パトカーに追われる (original) (raw)
朝のおさんぽ時、鼻に入ってくる空気もすっかり冷たくなった10月半ば。
周囲の景色も黄色味がかって来ました。
このさんぽ道には犬仲間の置き土産がたくさん落ちています。
中にはとても良い香りがするものもあって、ついつい口にしてしまう私。
その度に「Non!!」とパパとママに怒られるのですが
え、ダメ?なんで?
あ、そういえばダメって何度も言われた記憶が。
あ、そうだった。拾い食いはダメ。ましてや他の犬の置き土産をいただくなぞ言語道断。
人間社会の中で噛み合わない本能と理性とを行ったり来たり、同じ過ちと反省を繰り返している私であります。
過ちといえばつい先日、ママもご自分の過ちによって割と派手な騒動を引き起こしてしまったようです。ママという人は、フツーに生きているだけなのにどうもフツーは起こり得ない出来事に遭遇してしまうタイプのようで。
ことの始まりは、ママの習い事にありました。
最近ママ、ピアノを弾く坊ちゃん達2人に感化されたのか、中年の危機だか、ボケ防止だかなんだか知りませんけれど約30年ぶりにピアノレッスンを再開されたんです。
坊ちゃん達の習い事の送り迎えは意地でも遅刻しないようにとピリピリするくせに、自分の習い事となると「自分は後回し」癖と「大人の事情を解してくれる先生への甘え」とで、いつも遅刻気味になってしまうママ。
でもその日は、何を置いても今は自分のピアノレッスンを優先する時間なのだ!と、早くに家を出発されたのです。
私にも「行って来ます。お留守番よろしくね。」と、いつもより心なしか短め散歩、かつドライな挨拶の後、急足で玄関に向っていったママ。
そんな彼女の決意の表れた後ろ姿を見送りながら、ついにママも自分軸で動かれるようになったのですねと、娘犬として嬉しくも、一抹の寂しさを覚えたのでした。
ところが、その数時間後。
お帰りなさいませ〜ピアノレッスンいかがでした!?と、パタパタ尻尾を振ってお迎えした時私が目にしたのは、ひどく打ちのめされたミゼラブルなママの顔でした。
バッグとジャケットをポンっとソファーに投げ捨て、
「どうせな、こんなもんよ。はいはい、分かってましたよ。自分のために何か頑張ろうとしたって、絶対いいことないんよ。」
と、投げやりな態度で台所の作業を始めるママ。
・・・いかん。ママが負のスパイラルに落ち入りそうな予感。ここは私一旦、彼女の話を静聴することにしたのでした。
どうやら事件は、ピアノレッスンに向かう途中の道路で起こったようです。
先月13日の金曜日事件(壁との接触事故)により車を修理に出していたため、その日ママは代車を運転されていました。
慣れない代車の運転ということも踏まえ、かなり時間に余裕を持って出発され、順調にその道程を走行されていたところ、ママの前方に最高速度30キロ制限の農家のトラクターが現れたそうです。
いくら時間に余裕があるとはいえども、30キロ制限トラクターの後ろにいたのではまた遅刻してしまう。反対車線に対向車が来ていないことを確認し、そのトラクターを華麗に追い越して気持ちよく走り続けておられたところ、後ろからサイレンを鳴らしたパトカーが走ってくるのをバックミラー越しに確認されたそうです。
パトカーや救急車が来た時には速やかに道路脇に寄って道を空けてあげること、と教わった通りに、ママは速度を少し落としつつ右端に車を寄せ「さあどうぞ、向かうべき事件現場にお急ぎください」と心の中で走り去るパトカーに話しかけていたところ、パトカーは走り去らずにママの左横につけて来るではありませんか。そして、窓ガラス越しに激怒顔の警察官がママを睨みつけている!
「え?事件は私?これまた私は一体何をやらかしたのだー!?
