筆をとった次第です(仮) (original) (raw)

2024年4月中国貴州省の籠店にて。「籠屋さん」って言い方は校正的にはNG?

わでぃへ

文章が書けない日々が続いています。もやもやもやもや。悩みという悩みがないから、言葉にできない程度にざわめいている感じです。

もう、1ヶ月以上も前ですが、8月の一時帰国でみんなに会えて本当に嬉しかったです。その時にも誰かが言っていたけど、あの場所がいちばんチューニングができる場所だと思いました。ああ、自分は、こういう音だったかもしれないって思いました。そんでもって、みんな必死に耐えている様子が、ちょっと心配になったりもしました。よくもこう不器用な人が集まったなって。そのくせ、妙に適応できるから余計に苦労するのかもしれませんね。

最近まで、私はひょっとしたら世間に適応できるんじゃないかって思っていました。うまく擬態して、世間的に良いポジションが取れるんじゃないかって。中国に来て3年。なんとなく仕事して、それ以外の時は一人でぬくぬくと過ごしていたから、自分がどんな人間なのかってことを忘れていたようです。

私は……

・人と関係を築くのが苦手な人間です

・人の嫌なところばかり見つけます

・模範生に劣等感を抱きます

・模範生になろうとして、違和感に押しつぶされます

・私は自分がどんな人間なのか、自分が何を欲しているのか、どうしたら嬉しいのか、楽しいのかが分かりません。

心理学では、無意識で無秩序な欲望である「イド」があって、それを親のしつけとか社会規範を内面化させた「超自我」が抑えつけていると考えるそうです。そういう話なら、自分は社会規範を内面化させた「超自我」がやたら強いのかもしれません。特にここ数年で強化させすぎたみたいです。自分の欲望が行方不明になりました。

「いっそ、狂えたら楽なのにな」というのは、あなたの親友でもあるアイツの言葉です。本当に、いっそ、大きく逸脱できたら楽なのに。誰からみても「普通じゃない」ならいっそよかったのに。…………日本から逃げ出して3年。どうやら逃げたかったナニカに、追いつかれてしまったようです。

ロールモデルがいたら楽なのだろうかとふと考えたりもします。どうしたら私たちは、自分を肯定し、安心し、自信を持って生きていけるんでしょうね。

***

わでぃは「最近自我が目覚めたから」と口にするようになりました。うん、本当にそうだと思います。自分の違和感を無視できなくなっていて、どんどん黙っていられなくなっているんだなと感じています。

さっきも話しましたが、8月に久しぶりにみんなで集まって、やけに不器用な人たちだなと驚いたんです。昔はもう少しばかり擬態できていたような気がするんです。

でも、みんなの不器用さや頑固さをみていると、まるで答え合わせをしているみたいだなとも思いました。こんなに不器用で、頑固だから、私はこの人たちを信頼できたんだと思います。

わでぃが我が強くなって、黙っていられなくなって、どんどんめんどくさくなっても、私はそれを肯定し続けるしかありません。だって、本来そういう人だったから、私は友達になれたんだと思います。変わっていくわでぃを見ていると、パズルがハマっていくようにも感じています。

わでぃが思っている以上に、私はマジで人と関係を築くことができません。………これから、わでぃは私を遥かに超えてめんどくさくなって、黙っていられなくなるんだと思います。覚悟して人生を歩いて行きましょうね。

最近は、特別何がというわけではなく、いろんなことがキツイなって思います。

私もロールモデルは見つかりそうにありません。それでもみんながチューナーになってくれたら、自分の狂った音程をたまには思い出せると思います。

なっちゃん

4月半ば頃に秋田・能代市にて。旅で好きなことのひとつは、知らない街並みを歩くことだなと改めて思った時間でした。

なっちゃん

本当に申し訳ないことに、気付いたらもう春を通り越して、夏が来てしまいました。今日は雨が降っているから少し気温が低いのだけど、30度近い気温の日も増えています。一方で、梅雨の気配もあって、気圧の変化に辟易としていたり。これはまあ、年中のことだけれど。

2月時点のなっちゃんは連休に向けて体調を崩していたけれど、ゆっくりと休めたでしょうか? 私はというと、仕事や私生活に追われ続けていたのですが、やっと5月頭に色んなことが落ち着き、少しだけ余裕ができました。しばらくぼんやりとしつつ、料理をしてご飯を食べたり、久しぶりにトレーニングを再開したりして、なんとなく生活の体裁のようなものが整いつつあります。そうやって、やっとこのお手紙を書くべく筆をとることができました。

ほとんどお返事が遅れた言い訳ではあるのですが、自分が想像した以上に心身ともに回復するのに時間がかかってしまって、そうして初めて、ずいぶんこの1年くらいを無理しながら過ごしていたことに気付きました。それを悔いているわけではないけれど、年を重ねるとともに無理が利かなくなってくるのは変えようのない事実なので、もう少しうまいバランスを見つけていきたいなと最近は考えています。正直、この手の考えは20代後半くらいからこちら、ずっと頭の片隅にあるにはあるのだけれど。いつまでたっても思うようにいかないのは、もはや性分だと諦めるべきなのでは、とも考えたりします。

それと関連して、先日同世代の友人と話していたとき、ロールモデルになるような人がいなくて、これから先どう生きていけばいいのか漠然とした不安がある、という話がありました。私はその話はわかる気がしたのですが、なっちゃんもそうでしょうか?

