第41登城🏯沼田城(2024.9/25続日本名城116・群馬県) (original) (raw)

母と叔母との草津旅行、10時チェックアウト後、帰京の前に叔母が「道の駅 川場田園プラザ」に行きたいとのことで私は別行動でこの近辺で城巡り出来ないか検索したらさすが上州、真田の街。いくつもありました

200名城リストから岩櫃、名胡桃、沼田

しかし岩櫃と名胡桃は山城、母と叔母が買い物&往復&してくるまでの間で登城するに時間がなく沼田城に決めた

沼田城址(沼田公園)で降りて母と叔母は川場田プラザに。約1時間、探索して急遽登城となりました

沼田城

真田の里にして一門の老将・矢沢頼綱が城代を務めた天空の城下町

沼田と言ったら綱渡りの外交や戦略で守り抜いた真田氏の所領ですが軍事上の重要拠点として武田・北条・上杉という並み居る戦国大名が争奪戦を繰り広げた北関東の要衝の地です

大河『真田丸』でも沼田は中盤、秀吉の人質時代でもかなり取り上げられ、北条側と舌戦した沼田裁定は丸々1話使って弁舌をふるってましたね、利根川と支流の片品川や薄根川の合流地点に形成し、河岸段丘上70mの崖っぷちに築かれた丘城で、この地は東北方面は会津、東南は桐生、西は上田に通じるといった交通の要地のため戦国大名から大人気の草刈り場なのです

「守るに堅く、攻めるに難い」と。

名胡桃とセットで行かなきゃだったかな

天空の城下町 真田の里 沼田城

かつてこの地に、五層の天守閣を持つ沼田城がありました

現在は沼田公園として整備されています

まずは沼田市観光案内所へ

こちらがスタンプ設置場所です

マンホールカードがもらえるようですね、私はマンホールを撮影してコレクションしてるだけでカードが欲しいわけではないのでスルーしました

中には真田一色の展示パネルが綺麗に並べられてました

甲冑や城のジオラマ天守模型も展示。お土産等もありました、真田人気がうかがい知れますね

いざ沼田城趾へ、駐車場に幸村がいました。これが戦国無双の幸村なんですね

ちなみにこっちが信幸。信長の野望しかプレイしないので知らなかったが、ファイナルファンタジーみたいだ

信幸の紹介、戦国ファン増に大きく貢献したコーエーテクモ)、特に真田は絶大人気

公園内は綺麗に整備されてました、昨日に引き続き涼しくてウォーキング日和で最高です

復元された鐘楼

沼田城趾のシンボルタワーですね

204本も咲く桜の季節は見頃なのでしょう

沼田城は1532年、沼田顕泰が3年の年月をかけ築城。その後真田昌幸が入城し1590年、昌幸の嫡子信幸が城主となり、その後5代91年間真田氏の居城となりました。また1597年には五層の天守が建造。1681年、5代城主信利が江戸幕府に領地を没収され、翌年1月に幕府の命により完全に破却され、その後再建されることはなかった

真田丸でも北条側の板部岡江雪斎が少し触れてましたが1578年の上杉家の内紛は御館の乱のことですね、北条氏は氏政の時代。1580年に武田軍の昌幸が攻め落として矢沢頼綱(昌幸の叔父)沼田城代に。

1582年、織田信長の侵攻により武田氏が滅亡すると独立勢力となった真田氏は上田城の昌幸と連携して沼田城をそのまま頼綱が守ることとなり、60を超えてもなお、対北条戦最前線で防衛します

(矢沢氏はこの頼綱と親子ともども真田氏を支え続けた頼綱の嫡男・頼康もいますが大河では『真田太平記』と『真田丸』の真田氏が主役にならない限り登場しないのです😢)

気温もだいぶ下がって涼しくなりましたよねー、こんな公園、地元に欲しいです

子持山沼田駅利根川が見えます

ほんとに丘の上にあるんですね、車で来たので駅から歩いてきてないためこんな高地にいる実感はないです

真田信幸と正室稲姫

稲姫本多忠勝の長女です、忠勝は天下に勇名を轟かせた戦国時代一、二を争う猛将です

生涯57度の合戦をして傷一つ付かなかったといういわゆるチート。その忠勝の自慢の娘なだけあってしっかり武芸の心得もあり才色兼備だったと言われています

北条氏と真田氏による沼田を巡る攻防で取次した徳川氏が北条氏に沼田を明け渡すと約束したことにより、真田氏は断固拒否。面目潰れの徳川氏は真田領の上田に攻めますがこれを真田氏は撃退

