旅するおばさん (original) (raw)

先週はなかなかいい授業ができたと満足した一週間だったけど、今週はひさびさにクソ授業をしてしまった。クソ授業… 言葉は悪いが、文字通りひどい授業だった。

原因は準備不足。何度かしたことのある授業だったので慣れていたと思っていたが、実際は違った。生徒に何度か指摘されて、目覚めた次第。

間違いを乗り越えて教師は育っていくものだけど、こんなクソ授業をされた生徒にとっては「先生は成長できました」と言われても、えらい迷惑だろう。

そんなことを考えると、落ち込む。考えてもしょうがないが、もともとウツ気味なのだから、余計落ち込む。幸いなことに夜は眠れるので、体の不調はないが心はしんどかった。

こんな時はアニメを見て気分転換をする。今はアニメもいろんな種類があって、その時の気分で選べる。かつては、ドラえもんとかサザエさんとか、巨人の星とかガッチャマンとか、わかりやすい作品が多かったが、今はストーリーも複雑だ。

いいアニメを見ると、ついアニメ好きの生徒と話がしたくなって、授業トークと私語トークがごっちゃになる。オンとオフの切り分けがむずかしい。

学校が1つ学期を終えたので、明日から2泊3日で旅に出る。

ウツなのでキャンセルしたい気分になったが、踏ん張ってみることにする。旅行中は仕事のこともアニメも考えないよう見ないようにしよう。旅に集中することにする。

何があってもぶれない友人がいて、うらやましく思う時がある。朝方まで続くような仕事を何週間も続けたかと思うと、オフになると、山奥にこもってキャンプしたり、アイスランドにふらっと出かけたりする。忙しい忙しいとは言うが、辛いとか辞めたいなどの泣き言は聞いたことがない。どんな時も平穏だ。

彼女のようにはなれないが、私も自分を自由に解き放ってあげられるようになりたい。睡眠障害を治していったように、意識してオンとオフのそれぞれの時間に、自分をうまく乗せられるようにしたい。

そのためにも、もっと旅行してみよう。必要な時に、行きたい場所へ。

新宿の日本語学校時代の中国人教え子から連絡があり、新宿でランチをすることになった。今年、山口の大学院に入学して、楽しい院生活を送っている。中国にいる彼女が日本に来ているというので、観光をかねて東京にきたという。

日本語学校時代から妙に懐いてくれて、たまにこうして連絡してくれるのは嬉しい。客がほとんど外国人というレストランでの食事で、高価なしゃぶしゃぶをごちそうしてくれた。

一緒に付いてきた彼女もかわいらしい女性で、「では一緒に」などと言って、スマホやチェキで写真を撮った。食事が終わると、あっさり「バイバイ!」と手を振って、二人は人混みの中足早に去っていった。私に会いにきたのも観光巡りの一つか。ま、よしとしよう。

彼らに会う前に整形外科でリハビリ、そして医者に先日撮った左膝のMRIの結果を教えてもらった。膝の半月板に異常があるらしい。新宿を歩いたせいか、画像を見せられたせいか、膝が痛くなった。

医者から紹介してもらった大きい病院で膝の所見をもらうことにした。

手術が必要か、手術しないで温存か。この痛みを改善するにはどうしたらいいか。相談したいことはたくさんあるけれど、日本の医者は忙しすぎての不親切で、どこまで話ができるのだろうと不安。

余命宣言されるような大きい病気になった時、過酷な治療より緩和ケアを、と考えたことはあるけれど、命に関わるわけではない傷病の治療については、考えたこともなかった。痛みを取り除く努力はしたいと思うが、どこまで治療すればいいのだろう。

数年前、アメリカで変形性膝関節症の診断をされた時、手術のタイミングについて、「痛みによって人生が悲惨と思ったら手術をすれば」とアドバイスされたのを覚えている。

悲惨さレベルを最高10にとして、痛みを感じる今はいくつだろう。5ぐらいといったところだろうか。これが一日中続くなら、3でも5でも勘弁だろうけど、1日数時間ぐらいなら、「人生悲惨」はオーバーだ。と私は思うのだが、大きい病院の先生はなんと言うだろう。

今、暗い気持ちなのは確かだ。整形外科の待合室で、受付で長々と説明する老患者をよく見かけた。「そんな説明をそんなにしても」と思っていたが、その気持ちが今はよくわかる。今の私なら「どうされました」と聞かれたら、細かく説明したいところだ。

ここから人生の終わりまで、体のあちこちにいろんな痛みと出てくるだろう。膝の痛みはすでに始まり続いている。年を取るってたいへんなことだ、と改めて思う。

部屋の中で運動はしているけど、それでは足りないので外に出て歩くようにしている。スーパーは近すぎるので、少し先の図書館へ。CDを借りては翌日返すという日々がルーティンになりつつある。

