えめばら園 (original) (raw)
- Østergaard, S. D., & Nielbo, K. L. (2023). False responses from artificial intelligence models are not hallucinations. Schizophrenia Bulletin, 49(5): 1105–1107. https://doi.org/10.1093/schbul/sbad068
- Østergaard S. D. (2023). Will generative artificial intelligence chatbots generate delusions in individuals prone to psychosis? Schizophrenia Bulletin, 49(6): 1418–1419. https://doi.org/10.1093/schbul/sbad128
- Østergaard S. D. (2024). Can generative artificial intelligence facilitate illustration of- and communication regarding hallucinations and delusions? Acta Psychiatrica Scandinavica, 149(6): 441–444. https://doi.org/10.1111/acps.13680
【まとめ】
・AIの「ハルシネーション」(幻覚)という表現は統合失調症患者への偏見を強化するのでやめたほうがよい(Østergaard & Nielbo, 2023)。
・精神病傾向がある人が生成AIを利用することで幻覚や妄想が生じる懸念がある(Østergaard, 2023)。
・幻覚や妄想の内容を生成AIによって表現することは有効なコミュニケーションツールとなりうる(Østergaard, 2024)
Østergaard & Nielbo (2023)
- 人工知能(AI)分野では、訓練データから正当化できない応答を「ハルシネーション」(幻覚)と呼ぶことが通例になっている。だが、この用法には2つの点で問題がある。
- 【問題1: 不正確である】
- 幻覚(ハルシネーション)とは、外的刺激がないのに生じる感覚知覚を記述するさいに用いられる医学用語である。
- AIモデルは感覚知覚を持たないし、外的刺激なしにエラーを吐くわけでもない。
- 【問題2: 偏見を招く】
- 幻覚はさまざまな疾患に伴う症状であり、とくに統合失調症に特徴的である。
- 統合失調症患者は社会からの様々な偏見に苦しんでいるが、その原因の一つは、「統合失調症(精神分裂病)」という言葉が不適切なメタファーとして(否定的な意味で)用いられていることだ。
- 近年の精神医学では偏見の軽減が最重要事項になっているにもかかわらず、AI分野では「幻覚」がメタファーとして明らかに否定的な意味で用いられているのは残念なことだ。
- この問題を踏まえ、「幻覚」の代替案をCPT-3.5に聞いたところ、「誤結論」(non sequitur)や「無関係回答」(unrelated responses)が挙がった。
- 「誤結論」(non sequitur)は的を射た表現である。ラテン語で「それは続かない」(it does not follow)を意味するこの言葉は、前提から出てこない結論を記述する用語として哲学や修辞学ではよく使われており、いま問題にしている現象を精確に捉えている。
- 論理的錯誤を記述するために哲学や修辞学で用いられてきたその他の用語の多くも、AIモデルの誤った回答をラベル付けするのに使える。
- 例:「性急な一般化」(hasty generalization)、「誤った類推」(false analogy)。「権威への訴え」(appeal to authority)、「誤った二分法」(false dilemma)
- エラー用語を標準化してラベル付けの精度を高めれば、エラー生成メカニズムの理解の深化や、不正確性の低減、パフォーマンスと信頼性の向上につながるだろう。
- このように、すでに利用可能なラベルがあるのだから、不正確で偏見を招くメタファーをわざわざ使う必要はない。
Østergaard (2023)
- 〔生成AIには精神医学と関連する懸念が他にも様々ある。〕
- 一般に、生成AIが対処不可能なスケールで誤情報を拡散させることが懸念されている。
- 精神疾患をもつ人は、こうした誤情報に特に影響されやすいと考えられる。
- より精神医学に特有の問題として、生成AIが精神病傾向をもつ人に妄想を生じさせる懸念がある。
- インターネット上で人とチャットしているさいに幻覚を(新たに)生じた事例が報告されている(Nitzen et al. 2011 _Isr J Psychiatry Relat Sci_)。これは精神病傾向をもつ人で生じやすいと考えられる。
- 同様の現象が生成AIのチャットボットで生じる可能性はより高いと思われる。
* 生成AIのチャットボットの利用者は、相手が人であるかのような印象を抱くが、そうでないことを知っている。この認知的不協和は、精神病傾向のある人において妄想をたきつけるかもしれない。
* 機械と会話しているとわかっている場合でも、利用者はなぜ高度な会話が可能なのかわからない(実のところ誰もわかっていない)。チャットボットのブラックボックス的性格は、思弁や偏執病を生じさせる余地を多くもっている。
* 生成AIのチャットボットがかなり対立的なものとして経験された例がすでに報告されている(恋に落ちた、脅迫してきた、等)
- これらを踏まえ、生成AIのチャットボットとの会話によって生じうる妄想の例を5つ示してみる。
- 1. 被害妄想
* 「このチャットボットはテック企業ではなく、外国の諜報機関がコントロールしていて、私を監視している」 - 2. 関係妄想
* 「チャットボットが私個人に対して特別に話しかけていることは、回答の言葉遣いから明らかだ」 - 3. 思考伝播
* 「チャットボットが利用者に対して答えていることは、実は私の思考がインターネットによって送信されているものなのだ」 - 4. 罪業妄想
* 「チャットボットにたくさんの質問をしすぎたせいで、本当に必要な人がアクセスできなくなり時間をうばってしまった」 - 5. 誇大妄想
* 「一晩中チャットボットと会話し、二酸化炭素削減に関する仮説を立てた。これで地球を救う」
- 1. 被害妄想
- これらは純粋に架空のものだが、精神病傾向をもつ人が類似の妄想を今後経験する、あるいはすでに経験していると確信できる。
- 臨床医には、この可能性を念頭に置き、生成AIのチャットボットについて自らも精通しておくことを、強く勧める。
Østergaard (2024)
- 他方で生成AIは、幻覚ないし妄想を経験している人への偏見を軽減する可能性も持っている。
- 幻覚や妄想の性質を、家族や友人や医療従事者を含む他人に伝えることはときに難しい。受け手がそれを十分に処理できないことが大きな原因である。
- このことは、幻覚・妄想に伴う苦痛の理解の欠如をもたらし、疎外感、偏見、不適切な治療につながりうる。
- そこで、幻覚・妄想に関するコミュニケーションを促進するようなツールが切実に求められている。
- 画像や動画を生成するAIは、このようなツールとして役立つ可能性がある。
- 近年、眼科で類似のアプローチが提案されており、シャルル・ボネ症候群のもたらす幻視を生成AIによってうまく描写することができた(Woods et al. 2024. _Can J Ophthalmol_)。
- また関連するアプローチとして、幻聴を軽減するために、その声に近い声を持つ仮想現実上のアバターを作製して介入するというものもある(Smith et al. 2022. _Trials_)。
- 特に、治療の初期段階で精神症状の「略図」をつくり、それを随時修正つつ、心理測定評価の土台とすることができる(「先週、この画像のような症状はどのくらい強く出ましたか?」)。
- こうした生成を実際に行う際には、プロンプト作成にある程度通じた医療従事者の支援を受けることが望ましい。理由は少なくとも3つある。
- 1. 適切なイメージ作成のためにはプロンプト作成について一定の訓練が必要
- 2. 症状が悪化する可能性
* イメージが症状にあまりにも近い場合に、被害妄想を悪化させる可能性がある(「どうしてAIが私の内面をこんなにうまく描けるんだ? 部屋にカメラが仕掛けられているに違いない!」)
* イメージが症状に近くない場合でも、新たな妄想をもたらす可能性がある(「私のカメラにスパイカメラが入っているなんて思いもしなかった、すぐ壊さなきゃ!」)
* これを防ぐには、医療従事者の側がAI技術について基本的な説明を提示し、誤解を防ぐことが重要である。 - 3. プライバシーに関する懸念
* 医療従事者であれば、個人情報をプロンプトに入れない等の必要な対策を示せる。
- まとめると、AIによるイメージ生成は、幻覚や妄想を非常に安価かつ有益な形で表現する手段となりうる。これによりコミュニケーションが容易になり、偏見の低減や治療の改善が期待できる。
Social Reasons - Richardson - Journal of Applied Philosophy - Wiley Online Library
- Richardson, K. (2024). Social reasons. Journal of Applied Philosophy, Advanced online publication.
