fulura’s blog (original) (raw)

長らく「好き」ってどんな感じだっけ?という

難題にぶち当たっていた。

それが今日の朝の夢で好きを体験した。

どういう状況だか鮮明には思い出せないが、

起きた瞬間に胸がいっぱいで

失いたくないという思いに強くかられ

うわ幸せすぎるかもと思ったのだ。

なんだか本当に胸いっぱいに暖かい感情が乗っかっていて、

夢の中でも「この人と離れることになったら私はどれだけ辛くて、

どれだけの期間立ち直れないんだろうか」と自分を心配するほど

運命的な出会いだった。

場面も何も詳しくは話せないが、

とにかく2人で向かい合って、笑いあって、

恥ずかしがって、

でも2人でいることが誇らしくて

全然隠したいと思わない。

胸を張ってお互いに

お互いを受容できる関係だった。

会って一瞬で、その人の胸に飛び込みたくなったし、

自分のことを知ってもらいたいと思った。

ちゃんと女の子として見てほしいと思った。

私のために笑ってほしいし、話してほしいし、うなずいてほしい。

いつからか忘れてしまっていた「好き」という

純粋で淡くて脆くて愛おしい感情を目の当たりにして

圧倒されつつも嬉しかった。

そうだ!これなんだった!ってすんごく心を揺さぶられて

楽しくて不安で幸せ・・・♥

あんなに素で安心する人って、

隣にいたいって思う人っているんだって。

この世界のどこかにその人がいるんだとしたら

絶対に出会いたいって思う。

あなたに会うために生きていきたいって思う。

毎日2人で小さな幸せを共有したいって思う。

もっと望んでもいいんだって思えた。

夢って儚いけれど、

本当に思いもよらないときに

思いもよらない形で

核心をついた助言をくれることがあって

助けられている。

こういう気持ちになれたら本物の好きだって

わかったから、もう迷わなくていいって

きっとそれでも迷うんだろうけれど思う。

忘れたくない

離れたくない

その人のことしか考えられない

って恋の文句を

嘲笑っていた自分がいたけど、

恋ってそういうどうしようもない気持ちにも

なるものなんだねってひとつ自分を大きくできた朝でした。

I LOVE YOU(まだ知らない君へ)

この炎上は当グループや

会社だけの問題ではないと思う。

実際、MVを初めてみて持った感想は、

全くネガティブなものではなく、

おおさすがMrs.という感じを受けた

のが正直なところだ。

勇敢な偉人同士が時を超えて、

人間という枠も取っ払って、

お互いに歩み寄って

新しい世界を築き上げていっている、

ハートフルなMVだと思った。

歌詞にマイナスな表現があるようには思わない。

耳に残るMrs.らしい良い曲だと

炎上を知った今でも思うのが本音だ。

ただ、

無知で歴史的背景に無関心だったということも

色々な記事を読んで痛感している。

歴史的背景に無関心が故に

私には猿を先住民に例えているようにも、

偉人たちの悪行を示唆しているようにも

全く見えなかった。

今回のような炎上がなければ、

偉人たちの残した偉業だけを信じ、

今回の新曲をただ耳心地のいい曲だと思い

聴き続けていただろうし、

今まで教えられてきた歴史の授業に

疑いを持つことはさらさら無かっただろう。

海外の偉人たちに日本の偉人以上に

尊敬の念を抱いている部分もあるくらいだから

崇め奉り続けていたに違いない。

この気持ちも差別だと言われてしまうのだろうか。

今回の炎上は、

日本の教育が如何に歴史の闇を

オブラートに包み子供達に教えているか

を象徴する「日本の小さな縮図」であると

子どもも大人も認識すべき機会を

与えてくれたように思う。

炎上の意図を掴もうと、

いろんな記事を読んで

何が問題なのか考えている中で、

グッときた記事の言葉がある。

「日本のメディアや学校はそろそろ、ヨーロッパの歴史を美化して伝えるのをやめたらどうだろうか。光り輝くものはすべて金ではないのだ。」

(バイエマクニール:作家 東洋経済掲載記事より)