そもそもこの社会自体がとんでもない状況にあるので、そのことも無関係ではないのですが、ここでいうロールモデルというのは、パートナーがおらず、仕事をそれなりにしながら、楽しく健やかに生きて死ぬ、みたいな人生を生きた女性のことです。自分たちと近い世代にはそう生きていこうとしている人を知っていますが、もっとずっと上の先輩がたには、パートナーがいないなら出世してバリバリ働いて社会的な地位を獲得する、という方向の話しか聞いたことがありません。それは権利を手にするために強くいなければならなかった、ということが大きいとわかってもいて、その恩恵にあずかっている身でおこがましいことではあるのだけど。私の視野が狭いばかりにそういう先輩がたの姿が見えていない面もあると思います。

たとえ、ロールモデルがいようといなかろうと、それぞれの人生はそれぞれの個人のものなので、結局この重くて辛くてしんどい日々を個別具体的に判断しながら、進んでいくしかないとも思いつつ、やはり社会はマジョリティのために設計されているのだなと感じざるをえません。なっちゃんの言う「声の大きな人」が声を大きくできるのは、思考するまでもなくそれが当然のことだと考えられるからですよね。マイノリティの立場にあるということは、選択するための材料が極端に少なく、自分から積極的に情報をとりにいき、考え、時に戦うことが必要です。それでもままならないことのほうが多い。自分自身の特権やままならない生活についても考えながら、私ができることをもっと積極的にやっていこう、と少し余裕のできた心では考えられるので、そういう意味でもこの状態をできるだけ継続するべきだよなあと思うばかりです。

さて、子どもとは言えない年齢になってから、親の前で泣き散らかしたり、癇癪を起こしたこと、考えてみたのですが思い当たりませんでした。というか、そもそも誰かに対して怒りをあらわにすることって極端に少なくて。それでも以前よりは怒れるようになったのですが、ずっと大体全てのことは自分が悪いと思って自身を責め続けてきたので、その癖が抜けていないのだと思います。怒るのも、人と関わるのも、何かを伝えるのも、とんでもない力が必要だとわかっているから、億劫で仕方なくなります。でも、些細な引っかかりも見て見ぬふりで飲み込むことなくいたいですね。

そうそう、私も「スキップとローファー」は大好きな作品なので、なんだかとても嬉しくなりました。(書店の新刊台に並んだ1巻を手に取った記憶はわりと新しいのだけど、あれはまだ私が出版社で働いている頃でした! 時が流れるのは早い……)なっちゃんはあの主人公のような素直さの人ではないかもしれないけれど、私からするととても、羨ましくなるほど真っ直ぐな人だなと思います。自分を折ることができない、というのはこの年齢になってくると、とんでもない美徳だと感じます。私はそれを我儘だとは思わないし、その価値観のズレは大切にするべきものだろうと思います。何様って話ですが、私はそういうなっちゃんのことがとても好きで、尊敬しています。

いつもそう思っているのだけれど、前回のお手紙を読んだとき、改めてなっちゃんの書く文章がめちゃくちゃ好きなんだよなあと思いました。とくに「渋谷で永遠に夜が続くみたいな瞬間もあと一度くらいはあったら良いな」の一文が良すぎて、何度も何度も噛みしめています。冗談でも過言でもなく、なんでか読むたびに涙がじわっと溢れます。

でも、本当に心からそう思います。あのときのいくつかの夜って、なんだったんでしょう。近い瞬間はあっても、きっともう、本当にまったく同じ瞬間にはめぐりあえそうにないけれど。だからこそ、あの奇跡みたいな出会いと時間を胸に抱いていること、それを共有している人がいることというのは、不意にすごく強力なお守りのように感じることがあります。

遠くへいきたい、という気持ちも、とてもよくわかるなと思いました。そして、どこにいったとしても、そんなに遠くにはいけないのだろう、と感じる気持ちも。だから、私はその折衷案として旅に出るのだろうな、という気もします。今の生活から遠く遠くにいきたくて、でも完全に手放すことはできなくて。いつか、ヨーロッパ鉄道旅も、日本の離島めぐりも、やりましょう。私はかなり本気です。

そういえば最近、お手伝いをしていたZINEの創刊号が無事に発行され、なっちゃんにも少し読んでもらったエッセイの寄稿が掲載されたZINEも同じイベントで発行されました。どちらもずっとやってきていることの延長線上にあることではあるけれど、感覚としてはわりと新たな挑戦という感じがしていて、まだ現状ではなんといえばいいのかはよくわからないのだけど、やってよかったという気持ちだけは確かで、それがとても良かったなと思いました。やってみようと思ったことは、どんどんやってみようという気持ちも増しました。何も具体的なことは考えていないけれど、ZINEやそうでなくても何か作ってみたいなと思ったりしています。

わでぃ

2018年ごろ? 富山県のどこだったっけ?

