猜疑心を核に据えた.

本作は,ノルウェー基地壊滅の顛末を描く.氷漬けの物体X,焼死体,破壊されたUFO,狙撃されるハスキー犬――1982年版の数々の伏線を回収し,ファンにある種の満足を与える.しかし,本作はあくまで説明に終始し,恐怖映画に不可欠な余白や想像力の飛躍を切り捨てた.カーペンターは「あなたの想像力が,あなたの限界になる」という言葉を残している.まさに,30年後に製作されたこのプリクエルへの痛烈な批評となった.1982年版の血液検査シークエンスは,観客に「誰が物体Xか」を執拗に問い続け,見る者の精神を追い詰めた.それに比べ,本作は「歯の金属有無」で感染者を判別するという設定を持ち込むが,そのアイデアは凡庸であり,心理的サスペンスの緊迫感は希薄である.

火炎放射器や爆破といったプロップの演出も前作を踏襲し,ヴィジュアルの再現には成功しているものの,逆にその安全な再現が,映画としての冒険心の欠如を露呈してしまう.物体Xとの“ファーストコンタクト”を描くならば,もっと異質で,もっと想像を超えるクリーチャーデザインや接触場面が求められたはずだ.ところが,本作は1982年版の美学に終始従属し,後塵を拝するに過ぎない.本作はもともと,より大胆なクリーチャー表現を実現するため,粘土造形やアニマトロニクスを駆使した実物特撮で撮影されていた.しかし,ポストプロダクション段階でスタジオ側が現代の観客には通用しないと判断し,実写映像のほとんどをCGで上書きしたという.これがしばしば悪しきデジタル修正の象徴として批判される背景である.

そつのなさを完全に否定することはできない.矛盾なく,無難に,1982年版へと滑らかに接続する技術は一定の評価に値する.しかし,それ以上でも以下でもないという事実は,オマージュと模倣の境界線に,本作が慎重にして保守的にとどまったことを物語っている.つまり,よくできた回答集であって,新たな問いを生む映画ではない.謎を解き明かす快楽に終始した結果,「物体X」の本質──それがもたらす深い孤立,自己不信,終わりのない疑念──を掘り下げることを放棄してしまった.前作が与えた恐怖は,"それ"の姿形にあるのではなく,信じたいものが信じられなくなることにあった.そこにこそ,プリクエルが真に挑戦すべき領域があったはずである.

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原題: THE THING

監督: マティス・ヴァン・ヘイニンゲン・Jr

103分/アメリカ=カナダ/2011年

© 2011 UNIVERSAL STUDIOS

ブッシュの戦争

9.11からアフガニスタンへの武力行使,そしてイラク攻撃へ.国際社会の反対をよそに,強硬路線を突き進むブッシュ政権.アメリカの軍事作戦と,その裏面で繰り広げられるホワイトハウスでの熾烈な暗闘を赤裸々に描いた話題作.著者ウッドワードは,アメリカを代表するジャーナリスト.彼は執筆のために,大統領本人を含む100人以上にインタビューを行なった.さらに,戦争計画会議の速記録(50回分以上)も入手し,パウエル国務長官,ラムズフェルド国防長官ら,重要閣僚の生の発言を収録.いながらにしてオーバル・オフィス(大統領執務室)にいるかのような感覚を読む者に与えてくれる――.

第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ(George Walker Bush)の「戦時大統領」への変貌を,9.11同時多発テロからの最初の100日間に焦点を当てて克明に描いた記録である.のちの_"Plan of Attack"_(攻撃計画)と対をなし,ブッシュ政権のイラク侵攻に至るプロセスを考察する文献の意義をもつ.本書の核心は,国家的危機に直面した瞬間,ブッシュが「アメリカは攻撃を受けている」と認識し,戦争を開始せねばならないと直感的に結論した,その即断の描写にある.ブッシュがこの報告を受けたのは,フロリダ州のエマ・E・ブッカー小学校で2年生に本を読み聞かせている最中だった.当時の映像で,ブッシュは数秒間,明らかに思考停止したように見えるが,本人は後に「国民にパニックを与えたくなかった」と釈明している.しかし著者の筆は,その静止した時間こそが「戦争開始」を大統領が内心で決意した瞬間であったと冷徹に示す.