膠着した情勢に割って入ってきたのが織田信長の後継として天下統一を目論む豊臣秀吉

真田氏と徳川氏に仲直りさせて真田に徳川氏の与力(徳川の下で助成するポジション)になるよう指示します

この和睦の証として本多氏が取り持って真田昌幸の長男と本多忠勝の長女が婚姻を結んだのです

(正確には徳川家康の養女にした後信幸と婚姻)

めちゃくちゃセクシーだな小松姫😂

このエピソードも騙し騙され裏切り裏切られの戦国時代にあって温かい人情感じますよね

武家の娘だけあって銅像も自分を下にして夫を立ててますね、この本多氏との縁が真田氏の生き残りを賭けた戦いに後々、実を結びます

信幸像も松代城巡りで高齢時(93歳まで生きてます)の銅像しかなかったのでこの信幸も良いですね、少し表情固いですが。。

信幸は関ヶ原で本多氏のいる東軍(徳川側)に、弟の幸村(信繁)と父の昌幸は西軍(石田側)に分かれてます、西軍は敗北しますので戦後、弟と父の助命嘆願の際、徳川への忠誠を尽くす証として父昌幸から頂いた「幸」の字を捨て、信之に改名しています。

真田丸での改名シーン「信繁が幸村に」「信幸が信之に」はフューチャーされてましたが信幸が家中の者たちに「信之」と書いた改名した紙を見せ、『のぶゆきの読みは変えん、わしの意地じゃ』とか言ってたシーンはしびれましたね!

演じたのは大泉洋

直感型の天才肌の弟と父に挟まれたお兄ちゃんの「この状況下で自分が真田の家をなんとかするしかない」という決めた覚悟を感じました

現在も発掘調査は行われ、土器や青磁が出土されています。自分が生きてる間にどれくらいの遺物が発掘されるだろうか

旧家から掘り出されたり学者が手つかずで未解読のままの古文書(書状)などが発見されて実はこの時こういう理由や思いがあったとか武将の人物像の見直しがあったりなど隠された歴史が何百年を経て現代に浮かび上がるのは歴史好きの醍醐味ではないでしょうか

(なんでも鑑定団にも期待してます!)

上州真田武将隊商い処 松之屋

ここは真田氏関連のグッズやお土産、特産品などが売っているのですがこの日は定休日😔

ガラス越しにグッズが見えて買いたかった!

大阪の陣の時の幸村でしょうか、無精髭具合が九度山での蟄居生活を感じさせます

これトイレです

このへんで母から連絡がありこれから沼田に向かうとのことで沼田城址を出て歩いて10分ほどの正覚寺

個人的に今回は小松姫矢沢頼綱を語りたかったので。沼田も関ヶ原合戦後信幸の所領となりますが上田と松代藩の初代藩主のため割愛

正覚寺小松姫の骨が分骨され祀られています

徳川氏の重臣本多忠勝の娘でありながら真田氏の一族となり、関ヶ原合戦で夫の信幸とともに心中察するに余りあるほど揺れたであろう稲姫

こちらは観光案内所に展示された稲姫肖像画

よく見ると真田の家紋である六文銭の甲冑と徳川の家紋である三つ葉葵の陣羽織りを着ています。真田家に家康の養女として嫁入りしている小松姫西軍につくと決めた昌幸に対し孫の顔を見せず開城を拒否した徳川家の顔と、翌日密かに昌幸の元に孫の顔を見せに行った真田家の顔が覗かせます

信幸が東軍についてるから両方、徳川の証とは思いたくない❗️

帰りは上里SAで遅い昼食

ラーメンとチャーハンの翼くんと岬くん、キン肉マンテリーマンなみの黄金コンビで。

今回ソフトクリーム食べてなかったのでここで🍦

まさか温泉旅行について行って城巡りするとは思わなかった、思わなかったが念の為持参したスタンプ帳がラリーできたのはよかった

ちなみに沼田城は2016年(真田丸放映時)に一度行っていた、その時も車で全て下道で行ったが沼田城のことは記憶になかった

当時の写真

行ったのは覚えてるけど城趾(公園)なので今回のように中に入らずすぐに真田丸展に行ったからかな、でもぶっちゃけここも記憶にございません

リアタイで真田丸にハマって見てたから行ったのだろうけど8年という年月は怖いですね☢️☢️☢️

ほぼ忘れてる。。

沼田城

・スタンプ設置場所

沼田市観光案内所

・交通アクセス

上越線「沼田」駅から徒歩で約18分

上越線「沼田」駅からバスで約6分「沼田局前」下車、徒歩約10分

これ徒歩と変わらなくない?