わでぃへ

2024年もあっという間に1ヶ月が過ぎてしまいました。今日は旧暦の12月30日です。週末からの8連休になにをするのかは全く決めていません。会社で流行っている風邪にまたもややられてしまい今現在フラフラなので、1〜2日は出勤しつつ後はだらだら過ごしたいと思います。

さて仕事の話ですが、依頼を断るのが苦手だっていうのは、私には当てはまらないかもしれません。単純にあらゆる面でキャパがないし、嫌なことはどうやっても顔に出てしまうので……。むしろ、もうちょっと我慢できるようにならないといけないなって日々反省しています。

それに「献身」はわかるけど、「自己犠牲」っていうのはあまりないのかも。もちろん、人から何かを得るためだったり、責任感から「ちょっと無理して頑張る」ことはあるし、自分ばかりが得している(楽している)と感じて「譲る」ことはあります。

嫌われたくないという感覚は比較的乏しくて、嫌悪感を向けられた時には傷つくというよりも面倒くさいと感じます。ああこの人は私のことが苦手なんだとかその逆だと気づいた時には、わりとパキッと関わり方を切り替えます。

2023年は高校生の学生生活を描いた「スキップとローファー」という漫画に夢中になりました。主人公は素直で真っ直ぐで、嫌なことは嫌だと言える女の子です。万人ウケはしないけど、しっかり友情を築ける子です。そんな主人公に向かって、クラスメイトの八坂さん(機能不全家族で育ち、ぶりっ子)が「他人の評価なんかどうでもいいって言い切れるくらい、愛されて生きてきたんだね」というシーンがありました。この言葉は何故かぶっ刺さりました。

私はこの漫画の主人公のように素直なわけではありませんし、まったくもって健やかな学生時代を過ごしてきたわけではありません。でも、他人の価値観をどうでもいいと切り捨ててこれたのは、自分が周囲の人から最終的には許されてきたからなのかもしれません。なのに、自分はその周囲にすら中指立ててばかりです。

わでぃの話を聞いて、わでぃはこれまで家族に対しても配慮をしてきたんだろうなと想像しました。わでぃは相手を思いやれる人だし、他人のことにすら心を配る姿をみてきました。だからこそ、これまで自分が抱いた違和感や嫌悪感を飲み込むことが多かったんじゃないでしょうか? 子どもとは言えない年齢になってから、親の前で泣き散らかしたり、癇癪起こしながら反論して、持論を展開することってやったことないですか?

モラトリアムのエネルギーが過ぎ去ると、いろんなことが面倒になったように思います。わざわざ怒りたくないし、だからこそ人と関わるのもめんどくさいし、人に何かを伝えることも面倒だし、わざわざ言葉にして自分や誰かを傷つけたいわけでもない。だからといって、嫌なこととか、ムカつくこととか、違和感とか、恐怖心とか、わでぃも私も飲み込まないでいられるといいなと思います。

さて、近況報告になりますが、私はもう長い間、ここよりも遠くへ遠くへいきたいです。中国の次はインドにいくチャンスはないだろうか…なんて思っていたりします。でも、インドに行ったとしてもそんなに遠くへは行けないだろうなとも感じています。

いよいよ本当に、声の大きな人の価値観が鬱陶しくて仕方がないです。世間の大きい声が指さす「美しいとされるもの」は私にとってはなんの価値もないものばかりです。XGばかり聞いていると前回言いましたが、やっぱり1ヶ月もすれば、一通り履修した感じになって離れてしまいました。どんなものでもはじめは面白がることができるけど、結局いつも離れてしまうんです。自分を折ることができないくらい、ものすごい我儘なんだとおもいます。

「あれも違う、これも違う」って、私はそんなことばかり思っています。結局は美意識の問題でしかなくて、世間的に良いとされるものは、徐々に価値観のズレが気になって離れてしまいます。10代のころはそれを言葉にすることができませんでした。「嫉妬」だったり「負け惜しみ」だと思われるのが嫌だったから。30を過ぎた今でも、私はその頃から何も変わっていません。

もう、嫌いなものが多いのは仕方がないので、私は私がちょっとでも美しいと思えるもの、ちょっとでも信頼できるものを少しでも多く見つけていきたいです。

冬は寒いのでどこにも行く気になれないですが、少し暖かくなったらあっちこっち行きたいなと思います。寝台列車に乗って西安へ行って、ついでに兵馬俑を見たいです。あとは、少数民族の手芸品を買いに貴州省に行きたいです。すっかり観光地化されている少数民族の村にも興味があります。夏か秋にはいよいよチベットに行きたいです。高山病になりそうな予感しかしませんが、青蔵鉄道から見る景色はきっと美しいだろうと期待しています。

いま、富山県でひとりで線路沿いを歩いたことを思い出しました。畑に囲まれた線路にそってひとりでロケハンしていたら小雨が降り出して、まだ次の駅まではずいぶんと距離があって。誰もいなくて心細かったのにその瞬間が綺麗だったのを覚えています。10年以上前、バンコクからラオスに向かった寝台列車でみた景色も最高でした。都会の喧騒から一転、早朝になったら辺りいちめん黄緑色の田畑が広がっていて、車両に早朝の冷たい風が流れ込んでいました。またいつかどこかであのような瞬間に出会いたいです。

現実が重くて仕方がないと感じることもありますが、私は、人生で辛くて辛くて逃げ場すらないときに、わでぃたちに出会いました。苦しくて地獄だった時は、奇跡みたいに楽しい時でした。私にとって最悪な時と最高な時は同じパッケージに混ざって入っています。

息がつまることも多いですが、ところどころで息継ぎしていきたいですね。前も言ったけど、ヨーロッパ鉄道旅をいつかしたいです。南米はやっぱり怖いんだけど、日本の離島を巡るのもきっと楽しいと思います。20代のころのような体力や好奇心はないけど、渋谷で永遠に夜が続くみたいな瞬間もあと一度くらいはあったら良いなって思います。

なっちゃん

高知県室戸岬灯台。見晴らしのよいところだったけど、なぜそういう場所は「恋人たちの聖地」と定義づけられるのだろうなと看板を見ながら思った

なっちゃん

年が明けた頃から、また一段と寒くなりました。今日は暖かい日だったのですが、これを書き始めた日には久しぶりに昼過ぎから雨が降っていて、そういえば冬の雨ってこんなに冷たかったかと。家に引きこもりがちなので、どうも色んなことが少しだけ遠く、ベランダに出るだけでハッとすることが多いです。