社会的理由の存在
- この論文では、社会的理由という考えを擁護する。
- 社会的理由は規範理由である。
- 事例:結婚が重視されている社会がある。結婚は法的にも道徳的にも要求されていないし、結婚しなくてもした場合と同様に良い人生を送れる人もいる。そのような人物であるDaveが母に呼び出され、「もう40なんだから結婚しなよ」と言われた。
- これはどういう種類の理由なのか。一見して、賢慮的理由でも道徳的理由でもないように思える。
- ほとんどの道徳的理由の説明によれば、Daveに結婚する理由があるとは考えがたい。
- 結婚の利益を踏まえると賢慮的理由と解釈するほうが容易だが、Daveは結婚しなくても同じくらい良い人生を送れるのだった。それでも母が結婚を勧めてくることはありうる。
- これはそもそも理由になっていないという応答も可能である(多くの哲学者はそう考えると思われる)。
- だが、Daveには結婚する理由がある(義務づけられているという意味で)と言える意味は確かにある。つまり、Daveは結婚を社会的に義務づけられている。Daveは結婚が社会的に要求されている文脈におり、したがって、結婚する社会的理由がある。
反論と応答
- 賢慮的でも道徳的でもない規範理由としての社会的理由という考えには様々な反論が考えられる。
- 錯覚による反論
- 反論:社会的理由なるものは存在せず、それがあるように思われるのは単に誤りである。
- 応答:なぜそのような錯覚が存在するかの説明が必要である。この点を、以下の「社会規範による反論」が補いうる。
- 社会規範による反論
- 反論:社会的理由なるものは、社会規範が生み出している圧力に過ぎない。
- 応答:社会規範によって生み出されているからといって、社会的理由が存在しないことになるわけではない。社会規範は賢慮的理由や道徳的理由も生み出している。
- 社会的期待による反論
- 反論:社会的理由なるものは社会的期待に過ぎない。
- 応答:社会的期待の蔓延は社会的理由の必要条件でも十分条件でもない。構造的な人種差別がある社会では、市民がいちいち期待していなくても警官には人種差別的取締を行う理由がある。また、すべての人がDaveの結婚を期待していても、結婚を特権化する社会制度がない場合はDaveに結婚する社会的理由はない。
- 倹約による反論
- 反論:社会的理由は、賢慮的理由や道徳的理由と異なり根本的(fundamental)なものではないため、倹約の観点からこれを措定するべきではない。
- 応答:何が理論的に重要か(=何を措定すべきか)は議論の文脈によって異なる。たしかに伝統的な価値論は根本的な意味での規範理由について議論してきた。だが、そうした議論は目下の関心事ではない。社会的理由という考えは、従来の価値論の範囲外の問題について考える際に極めて有用である(以下で述べる)。
- 力による反論
- 反論:規範理由には規範的拘束力があるが、社会的理由にはない。
- 応答:ここではひとまず、この反論が社会的規範性全体にかんする懐疑論であることを指摘したい。だが、社会的規範性全体についてはこれを擁護する議論がある。たとえば、Margaret Gilbertは社会的規範性を共同コミットメントから説明しており(Gilbert, 20133)、Charlotte Wittは社会的役割が規範性を生むと論じている(Witt, 2023)。本論文では社会的規範性全体の広範な擁護論は展開できないが、社会的理由という概念が価値論の中でどう役立つかを示すことはできる(この反論についても以下で更に扱う)。
非理想理論における重要性
- 社会的理由という概念は、非理想理論という文脈で魅力的なものである。
- 非理想理論の代表例として、Charles W. Millsの人種契約論を挙げることができる(Mills, 1997)。
- Millsは、白人至上主義を理解するために社会契約論を利用した。
自らがその人種に基づいて優越的であると考える者たちのあいだで実際の合意があり、白人とされた人はそうでない人よりも道徳的及び政治的に優越しているとされた。Millsはこの人種契約という考えによって、現存する社会を記述的に特徴付けようとしている。
- Millsの説明は、社会的理由によって理解可能となる現象とは何かを示すのに役立つ。それは広範な構造的不正義である。人種契約仮説が正しい場合、人種差別者である社会的理由がある。黒人に厳しくする警官は社会的理由に従っているのだ。このような現象の解明に社会的理由という概念を用いることにより、そうした理由を構成しまた可能にしている社会集団や文脈の道徳的・政治的問題を明らかにすることができる。
- 社会的理由に関する主張の多くは、道徳に反しており、耳障りである。ある人に「人種差別者である理由がある」というのは、有徳な人には不愉快である。だが、こうした語法は有用である。一定の事態を記述し、それに反対するアクションにつながるような道徳的感情を喚起することができるからだ。
* こうしたアイデアはSally Haslangerの「女性」の説明に似ている(Haslanger, 2012)。Haslangerは女性を従属的な存在として定義しておりこれは耳障りではあるのだが、この説明は「女性」という語の実際の使用を記述するものではなく、政治的目的に役立つものとして提示されているのである。
- Millsは、現実の抑圧や支配や不正義に関する問いを曖昧にしてしまう点で理想理論を批判した(Mills, 2005)。これに対し非理想理論は、行為者や社会制度の規範的欠点や実際の働きに非常に注意を払って構築される。
- 非理想理論はすべての抽象化・理想化を否定するわけではない。人種契約という概念も理想化である。だがこれは、この(不正な)現実世界を記述することによりよくチューニングされている。
- 賢慮的理由および道徳的理由は理想的な事例を強調しているため、これらの観点からでは社会における誤った事柄に説明を与えることができない。このために、社会的理由のような概念が必要になるのである(これで、「倹約による反論」に応えた)。
社会的理由の構築主義
- ここでは、社会的理由は社会的観点により構成されるという構築主義の概要を説明する。
- メタ倫理学における構築主義は、規範的主張の真理性は一定の実践的観点の内部から導出されると考える。実践的観点とは、規範的問題に関連する一連の価値および価値判断である。
- メタ倫理学では個人の観点に注目する傾向があるが、集団もまた規範的観点を持つと考えられる。これを「社会的観点」と呼ぶ。
【社会的理由の構築主義】
Xが行為者Aが文脈Cにおいてφする社会的理由であるのは、まさに次の場合である。すなわち、Xが行為者Aがφする理由であるということが、関連する集団Cの観点から含意される場合。
- この説明では、ある人がどのような社会的理由をもつかは、その人自身の観点ではなくて、その人が関連する集団の観点に依存している。
- 社会集団が観点をもつとはどういうことなのか。観点をもつことは、まずは記述的および規範的信念に存している。
- では、集団的信念とはなにか。様々な説明があるが、比較的保守的なJennifer Lackeyの説明によれば、ある集団の主要メンバーがpと信じている時、その集団はpという信念を持つ(Lackey, 2021)。
- Lackeyの説明は集団メンバーの間に主要/非主要の区別をしている。問題の信念が集団のすべての人によって共有されている必要はなく、権威ある立場にいる人の間で共有されていれば良い。
- したがって、あなたのもつ社会的理由は、あなた自身の観点にはまったく依存していないかもしれない。あなたの社会的理由を決定する集団にあなたは含まれないかもしれないからだ。
- この特徴は便利である。一定の人を主要人物とし、別の人をそうでないとする権力関係をうまくとらえられるからだ。
- (観点には信念だけでなくその他の態度も含まれるが、更に洗練された説明は他日を期す)
- メタ倫理学における構築主義のなかでも特に有名なのがヒューム的構築主義である。
- これは、すべての実践的観点がコミットしているような実質的価値の存在を否定する点に特徴がある。
* この特徴はメタ倫理全体の文脈では議論を呼んでいるが、社会的理由を理解する際には役立つ。なぜなら、社会的理由は道徳によって拘束されていないからである。
- これは、すべての実践的観点がコミットしているような実質的価値の存在を否定する点に特徴がある。
- 以上から、非理想理論において社会的理由がなぜ有益であるかもよりよくわかるようになった。
- 社会的理由を導入することで、社会的観点の問題を単に同定するだけではなくて、そうした観点が個々の行為者の熟慮にどのように影響するかをより丁寧に考えることが可能になる。
* 非理想的状況下にある行為者は、社会的理由を行為への理由として捉える。そしてそうした理由は、一定の社会的観点から見て、特定の行為を支持するものとなる。このような基本的な事実を捉えることが、理想的な価値論では難しい。
- 社会的理由を導入することで、社会的観点の問題を単に同定するだけではなくて、そうした観点が個々の行為者の熟慮にどのように影響するかをより丁寧に考えることが可能になる。
文脈依存性と規範的拘束力
- 社会的理由は文脈依存的である。
- この点では、道徳的文脈主義における同様の議論をモデルとすることができる。Gunner BjörnssonとStephen Finlayは、規範的主張は情報と基準の二つに相対的であると論じた(Björnsson and Finlay, 2010)。
- (正確に言えばこの議論は道徳的言語に関するものだが、道徳的事実にも拡張することができる)
- これと同様に、社会的理由も情報と基準の両者相対的だと考えることができる。
- 今や、「力による反論」に十分答えることができる。
- 道徳的文脈主義は、道徳的基準が文脈によって変わり、それが情報や目的に相対的である場合でも、道徳的基準には規範的拘束力があると見なす。同様に、社会的理由も、何が社会的理由であるかが文脈に応じて変化するとしても、規範的拘束力をもつのである。
社会的理由の規範性に対する抵抗感とメタ言語的交渉
- 社会的理由が規範的拘束力をもつことに対する抵抗感には二つの源泉がある。
- 第一に、社会的理由という観点から見ると、自分が置かれている社会的文脈があまり好ましくない形で描写されることになる。社会的理由は道徳的に禁じられた事柄を推奨することがあるし、道徳的には許容可能だが義務でないことを推奨してくることもある。
- 第二に、道徳的に悪い社会的理由に対する抗議として、そのようなものは存在しないと主張されることがある。この点をさらに拡張しよう。
- 道徳的文脈主義にかんする議論において、異なる道徳文脈にある人がそれでも道徳的に対立することをどのように説明するかという問題がある。
- 解決策は、人々は単に矛盾する道徳的命題を主張することで対立しているのではなくて、道徳的観点の点で対立している、と見ることである。
- この場合、ある相手に反対する人は、自分は違う情報と目標を持っていると言おうとしている。この現象はメタ言語的交渉と呼ばれている。
- 同様のことが社会的理由に関しても生じうる。ある社会的理由に「そのような理由はない」と抗議する場合、自分の置かれている文脈を変更したいからそうすると考えることができる。あるいは、その理由で自分の社会を特徴づけられたくないと考えているのかもしれない。
- この種の抗議は問題となる観点とは異なる観点をとることを促すものだが、しかし問題の観点は依然として私たちの社会に存在しており、それとの関係で社会的理由も存在しているのである。
* 社会的理由の力に我々が抵抗感を覚えるという事実それ自体が、むしろ社会的理由の理論的有用性を示す。非理想理論においては、私たちが社会に見出す不正や抑圧を解明する助けとなる概念が必要であるが、社会的理由はまさにそれを行うのである。
- この種の抗議は問題となる観点とは異なる観点をとることを促すものだが、しかし問題の観点は依然として私たちの社会に存在しており、それとの関係で社会的理由も存在しているのである。
- Bain. A. (1855). The Senses and the Intellect. London: John W. Parker and Son.