借りるのは主にシティーポップ。80年代の音楽を懐メロ扱いするのはなんだが、昔をあれこれ思い出して懐かしい。なにより口ずさみやすい。ピアノで弾き語りなどしてみようかとアマゾンで楽譜を買った。

先日、数少ない日本語教師仲間に会ってランチした。こういう交流は私にとって大切な時間。公園を散歩して、私とは異なる生き方を学ぶ。通勤して、時間に拘束されて、人付き合いしながら働くこと。私にはもうできないけれど、新鮮な話を聞くのは楽しい。

同じ日にアメリカの友人とライン電話で話をした。共通の知人がナーシングホームに入居してまもなく5年。久々に会いに行ったという。もともとあった認知症がさらに進んでいたということ。

話を聞く限り、ホーム側は食事や掃除以外のサービスは乏しいそうだ。ゲームをしたり、外出したり、運動したりなどのアクティビティが行われている様子はなく、入居者はただ共有ルームでテレビを見ているだけ。

もちろん、それは訪問側の主観で、実態ではないかもしれないが、友人から聞く限り、あまりにも入居している知人の状態が良くなくて、そう想像してしまう。

田嶋陽子さんの『わたしリセット』という本を読んだ。都内の(おそらく高級)シニアハウスに入居されたとのこと。身綺麗な入居者、ワインを持ちこんでの夕食、楽しそうなおしゃべり… 自由に外出して仕事も趣味も楽しむ。友人のホームとはかなり待遇が違う。そりゃそうだ。友人のは公営ホームで入居者は低所得の認知症患者なのだから。

現時点で私はシニアハウスもナーシングホームにも入居したくない。できれば一人暮らしで、週数回誰かが通ってくれて食事を作りおきしてくれたり、掃除洗濯をしてくれるのがいい。食事は人とする必要はないと思うし、たまに人と外で会って話すぐらいがいい。

田嶋さんは、電話で言葉が出なくなったことがあり、それがきっかけで人里離れた場所に住むことに危機感を感じたそうだ。

私は駅近の都会に住んで病院にもスーパーにも近い場所に住んでいる。誰かのサービスが必要だったら徒歩圏内に全て揃っている。

一人暮らしができなくなったら。

その時、考えればいいだけ。高級シニアホームは無理だろうけど、小綺麗で立地が便利な場所がいい。「パルテノン」とか「コロシアム」?とか、おもいっきしのカタカナ名がいい。スタッフも私服にエプロンじゃなくて、シュッとしたユニフォームで、部屋の窓からは、思いっきり中央線が走っているような風景がいい。

介護が必要になったらとか、看護師が常駐しているとか、そこのところはまだ考えられない。まずは形から。今の私にはそれが大切。

夢のナーシングホームの現在地は、今こんなところ。

今日は働いた!

パートの非常勤講師とはいえ自由業なので、授業準備に平日も週末もない。

火曜日から水曜日の朝3時間と木曜日の1時間の週10時間授業するだけなのに、授業準備はしっかりと時間を取らされる。

木曜日の1時間が中途半端なので、もう少し授業を入れられないかとディレクターに相談したら、いろいろなアイデアを出してくれ、でも彼女の言う通りにすると労働時間が長くなりそうで、なんとか話の流れを自分のやりたい方向に持っていくようにした。

来学期から始まる新しい授業の準備を始めることにした。実現するかどうかはまだ分からないが、シラバスを書いて教材を何点か提案することになっている。

今日はいつもの運動の後、9時ごろから3時ごろまで一気に作業した。最近の私にしては長時間。やはり疲れる。でも仕事をしている時だけ、私は元気だ。

自由業は昼寝もたっぷりする。5分ぐらいで昼ごはんを作って食べて。

夕方、図書館に言って、一杯飲もうとサイゼリヤに行った。ワインとピザを頭に浮かべながら、席に着いたらスマホがないことに気がついた。財布は持っていたので直接注文はできたのだろうけど、なんとなくピザの気分じゃなくなって家に帰ってご飯を作った。

漢字と英語と(今週から)スペイン語と歴史の勉強をして、久々にお風呂に浸かった。WOWOWにしてはクソくだらないドラマを見ながら、体は温まったけど、湯上がりは汗が吹き出して始末に困った。冷たい水がおいしい。

明日は友達と会ってランチする予定。その後、足爪の修理に行く。安いピアスと、行列のできる肉屋さんでメンチカツ買おう。

まだ暑い日が続くとはいえ、9月もそろそろ終わり。衣替えをすることにした。

小さなクロゼットなので、冬服はスーツケースの中。夏服と冬服を全てベッドの上に広げて、おそらくもう着ることのない服や、ときめかない服(コンマリメソッド)は、リサイクルに出すことにした。リサイクルに出す服は大きな紙袋2つ分になった。