長らく風邪っぴきとのことでしたが、その後治りましたか? 日本でもインフルエンザの流行がすごいらしいと聞きますが、私自身はわりあい元気に過ごしています。

会社員時代には常態的に頭痛があったのと、月に一度は高熱を出し、声が出しづらくなるような症状があったことを思うと、今はそんなこともなくなったので、あの頃と比べると健やかな生活を送れているようです。とはいえ、なっちゃんの言うとおり、「無理をすればできる」はいざという時に使うべきですね。今年は意識的に、もう少し休みを増やしたいところですが、どうなることか分かりません。

フリーランスなので自分自身の今後の仕事に対して不安を覚える、ということもありますが、やはり究極のところはお願いされたことを断るのが苦手なのだと思います。せっかく自分に声をかけてもらったのだから、自分が無理をしてできるのなら、と考えてしまうのですよね。この自己犠牲精神と人から嫌われたくないという臆病さは、やはり生来持ち合わせているもののようで、完全になくすことは難しそうです。なっちゃんは何かを断るのは得意なほうですか?

無糖炭酸水が頭痛を緩和させる、という話は初めて聞きました。今度試してみようと思います。血糖値の上下で、という話にもほーっと思いました。以前にもなっちゃんから感情の捉え方についての話を聞いたことがありましたね。そこまで割り切れないまでも、その話を聞いてから気の持ちようとしては随分楽になりました。感情というのはよく分からないものなので、どうすることもできずさらに不安になったりするけれど、いくつか対処法を考えて試すことができて、実際に以前よりは少しコントロールがきくようになったように思います。

ここまで書いてきて既にですが、なっちゃんからのお手紙を読みながら、たくさん書きたいことが溢れてしまっています。その上、この年末年始はどうも個人的に慌ただしかったせいで、聞いてもらいたい話が沢山あります。

先に、この年末年始の話をさせてください。お伝えしていた通り、山奥の実家に一週間ほど帰省していました。相変わらず山と川ばかりですが、とても静かな場所でした。夜になるとほとんど全ての音を自然に吸われたようにシンと静まりかえる、あの空気がやはり私は好きです。星空もとても綺麗でした。たぶん、あの星空の下で育ったので、すぐに空を見上げる癖がついたのだろうと思います。

実は、今回の帰省にはひとつ大きなタスクがありました。姉の引っ越しの手伝いです。というのも、姉は実家から車で1時間ほどの街にひとり暮らしをしていたのですが、仕事の担当エリアが実家寄りに変わることになり、一旦実家に戻ることになったのです。その話自体は秋頃に聞いていたので、軽い気持ちで了承していたのですが、状況が一変したのは12月に入って一週間ほどが経った頃でした。

母から急に日曜に電話が掛かってきたから何かと思えば、姉が腰痛のためにベッドから起き上がれなくなって、救急車を明日呼ぶ予定だと言うのです。とはいえ、その時点ではそこまで深刻にとらえていなかったのですが、翌日救急車で運ばれた先でヘルニアと診断され、入院することになりました。手術をするほど悪化しているわけではなかったため、リハビリと薬、安静にすることで痛みが引くのを待つことになり、現在も入院中です。

1カ月ほどが経った今も補助器なしでは歩くのもままならず、基本的には一日のほとんどを寝たきりで過ごしているとのこと。少し仕事など無理をしすぎな様子だったので、これをいい機会としてよく休んでほしいと思うばかりですが、まだまだ退院のめども立たずで、担当医師からは「半年かかる人もいるから、なんとも言えないね」と言われたとか。長い目で回復を待つほかないですが、結果的に引っ越しは私と母の肩に全て乗っかってくることになりました。

年末の引っ越しの荷造り、業者とのやりとり、引き渡しの立ち会い、運ばれた引っ越し荷物の片付けなどに追われているうちに、ほとんど1週間が終わっていました。身内とはいえ本人不在の引っ越しほど大変なことはないと身をもって実感しました。幸い、私は自分以外のものを片付けることがわりと好きなので、なんとかひととおりの片付けは終えることができましたが、ずっとバタバタ立ち働いていて、さすがに疲れました。とはいえ、もし私が仕事など多忙で帰省できていなかったらと思うと、きっと母がひとりでこれに対応しなければならなかったので、少しでも役に立てたのはよかったなと思います。

うちの実家は現在、父(筋ジストロフィーで要介護状態、仕事は昨年退職)と祖母(母の実母、離れにひとり住んでいる)の世話を、非常勤講師として週4くらいで働きに行っている母が見ている状況です。祖母は90歳を超えているものの、ずっと年齢のわりには元気に歩き回ったり食べたりしていたのですが、久しぶりに会うと急に元気がなくなってしまったようでした。その結果、母の負担は年末頃から格段に上がってしまっていた、ということを帰省して初めて見聞きして知りました。だからといって、母は私に家に帰ってきて介護を手伝ってほしいなどと言うことはありません。たとえば今回の引っ越しのように、突発的に手伝いが必要になるときには連絡があるのですが。

母のことを思うと、自分はどこでもできる仕事だし、家に帰って少しでも手助けをしたい、と思う心がないわけではない…というか、かなりあるのですが、どうしても父のいる実家で、その生活を支えるようなことをしたくない、という想いが抑えられません。