- 第一巻 運動、感覚、本能
* 第一章 自発的活動と運動感情(feeling)
* 筋肉感情について
* I. 有機体的筋肉感情について
* 10. 筋肉の痛みの諸形態
* 意欲との関連で見た鋭い痛みの特徴 ←ここ
ここまでの記述は、痛み(pain)の厳密に情動的(emotional)な性格を理解するためのものだった。では次に、痛みの意欲的(volitional)特性に進もう。これもやはり非常に際立ったものである。*1苦痛の意欲的特性ということで私が意味しているのは、ある状態から逃れるための特定の行為へ向かう刺激のことである(これについては「精神の定義」*2の部分でも説明した)。多くの感情(feeling)は、行為を促すという性質を多少なりとも持っている。ある感情はその感情を和らげるための行為へ駆り立て、別の感情はその感情を継続させたり増大させるための行為へ駆り立てる。前者を我々は痛みと呼び、後者を快楽と呼ぶ。上述したように、情動領域における我々の意識状態を二分するこの大きな区分のあいだには広汎な違いがあるが、なかでも特に際立っており明確な違いは、意欲(Volition)のもとであらわれる。言い換えれば、それぞれが生じさせる行為の本性という点にあらわれる。私たちは痛みを避け、反発し、逃げ出すが、他方で快楽についてはそれを増大させようとしがみついたり努力したりする。強い苦みは、それを軽減するための行動へと私たちを激しく駆り立てるものである。
したがって、例えば身体的苦痛の性格の一部としては、それを軽減したりそこからの解放につながると感じられるあらゆる行為を強力に刺激すること、あるいは、それを強めるあらゆる行為に対して強力に反発させることが挙げられる。動物が一定の状況から逃れようともがくことは、その動物が痛みの状態にあることを私たちに証明するのである。痛みの緩和を感じられるようなあらゆる運動が精力的に続けられ、痛みを深刻化するような運動は精力的に抵抗される。苦しんでいる者は、それを軽減する方法を知っている場合にはそれを行う。そうした手段がわからない場合には、単にもがき続けることで解放の可能性をもとめる。横になることで楽になるならそれが選ばれる。直立姿勢が解放を与えてくれるなら、非常に小さな幼児やまったく不器用な動物でさえ、その姿勢を取って維持しようとする。
意欲の観点から言えば、ある感情が別の感情より優先して私たちの活動を占有すればするほど、前者は後者よりも強い感情だということになる。ある人が混雑した部屋の空気の悪さに苦しんでいるが、冷たい夜風にあたっても苦痛を感じるといった状況であれば、その人が〔最終的に行う〕行為の元となる感情のほうが強いと判断する。この方法からわかるのは行為の動因だけであり、〔感情の〕表現の仕方や、純粋情動の特徴などはわからない。
https://www.hup.harvard.edu/books/9780674032279
- Jim Endersby (2007). A Guinea Pig's History of Biology. Cambridge, MA: Harvard University Press.
- Chapter 3. Homo sapiens: Francis Galton’s fairground attraction
- Chapter 6. Drosophila melanogaster: Bananas, bottles and Bolsheviks (後半)
- Chapter 8. Bacteriophage: The virus that revealed DNA (中盤) ←いまここ
【目次】
第8章 バクテリオファージ:DNAを暴いたウイルス
細菌を食べるやつ
- [259-3] 第一次世界大戦前夜、英国の微生物学者フレデリック・トゥオート(Frederick Twort)は、寒天培養地上の細菌が死滅している事に気づいた。調査の結果、原因は顕微鏡では見えず、フィルターを通しても残ることがわかったが、問題を深く追求する前にトゥオートは陸軍医療部隊に召集されサロニカ(現テッサロニケ)に送られてしまった。
- [259-4] その頃、フランス系カナダ人科学者のフェリックス・ユベール・デレル(Félix Hubert d'Herelle)は、[260-1] 「世界に微生物が蔓延しているのになぜ私達は常時病気になるわけではないのか」という問いに取り組んでいた。説明の候補は、ロシアの発生学者エリー・メチニコフ(Elie Metchnikoff)の研究から来た。メチニコフは、ヒトデやカイメンが、病気になる恐れがある場合に、奇妙な細胞を大量に生み出すことを観察した。こうした細胞は侵入者を飲みこむことで感染から守っているようにおもわれ、「食細胞」(phagocytes)と名付けられた。[260-2] 1915年、デレルはパスツール研究所で赤痢の研究をしていたが、培養中の赤痢菌がすべて死滅する現象に出くわした。トゥオートが観察した現象を意図せず再発見したのだ。1917年、この原因はフィルターを通過し、培養を重ねるたび致死性を増すとデレルは発表し、これを「バクテリオファージ」(=「細菌を食べるやつ」)と名付けた。[260-3] デレルは、バクテリオファージ・ウイルスは細菌に対する自然の防衛手段だと考えた。デレルは元々、致死性の微生物に耐性があるバッタの腸内に、細菌を殺す何かがあることを発見していた。赤痢菌の実験は、[261-1] これと類似の現象を探す中で行われたものだった。
- [261-2] デレルは自身の発見を本にまとめ、それは1922年には『バクテリオファージ:その免疫における役割』(_The Bacteriophage: Its Role in Immunity_)として英訳された。この発見は急速に広まり、すぐに各国でバクテリオファージ研究チームが作られた。[261-3] 研究の広まりとともに、自分たちは一体何を研究しているのかについて論争が発生した。ブリュッセルのジュール・ボルデ(Jules Bordet)は、細菌を殺す現象は純粋に化学的なものだと考え、「バクテリオファージ」ではなく「伝達性自己分解」(transmissible autolysis)という名前を好んだ。「トゥオート-デレル現象」のような中立的な表現で論争から距離を置く人もいた。
- [261-4] ボルデの推測によると、[262-1] 細菌内の突然変異によって、通常は有益なはずの酵素が大量分泌され、それが細菌自身を殺す。またこの現象は、望ましくない突然変異体を殺すことで「種の進化を制御する」という役割をもつかもしれない、とされた。だがこれは非常に論争的な考えだった。細菌には核がなく染色体も見えないため、その他の有機体と同じ遺伝的法則に従うとは考えにくかった。それどころか1920年代初頭では、細菌が有機体なのかどうかも明らかではなかった。ボルデの同僚であったアンドレ・グラティア(Andre Gratia)は、「炎は燃え広がり再生産するが生物ではない」という理屈に訴えて、バクテリオファージは生きているというデレルの見解に反対した。グラティアがニューヨークのロックフェラー研究所に異動すると、その反デレル路線もアメリカに持ち出された。
スタンダード・オイルとスネーク・オイル*1
- [262-2] ロックフェラー研究所(現ロックフェラー大学)は、ジョン・ロックフェラーの巨大な慈善事業のほんの一部として、[263-1][263-2] 1901年に設立された。1920年、研究所にポール・ド・クライフ(Paul de Kruif)がやってきた。[263-3] ド・クライフは戦時中にパスツール研究所でデレルのことを知り、米国に戻ると米国初の本格的なバクテリオファージ研究者であったフレデリック・ノヴィ(Frederick Novy)に師事した。1920年にはボルデとも会い、またグラティアと研究室を共有していた。
- [264-4] だが研究所でのド・クライフの仕事は、バクテリア・キラーとは一見関係がない、[265-1] 細菌の不純という現象だった。コッホのやりかたで細菌を培養すると、純粋なコロニーに見えたものが二種類に別れ、そのうち片方だけは抗毒素に弱いということがあった。ド・クライフはこの挙動を「乖離」と名付け、ここでは細菌にド・フリース的な突然変異が起こっているのではないかと考えた。[265-2] この時期、細菌の変化しやすさについてはド・クライフ以外にも多くの研究者が取り組んでいた。
- [265-3] ド・クライフは元々医学生だったが、ほとんどの病気に医師は無力であると悟り、[266-1] 純粋科学に転じた。この点でロックフェラー研究所はうってつけの場所だった。ロックフェラーの財務マネージャー、フレデリック・ゲイツ(Fredderick Gates)は、十分な資金があれば科学はすぐに微生物を征服し、主な病気は数年内に克服されると謳っていたのだ。だが、そうはならなかった。ド・クライフはその原因について考え始め、多くの医師は金儲けにしか関心がないのではと疑うようになっていった。
- [266-2] ド・クライフは、大衆に最新の発見を伝えつつ、詐欺や失敗を暴くために、著述家に転身しよう考えた。ある文学パーティで会った歴史家のハロルド・スターンス(Harold Stearns)の編著に寄稿すると、『センチュリー・マガジン』(Century Magazine)の編集者がそれに目を留め、一冊の本に膨らませないかと提案した。[266-3] こうして『センチュリー』に匿名で「我が医師たち」(Our Medical Men)の連載が始まった。だが、ド・クライフは報酬の先払いについて同僚に触れ回っていたためにすぐに特定され、[266-1] 署名でPhDをMDに偽装したとして上司に叱責されて(実際は校正漏れだった)、結局ロックフェラー研究所を辞職した。そしてド・クライフは、世界初のフルタイムのサイエンスライターの一人になった。
- [266-2] 1922年、詐欺薬品に関する記事を準備中だったド・クライフは、ある診療所で小説家のシンクレア・ルイスと会い、[266-3] 意気投合した。米国医学の非科学的な状況に対するド・クライフの熱心な攻撃に、ルイスは新たな小説の題材を見出した。出会いから数カ月後、二人はSSギアナ号でカリブ海に向かい、科学と医学を題材にした小説を計画し始めた。[266-3] ド・クライフも、学生時代からH・G・ウェルズの小説のファンだったのだ。
- [267-1] ド・クライフは、小説の主人公、つまりマーティン・アロースミスが、バクテリオファージを用いてカリブ海のペストと戦う可能性を示唆した。当時、デレルの仕事とその治療上の意味について知っていた人は医学界でも僅かだったが、デレルが正しいならば、微生物を打ち破る科学というのは本物だった。[267-2] 航海中、ド・クライフはルイスに微生物学の講義をかなり集中的に行い、[267-3] また小説に登場する科学者の科学上の背景を、自身の経験をもとに提供した。航海が終わるころには小説の格子が出来上がり、ルイスも必要だった科学情報を得た。こうして1925年に出版された『ドクターアロースミス』(_Doctor Arrowsmith_)は大評判となり、この影響でルイスは1930年にノーベル文学賞を受賞した。
- [267-3]『サイエンス』誌はこの本を「科学書籍」としてレビューし、[268-1] 科学者を主人公にしたこと、また読者に迎合せずに研究を明確かつ知的に描写したことを称賛した。[268-2] ルイスは小説に対するド・クライフの寄与を認めており(ド・クライフの期待したほどではなかったが)、『サイエンス』の評者もそれを高く評価して、これを医学生に強く勧めた。実際本書と、ド・クライフの次著『微生物の狩人』(The Microbe Hunter, 1926)は、多くの理想主義的な若者を触発し、医学や科学の道へ向かわせた。
- [268-3] 『アロースミス』の大成功により、バクテリオファージはジャーナリストにとって人気のトピックになった。記事が増えていくと次第に「ファージ」と略されるようになり、これは『エンサイクロペディア・ブリタニカ』にも載って現在も使われている。
生命とはなにか?