振り返ってみれば、

小中高の社会のテストは

固有名詞の暗記ばかりだった。

小学校の頃はフローレンス・ナイチンゲール

キュリー夫人、マリーアントワネットをはじめ、

マザーテレサライト兄弟など

海外の偉人たちに夢中になり、

彼や彼女らの人生を綴った漫画を読み漁っていた。

1日2冊という制限付きの学校の図書室で借りては

その日のうちに読み切り、

次の日はまた別の2冊を借りる。

土日になると物足りなくなり、親に

「お願い!!一生のお願いだから図書館に連れてって!」と

100万円のものをおねだりするぐらいの熱量で

車で5分の図書館に連れて行ってもらうための

知恵を振り絞るほどに、

その偉人の漫画シリーズに没頭していた。

どうしてそんなにも私が、その漫画シリーズに

夢中になっていたのかというと

偉人らの挫折や挑戦や失敗から

夢や希望や愛や勇気をもらうと同時に

厳しい現実を乗り越える「教訓」を学べたからだ。

何百年前の人も、同じようなことで

苦しんで、同じようなことで喜んでる!

それだけじゃなくて、漫画の

前半はかっこいい✨と憧れの存在だった偉人も

読み進めていくに連れて知りたくなかった

と思うほど、ひどいことやったりしたんだ…。

とか憧れては勝手に傷ついて、でもすごいなって

その後数日のロールモデルになったりして。

悪いことをしそうになった時は、

これをやったら処刑されちゃう

とか自分を止めたりしていた。

そんなふうに学校の社会の授業も

教訓を学べる時間になったら

赤い点や赤い炎も消えて

「青と黄」が世界を照らす

相対性理論が出来上がる気がする。

今日は祖母やそのほかのことも、

勘付いてたけれど核心には至っていなかった

色んな初めての情報を

改めて知って

腑にも落ちたし、

心の一回り外側まで溢れてしまって

少々混乱した日。

知らないって無意識に誰かを傷付けることに

繋がっていて、

知らなかったから許されるってことも無くて、

知らないことを免罪符にしたり盾にするのは

誰かに背いていることと同じだと思った。

知らなくていいことなんて無くて、

教えてほしいし、一緒に抱えていきたい。

ただ話したくないことを無理に話して

苦しくなったり、心閉ざしたりは絶対にしてほしくない。

なんであの時いなかったの

どうして今ここにいてくれないの

会いに来てよ

ってこっち側の状況や感情だけで

正義振りかざして縋って、

大切に変わりない相手側の気持ちを

蔑ろにしてしまうことは少なくないから、

どうしようって思った時、

どうしたらここにいる人たちも

ここにいられない人たちも

納得できて、ポジティブな選択ができるか

を考えられるようになろうって思った。

いつまでもみんなで笑っていたい。

どんな過去を背負っていても

自分の人生を誇って、

大切な人の隣で幸せでいられるように

暮らしていきたい。

みんなに安心してほしい。

苦しくても一緒なら乗り越えられるって

信じているから。

私たちなら大丈夫だから。

色々あるけど生きていけるよ、大丈夫。

母方の祖母が癌になった。

大腸、膵臓、肺、副腎いずれもステージは高く、

祖母の体力や部位的に手術できる状態ではない。

癌が進行している、

万が一の時の延命は望まない、

抗がん剤治療を試してみる、

体力つけないとだけど食欲がない、

いろんな事実とか希望とかを聞いても

未だ実感してなくていまいち想像ができない。

体も声もか細くなってた祖母とも会ったけれど、

今だけな気がして、元気な祖母の姿を自分の目が

フィルターかけながら見てるみたいな非現実感。

死は小さいころの自分が思っていたより

残酷なものではないと感じるように、

死に対しての考え方が少し変わったように思う。

ただその死は見送る側から見る「死」。

いざ自分が旅立つ側の死を考えなければいけない状況になったら今のように冷静に処理できるか。

きっとどれだけのことを成し遂げても、

できなかったことを思い出しては

時間が欲しいと願うように今の自分は考える。

何を1番後悔するだろう。

これだけは私が死ぬ時も変わらないんじゃないかと思う。

「人とまっすぐに向き合わなかったこと」

どんなに傷ついても苦しくても辛くても、

バッドエンドで終わっても、

誰かの本気の気持ちから逃げた過去は

綺麗な棺桶の花々を真っ黒に染め上げるのに

十分になってしまう気がする。

今の祖母への想いも

しっかり向き合って伝えなかったら

できたのにしなかったことは・・・

って数え出してしまう私だから、

今できることを今やろう。

祖母が、今までじゃなくて

これからを考える時間を過ごせるように

祖母との時間を大切に、

家族の形を動かしていこう。

何を思ったのか昨日まつぱと眉毛ワックスの

サロンをはしごするという美容DAYを

本当に衝動で過ごしてみた!