ああ、分からない、分からない。
でも、この強面おじさんから罰を受けるために車を止めないといけないのは確か。でも、右側にはしばらく歩道確保のための段差が続いている。その激しい段差はこの車で乗り上げれる気がしない。かといって、段差を乗り上げずに止めたならば、この狭い道では後から来る他の車が通行できなくなってしまう。
どうすればいい、どうすればいい!?」
パニック状態の中、サイレンを鳴らし続けるパトカーに追われながら走り続けた数十秒間。
ママの脳裏には、日本のドラマでよく見かける薄暗い灰色の取調室に何時間も拘束され、今しがた見た激怒顔の警察官に厳しい詰問を受けるご自分のイメージが浮かんでいたそうです。
そんなイメージと格闘しつつアワアワしていたら、歩道ゾーンが途切れたところがようやく見つかり、ママは恐る恐る車を脇に寄せて止めたところ、その後ろでパトカーは「こういう時はこうやって駐車するもんなんだよ、この能無し野郎が!」と言わんばかりに、ブー!!と一度クラクションを鳴らして、歩道と道路を仕切る段差なんて屁でもねぇと、段差をガンッと乗り上げて止まったのでした。
そこからゆっくりと、睨みをきかせながら胸を突き上げて向かってきた警察官。怯えたリスみたいに小さくなったママの座席横に立ち、「免許を出しなさい」と言ってママを見下ろしました。
「な、何が起こりました?何が問題でしたか?」と、ママが戦慄きながら免許を差し出し尋ねましたところ、
警察官は深く息を吸って一度吐いた後、
「何が問題だったかって?これから、説明してやろう・・・。
前にトラクターが走っていたのをお前は追い抜いたよな?
あそこは、追い越し禁止車線だったんだよ!
しかも、50キロ制限のところを、お前は時速60キロ出して追い越したんだ!」
あ。そう言われればママ、追い越す時、少し先に追い越し禁止車線(うっすい消えかかりそうな線)が見えていた気も。
そしてスピード違反。それは完全に盲点だったそうです。
慣れているマイカーには、デジタルヘッドアップディスプレイかつ自動速度調整機能が付いています。その一方、代車は古いモデルだったようで、アナログメモリを読むスピードメーター。そう、ママにはスピードメーターを読む習慣が欠如していたのです。
スイスでそれらの交通ルール違反に対して、どんなペナルティーが課せらられるのか全く検討がつかないママ。
「ご、ごめんなさい。全然、気ヅカナカッタ・・・。アノネ、今日これ代車なんデス。普段はね、ココにね、ホラ、このフロントガラスにネ、スピードが見エルンですよ。私、それ、いつもは見テルノ。ぜったいスピード見テルノ。でもね今日はこれ、私、見エテなかった。ごめんなさい、スミマセン、モウシワケナイ・・・。」と、ご自分でももう、何を言っているのか分からないフランス語で精一杯の言い訳と謝罪を述べられたそうです。緊張と恐怖でもう喉はカラカラ。
強面警察官もそんなママの必死さがおかしくなったのか、少し顔を緩ませて
「代車でも、スピードはチェックしないといけないじゃないか。普段と違う車運転する時は、頭きちんと切り替えないと!」
と威嚇モードから諭しモードに変化していったそうです。
ママ「全くもってその通りですよね・・・本当にごめんなさい・・・。」
警察官「・・・フム・・・・気をつけるんだぞ。」
と言って、免許の情報を記録することもなくそのままママに返してくれたのでした。
ーとまあ、これがママのミゼラブルな顔の原因だったわけです。
今もなお、ママの交通ルール違反が放免されたのかは不明ですが、とりあえず、その場でペナルティーを宣告されなかったことは朗報であったと信じたいですね。
ママはその動揺からか、それから数日は何をしてもうまくいかないことが続いたようで。
「私が何かに意気込んで行動を起こした日に限って、悪いことが起こるのはなぜだ?」と嘆き、ついにこんなことを言い出しました。
「私はもはや、主体性を持って生きるべき人間ではないのだ。
"主体性"や"らしさ"などは、周囲のハーモニーを崩壊させる原因にしかならい。
主体性からの脱却こそ我の目指す方向、生きる道なのかもしれない。
残りの我が人生、主体性が孕む自己矛盾と折り合いをつけれることもなくただ格闘続けるのみ。あゝわが苦悶の道。」
・・・えーっと、すみませんが・・・
そんなに大きい話でしたかね?
ご自分のだらしなさを反省して遅刻しないようにしたけれど、たまたま運悪く警察官に捕まっちゃって、思ったようには事がうまく運ばなかった。まあ、そんな日もあるよね。
という話なだけじゃないでしょうか?
一旦暴走しだすと止められない、無限に広がり続けるママのメロドラマ的ネガティブ想像力。彼女をこの地球上に引き留めなければ。
そこでモカチーノ、心の一句を・・・
秋風や
母の心に
寄り添わん
どうか、秋風吹く地球へお戻りください。