- [269-1] 『アロースミス』出版翌年の1926年、米国の人気雑誌『サイエンス・マンスリー』(_Science Monthly_)は、バクテリオファージへの関心の高まりとは裏腹に、ウイルスとは実際何なのかについては論争があることに触れている。ファージは細菌の約1/1000の大きさだと推定されているが、「タンパク質分子より小さな生物なんて存在しうるのか!?」。
- [269-2] タンパク質を生命の基盤と考えていた生化学者たちは、ファージが生きているはずがないと考えていた。また、この興味深い現象がライバルである微生物学の領域になるのも面白くなかった。ファージとはタンパク質分子であり、したがって生化学者の「領分」であるはずだった。
- [269-3] ロックフェラー研究所でタンパク質研究を主導していたジョン・ノースロップ(John H. Northrop)は、体内で化学反応が生じる速度が酵素の濃度に依存することを発見していた。この発見をもとに、ノースロップはファージ(ほとんどタンパク質でできている)に注目した。ボルデたちが言うように[270-1] ファージ現象が単なる化学反応だとすると、それはファージ濃度のような単純で測定可能な量に依存していると考えられる。[270-2] この考えはノースロップの共同作業者であったアルフレッド・クルーガー(Alfred Krueger)によって検証され、たしかにファージの濃度が細菌の崩壊にとって重要な要因であることが示された。また、ファージやタバコモザイクウイルスのようなウイルスが、その他のタンパク質のように結晶化するということも重要だった。これは生物ではまったくありえないことに思えたし、結晶は生きていないが成長するので、ウイルスの「生命のような」性質をうまく説明できると思われた。ウイルスは反応によりさらなるウイルスを生産するのだが、自分自身がその反応の触媒となるために、濃度が上がるほど反応が加速化して爆発的に増殖し、最終的に細菌を崩壊させる、ということなのかもしれない。[270-3] ウイルスは純粋に化学的なものだというノースロップの主張はオッカムの剃刀に基づいており、[271-1] 生物学者たちは問題を不必要に複雑化しているように見えていた。
- [271-2] バクテリオファージのようなウイルスは、「生命とはなにか?」という問題だけでなくより実際的な問題をも提示していた。1934年、カリフォルニア工科大学(カルテク)で生化学の博士号を取得したエモリー・L・エリス(Emory L. Ellis)は、ポスドクの研究テーマとしてウイルスとガンの関係をとりあげ、ファージの研究に着手した。これは一見おかしな話で、ファージがガンを生じさせる証拠はなかったし、エリスは細菌にも興味もなかった。エリスは、ウイルス研究に必要な大規模な動物コロニーを維持するのが困難だったためにファージに切り替えたのだった。
- [271-3] エリスは大腸菌(Escheria coli: _E. Coli_)を捕食するファージに注目した。大腸菌はありふれた細菌で、[272-1] また当時カルテクに移っていたモーガンのチームの一人がたまたま大腸菌の研究をしていたため入手しやすかった。エリスは致死性が強すぎないファージを慎重に選び、ファージが細菌を殺した際に〔培地上に〕生じる透明な領域(プラーク)を非常に小さく抑えた。そしてプラークを数えることで、ペトリ皿一枚あたり約50のファージを同定できた(これはデレルが最初に考案した方法である)。[272-2] ファージは小さくて安いだけでなく、早かった。ウイルスを動物に感染させる実験には何日も何週間もかかるが、ファージの実験は数時間で終わる。これでウイルスの基本的な生物学を理解し、ガンにおけるウイルスの役割を理解するための第一歩にするというのが、エリスの構想だった。ファージはモデル生物として使われるようになったのだ。
- [272-3] ある朝、ドイツの物理学者マックス・デルブリュック(Max Delbrück)がエリスの元を訪れた。デルブリュックは、ファージが物理学の新法則を明らかにする助けになるのではないかと考えていた。[272-4] さかのぼって1925年*2、19歳だったデルブリュックは、ハイゼンベルクがはじめて量子論を発表した場に居合わせ、翌年にはハイゼンベルクに合流して新たな量子力学にのめり込んでいった。[273-1][273-2] またコペンハーゲンに一年留学し、ボーアのもとでも学んだ。ボーアは、[274-1] 原子物理学のすべての局面をひとつの整合的なかたちで記述することはできないという「相補性」の原理を唱えていた。各実験が提供する情報は一種類であり、それぞれの実験は相互に排他的だからだ。[274-2] ボーアは相補性があらゆる科学にあてはまるのではないかと考えており、これがデルブリュックに強いインスピレーションを与えた。生物学者が生命の本質を理解できなかったのも、同じような相互排他性によるのではないか? 「生物を見る時、それを生物として見るか、分子の寄せ集めとして見るか」、一方しかとれない*3。ある種の実験は「どこに分子があるか」を明らかにするが、その実験は「動物がどのように行動するかを教える」のに必要なものとはまったく異なる。有機体の原子構造はそれを殺さなければ探求できないが、そうすると生き物に真に固有の性質は失われる。したがって既存の生物学の方法はうまくいかない。そこで、生物学も物理学と同じ道をたどり、生命の「素粒子」を探すべきである。そこでは量子の世界同様のパラドクスが生じるかもしれないが、それを解くことが生命の神秘的性質を説明する新たな科学法則を[275-1] 明らかにするだろう。
- [275-2] ボーアのヴィジョンを吸収したデルブリュックはベルリンに戻り、ニコライ・ウラジミロヴィッチ・ティモフェフ-レソフスキー(Nikolai Vladimirovich Timofeeff-Ressovsky)に会った。ティモフェフ-レソフスキーはソビエトに来たマラーと会いショウジョウバエ遺伝学者になった人物の一人で、デルブリュックもマラーの考えの影響を受けた。おそらく、物理学者であるデルブリュックにとって最も印象的だったのは、マラーが1926年にX線を使ってショウジョウバエに人工的な突然変異を生じさせたことだった。[275-3] 物理学の背景を持つものにとって、この実験は、遺伝子は原子のようなものであるという可能性を開くものだった。すなわち、両者とも安定しているが、エネルギーのバーストによって不安定化し、変異する。電子がある安定した量子状態から別の状態に反転するように、遺伝子もX線によって別の安定状態に反転したのではないか。そうだとすれば、遺伝子は生命の真のエレメントであり、その探求によって新たなパラドクスが、そして新たな物理法則があきらかになるかもしれないーー
- [276-1] 〔1935年、〕デルブリュック、ティモフェフ-レソフスキー、そしてカール・ギュンター・ツィマー(Karl Günter Zimmer)は共著論文を発表し、遺伝子は安定した化学分子だが、放射線のエネルギーによってその構成原子が新たな形態に再配置されると述べた。(表紙が緑だったため)「グリーンペーパー」と呼ばれるようになったこの論文は、物理学と生物学を最も直接的に結びつけるものだった。
- [276-2] 1930年代、多くの科学者が様々な理由から物理学と生物学を結びつけようと躍起になった。生物学者は、物理学のような資金と名声を得たいと考えた。第一次世界大戦後、ハードサイエンスが死の科学として見られていたために、「生命」の科学に関わりたいと考えたものもいた。[276-3] 物理化学をとりまくこの不安から生物学は恩恵を受けた。1930年代、[277-1] ロックフェラー財団の資金援助もあり、生物学者はタンパク質のような巨大で複雑な分子の形状の研究という新たな問題に取り組み始めた。だが、従来的な生化学ではこの問題をうまく解けず、30年代を通じて徐々に新しい学問が立ち上がりつつあった。X線結晶構造解析などの新たな方法が使用され始め、1938年には「分子生物学」という新たな名称がつけられた。
- 「分子生物学」は、ロックフェラー財団の自然科学部門のディレクターであった、ワレン・ウィーバー(Warren Weaver)による造語である。この分野は「分子の生物学」・「細胞下レベルの生物学」とされ、研究対象は細胞よりも基本的なレベルに移行していった。実際、ウィーバーは、量子力学の原子下レベルの世界とのアナロジーを明示的に用いていた。[277-2] ウィーバーはエンジニアで、生物学が「未来の科学」だという感覚は、生をコントロールし死を征服するという野望にみちた生物学者の新聞・雑誌記事によって作られた。 だがこうした大言壮語にはほぼ証拠がなく、ウィーバー自身も生物学にはまだ法則や合理的分析がないと認識していた。だがここに資金と物理学を投入すれば、生物学者は法則を確立し、ファシズム、共産主義、世界恐慌に怯える文明を救うと、ウィーバーは信じていた。
- [277-3] ウィーバーとその支持者たちは、単に時流にのっていただけの部分もあった。だが新たな資金によって、物理学者が作った高価な技術を生物学に応用できるようになったのは事実である。X線は突然変異を生じさせるだけでなく、化学構造を明らかにすることもできる。[278-1][278-2] このX線結晶構造解析は元々無機化合物の構造を調べるためのものだったが、生化学者はこれがタンパク質のようにより大きく複雑な有機分子にも適用できると気づいた。その結果、こうした分子の三次元構造がその挙動(つまり化学的、そして究極的には生物学的機能)と直接結びついていることがわかった。
- [278-3] グリーンペーパーと同年の1935年、ノースロップの同僚であったウェンデル・スタンレー(Wendell Stanley)は、タバコモザイクウイルスの結晶の作成に成功し、ウイルスは単なるタンパク質分子だと発表した。生命の基本要素であるはずのタンパク質の性質を物理学の領域にしっかりと落とし込んだように見えたこの研究に、デルブリュックも興奮した。1937年、デルブリュックはロックフェラー研究所のフェローシップに応募するよう招かれ、カルテクに赴いてモーガンとハエ野郎(fly boys)たちと研究をはじめた。
- [278-4] タバコモザイクウイルスその他の植物ウイルスの研究が進むと、[279-1] これらは微量のリンを含むタンパク質の一種だとわかってきた。すでに50年前に、染色体もこの種のタンパク質だとわかっており、(染色体が細胞核(nuclear)で見つかることから)このタンパク質は「ヌクレイン」(nuclein)と呼ばれていたが、20世紀前半には「核タンパク」(nucleoprotein)と呼ばれるようになっていた。このタンパク質は結晶化するので、X線結晶構造解析で正確な構造が明らかになると期待された。
- [279-2] ウイルスと染色体が同じものでできているという発見に関心を持った科学者の一人にマラーがいた。マラーは以前からウイルスに関心を持っており、1922年にはバクテリオファージとは遺伝子なのではないかと疑っていた。両者を同一視するのは軽率だとしても、両者に既知の違いがないことも確かなので、遺伝子を研究するツールとしてファージを使う可能性が開けたと考えていた。[279-3] この見解は、タバコモザイクウイルスの結晶化によってまさに裏付けられたように見えた。
- 1937年にデルブリュックが米国に渡った際にも、ファージは裸の遺伝子なのではないか、そして遺伝子は生命のエレメントなのではないかと考えていた。モーガンのチームは物理学者との協同を歓迎したが、それはマラーのX線研究のおかげであって、デルブリュックのグリーンペーパーの数学を理解していた人はほとんどいなかった。デルブリュックの最初の仕事は、これを説明することになった。
この部分の年表(要約者作製)
第一次世界大戦前夜 | トゥオート、ファージ現象を発見 |
---|---|
1915年 | デレル、ファージ現象の再発見 |
1920年 | ド・クライフ、ロックフェラー研究所に着任。乖離現象の研究に着手 |
1922年 | デレル『バクテリオファージ』。各国にファージ研究チームが組織。マラー、ファージは遺伝子なのではと疑う |
1925年 | ルイス『ドクターアロースミス』 |
1926年 | マラー、X線照射によりショウジョウバエに突然変異。デルブリュック、量子力学の研究に着手 |
1934年 | エリス(カルテク)、ファージの研究に着手 |
1935年 | デルブリュック、グリーンペーパー出版。スタンレー(ロックフェラー)、タバコモザイクウイルスの結晶化 |
1937年 | デルブリュック、カルテクに異動し、モーガンとの共同研究開始 |
1938年 | ウィーバー「分子生物学」 |
https://www.hup.harvard.edu/books/9780674032279
- Jim Endersby (2007). A Guinea Pig's History of Biology. Cambridge, MA: Harvard University Press.
