小諸にて (original) (raw)

辰年八月十五日。于蘭盆。今朝は起きがけに寒くて暖房をつけた。ロッジのレストラン(プラトー)のテラスで林のお庭を眺めながら、ゆつくりと小一時間の朝ご飯(和風)。連休明けで今日はさすがに泊まり客も多くない。昨晩はソプラノ歌手(田中彩子)のコンサートがあつたさうで客の年齢層は少し高い(アンコール曲にサウンドオブミュージックが入つてゐた)。10:20にロッジを出るシャトルバスで野辺山駅。一人の客が小海線小淵沢行きが次は12:46発だと駅員に言はれて「えー、10:22ってないのー?なんでー?」と聞き分けのない幼子のやうに駅員に不平たら/\。10:22といふのは夏季繁忙期運行の臨時列車(八ヶ岳高原列車)で昨日なら連休で運行あつたが今日は9月の単なる平日。残念でした。

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小海線で野辺山の次の信濃川上から東南アジア出身の技能実習生が8名ほど乗つてきた。彼らの故郷よか辺鄙なこのあたりだらう。この列車の次の小海線下り列車は4時間後なのだ。

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今日はよく晴れて沿線から八ヶ岳がとてもよく見えた。だが最高峰の赤岳は標高2,899mもあるのだけれど小海線が標高1,500mもある高原を走つてゐるので八ヶ岳が高原野菜の畑から近くに見える連山であるためか余計に「高く感じられない」。アタシの感覚では関東の平原で筑波山の方が高く見えてしまふ。この高原は八ヶ岳噴火による火山麓扇状地。それにしても広大。おそらく標高1千m程度の山々を噴火の土石が埋め込んでしまつて形成された平原なのかしら。小海線の高度が下がるに従ひ列車は平原から千曲川に沿つた山間の崖の間を走る。海尻から松原湖間は景観も格別。中込駅小海線の運行本部があるところ。ホームに面した駅舎の壁に、これまでの記念列車のプレートが掲示されてゐた。

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のどかな小海線も新幹線の乗換駅である佐久平で様相が一変する。佐久市は新幹線の駅開業で今でこそ人口が社会的増加率高く長野県で長野、松本、上田に次ぎ人口も10万人近いが、かつては町村合併の中核のない町だつた。

佐久市 四つの町村が合併した「多核都市」|地図から信州が見えてくる

それが今では駅を中心にホテル、道路沿ひに家電店や商業施設など並んで賑やかなもの。それに比べ小海線が旧信越本線に接続する小諸は浅間山観光の拠点とはいへ都市開発では「置いてけぼり」な感あり。それがそれでまた良い風情のある街並みになつてゐるのだが。小諸訪れるのも初めて。小諸蕎麦といへば〈草笛〉が人気だが長野駅ビルにもあり。そこで〈そば蔵 丁子庵〉へ。古い米商店舗を改装。野沢菜漬で酒は地元小諸の浅間嶽。天ぷら。とろゝそばとくるみそば。最高気温摂氏31度。猛暑でとにかく紫外線が強い。北国街道沿ひの古い建物を見て歩く。坂の街並み。小諸郵便局。馬場裏なる狭い通り。明治期に自由民権の小諸義塾で教鞭とつた島崎藤村も妻と利用したといふ古井戸。大塚酒造。昼に飲んだ浅間嶽の酒元がこちら。とても好きな味だつたので純米酒(四合瓶)1本贖ふ。

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小諸城の大手門から鉄道線路潜り三の門へ「下る」。いずれも重文。なるほど小諸の城下町から小諸城はずつと低地にあり登城ならぬ下城。小諸城は日本でも珍しい所謂「穴城」と呼ばれる形。三の門から先の小諸城址(懐古園)は有料で入らず。近くの小諸義塾記念館は本日休館。

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関ヶ原の戦ひに先立つ徳川方 による上田の 六連銭 真田征伐で東軍が本陣としたのがこの小諸城徳川秀忠が坐つたといはれのある石も城の外にあり。その木陰からニャーと呼ばれる声がしたと思つたら一匹の白猫。秀忠現れたか。

