float in the air (original) (raw)

かなり不快であった出来事を何人かに話してみた。いつもやさしいひとたちの表情が一瞬、きっ、と怒っていた。それで私の心も急速に大丈夫になってきた。このようにしてきちんと距離をとること。

人がちゃんと話を聞いてくれると、わかってくれると、そしてそのような人がいるということを理解したのはほんの8年前くらいから徐々にですという感じで、まだこの歴がとても浅い。

違和感のキャンドルを、まず私が私のために捧げ持ち大切にいられること、ぽそぽそくすぶる火の種を鏡に移して、ああ確かだね、確かだねって確かめること。

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ここは私の部屋なのに、かめむしが綿毛を抱くようにしてしんでいて、少し許してしまったこと。

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窓を開けられた展示室で絵を見ているときに祝福のような黄色いちょうちょが入ってきたこと。

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撮影をしてはいけませんの場所で、私だけのためにめいいっぱい眺めた緑と窓辺。

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出力を調整しない、遠慮をしない、やりたくないときにむりにやらない、逆にそれらを強いられるように感じたならば多分もう居場所のほうを変えるとかつくるというような、私の私への責任があること。

自分はかつて、中世のヨーロッパの令嬢で、東洋的なものに恋い焦がれていた──うつくしい日本語を話すこと、うつくしい日本で暮らすことを夢見て、そのどれもがとても難しい時代に生きていったのではないか、という設定でいま世界のをみては、わたしは主語の存在が曖昧なまま淡々と文章が成り立っていく言語をこんなにも自由に操って、こんなにも自分の意思で好きな場所に暮らし、日本をすっかり生き慣れていることに感心するという想像の遊びをすることがあった。

また本当は、(村の男ども、みたいな人たちより)自分のほうがものごとをきめ、ひとびとをまとめ、お金を適切に扱うことができるように思っていたものの、その権利などがなかったのかもしれない。
一方いまはもはやそのすべての準備ができているのかもと。

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今年に入って、まったく同じ生年月日に生まれた女の子に出会って、私たちは6月6日うまれのふたご座。それで、不思議なことだなと思って、過去世がみえることがあるという共通のお友だちに話をきいた。私たちがかつて一緒にいた場所はおそらくいまふたりのいる京都で、平安時代、ふたりとも十二単のような着物を着ていて、それでわたしはとても天真爛漫で、その子から守ってもらうような存在であったという。

女性の身体で生まれてついに/これまででいちばん自由に生きられる時代(世界にまだまだ、そうでない場所があって、日本でだっていとも簡単というわけではないが、それでももっともその選択肢を進むことを、日々には奇跡的なほどに命の危機を感じることなく、えらぶことをしやすいという幸運のもと)というのを前にも耳にしたことがあったけれど、いま改めておもった。

自分のひかりを小さくしないように、まわりにあわせないようにという言葉をもらった。わたしのひかりをあらわす言葉は「ぺかー!」を表現されていたのが面白かった。

無自覚はある意味で無邪気さであり、ときに謙虚さのまねっこような安心を与えてくれるかもしれないが、ときに乱暴でもある可能性もはらんでいると思っていて、なので信じきれなくても信じてみたいまま扉をしめないことや自覚を持って試すことを大切にしたいと思った。つまり疑わないこと。

最近ぼんやり確信を持っていた、出力を調整しないということ、時間や順序をきにしない思いつくままのやりかたでやること、ひとに教えるときに「できるよー!」の心持ちを一緒にさずけるのだということ、でもある。

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昨日みたオラファー・エリアソンのスタジオキッチンについての本「THE KITCHEN」にあった、生命科学者の柳澤桂子さんの言葉。

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わたしにとって、とても重要な北極星のようなひとの、blogが10年前の今日に始められたというのにこっそり気がづいて、そして今日たまたまその方のお店に行った。今日という日は京都で送り火がなされるひでもあるので、大切なことのように思って急いで最初の日記を書く。

夢物語みたいなものだからねと言って授けてもらったいっこの前世と、それ以外のいくつかの人生があったらしい私の最新のシリーズについての記録。