- Chapter 3. Homo sapiens: Francis Galton’s fairground attraction
- Chapter 6. Drosophila melanogaster: Bananas, bottles and Bolsheviks (後半)←いまここ
- Chapter 8. Bacteriophage: The virus that revealed DNA (中盤)
【目次】
第6章 ドロソフィラ・メラノガスタ(キイロショウジョウバエ):バナナ、ビン、ボリシェビキ
[本章前半のあらすじ]
- 1900年代初頭、コロンビア大学では、ウォルター・サットン(Walter Stanborough Sutton)がバッタを使って染色体と遺伝の研究をしていた。サットンは、メンデル理論を「再発見」したウィリアム・ベイトソンと会い、細胞分裂における染色体の振る舞いがメンデル理論における謎の遺伝要因の振る舞いに相当することに気づいた。
- その後、コロンビア大学にロイド・モーガンが合流した。モーガンはド・フリース流の突然変異説を支持しており、環境激変が突然変異を起こすというアイデアを実証するためにショウジョウバエに注目した。モーガンは大規模なハエ交配実験を行うために、学部生であったアルフレッド・ヘンリー・スターテヴァント(Alfred Henry Sturtevant)とカルヴィン・ブリッジス(Calvin Blackman Bridges)の助けを得た。初期の実験ではド・フリースの想定するような劇的な突然変異体を生み出すことはできなかったが、他方、メンデル理論における隠された(=劣性の)遺伝要因の働きに気づいた。モーガンは突然変異説に懐疑的になり、メンデル理論を追求するようになった。
- モーガンの研究室は、ハエの大量生産工場、ハエ部屋と化していった。ハエ生産ラインの効率化には、ブリッジスがその才を発揮した。この時期は、グリーンマン(Milton J. Greenman)が「科学的管理法」を応用してラットを標準化するなどして、実験室革命が強力に推進されていく時期でもあった。
- 1909年、フランス・アルフォンス・ヤンセンス(Frans Alfons Janssens)が染色体における「組み換え」を発見した論文をモーガンは読んだ。モーガンは、染色体における遺伝要因の位置が近いほど、組み換えによるランダムな切断が起こりにくくなることから、交配実験によって染色体における遺伝要因の相対的な位置を明らかにできると気付いた。1914年までには、メンデル理論と染色体理論は同一のものであり、メンデルの言う遺伝要因は染色体上に実在することが明確になっていった。この理解の浸透とともに、この要因は「遺伝子」と呼ばれるようになっていった。
- 染色体における遺伝子の位置を決定するためには、大量のハエが必要だった。1919年から23年のあいだに、モーガンのハエ部屋では1300万〜2000万匹のハエを数えた。実験を続けるうちに、野生のショウジョウバエから実験の邪魔になる遺伝子が取り除かれ、ハエは標準化されていった。これによりハエの道具としての価値が上昇した。ハエ研究者たちは自分たちのことをハエ人間(fly people)、ショウジョウバエ民(Drosophilists)と呼ぶようになっていった。
ハエあり、どこでも参上*1
[195-3] ハエ部屋は世界中の関心を集めるようになった。[195-4] ハエ研究の大きな利点の一つは、ハエが持ち運び可能で、研究者に簡単に譲れるところにある。[196-1] このことは、キイロショウジョバエが標準生物になることに大いに寄与した。モーガンらはハエと共に関連する知識とテクニックを伝達していき、自由な情報共有はハエコミュニティの不文律となっていった。
[196-2] ハエ部屋を訪れた研究者の一人に、コロンビア大学理学部の修士課程学生だったハーマン・ジョセフ・マラー(Hermann Joseph Muller)がいた。[196-3] マラーは移民の金属工の孫としてニューヨークに生まれた。勤勉な学生で、奨学金をとりコロンビア大学に進学するとすぐ生物学に魅了された。自ら組織した生物学クラブを通じてスターテバントとブリッジスと知り合いハエ研究者を志したが、 [197-1] モーガンの研究室では居場所がなかった。[197-2] 遅れての参加に加え、性格面での不一致があった。気楽な性格のモーガン、スターテヴァント、ブリッジスに対して、マラーは生真面目であった。またモーガンが人道主義的な中道保守であったのに対し、マラーは急進派で、マルクス主義や共産主義思想に魅力を感じていた。やがてマラーは自分の仕事が無視されていると思うようになっていった。出版物に名前がクレジットされるのは実験を行った人物のみというルールは、自分から正当な評価を奪うためのものだと感じられた。だがこの苦悩は、マラーが頭は早いが手は着実なタイプだったことによるのだろう。マラーが複雑で高度な実験を几帳面に行っているあいだ、他の研究者はマラーのアイデアを利用した仕事を先に終わらせていたのだ。マラーは結局、モーガンが自分のキャリアを邪魔したと恨むようになっていった。[197-3] 南部の古い家系に生まれやや貴族的なモーガンとそのお気に入りのスターテバントに対して、ブリッジスはマラーの恨みの矢面に立たなかった。ブリッジスも(表面的にだが)共産主義シンパだったからだ。またマラーはブリッジスを、ショウジョウバエ工場で搾取される労働者とみなしていたようだ。実際、ブリッジスはハエのストックを管理する役割を担う一方で、スターテバントは色盲で突然変異を見分けるのが苦手だったために、理論家としての側面を強くしていった。
[198-1] ハエ研究全盛期の1917年、ロシア革命により世界初の社会主義国家が誕生した。革命に心を奪われたマラーは、1922にソビエト連邦を訪問することにした。[198-2] 当時のソ連は内戦と飢饉から立ち直ろうとする脆弱な国家で、あらゆるものが不足していた。マラーは32本のハエ瓶を携えて訪ソし、当地の生物学者に歓迎された。レーニン政権は科学、とくに生物学に大きな関心を抱いており、ボリシェビキは動植物の品種改良に大きな資金を投入していた。
[198-3] マラーのアイデアに最大の関心を示したのが、ニコライ・コルツォフ(Nikolai Kol’tov)だった。革命以前、コルツォフはツァーリの政権に対する批判によりモスクワ大学を解職されていたが、19世紀の科学的達成を、メンデル主義、生物測定学(biometrics)、化学における最新のアイデアと組み合わせるという新たな生物学の構想により鉄道富豪を説得し、「実験生物学研究所」(後のコルツォフ研究所)を設立していた。[199-1] 実験室革命に触発され、学生に実験技術の修得を推奨しつつも、野外での生物観察を行わせるという珍しい一面もあった。[199-2] コルツォフはアメリカのショウジョウバエ研究に関する講演をマラーに依頼し、その原稿を露訳して出版した。マラーは「研究所」のためにハエのストックを残したが、「研究所」には昆虫の専門家がいなかったため、コルツォフはモスクワ大学時代の旧友、昆虫学者のセルゲイ・チェトヴェリコフ(Sergei Chertverikov)を招いた。
[199-3] 遺伝学研究のチーフとしては、チェトヴェリコフはありえない人選だったはずだ。
遺伝学については何も知らず、反メンデル主義の強い生物測定学を教えており、実験家ですらないフィールド昆虫学者だったからだ。だがコルツォフにとっては昆虫に詳しいだけで十分であり、生物測定学への関心もむしろ新しいアイデアへのオープンな姿勢と捉えれられた。[199-4] 実際、チェトヴェリコフは勉強熱心で、同僚とともに、最新の遺伝学論文を直接読むことで英語を勉強した。ロシアのハエ研究者もグループを作り、「ドロズ・ソ・オル」(Droz-So-or)として知られるようになった("Droz-So-or"は”sovmestnoe oranie drozofil’shchikov”(ハエ学者の合わさった不協和音)の略で、当時のソ連官僚がやたらと作っていた造語を皮肉ったものである)。このグループはモーガンのグループと非常に似ていたが、1/3が女性という点には大きな違いがあった。
[200-1–201-1] チェトヴェリコフは実験室研究が野生種に関連性を持つかやや懐疑的で、モーガンらが突き止めた微小変異(small mutations)が野生群にも見られるかを検討することにした。20世紀初頭には、「対立遺伝子」のほか、「ホモ接合体」(honozygous)、ヘテロ接合体(heterozygous)などの用語が考案され、両者を区別するためにはホモ接合体をもつ個体と交配させればいいこもとわかっていた。そこでチェトヴェリコフらは、劣性(潜性)遺伝子のホモ接合体をもつとわかっている実験室のハエと野生のハエを交配させることで、野生バエの劣性遺伝子を明らかにしていった。遺伝子のわかっている実験室のハエは、未知の物質の化学組成を調べる試薬のような役割を果たしたのである。その結果、野生バエは遺伝的に途方もなく多様であり、あらゆる劣勢遺伝子をもつことがわかった。
[201-1] ただし、野生バエと実験室バエを同じように扱うことはできなかった。交配がコントロールされている実験室バエは遺伝子の正確な組みあわせを計算することができるが、野生個体ではそうはいかない。そこでチェトヴェリコフは、生物測定学から学んだ数学的テクニックを応用しはじめた。すなわち、採取したハエの遺伝的組成を実験室で決定した後、その結果を統計的手法によって野生に外挿していったのだ。キイロショウジョウバエ野生群が各種の劣性形質をもつ頻度を計算し、ある遺伝子を持つハエが自然淘汰により増えたり減ったりするのはいつかを推測した。