この話をしたことがあるか覚えていませんが、うちの父は家父長制を象徴するような典型的な父親で、母親に対しては要介護になる前、私たちが幼い頃から「おい」などと言って命令し、自分では家事のいっさいもしない人です。勿論、感謝のひとこともありません。さらなる詳細への言及は避けますが、とにかく大体のことがプライドで成り立っていて、端的に言うと迷惑で面倒くさいです。

そして父が要介護になってからは、旅行が好きな母は遠出をすることが一切できなくなりました。私は、早く父が死んでくれないかなと思うようになりました。

もう思い出すこともできませんが、昔はここまでの気持ちは持っていなかったどころか、良好な関係を維持していたように思います。なぜなら、ただ典型的なだけで特別に悪い人間だというわけではないからです。(とはいえ、やはり気楽に話をするような関係であったわけでもないですが…)

父は変わっていません。言ってしまえば、変わったのは私です。変わった、というのが正しいのか、気付いたと言うべきか。あの家族関係を形成してきたのが、母の犠牲によるものだったとわかったのです。
しかし、もう気付いてしまっては昔には戻れません。私がいくら父を憎悪したところで、父も変わらなければ、母も変わらないけれど、私が強い言葉を使うことで少しでも母の気が晴れていればいい、と願わずにはいられません。

そんな父が、年始に挨拶にやってきた従兄弟たちと私が仕事について話していたとき、「結婚してほしいけどな」と急にのたまったので、私は一瞬耳を疑い、言葉を失いました。そのあと「結婚はしませんが?」とかなり険のある言い方をしたので、間に座っていた従姉妹が取り繕うように「まあこれから先はわからんからね」と苦笑いしましたが、私はとんでもない怒りでどうにかなりそうでした。

翌日の夜に母と話していたところ、近所に住む仲良しの同級生たちが皆、孫がいてそんな話をしているから、それが羨ましいのもあるんじゃない? という話が出てきて、私は父の話のネタのために結婚し子どもを産んでほしいと願われているのか、仕事をして生活していることなどどうでも良く結婚することにしか価値がないと思われているのか、とさらなる憎悪が湧きました。(もちろんそれだけではないともわかっていますが)
きっとちゃんと話をしないことには、私がどういう気持ちでそれを嫌がっているのかも伝わらないし、また繰り返すのだろうと思うのですが、やはり父と向き合って話をする気力はなく、そのまま目を合わせないようにして終わりました。

そのことがくすぶるようにずっと胸の奥にあってしんどかったのですが、つい昨日のこと、徳島に旅行に行って、あっつい温泉にひとりつかっていたら、そんな馬鹿馬鹿しいことに脳のリソースを割いていることが勿体ないと思ったし、心底、本当にどうでもいいなと思いました。私は私自身を喜ばせることができる、今の自分をとても誇りに思います。

そうだ、海外でいろんな国の文化や価値観を知ったことで楽だと感じたか、という質問ですが、私はあまりそれは感じなかったかも。おそらく3か月というのがそう長い期間でないというのもあるし、語学学校という場で生活をしたというのとは少し違ったからかなと思います。(それに、私の語学力ではそこまで突っ込んだ話はできなかった、というのもあるかも)
というか、むしろ意外と同じ部分もあるんだなと思った気がします。フィレンツェにひとりで行ったときに、ある塔にのぼっている途中でとても調子が悪くなったんです。隅のほうに座り込んで、気持ち悪さが去るのをひたすら待っていたのですが、その間に3組ほどの観光客の人たちが、「大丈夫ですか?」「なにか必要なものがありますか?」と声をかけてくれました。(少なくともアジア系ではなかったけれど、どこの国の人たちだったかはわかりません)
言葉や文化や価値観が違っても、コミュニケーションを取って、知ろうとしたり伝えようとしたり、そうやって人間同士は関わっていくのだなと。すごく当たり前のことだけど。

コンサートでのスマホライトの演出の話は、こんな言い方をするのはあまり正しくない気がしますが、なっちゃんらしい話だなと思いました。私も何度かやったことがありますが、まあ別にやらなくてもいいよなと、そのたびに思ってはいます。嫌悪感を覚えるほどではないけれど。
コンサートやスポーツ観戦なんかで、みんなで同じ声援を送ったり動きをしたりする、というのに一体感を感じてそれを魅力に感じている、という人がかなりの数いるのだと思います。割合は分からないけれど、何人かの友人からそういう話を聞いたので、それなりに多いのだと思います。これに関しては理解はできるけれど、私自身はそういう楽しみはたぶん今後も一切覚えることがないと思います。

ディズニーシーに誘ったこと、ありましたね。何かを買った副賞で、夕方以降の園内が貸切になるというチケットをもらったのです。なっちゃんはわざわざお金を払ってまでは行かないだろうしいい機会になるかも、と思って誘ったのだったかな。私自身が新しい経験をするのが好きな人間なので人にも勧めたくなってしまうのですが、同時に迷惑かなという感情もあったりして…なっちゃんは興味ないことはわりとバッサリ断ってくれるので、逆に声をかけやすいです。
たしかに私自身はディズニーランド、特別に苦手な感情はありません。(今はディズニーにお金を払いたくないので行きませんが)なんなら、年に1回くらいの頻度で行きたいなと思って行っていました。年に1回という周期のせいで、毎回ハロウィンの時期でしたが。
まあ、わざわざ行って、何を感じるかと考える必要はないと思います。

アイドルに対して、苦手と好きと面白いが共存しているという話、なんだか分かります。私は苦手というのとは違うけれど、やはり色んな面で暗い気持ちというか、考え込んでしまうことも多いです。XGは実はちゃんと聞いたことがないんですよね。おすすめの曲があれば、教えてください。