9.11当日,大統領夫妻が深夜にホワイトハウスの防空壕へ避難した事実は,当時は非公開であった.午後11時08分,シークレットサービスの警告により,飛行機型のミサイルが迫っているという情報のもと,緊急退避を余儀なくされたブッシュがその夜,自らの手で日記に記した「21世紀のパール・ハーバーが今日発生した」という一文は,父ジョージ・H・W・ブッシュ(George Herbert Walker Bush)が大統領時代に用いていた日記スタイルを踏襲したものだった.父子間の歴史のリフレインは,家系の政治的アイデンティティが色濃く反映されている.W・ブッシュは初の声明で「テロリズムの打倒」という表現を用いた.これは1990年,父ブッシュがイラクによるクウェート侵攻に際して発した「このようなことは打倒されるだろう」という言葉をなぞるもので,ホワイトハウス内部でブッシュ家が長く共有していた外交辞書の一節だった.こうした言語の連続性は,対テロ戦争を父の遺志の延長線上に位置付けようとしたW・ブッシュの無意識的演出とも読める.

本書が興味深いのは,ホワイトハウス内部の意思決定過程を詳細に暴露した点である.副大統領ディック・チェイニー(Richard Bruce "Dick" Cheney),国防長官ドナルド・ラムズフェルド(Donald Henry Rumsfeld)らタカ派と,国務長官コリン・パウエル(Colin Luther Powell)の対立は,アメリカがいかなる戦争を選択するのか,国家の原理を揺るがすコンフリクトでもあった.著者は,チェイニーが情報を巧妙に取捨選択し,ブッシュに最も都合の良い結論だけを伝えていたことを示唆しているが,これはのちにイラク戦争開戦の誤謬につながっていく重要な伏線である.周知の通り,ブッシュは2001年10月にアフガニスタン空爆を開始し,さらに2002年12月にはイラク攻撃を事実上決定する.9.11からわずか2か月後,サッダーム・フセイン(Saddam Hussein)殺害計画をブッシュは指示したことも,著者の取材で明らかになったことだ.国防長官に指示した計画は,CIA長官に計画を漏らさないよう命じ,国家安全保障担当の大統領補佐官コンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)には詳細を伏せた.

自分は直感で動く人間だ,と公言して憚らないブッシュは,本書でのインタビューで十数回も同じ趣旨の発言を繰り返している.著者はそれに驚きを隠さない.国家機構の最高権力者の信念を傾けるものは,ファクトよりも主観的な印象に重きが置かれている.その事実が,大統領の口から当然至極と語られ続けた.ブッシュは,テロのわずか1ヵ月後にアフガニスタンへの空爆を開始した.イラク戦争開始の3か月前に大量破壊兵器を発見できる見込みを側近に尋ねると「大丈夫,スラムダンク(100%確実)です」という発言を信じて開戦を決意する.本書で述べられているように,21世紀は2つの現実とともに幕を開けた.大規模テロ攻撃の可能性と,大量破壊兵器の拡散の脅威である.戦時の閣僚の意思決定の過程と,最終的な決定権をもつ大統領の職責,それらを膨大な文書と聴き取りから時系列で明かしていく本書は,類まれなるジャーナリストの人脈がなければなしえなかった.克明な記録が明かすものの一つには,前例にとらわれない指揮官をいただく組織の孕む危うさがある.2つの現実に対処すべき姿勢として,その適確性をいかに問うべきか.熾烈な政治の取材を通じて提起する.

ブッシュの戦争

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Title: BUSH AT WAR

Author: Bob Woodward

ISBN: 4532164370

© 2003 日本経済新聞社