[201-2] 1926年、チェトヴェリコフはグループの最初の結果を「現代遺伝学の見地から見た進化過程の一定の特徴について」(On Certain Features of the Evolutionary Process from the Viewpoint of Modern Genetics)として発表した。この平凡なタイトルには非常に重要なことが隠されていた。これまで対立するものとされていた、生物測定学者たちの理解するダーウィンの自然選択と、モーガンらの理解するメンデルの遺伝学とが、はじめて相補的なものとして提示されたのである。チェトヴェリコフが正しければ、ド・フリースが探していた道、進化を思弁の領域から研究室にもってくる道は見つかったことになる。だが、この研究は当時ソ連以外ではほとんど知られなかった。
マツヨイグサの終わり
[202-1] そのころ、アメリカ人もさらなる発見をしていた。1918年、モーガンはド・フリースに手紙を送り、論文の草稿へのコメントを求めた。ハエの生命機能を担う遺伝子が変異し、生命機能がまったく働かなくなる場合があることを、マラーが見つけたのである。この変異をヘテロ接合でもつ場合には問題ないが、ホモ接合でもつハエは死ぬ。マラーが見つけたのはこのタイプの遺伝子が2つあるハエで、話がさらに複雑である。ある遺伝子にA(働く)とa(働かない)があり、別の遺伝子にもBとbがあるとする。この場合、生きられる個体はAABB、AABb、AaBB、AaBbに限られ、aaかbbを持つそれ以外の個体は死ぬ。致死性の劣性遺伝子の検出は難しい問題だった。マラーが交雑実験から得られたハエを数えようとしたところ、隠れた劣性遺伝子をもつハエを示すはずのメンデル比が崩壊していたのだ。何が起こっているかを理解するのに、マラーは多大な労力を要した。
問題が解決したのち、マラーはこの「平衡致死要因」(balanced lethal factors)がド・フリースの育てているオオマツヨイグサにもあるはずだと気づき、実際にそうだと判明した。[203-1] この説によると、交配させても劣性形質が出てこない(死ぬため)のでホモ接合的に見えるが、実際はヘテロ接合(隠れた致死的対立遺伝子をもつ)の植物が現れる。ド・フリースが見つけたと思っていた「新種」は、実際には極めて稀な雑種だったのだ。こうした事例は、ハエ部屋による大量生産以前には検出することができなかった。
[203-2] ド・フリースへの手紙でモーガンは「思い切って考えてみるに、マツヨイグサの変異の問題は、平衡致死要因説によって幸福な解決を見るかもしれない」と結んでいる。ド・フリースは送られてきた論文の余白に「不幸」と書きつけている。[203-3] だが、最悪の事態がまだ待っていた。ハエの研究が進むにつれ、新種を一気に生み出す大変異という考えはますますありそうにないと思われてきた。マツヨイグサの染色体の振る舞いは極めて異常であり、通常のメンデルの法則が完全に崩壊していることが、複数の国の研究者により発見されたのだ。植物の染色体の研究者の中にレジナルド・ラグルス・ゲイツ(Reginald Ruggles Gates)がいた。ゲイツはメンデルの理論の信奉者だったが、その破滅に重要な役割を担うことになった。1906年、ゲイツとアンナ・メイ・ルッツ(Anna Mae Lutz)はマツヨイグサの巨大変異体(ド・フリースが見つけた「新種」)が、通常のオオマツヨイグサ(Oenothera lamarckiana)の2倍の染色体を持つことを発見した。その後数年で、これはオオマツヨイグサによく見られることで、多くの変異体が異常な染色体数を持つことがわかった。[203-4] こうした事例は減数分裂がうまく機能しなかったことに由来する。こうした染色体の重複は動物では稀だが植物ではよくあり、「倍数体(polyploidy)」として知られている。
[204-1] マツヨイグサは倍数植物として初めて同定されたものの一つである。マツヨイグサは有名だったため多くの研究者がこれにとりくみ、倍数体の重要性を明らかにするのに貢献した。雑種の場合、染色体が一致しないためにペアを形成することができない。典型例はラバで(ロバが62本、ウマが64本)、丈夫で頑丈だが不妊になる。だが、減数分裂がうまくいかず、花粉ないし卵の形成過程で既に染色体が複製されている植物の場合、受精卵のなかに各染色体のコピーが2つ存在するため、各染色体はパートナーを見つけることができる。[204-2] その結果、新しい雑種が誕生し、これは同じく倍数体の雑種と交配した場合のみ稔性をもつ。この雑種は親とは非常に異なる外見を持つことが多く、親とは交配できないので、新種に見える。これがド・フリースが見つけたものだった(類似の現象が多くの種のヤナギタンポポでも見られるため、メンデルを困惑させていた)。
[204-3] 倍数体はハエ研究者の別の発見にも関連していた。メンデルの実験では豆の緑色・黄色という明確な対立特徴が用いられていたため、20世紀のメンデル主義者たちは遺伝子をオン・オフスイッチのようなものとして考える傾向があった。だが、ハエの研究によって話はより複雑だとわかってきた。ある遺伝子は別の遺伝子の振る舞いにも影響するのだ。たとえば、乗換えのさいに一部の染色体が二重化すると、ある遺伝子の2つのコピーを持つハエが生じる。[205-1] そしてこの2つの遺伝子は、1つの遺伝子の効果を倍化することがある。これは倍数植物でも起き、その結果として巨大「変異体」が生じたのである。またコムギ(common wheat)は6セット以上の染色体を蓄積しており、その結果より大きくて栄養ある種を生み出すことができる。[205-2] さらにバナナの現在の栽培品種はすべて染色体を2セットではなく3セットもっており、このために大きくて種がない(ラバと同じく不稔)果実を生じさせる。
私を愛したハエ*2
[205-3] ショウジョウバエは研究室という生態学的ニッチをいまでも活用し続けている。ただし、科学の流行に対応していく必要はあった。第二次世界大戦後、より小さく単純な生物が好まれたことで、ハエの時代が終わると思われたこともあったのだ。[206-1] だがハエの個体数はその後急速に回復し、1970年代には新種の遺伝的研究が可能になったことで新たな脚光を浴びた(後述)。今日も、世界中の研究室でハエは飛び回り続けている。[206-2] ハエにより染色体と遺伝の精確な関係を解き明かされたのに影響され、多くの研究者があらゆる動植物の染色体を研究し始めた。その結果、連続的な変異と断続的な変化の間の鋭く思えた区別が崩壊することになった(次章)。
[205-4] 1915年、モーガンと学生は自らの発見をまとめた『メンデル的遺伝のメカニズム』The Mechanism of Mendelian Heredity)を出版した。モーガンらは遺伝粒子が染色体上にあると考えていたが、ハエの繁殖ペースの速さのお陰で、この主張を裏付ける大量の証拠を集めるのには数年しかかからなかった。同じ主張は以前にもなされていたが、モーガンたちはより優れた証拠を出すことができた。その説得性は、研究成果が実験室実験に由来すること、[207-1] また結果を確認したい人にはハエのストックを喜んで送っていたことによって、非常に高かった。とはいえ、英国ではベイトソンが抵抗しており、このためにハエの英国進出は長年遅れた。メンデル的染色体理論への最も強力な反対は、予想されるように、ナチュラリストとフィールドワーカー、とくに生物測定学者たちから出てきた。牛乳ビンでの繁殖はハエにストレスを与えて変異させるため、実験結果は野生のハエには関係ないとされたのだ。モーガンはこうした批判を軽蔑しており、「真の対立は自然の不自然な取り扱いと自然な取り扱いの間にあるのではなく、コントロールされ検証可能なデータと、抑制のない一般化との間にあるのだ」と論じた。
[207-2] とはいえ、最も同情的なナチュラリストであっても、ハエ部屋での発見が野生での進化にどう応用できるのかよくわからなかった。チェトヴェリコフの研究を知っていればすぐに理解できたはずだが、チェトヴェリコフは自身のアイデアを発展させるために必要な実験を完遂できなかった。スターリンが政権を握った後に逮捕・粛清された数百万人のうちにチェトヴェリコフもいた。[208-1] 1929年にチェトヴェリコフは国内追放となり、モスクワとレニングラードへの出入りを禁止され、学校教師として生きることを余儀なくされた。殺されなかったのは幸運だったが、遺伝学についてはそれ以上発表することはできなかった。
[208-2] チェトヴェリコフの学生がその仕事をしばらくは続けていたが、ルイセンコがソビエトの生物学の支配権を握ると、ドロズ・ソ・オルは壊滅させられた。ルイセンコは一種のラマルキズムを支持して正統派遺伝学を退け、アメリカ遺伝学とのつながりが明白なブルジョア「ハエ愛好家」たちより自身の見解のほうがマルクス主義的だと主張していた。1930年代の飢饉のさい、迅速な解決を約束していたルイセンコを指導部が支持し始め、最終的にルイセンコはメンデル遺伝学を非合法化するまでの権力を得て、多くの遺伝学者が出奔、逮捕、処刑されたのだった。[208-3] チェトヴェリコフが逮捕されドロズ・ソ・オルが離散したとあっては、その研究もソ連外では知られないままでもおかしくなかった。だが、何人かがそれを西側で出版した。そのうちの一人が、英国の生物学者J. B. S. ホールデンだった。ホールデンは〔マラーと同じく〕左派シンパで、やはり1920年代にソビエトを訪問し、国家による科学の援助の手厚さに非常に感銘を受けていた。数年後、ホールデンは国際遺伝学会でチェトヴェリコフと会い、いくつかのロシア語の仕事の英訳を手配し、英国の学生に読むよう勧めた。ホールデンは生物測定学の道具立てを遺伝学に応用する可能性に興奮したが、そのための方法を解明するにはさらに多くの数学と、そしてモルモットが必要だった。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/bioe.13260
