散歩をする 524 水神橋から新幹線沿いに歩く (original) (raw)

新幹線沿線を歩くと新幹線に乗りたくなり、新幹線に乗ると今度はまた沿線を歩きたくなるという無限のループに陥っています。というわけで、4月中旬の奈良から戻って10日ほどでまた散歩に出かけました。

前回は相模川右岸から歩いて豊田本郷駅バス停まででした。

そこまで歩くとあのE席から見える山肌に建つ北欧調のカラフルな家々がすぐ近くです。

そして新幹線はしばらく山あいのような場所とトンネルを潜りながら国府津の先で一気にまた開けた場所へと出ます。

この山あいの沿線はどんな街なのだろう、途中トンネルで途切れるのをどうやって線路沿いを歩けるでしょう。地図を見ながら作戦を立てていました。

金目川の水神橋から歩き始める*

新幹線が金目川をわたるそばに水神橋バス停を見つけました。これは水の神様に出会えるのであれば幸先の良いスタートになりそうです。

小田急線秦野駅から平塚駅行きバスに乗りました。秦野も水が美しい街で好きなのですが、先を急ぎます。金目川沿いは穏やかな丘陵沿いの街並みと田畑と美しい風景です。車窓の風景に集中しているうちに高麗山が近づき、水神橋バス停で下車しました。

東海道新幹線まで数百メートルですが、水田地帯しかないので線路がすぐ近くにあるかのように見えます。

近くを歩いてみましたが、「水神」の由来になるようなものはなさそうです。

金目川右岸の堤防の上を線路に向かって歩き始めました。何本か通過する車体は、いつもの白に青いラインではなくやはり薄黄色でした。

ここから1kmほどはただただ田んぼと畑の中を歩きます。ウオーキングをする地元の方もけっこういらっしゃいました。

毎日新幹線を間近で眺められる生活、うらやましいですね。

この辺りの田んぼは水路がなく、パイプラインで送水されているようでした。

田畑が終わり、あの平塚ポンプ所の横を過ぎるとカラフルな家々がぐんと近づきました。

山肌に建つあの家々の下には車窓からは見えないのですが宝寿院というお寺があり、その前を通る蛇行しながら西へと続く道は旧街道のようです。古い立派な門構えの家や、以前はよく見かけた一戸建ての市営住宅と、車窓から見える景色とはまた違いました。

*出縄地区*

新幹線の北側の道は山へと入るようなので、南側を歩くことにしました。地図では蛇行している道が描かれています。

八坂神社の手前の鮮やかなツツジに見とれていると、その先はすごい上り坂で、竹藪や森で鬱蒼とした道になりました。これは引き返した方がよいかと悩んでいると、上から住人らしき人が降りてきます。どうやら住宅地があるようです。

坂を上ったところに1970年代ごろくらいからでしょうか、住宅地の一角がありました。新幹線はその北側150mほどのところを通っているのですが、不思議と気配もありません。

住宅地を抜けるとまたもう一段高いところへと坂道があり、病院がありました。

その裏手が切り通しになっていて新幹線の線路がそこを通っていました。それでトンネルでもないのに走行音がほとんど聞こえなかったのでしょうか。

病院の反対側に何か石碑がありました。

〇〇記念碑

出縄地区は丘陵地にあり昔から道路らしい道路もなく農家の人々は天秤を肩にはしごを背にして朝早くから夜遅くまで農作業に耐えてきた。この重労働から解放すべく昭和二十六年に道改良を行ったものの時代の波は農機具の大型化・自動車の利用のための大型農道の必要性が高まってきた。そこで出縄自治会内に開発委員会を設けて検討を重ねた結果昭和四十二年に土地改良組合を設立し神奈川県及び平塚市の協力と助成を受けて出縄四六七番地より四〇二番地、五五一番地より四三九番地までの区間の工事に着手したのである。この道路建設に対しては受益者が四割という高負担を捻出することは大変な労苦があった。この間役員を始め各関係者の並々ならぬ努力により昭和四十四年三月完成を見る事が出来た。

昭和四十八年には平塚市に譲地しその後出縄市道九号線、十号線として現在に至る。

この道路に献身的努力を尽くされた関係者の功績を称えると共に道路完成を祝して記念碑を建立する。

昭和五十六年十月吉日

彫られた内容を読んで、旧字で読めなかった部分が「道路」であることがわかりました。

私が小学生の頃は、まだまだ道路一つ作るのもこんなに苦労があり、しかも自己負担して完成したあと自治体に譲るようなこともあったとは。すでに「先進国」とか言っていた時代だったのですけれどね。

こういう歴史を知ると、被災地の復興にも「人が少なくなるのに無駄な税金を出す必要はない」とか簡単には言えないですね。

新幹線の線路沿いを歩くと、思わぬ歴史に出会います。

さてこの病院の先は、また見上げるような坂道です。

地図では住宅地もあるしと選んだ道ですが、その険しさに予定していた二宮駅までは歩けなさそうに思えてきました。

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