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小諸駅に戻り予定より一本前の電車で軽井澤へ。

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軽井沢乗換は2020年に横川から峠越えのバスで軽井沢に着き長野行きのしなの鉄道に乗り換へ以来。その時と同じく今回も駅舎周辺から動かず。旧軽井沢の軽井沢銀座なるものも未知。予定より1本前の新幹線に乗車できる時間で、それなら東京で野暮用あつたのだが軽井沢から水戸までの乗車券購入の場合、軽井沢は「東京近郊区間」ではないので水戸までの区間で途中下車可、運賃等は特例で東京駅まで問題ないのだが途中下車は経由地の日暮里のみ。だから有楽町に用事がある場合、新幹線を上野で下車して国電で日暮里まで戻り途中下車して有楽町へ行かなければならない。うつかり「軽井沢→水戸」の乗車券で有楽町に出てしまふと「前途無効」。なので予定の電車まで小一時間待つことに。

軽井沢駅は連休明けとはいへかなりの人出。軽井沢の別荘に東京から遊びに来た友人を送迎する品川ナンバーの別荘住人とか、駅周辺の人々の表情からしての「軽井沢感」。軽井沢の舊駅舎が保存され「しなの鉄道」の施設になつてゐて、そこに穴場の休憩施設あつて、そこで冷たいビールを飲んで休憩。軽井沢とてまことに猛暑。これでは避暑にもならず。新幹線はすでに座席予約もして特急券もあつたので軽井沢→水戸の乗車券を「大人の休日割引」で購入しようとしたら「この券売機でお求めの切符は購入できません。係員のいる窓口へどうぞ」と出てしまふ。みどりの窓口は1つしか開いておらず(怒)長蛇の列。新幹線の時間間もなくなので改札の職員に事情話して乗車証明貰ふ。車内か駅で精算を、なのだが現金で、しかも割引はない正規料金だといふ。それでも最近のJRの窓口職員など小僧小娘ばかりでアテにならない(かつての国鉄のエキスパートたちが懐かしい)。新幹線の車掌も何だか頼りなさうな若者なので無視。上野駅の新幹線改札も娘さん二人で余り何もわかつてゐないやうで上野駅構内のみどりの窓口に連れてゆかれる。窓口の娘さんも説明しても判断できず「先輩」に助け求めたら先輩女子はアタシの説明に「軽井沢から問題なく水戸までの乗車券がおとなの休日割りきで買えるはずなのですが」券売機の操作も間違ひなくカードを入れて行き先で水戸を選択で「この券売機でお求めの切符は購入できません」は不正常、窓口が混雑で発車時間までに対応できなかつたのも不可抗力、ゆゑにこゝ(上野駅)で軽井沢から水戸までの乗車券(経由:軽井沢・新幹線・上野・常磐)を所定の割引で発券するといふ。当方の言ひ分を信用した上での措置は(アタシの説明で発券上の操作ミス(例へば敦賀米原経由などJR東日本圏外の指定とか)があつたとは思はないでくれたのだらう)ありがたい。渡された切符は「発駅入鋏代幹 上野駅」とスタンプが押されてゐた。

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かつては東京の「北の玄関口」の上野駅常磐線のアタシらも乗降する機会少なくなつた。ホームの上のコンコースの「えきなか」にハイボールバーがあつて「うえのハイボール」一杯。サントリーの系列なのだが致し方ない。「うえのハイボール」は角ハイではなくバランタイン(ファイネスト)+カナディアンクラブ+アップルブランデーのハイボールなのださう。それが混合されたものがサーバーから出てくるとは。

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今晩は中秋の名月。なにが中秋だ!といふ暑さだが常磐線特急の車窓から江東の空に見事な満月。ちょうど千住にさしかゝるところで「東京拘置所と満月」狙つたが北千住を通過した列車は荒川放水路の手前でぐっと東に進路をとつて綾瀬に向かふので小菅では月は拝めず。