換気できず窒息していく日本 (original) (raw)
ドラマ「ファーストペンギン」#、、いろいろと考えさせられます。
本日の日経朝刊に鈴木大拙と浅原才市#のことが出ていたので、日本的霊性とつなげて論じてみます。
日本人は、何でもないものや何でもない言葉に、その意味内容とは別の力を感じてしまいます。霊の如きものが存在しているのを感知するからです。
山や大きな石に神様がいると思うのも、そうした感覚です。自然のようなプリミティブなものに霊的な力を感じるわけです。アニミズムと汎神論です。
山本七平氏の「空気の研究」によると、「臨在感的把握」ということになります。
そして、忖度、この国で「優秀」な人ほど、上からいわれたことを粛々とこなしていくようになるのです。それが、空気の正体です。天皇制は、その代表例です。
◯国葬にみる変化
昭和天皇が亡くなった後の自粛ムードから比べると、安倍前総理が亡くなった後の国葬に関する賛否両論両論があったのは、健全なことだと思います。
生前の振る舞いが、国葬に値するのかは、評価が分かれたのが原因ですが、国葬をどう捉えるのかがあいまいでした。とはいえ、不幸に殉職した者に対して、敬して弔うような空気がなくなったのは、時代の変化ともいえましょう。
◯空気の支配
相変わらず、日本は空気を読む社会です。そこでは多数決ではなく、全員一致でないと成り立たないのです。みんなの妥協を促すのです。
自己主張しすぎないこと、一枚岩のとなって当たっていくのが、日本人の理想だからです。
ずっと話し合っているうちに、そろそろ空気が定まってきて、なんとなくうやむやに、決まったように思えないのに、そのあと、親分のいったことで進められていくのです。この手続きがまるで民主主義のように勘違いされてきたのです。
だから、この時代についていけないし、内部告発などで、後でおかしくなるのです。
◯唯一神と構造化
一神教の人たちのように、構造を相対化して捉えられないわけです。
一神教は、唯一絶対的なものが神ですから、他に絶対的なものはありません。1つの空気が絶対的にはならないので、その空気に対し、対立概念を持って反対できます。
その空気に支配されず、自分たちがしていることを外から客観的に見ることができるのです。
◯ファーストとNO2
その違いを踏まえた日本での状況打破に最もよいのは、外部の人を入れ、重用することです。外圧であり、ファーストペンギンです。外から、神を迎え入れるのです。
そして、その理由をこれまでの人に説明し、納得させる人の存在が決め手です。変革者を支える人が不可欠です。アカウンタビリティーの確保です。
私が、かつてオーナーさんやアーティストをお手伝いするときの条件、判断基準は、そこにNO2、現場を仕切れる責任者がいるかどうか、でした。
◯重要なことが進められない理由
重要な決定をするときには、何が一番大事なことかを考えなければなりません。しかし、現場だけでは、目先のことでなんとかしなければいけないことばかりに囚われます。
本来は、最終的にどのような社会を目指しているかのヴィジョンから考えなければいけないのです。
その場しか考えない。その場をしのぐことしか考えない。これが未来のない老人の思考なのです。そういう人は、現場を去らなくてはなりません。
そうした政治家も経営者もリーダーも辞めるべきなのに、それを担いでしか物事を進められない人たちが、地位と権力を手放さないから、この国は、始末が悪いのです。
#浅原才市(1850年- 1932年) 浄土真宗の妙好人。石見の才市と呼ばれる。「口あい(くちあい)」と称せられる信心を詠んだ詩で知られ、「日本的霊性」として鈴木大拙によって紹介された。(Wikipedia)
#ファーストペンギン