恋人ができたわけでも、

好きな人ができたわけでも全くないのが肝。笑

部活仲間が気づいてくれて、

可愛い!!!って言ってくれるのが

とーーーっても嬉しかった!

美容に無頓着な私だから、

友達同士のメイクの褒め合いっことかを

積極的にする方ではないんだけれど、

ビジュ褒められるのこんなに嬉しいんだ!って

気づいたからいつも可愛い友達たちのこと

もっと言葉にして伝えようって思った!

むふふ舞い上がっちゃって幸せhappy!

ありがとうの気持ちでいっぱい。

かわいいって言われることに

今まで若干の抵抗があった。

本当に言ってるのかな?って、

かわいいって言ってもらう権利なんて

美容に何も気を遣ってない私にはないって、

素直に受け取ろうとしなかったから。

みんなの温かい気持ちを素直に嬉しいって

受け取れた今日は

自分のことを少し認められるようになった

証なのかもしれない。

努力するってことは、みんなの温かい気持ちを

まっすぐ受け取る素直さも育んでいたんだ。

プラスもマイナスも伝染する

感情を私たちは持っているから

私はポジティブな気持ちで

自分も周りも満たしていく。

私の好きな季節が来たーーー!!!

上着なくても暖かくて

ちょっと風が吹いてるこの気候。

そして別れと出会いの季節。

新しいことを始めるのに躊躇がいらない時期。

ワクワクが溢れ出すのは春かもな〜と

今年に入って春好きになった。

気のせいか心も前向きにオープンになる。

外を目的もなく歩いてみたくなる。

アイスの消費が激しいのは

実は夏よりも溶ける心配が少ない

春なのではないかとか考える。

唯一、花粉だけは蚊と同じで鬱陶しいけれど

一周回って愛おしいとも思わせてしまう

春の底力ってすごい。

友達の中には

春は何か始めなきゃいけない気がするから

ソワソワするという人もいて

その気持ちもわかる。

一方で、それが楽しいのではないか!

と思う自分もいる。

今年はどんな自分に会えるだろう。

どんな出会いを掴めるだろう。

何を始めよう。

私の頭の中も

イデアが膨らんでは行方のわからぬ先へ

舞っていく桜の花びらのようだ。

そう、春はよくわからない文章も

書き記したくなる愉快な時なのだ。

私からすれば年度の切り替わりが

年越し並みに心を入れ替えられる

タイミングでもある。

2024春。まずはGPA3.0以上確保。

なんてったって学生なのだ。

学ぶ学ぶぞ。

1番やる気あるはずの大学1年生の春学期が

1番GPA低い理由が今日分かった気がする。

春は遊びに出かけたくなる時期だった。

私はフィンランドに行って

自己を見つめ直す時間を

無意識的に取れたと帰国して思う。

きっとフィンランドに流れている空気が

そうさせてくれたのだと思っている。

今、研修のまとめとしてレポートを

書いているのだが途中途中で

ぽっと頭に浮かんでくる言葉が

たくさんあって、ここに残したくて、

何度も中断している。

今浮かんだことがタイトルにもした

「言葉を届けるということが好き」

というものだ。

届けるというと少し違うかもしれないと

精査していて思うが、

もう少し正確に言うと

どの言葉が1番自分の気持ちを

ストレートに含みなく伝えられるかを

考えることが好きなのだと思う。

数式がばっちり当てはまって

ピンポイントの正解に

辿り着けたときの爽快感と似ている。

これだ!という単語を当てはめられたときは

嬉しくて、より言語化が進む。

同時進行で書き上げているレポートも

堅苦しい言葉にすると

先が進まなくなると感じて、

今は一度、日記のように

もはやメモのように

頭の中の情報と、得た感情を

ぶわーとひとつも漏らさないよう

絞り出してみている。

それを1人校閲する時間さえも

楽しみに思えてくるから言葉って

奥が深い。

1人時間を楽しめるものができて

みなさんに共有することもできて

改めてfulura's blog始めてよかったな~

と思います!

それでは今宵もよい夜をお過ごしください。

fulura