部屋を軽く掃除してから隣町へ。ユニクロのついでにタイ料理のお店に行こう。カオマンガイが食べたい。リサイクルボックスに服を入れて、化粧品店や雑貨屋を覗きながら、レストランの開店時間まで時間を潰した。なのに…

店のドアには「今日は開店時間を変更します」の貼り紙があった。この界隈ではおいしいタイ料理店ではあるけれど、ニューヨークのタイ料理屋を思い出した。ニューヨークは桁違いにおいしさが違う。バンコクで食べたのより、美味しかった。(きっとバンコクの方が本格的なのだろうけど)

朝から口がカオマンガイだったけど、寿司にスイッチした。そして回転寿司にログイン。汗だくで衣替えしたのと、水分をとっていなかったから、冷たいビールが美味しかった。

思えば、ニューヨークは、寿司も美味しかった。ラーメンも美味しかったし、スーパーで売られているカリフォルニア米も抜群に美味しかった。アメリカは食べ物がおいしいというと驚く人が多い。でも、日本食をはじめ、いろんな国の食べ物がおいしかった。

急に懐かしくなって、悪態をついてしまった。日本もいろいろおいしいけどね(と付け加えておく)

ブランコに乗っているような気持ちの揺れ。不安になってクリニックに予約を取った。睡眠障害で処方箋を出してもらっている通い慣れたところ。

バスに乗って行く隣町なので、アポの前に買い物や映画の予定も立てた。映画は、好きな作家の作品が原作。登場人物が小説のまんまで小説の世界観がよく現れていたのだけど、途中で寝てしまった。><

ストーリーはすでに分かっているので、眠っている分はなんのギャップにはならなかったけどちょっと残念だった。

クリニックはいまだかつてないほどの混雑ぶりで、予約時間より30分以上待たされた。事前のアンケートに時間をかけて回答したのだけど、医者は話を聞くわけでもなく、「睡眠が原因」と言い切って、すぐに処方箋を書き始めた。質問しかけても「睡眠睡眠」と繰り返す。どうしてもっと話を聞いてくれないのかな。なんとなくだけど、医者の方が治療が必要なのかもと思った。

整形外科でもそうだった。リハビリはしているし、運動もかかさずやってるけど、夜中に痛みで目が醒めることがあると言ったら、見ることも触ることもなく、「MRIを撮りましょう」で終わってしまった。日本の医者は忙しいんやね。

どうしようもなくて、病院に行ったのだけど、もしこれがアメリカだったら我慢するレベルだろうなと思う。治療費が高すぎて、気軽に行けたもんじゃないから。

命に関わるわけじゃないし、しばらく医者に行くのはやめようと誓った今日の私。

嫌なことが立て続きに起こった1週間だったが、7クラスのうち、明日1クラスを残して、6クラス全てが最高に楽しくて、充実した授業になった。

手前味噌だが、いい授業だったと思うし、生徒の顔を見るだけで幸せな気持ちになった。なによりも成長が著しい。ここまで話せるようになったのかと驚く。ハンドライティングが外国人っぽくない! 私よりも上手な字を書く人もいる。

非漢字圏の日本語学習者が、まじめに宿題をし、漢字を書き、クラスで発言し、どんどん質問して。もともと楽しいクラスだとは思っていたが、6クラスが揃ってこうなるのが驚いた。

たまたま送られてきた前学期のアンケート結果もすこぶる良く、ここまで褒められていいのだろうかと天にも舞い上がるような気持ちだ。

不愉快な言動をかけられたのは、生徒からではないし、そういう人柄だとわかっている人からなので、むかつくけれど傷は浅い。

こうしたウキウキ気分は、あっさり裏切られることはよくある。ダンスする気持ちを落ち着かせる。

この充実感はどこからきているのだろう。普段は鬱だけど、もしかすると、ただの躁からくる高揚感なのかもしれない。

今週は、授業前は、すごくわくわくした。その前の教材を作っている時から、「これは面白い授業になりそうだ」と予感がしたからだ。そして、その予感は的中した。

これが躁状態だからというのであれば心配ではあるけれど、鬱でも授業は楽しいし、しっかり準備もできる。

明日のクラスは、ずーっと前から楽しくない。全く別の学校で、生徒や教材にも、まだ慣れていない。アゲアゲの精神状態でも、楽しくないだろう。しらんけど。やめようと思ったけど、もうしばらく様子を見る。

鬱の時は、あまりいい判断ができなさそうだし。

クリニックに行ってみようかな。