家の話が思ったより多くなってしまって、書き切れないことだらけです。
最後にこれだけは。「無駄だから、他人に期待しない方がいい」と言ってくれたの、私は嬉しかったです。嬉しい、がふさわしい言葉じゃないかもしれないけど、その言葉があるのとないのとじゃ、随分違いますから。きっと完全に諦めることは難しいでしょうが、その気持ちも持ってバランスを保っていきたいです。

わでぃ

中国雲南省

クリスマスイブの中国雲南省にて

わでぃへ

冬ですね。上海は12月中旬から急に寒くなって、私は長らく風邪っぴきです。今年は始まりから終わりまでコロナやらインフルやらひどい風邪やらにかかってばかりでした。
わでぃも無理して体調を崩さないようお気をつけください。「無理すればできる」というのは、いざという時に使うカードであって、常態化するのはよくないと思いますよ。意識的に無理な仕事を減らせるといいけど、まあ、言うほど簡単ではないですよね。

私も相変わらず気圧に弱いです。「調子が悪いな」と思うと、2〜3時間後に雨が降り出します。そういう時、私は無糖炭酸水を飲みます。というのも、炭酸水にはマグネシウムが入っているんですが、マグネシウムは頭痛を緩和させる効果があるそうです。一度試してみてはどうだろう?

体調っていろんなものから影響を受けますよね。私やわでぃは気圧でいちいちしんどくなるし、私は炭酸水を飲んだらいくらかマシになります。あとはそうだ。私はランチで炭水化物をとるのを控えています。血糖値が上下すると、動悸がして不安を感じやすくなるからです。

私はおそらく生得的に不安を感じやすいタイプのようで、そのせいもあってあまり感情を信頼しすぎないようにしています。比較的多くの人は、ある特定の出来事から喜怒哀楽が生み出されると考えているようですが、個人的にはあくまで特定の出来事は感情を引っ張り出すトリガーでしかないと思うことがあります。感情って、ホルモンバランスだったり、生まれ持った気質、過去の記憶、その時の体調、知識、知能……さまざまな要素が組み合わさって生み出されていますよね。感情は信頼できないし、めんどくさいです。

とくに「怒り」「嫌悪感」「恐怖」というのは本当に厄介だと思っています。その感情を持っているというだけで、まるで自分自身が正しい立場に立っているかのように錯覚してしまいます。そして、そのトリガーになった対象を否定し、排除したくなります。

わでぃの友達は一体なにを恐れ、怒っているんでしょうね。その人が恐れるべき対象は本当にトランスジェンダーなんでしょうか?

まあ、その人に限らず、他人が怖いというのは仕方がないことなのかな、とも思います。何年も前ですが、東京の地下鉄に乗っていた時に、奇声をあげている男性をみたことがあります。たまにいますよね、そういう人。隣に座っていた女性はものすごく嫌な顔をして、立ち上がって、移動していきました。まあ、賢い判断だと思います。

奇声をあげていた男性は到着した駅で逃げるように降りて行ったのですが、苦しそうな顔をしていました。その時に「ああ、チックだったのか」と、やっと気がつきました。男性はつらそうだったし、隣に座っていた女性は不気味だったんだと思います。逃げた女性はチック症について知らなかったはずです。知らなかった彼女は無知で、悪い人なのでしょうか。

知ることで「許容」できるものは多いですが、そうできないものも多々あります。街で挙動不審な人を見ると、私はどう振る舞うべきかいつも悩みます。あらゆる人が社会から阻害されずに生きていて欲しいですが、自分自身が許容できないほどに、他人は恐ろしく不気味です。一人で生きている以上、守ってくれる人もいないので、危うきには近寄らずです。これは都市の病理だと思っています。

正直、日本の話題に全くついていけていないのですが、最近中国のSNSで「身体男性を女性トイレに入れるな」「女風呂に男を入れるな」みたいなプラカードを掲げる日本の人たちの画像を目にしました。私は、その恐怖心を否定することができないのですが、個人的にはこの話題は今はしたくないと思いました。トランスジェンダーの就業とか、就職とか、婚姻とか、まずはそこからなんじゃないでしょうか。場があたたまる前から、恐怖心や嫌悪感を焚き付けやすい話題を持ってくるのは得策ではありません。

物事は順序よく進めたいし、「恐怖」「嫌悪感」「怒り」そうした感情には特に慎重でいたいです。なかなかできないからこそ。私も自分の中に差別的な考えを見つける時は少なくないですが、せめて落ち着いた環境で、一人になった時には内省的でありたいです。ただ、残念ながら、まったくもって自分の感情を疑ったり内省的になれない人というのは存在するのだと思います。

ある意味、海外にいるととても楽だなと感じます。文化や価値観の圧倒的な違いを知れたことで「そんなものか」と思えるようになりました。わでぃはマルタでいろんな国の人と交流していたと思いますが、ある意味ラクだとは思わなかったですか? 私はもう他人に喧嘩を仕掛けることはないと思います。たぶん。

わでぃは未だに向き合っている様子なので、ちょっと心配しました。自分を内省することのない人、ためらうことができない人と向き合うのは、辟易すると思います。もう諦めてもいいと思うけど、「無駄だから、他人に期待しない方がいい」と私が言ったら無責任すぎるのでしょうか。