- Kennedy, S. (2024). Ectogenesis and the value of gestational ties. Bioethics [Early View]. https://doi.org/10.1111/bioe.13260
序
- 近年、新生児集中治療のために、部分的体外発生技術の開発が進んでいる。
- ただし、関連する倫理的議論の射程はより広い。とくに生殖の自由について、体外発生賛成派はこの自由が増進されると主張するが、逆に反対派は自由が低減されると主張する。
- 本論文の目的は〔「妊娠する権利」の確立によって懸念を低減することにより、〕この両者を調停することにある。
体外生殖が家父長主義を永続させるという懸念
- 体外生殖は、妊娠、代理出産、子宮移植に代わりうるため、妊娠したくない/できない人の生殖の自律を増強しうるもの技術として注目されている。
- だがあまり検討されない論点に「家族の絆」(family tie)がある。生殖過程から人間の妊娠者が取り除かれると、人間の妊娠者と胎児との間に妊娠中に形成される絆、すなわち「妊娠の絆」(gestational ties)も取り除かれることになる。
- この点に着目し、体外生殖は家族に関する家父長主義的な見方(そこでは、妊娠の絆はほとんどあるいはまったく道徳的重要性を持たないとされる)を永続化するという批判がある。
- Rothman (1996) は、人間を互いに切り離されたものと見る家父長主義的な世界観ではなく、人と人とのつながりを中心とする世界観を促進する点で、妊娠の絆が重要だと論じた。関連してKingma (2019) は、現代の西欧文化に浸透しているする妊娠の「容器モデル」(containment model)を批判した。このモデルでは胎児は妊娠者の身体内部に位置する切り離された存在者だと考えられている。このような視点は、妊娠者を交換可能な容れ物とする有害な見方につながり、また妊娠という仕事(gestational labor)を単なる胚の孵化作業に貶めるという点で批判されている。
- 家父長主義的な家族観では、妊娠者の役割は、代理母や体外発生と交換可能なものとして捉えられる。このことから、体外発生の導入は、妊娠の道徳的重要性を否定する家父長主義的見解を永続化させる恐れがあるとされる(Rothman 1996; Cavaliere 2020; Lee, Bidoli, & Nucci 2023)。
- ただし、この懸念はあまり深く検討されていない。多くの研究者はむしろ、体外生殖が家父長主義下にある不正義から女性を解放するポテンシャルに注目している(Firestone 1970; MacKay 2020; Singer & Wells 2006; Smajdor 2007)。
- 体外発生技術が、女性にとっての生物的生殖を男性にとっての生物的生殖に近づけうるのは確かである。だがその時、女性が男性理念に同一化していくならば、妊娠や妊娠の絆を貶める社会的規範への抵抗はなされないだろう。体外発生技術による解放の焦点は、技術的手段による社会的不平等の回避ではなく、社会的不平等の是正に向けられるべきである(Cavaliere 2020; Segers 2021)。
生殖の自律への脅威?
- 体外発生技術は、妊娠を希望する人の生殖の自律を失わせると論じられている(Kendal 2015; Tong 2006; Murphy 1989)。この懸念は、体外発生のほうが胎児の発達にとって理想的な条件を提供できるという可能性によって強められている。例えば、Kendal (2017) は、体外発生が最適化された妊娠環境を提供することにより、胎児の平等を促進しうることを指摘した。ただし、このことが、伝統的な方法で生殖したい女性に対する体外生殖の強制につながってはならないとも論じている。
- この懸念はオーバーすぎると思われるかもしれないが、根拠のないものではない。既に今日でも、胎児の利害関心の促進という名目によって、妊娠者が社会的判断や非難に晒されたり(Richardson et al., 2014)、刑事訴追(Patrow & Flavin 2013)や強制的な医療処置(Nelson & Milliken 1988)といった強制的手段にかけられたりしている。同様に、胎児の命を守るという名目は、中絶へのアクセスの制限というかたちで、妊娠者の生殖の自律を制限する道徳的・法的正当化として用いられている。
- 本論文の関心は、体外発生よりも妊娠を選ぶという選択を正当化できる道徳的基盤を突き止めることにある。以下では、家父長主義的見方に抗して、妊娠および妊娠の絆が重要な利害関心であることを示す。
子供を養育する権利
- 妊娠する権利を擁護する出発点として、子供を養育する権利に関する議論を利用することができる。Brighouse & Swift (2006) は、親になることは人の開花繁栄にとって独特な貢献をなし、それを他の親密関係で代替することはできないため、親の権利というかたちでそれを保護すべきだと論じた。親子関係の独特な性質は次の4つとされる。
- (1) 子どもの幸福が親にのみ依存しているという一方的な脆弱性
- (2) 親子関係から抜け出す力(power)の対称性(親が強力な力を持つ)
- (3) 養育の信託義務という道徳的性質
- (4) 子どもの自発的・無条件の愛で特徴づけられるような、親密性のユニークさ
- 同様のことが妊娠の絆にも言えるかもしれない。だがBrighouseとSwiftは、胎児は子供と似ていない(たとえば、(4)親を自発的・無条件的に愛するような存在ではない)という理由から、こうした見解に否定的である。
- これに対しGheaus (2012, 2018) は、妊娠に関連した負担を負うこと、胎児と身体的に交流すること、妊娠中の情動的反応、を通じて、妊娠者も胎児との間に親密な関係を形成できると反論した。そして妊娠者には、生まれてきた子どもの親となることで、その親密な関係を継続する理由があると論じた。
- この反論は、妊娠の絆の価値を認識している点で重要である。だがこの反論が示しているのは、妊娠者が親になる道徳的権利であって、妊娠する権利ではない。
妊娠の絆の価値から妊娠する権利へ
- ここで必要な仕事は、妊娠関係が親子関係と類似の仕方で人の開花繁栄に独特の貢献をなすと示すことである。上で見た親子関係の特徴のうち(1)–(3)は妊娠関係にも当てはまるが、(4)が難しそうにみえる。
- BrighouseとSwift自身、妊娠者は自身の情動的愛着の対象について実際のところほとんど何も知らず、関係の(ほぼ)すべては投影と幻想によると指摘した。これは事実そうかもしれない。だが、このように認識を重視する親密性理解を採用しなければならない理由は明らかではない。
- 認識的な親密性理解をとらないならば、妊娠における親密性のユニークな性質を際立たせるためのカギとなるのは、妊娠者と胎児の身体的・生理的つながりだろう。実際、身体的つながりが親密性の一形態となることは様々な文脈で認められてきた(性的関係やケアロボットとの関係など)。ただ、そうである以上は、これが妊娠関係のユニークな性質とは言い難いと思えるかもしれない。
- しかしさらに検討すれば、妊娠関係における身体的つながりは(単なる程度問題ではなく)種として独特であることがわかる。性的関係などとは異なり、妊娠者と胎児の身体的つながりは極めて広範(pervasive)であり、両者の存在論的地位に関する疑問が呈されるほどである。実際Kingma (2019) は、胎児は妊娠者の部分であるという見解を擁護している。したがって、妊娠における身体的つながりは実際ユニークだと思われる。こうした見解は、より広くフェミニズムのなかでも長く支持を得ている(Little 1999)。
- 妊娠における親密性のユニークさに関する以上の説明に基づけば、BrighouseとSwiftの議論は妊娠の絆にも拡張することができる。したがって、妊娠への利害関心は子供を養育することへの利害関心と同様の重みを持つことになり、それは妊娠する道徳的権利の基盤となる。この権利は、望むならば妊娠を選択することを道徳的に正当化するものである。
妊娠する権利の性格
- 体外発生技術が妊娠を希望するからその選択の自由を奪うという懸念を緩和するには、妊娠する権利の確立が必要である。
- ただし、妊娠する権利は絶対的なものでない。むしろこの権利は、妊娠者が胎児に対して信託義務を負うという条件のもとでのみ成立する。このことは、親になる権利が子どもの利害関心を適切に満たすという条件のもとでのみ成立するのと同じことである。たとえば、妊娠希望者が薬物乱用者で胎児の生命に深刻な脅威を与えるような場合には、体外発生よりも妊娠を選ぶという権利は剥奪されるだろう。
- とはいえ、多くの妊娠希望者は胎児の利害関心を適切に満たすと考えられる。実際、多くの妊娠者は、胎児の最善の利益のためにかなりの生活制限を受け入れている(Nelson & Milliken 1998)。
- 適切な妊娠環境の閾値をどこに定めるかは確かに議論の余地がある。だが、体外発生技術の使用に関する決定は〔妊娠環境に関する考慮だけで行われてはならず〕、妊娠を求める妊娠者の基本的な利害関心が考慮されるべきだと一貫して主張できる。妊娠希望者の妊娠環境が、〔体外発生技術が提供するとされる〕最適な妊娠環境以下ではあるが適切な閾値以上である限り、妊娠する権利は妊娠するという選択を保護する働きをする。言い換えれば、妊娠希望者は、体外発生ではなく妊娠という選択肢を正当化するために、「完全な子宮」を提供する必要はない。
