水のあれこれ 368 「享保の川奉行の掟」のある清水川 (original) (raw)

五個荘の街並みと田んぼと水路はもっと時間をかけてみたかったと、後ろ髪をひかれながら国道石塚バス停から近江八日市駅に向かいました。

県道209号線沿いに走り、東海道新幹線の高架橋を過ぎるとじきに左手は広い水田地帯、右は小高い山が迫ってくる場所になりました。

地図ではこの五個荘木流町(きながせちょう)あたりで南側から流れてくる水路が集まっています。このあたりも愛知川の段丘の上という感じでした。

歩いてみたいと思う風景が続き、また市街地になり近江八日市駅に到着しました。

八日市清水の分水路らしい場所まで歩く計画ですが、駅の南側に「清水川緑地」という公園があるようなのでそこを目指しました。

*清水川散策路*

緩やかに蛇行する住宅街の道を歩くと、小さな川がありました。地図ではこの少し上流から忽然と始まる川です。

そばを歩き始めると木の案内板があり、そこから数段の石段を降りて水辺を歩けるようになっているようです。

その木の案内板の内容は、読みやすいように要約も書かれていました。

蒲生郡小脇郷澤堀さらへ

氏度出来候上者土砂塵芥

一切掃込申間敷候惣而澤

川筋麁抹之儀仕間敷候

違乱之者於有之者可為

曲事者也

享保十四己酉 二月 川奉行

(要約)

蒲生郡小脇郷澤堀を浚へたるについて

毎度出た土砂又はゴミは

一切澤堀へ掃込まない総べて澤川筋は粗末にしてはならない

違反したものがあった場合は処罰をする

享保十四年己酉(一七二九年)

二月 川奉行(河川を管理監督する役人)

水路の幅は数十センチでしたが、水が流れています。

のんびりを歩いていると、反対側の住宅地から石段があって、かつては水辺を生活用水としていた跡もあります。

どこまで続くのかなと楽しみにしていると、数十mほどで上の車道に戻る石段になりました。

そこにゴミが捨てられていたので「(えい不届者め)」と思いながら線路を渡って反対側へと歩くと、「新清水川」として真っ直ぐ伸びて清冽な水がその先の水田地帯へと流れていました。

*清水川湧遊プロジェクト*

八日市清水、暗渠だけかなとちょっと落胆し始めたのですが、なかなかすてきな用水路と家並みのある街でした。

とまとめてこの記録を終えようと思ったのですが、当日「清水川湧遊プロジェクト」とメモしていたのが気になって検索してみました。

まず「清水川(しみずがわ)」と思ったら、「清水川(しゅうずがわ)」と読むことを知りました。「八日市清水」は「しみず」で良いようです。

ほんと、日本語は難しいですね。

そしてその歴史を知ることができました。

地域住民の力と支援で清水川湧水地に清流戻る

滋賀報知新聞、2010年3月30日)

沿岸のサクラも美しい市街地の親水公園に

◇東近江

かつての清流を取り戻そうと地元住民の取り組みで再生した清水川湧水地(東近江市八日市清水一丁目)の完成を祝う竣工式が二十七日、清水会館で行われた。

清水川湧水地は、下流域のかんがい用水を引くために造られたもので、江戸時代の愛知川節分水古地図にも記載され、昭和四十年ごろまでおよそ三百年余りの長きにわたり、水田を潤す農業源水として役割を果たしてきた。

愛知川ダムの完成により、水田用水としての役割が薄れ、と同時に地下水系の変化により水位が下がり、かつて満々とたたえていた清水は枯れ、川底にはゴミや雑草が目立ち、街中の美しい水辺景観は失われていった。

こうした状況を住民の力で改善し、かつての美しい姿を取り戻そうと整備計画が進められ、護岸の石積みの積み直しなど修景が行われた。平成十九年には、住民組織の「清水川湧遊会」が立ち上げられ、清流を取り戻す事業「清水川湧遊プロジェクト」がスタート。

TOTOの水環境基金や同社滋賀工場からの社員ボランティアの支援、市のまちづくり建設資材支給事業補助金第一号を受けて、地下水をポンプで汲み上げて湧水地に送水する水路や深かった川床を盛り上げ、止水シートの上に清水が曲線に流れるように石積みの小川を造るなど、各方面の支援と住民らの自力で延長八十五メートルの清流を二年かけて蘇らせた。

竣工式に招かれた西澤久夫市長は「住民自身の手でこのような大がかりな工事が行われたのは、東近江市になって初めてではないかと思う。お見事と申し上げたい。このまちをよくしていこうと思う住民みなさんの力の結集が実を結んだのだと思う」と祝辞を述べた。

完成した清水川湧水地は、これまでと違って子供たちが安全に遊べるように造られ、もうすぐ咲く護岸沿いの多品種のサクラ並木や秋の紅葉が清流の水面に映る市街地の親水公園として生まれ変わった。

あの日歩いた「延長八十五メートル」の散策路は、こんな歴史があったようです。

検索しなかったら知らないままで終わっていました。

そして1980年代から90年代あたり、こうしたそれぞれの地域の中の静かなうねりで日本各地の川がきれいになり始めたのかもしれませんね。

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