ああ、そうだ。ライブにはたまに行っています。テイラー・スウィフトのコンサートは、そりゃもう羨ましい。私は最近だとLAUVのコンサートに行ってきました。うーん。ポジティブなことを言いたいですが、正直楽しめなかったのかも。上海だと録画することがOKなので、ライブのあいだずーっと撮影している人が多すぎて、それ用のスマホも持ってきていたりして、視界の邪魔でした(これって日本人ならではの感覚のようで、内陸部では観劇中に電話している人もいたくらいです)。それと、観客がいっせいにスマホのライトをつけて、振りかざすみたいな演出がありました。あれはちょっと……。そのせいでLAUVがちょっと苦手になりました。

そういう意味では、コンサートでのスマホライトの演出や、色指定のドレスコード、あとはディズニーランドかな。この辺りは私にとって鬼門です。理由もなく嫌悪感を覚えます。大真面目になぜそうなのかと自分に問いかけることもありますが、考えるたびに、その対象を否定し、自分を肯定する論理を構築しようとするだけです。結局は、自分の嫌悪感について理解することは不可能なのかもしれません。試しにディズニーランドに行ってみて、自分が素直にどう感じるかは気になるけど。・・・まあ、わざわざ行かなくてもいいか。

わでぃはディズニーランド、別に苦手ではないですよね。昔、ディズニーシーのチケットをもらったから、興味ないだろうけど行かないか、と誘われた記憶があります。あれに一緒に行ってたら、なにか変わったかも知れません。そういえば、もともとはアイドルにも嫌悪感があったんだけど、わでぃのおかげでそれはちょっと変わりました。いまでは苦手と好きと面白いが同時に共存している感覚です。自分にとってはそれは良いことです。そうだ、最近はXGばかり聞いています。

いろいろ質問があったような気がしますが、今日はこんな感じかな。男と女に分けることについてはなんとなくずっと考えています。

そういえば、クリスマスイブは内陸部に行っていましたが、そこではクリスマスがありませんでした。それに中国だと旧暦でお正月を祝うので、年末はさらっと過ぎ去ります。おかげで一人でも世間から取り残されたような気になりません。わでぃの実家はほんとうに綺麗なところですよね。そこへ向かうローカル鉄道も素敵でした。お正月はとにかくゆっくり休んで、たくさん寝て、たくさん食べて、あの綺麗な景色を楽しめるといいですね。

なっちゃん

なっちゃん

日本は随分と冬らしさが増してきましたが、そちらはいかがでしょう?

季節の変わり目は気圧の変動が大きくて、いつもその影響を受けて体調があまり良くないのですが、一般的によく聞く低気圧のときだけでなく、気圧が一気に上昇するときにも体調が悪くなることに最近気付きました(むしろそちらのほうが良くないかも)。そういうときは、空が晴れていることが多いので、なんとなく余計に自分だけがダメな人間であるような気持ちになります。

たしか、なっちゃんもわりと気圧の影響を受けるタイプだったように思いますが、上海でも同じですか? 実はマルタにいたときは、気圧の変動による体調不良がなかったのです。おそらく地中海気候の乾いた天気が続いていたから? 3か月しかいなかったので真偽のほどは謎ですが(調べても出てこなかった)、もしそうだとしたら、この世界のどこかには気圧の変動などに影響を受けないで過ごせる場所があるということなのか? と、日本の湿度ある空気を身体に重く感じながら、ベッドに沈んで考えていました。

健康の話が続いて恐縮ですが、10月終わりに帰国してからというもの、仕事や趣味のことに忙殺されてしまい、うまく眠れない日が続きました。大きな締め切りをいくつか越えると、急に眠れるようになったので、随分とストレスが掛かっていたのだな、と。
分かってはいるけれど、いつまで経っても生活をうまくコントロールできずにいます。この間少し話したときにも思ったけれど、「無理をすればできる」を「できる」に含んでしまっているのが、私もなっちゃんも大きな問題なのかもしれません。

私の場合は、結局のところ、自分が「無理をする」というのが一番楽な選択肢なのです。それは自己犠牲とかそういうのではなく、本当に文字通り「楽」なのです。なっちゃんはどうですか?

突然話は変わりますが、先日読んだよしながふみ先生の『環と周』がすごく良かったので、その話をさせてください。「環」と「周」という名前の登場人物が出てくるオムニバス形式の連作なのですが、めちゃくちゃ要約すると生まれ変わりの話でした。色々な時代の、色々な性別の、色々な年齢の、それぞれの話が1冊の中でそれぞれの意味を持ち、そして繋がっていく物語の運び方がさすが、素晴らしいとしか言えません。気が向いたら読んでみて。

生まれ変わりというと、この作品とは全く関係ないことを急に思い出しました。「生まれ変わるとしたら、女と男、どっちがいい?」という話題が学生時代に出たことがあったなということです。何度か別々の集団で上がったような気もするし、世間一般の世間話としてわりとポピュラーなものかもしれません。なっちゃんはありましたか?