- 妊娠希望者が体外発生を選択するよう圧力をかけられたり強制されたりすることの悪さは、妊娠する権利によってより完全に説明することができる。妊娠の絆の形成と妊娠経験は、人の開花繁栄に独特な貢献をするものなのだから、生殖の自律の剥奪は〔重みのない〕単なる欲求をくじくどころではなく、人の重要な利害関心を満たせなくするものである。体外発生技術がいかに最適な環境を提供しようとも、それを妊娠希望者に強要することは、妊娠するという基本的権利を侵害している。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/bioe.12404
- Räsänen, J. (2017). Ectogenesis, abortion and a right to the death of the fetus. Bioethics, 31(9): 697–702. https://doi.org/10.1111/bioe.12404
1. 序
- 中絶の権利の主要な擁護者は、妊娠を終える権利と胎児の死への権利とを分け、前者は存在するが後者は存在しないと考えている(Singer & Wells, 1984; Thomson, 1971; Boonin, 2003; Kamm, 1992; Warren, 1982; Manninen, 2013; Porter, 2013)。
- 〔[要約者注] 胎児の死への権利(a right to deathof the fetus)は、胎児を殺す(killing)か死なせる(letting die)かについては中立である。6節参照〕
- Mathison and Davis (2017)は、体外発生(ectogenesis)技術(=人工子宮)が利用可能になった場合を想定し、やはり胎児の死への権利は存在しないと論じている。
- 体外発生技術により、女性の妊娠を終える権利と胎児の「権利」が調停され、中絶を巡る議論は終わるとする声もある。
- M&Dは、女性が胎児の死への権利を持たないことを示すために、3つの論証への反論を行っている。
- この論文はそれらに再反論を加える。胎児の死への権利は存在する。
- ただしそれは女性の権利ではなく、遺伝的両親が共同でもつ権利である。
2. 生物学的な親にならない権利
【A. 「生物学的な親」の権利による論証】
- 1. 生物学的な親になることは、子供に対する親として義務ゆえに、カップルに危害を生じさせる。
- (生物学的な親は子供に対し道徳的責任を感じ、そのことが重大な心理的危害になるということ)
- 2. カップルは、親としての義務という危害を避けることに利害関心がある。
- 3. したがって、カップルは、親としての義務という危害を避けるために、胎児の死への権利を持つ。
- M&Dは、生物学的親にならない権利を認めると反直観的な帰結が生じると論じる。
- 代理母、配偶子提供者、子供を養子に出した親なども同様の道徳的責任を感じるかもしれないが、その時に子供に対する何らかの権利が追加で生じるとは思われない。
- だがこの反論は単なる直観に訴えたものにすぎない。直観を正当化するための適切な理論が欠けている。
- これに対し、配偶子提供者には親としての義務(と、おそらく権利)が実際に存在するとする多くの議論がある(Weinberg, 2008; Nelson, 1991; Beneter, 1999; Moschella, 2014; Brandt, 2016; Botterell, 2016)。養子に出した親に関しても同様(Porter, 2012)。
* これらの議論が正しければ、生物学的な親は、親としての義務という危害を避けるために胎児の死への権利を持つと考える理由がある。 - M&Dが行うべきだったのは、生物学的な親には親としての義務がないとする議論を展開するか、あるいは元の論証が失敗している別の理由を示すことであった。
- これに対し、配偶子提供者には親としての義務(と、おそらく権利)が実際に存在するとする多くの議論がある(Weinberg, 2008; Nelson, 1991; Beneter, 1999; Moschella, 2014; Brandt, 2016; Botterell, 2016)。養子に出した親に関しても同様(Porter, 2012)。
- なお、生物学的な親にならない権利は女性だけのものではない(pace Overall, 2015)。
- 生殖は2人が関与する共同行為なのであり、同様の権利は生物学的な父親にもある。
3. 遺伝的プライバシー権
- 体外発生技術が実現したさい、女性(および男性)が、当人の同意なしに、その遺伝的子供をもつ事態が生じうる。
- この場合、両者の遺伝的プライバシー権が侵害されており、これを避けるには胎児の死への権利を認めるしかない。
【B. 遺伝的プライバシー権による論証】
- 1. 人は遺伝的プライバシー権を持つ
- 2. 体外発生による中絶は、胎児の遺伝的親の遺伝的プライバシー権を侵害する。
- 3. したがって、遺伝的親は胎児の死への権利を持つ。
- M&Dは、遺伝的プライバシー権には一定の限界があり、よくても自分の全ゲノムが同時に公開されない権利がある程度だと述べる。
- 子供は母親から遺伝情報を50%しか受け継がないため、母親の遺伝的プライバシー権は侵害されないとされる。
- だが、遺伝的プライバシー権の限界に関する主張を認めるとしても、この議論が示しているのは、胎児の死への権利を母親が持たないことにすぎない。
- 子供は両親から遺伝情報を100%受け継いでいるのだから、遺伝的両親は胎児の死への権利を共同で持っていることになる。
4. 所有権
【C. 所有権からの論証】
- 1. 胎児は遺伝的親の所有物である。
- 2. 人は自らの所有物を破壊してよい。
- 3. したがって、遺伝的親は胎児を破壊してよい。
- 生殖補助医療における凍結余剰胚の扱いを考えると、前提1と2は直観的である。
- ここでM&Dは、所有物に対して行いうることには限界がある、と論じる。
- だが、この主張にどのような正当化が与えられているかはよくわからない。M&Dは所有者でも歴史的建造物を破壊してはならないとするが、他方で希少な絵画は破壊していいとも述べている。
- またM&Dは、胎児(および凍結余剰胚)は親の50%の遺伝情報しかもっていないために、その親は胎児(および余剰凍結胚)を所有できないとも述べる。
- だがこれも、胎児の死への権利が片方の親にはない理由にしかならない。胎児は両親の共同所有物であり、胎児の死への権利も共同の権利であると考えられる。
- さらにM&Dは、胚の作製には多くの人が関わっているために、親が所有することはできないという「労働混合論」(labor-mixing)も提示している。
- だが、遺伝的結合が道徳的に重要という上述の立場は親の所有権に有利に働くし、そもそもこの議論はIVFの場合にしか通用しない。親は子供を所有しないという点に訴える人がいるかも知れないが、それは子供が人格だからであって、労働の混合とは関係がない。
5. 生物学的親が胚の今後について意見を違える場合
- ここまで、生物学的が親は胎児の死への権利を持つと論じてきた。
- だが、体外発生が可能になり、かつ、生物学的両親が胚の今後について意見を違える場合には、どうするべきなのだろうか?
- この場合、両親が同意しない限りは胚を殺したり死なせたりするべきではないと考える理由がある。
- まず、両性は性交することによって、その可能な帰結を暗黙裡に受け入れていると言える(Weinberg, 2015)。
* 性交の帰結には二人が共同で責任を持っているのであり、(これまで述べた理由も合わせて)、胎児の死への権利は集団権利(collective right)である。集団権利は一人では行使できない。 - 遺伝的両親の見解が違える場合には、現状維持アプローチをとるべきだと思われる(本論文では、このアプローチの十分な正当化は行わない)。
* つまり、変化させることは、そのままにすることよりも、強い正当化を必要とする。 - 妊娠への介入がない場合、胎児は子宮の中で発達する。したがって、現状維持アプローチによれば、胎児の死を望むのが片方の親でしかない場合には、胎児を殺したり死なせるべきではない。
- 体外発生技術が実現している場合、胎児はそのまま発達し続けられるように人工子宮に移されるべきである。
* 胎児を子宮から取り出す処置が、結果として胎児を死なせる中絶よりもはるかに母体に有害な場合は、この限りではない。
- まず、両性は性交することによって、その可能な帰結を暗黙裡に受け入れていると言える(Weinberg, 2015)。
- 別の事例:元妻が元夫との間に作った凍結保存胚で妊娠したい場合。
- この場合、元夫が同意しない限り、元妻は妊娠すべきではない。だが逆に、元夫は、元妻が同意しない限り、凍結保存胚を破棄させることもできない。
- このことは、胚は使用されないにも関わらず無期限に凍結保存されるべきであるという奇妙な帰結を生じさせる。が、そうするべきなのである。
- さらに別の事例:生物学的父親が不詳または匿名の場合。
- 本稿の範囲外である。ただ、匿名の場合は権利を放棄したとみなし、母親のみが胎児の死の権利を持つと考えて良いと思われる。
6. 結論
- 遺伝的親は胎児の死への権利を持つ。
- なぜなら、同意なき体外発生は、生物的親にならない権利、遺伝的プライバシー権、所有権、を侵害するからである。
- この権利が存在するために、体外発生技術は中絶に関する論争を終結させない。
- 胎児の死への権利を主張した人はこれまでもいた(Ross, 1982; Mackenzie, 1992; Overall, 2015)。
- だが本論文は、この権利はカップルが共同でのみ行使できる集団権利であるとした点で、これらと一線を画している。
- なお本論文では胎児を殺す権利までは擁護していない。
- また本論文の立場には平等という価値がある。体外発生技術に際して両性は平等に権利を行使するとしているからである。