当時、十代の私がその問いにどう答えたのかは、正直思い出せません。ただ、どちらかを選んだのは確実だったし、そのふたつだけで世界を語ることになんの疑問も抱いてなかった。今思うと、それはなんて暴力的なことだろうと怖くなります。特に20代の終わり頃までは、私は世界をとても単純化して、マジョリティの側からしか見ない、偏った思考の中で生きていたから、随分と多くの人たちを知らぬうちに傷つけ、踏みつけて来たんじゃないかと思います。勿論、今もそれがないとは絶対に言い切れないけれど。

今日、とんでもないトランスヘイトの翻訳本が出版されるという話をSNS上で見ました。そのタイトルと概要しか見ていないけれど、昨今ネット上でよく見るトランス差別の人たちの言説そのまんまで、こんなヘイト本をよくもまあ翻訳権を買ってまで…と信じられない気持ちと同時に、書店で面出しでヘイト本が並んでいる現実をよく見知ってもいるので、然もありなんと思う気持ちもありました。ただ、それに怒りを覚えたり、絶望を感じたりするのはまた別の、絶対的な事実でもある。

この間、本(文字)を読む人がいない、という話をしましたよね。それとも少しつながりますが、「学べというなら読めるようにしてくれ。こんなに細かい字で書かれても読めない」と、トランス差別を表明している人がトランスジェンダーについて書かれた書籍を写真に撮ってあげていたのを見ました。その画像のページは特別に細かい字ではなく、なんなら少し余白すらあるように感じた。ある程度の分厚さがある、長い文章が連なっているのを読めない、と投げ出してしまう。はなから話を拒否する姿勢がインターネットと相性が良く、確証バイアスを助長し、SNS上でトランス差別が蔓延っている理由のひとつなのだろうと思いました。

数年前からすっかりトランス差別に傾倒してしまった友人がいて、未だにSNS上で差別的な言論を拡散し続けているのを知っていて、私は何もできないでいます。最初の頃、明らかにおかしな話になり始めたと思ったときには、私は私なりに当事者の書籍やウェブ記事などを勧めつつ、それはおかしくないかと話していたのだけれど、私の話は全くもって伝わりませんでした。

私は私でしんどくなり、いつからかその手の話題を避けるようになってしまい、今に至る。きっと友人は、ひとつも書籍は読んでいないし、ネット上に溢れる、分かりやすく過激な言論の中に居続けていると思います。ある人がトランス差別をしている人たちは洗脳されているようなものだから声なんて届かないよ、と言っていて、そうなんだよなと思ってしまいました。その決めつけもまた危うさを含みますが。

そんなことを言いながらも、私自身も忙しさを言い訳にして、いまだに不勉強であること、無知であることばかりで、友人のひとりも止められる言葉を持たない。トランス差別の件に限らず。本当に恥ずかしいことだし、何もしないことは差別に加担することでもあるので、どうにかしないとと思いつつ、現実と現実逃避の中でいっぱいいっぱいの日々。自分が不勉強であることを学ぶことも、あの徒労感を乗り越えることも、よっぽど心身ともに健やかでないと無理でしょう。私も含め、多くの現代人が疲れすぎているのだろうと思います。精神科の先生が私に言った「みんな薬がないと眠れないの。普通だから大丈夫」という言葉が真に迫ります。

あと、似たような?話がもうひとつあって、先日久しぶりにふたりで会うことになった友人と新宿を歩いていると、わりと大規模なガザへの攻撃中止を求めるデモに出会って、伊勢丹の向こうのところの十字路がしばらくの間、通行止めになっていたんです。

その友人が「怖い」「邪魔」みたいなことを言ったのを、私は曖昧な態度で話をそらすしかできなかった。きっとなっちゃんならちゃんと話をしてたのかな、と、随分前に聞いたマッチングアプリであった人に喧嘩をふっかけた話を思い出しました。

当然、新宿の中心の大きな道路を通行止めにするほどのデモなので、届出をして許可されているというのは自明のことと思っていましたが、友人は「そうなの!?」と驚いた様子だったので、それすら知ろうとしないと知らないのかと愕然としました。

でも、やはり私も同じように、ずっと知ろうとしなかったのです。その意味では、鬱になったことは幸いでもありました。知ろうとしなかったことの中には、自分自身も苛んでいたことが沢山あったので。勿論、壊れてしまう前に気づけるのが一番良いことではあるのですが。

なんの話だろう。とにかくなんで人間は憎しみ合うのだろうか、と果てしない気持ちになってしまう。違うということを受け入れるのが、こんなにも難しいのはやっぱり誰にも余裕がないからなのかなとは思います。

そういえば、先日友人に勧められて、原稿で死に体になりながら観に行ったテイラー・スウィフトのライブ映画がすごく良かったです。ポップスターのライブという感じで、すごくパワーをもらいました。実は、あんまり聴いてこなかったので、それからというものセットリストを作業用BGMに聴いたりしています。映画を観ていて知ったのですが、彼女は89年生まれなので、がっつり同世代なのですよね。だから何というわけでもないですが、やはり少し親近感のようなものも湧きました。

それを観た後、そういえば、最近ライブに行けていないなと。たまに機会があると言えばあるのですが、音楽に対してはすっかり腰が重くなってしまい、新しい音楽を聴こうという意欲が減退してしまっているせいでしょうか。大学生で上京し、20代の半ば頃まで、たがが外れたようにライブハウスに通っていたのが懐かしいです。体力的にももはや、ライブハウスの二階席に座りたいくらいなのですが、とはいえ年に1回くらいはライブハウスに足を運びたいものです。なっちゃんは最近のライブ事情はどうでしょう?

なんだかとてもとりとめの無いお手紙になりました。これを書くことになって、歩きながらとかお風呂に入りながらとか、不意にこれを書きたいな、と考えたりはしていたのだけど、書き留めておかなかったから、全部忘れてしまいました。でも、なんだかそれでいいような気もするし、気が向いたら書き留めておこうかなとも思います。

今年は久しぶりに年末年始を実家で過ごすことになりました。なっちゃんはどう過ごす予定ですか?
いずれにしても、きっと上海も寒いと思うので、身体には気をつけて。

わでぃ