新しく創造される光の国 (original) (raw)

神は神を恐れる正しい人アブラハムに契約のしるしとして、割礼を与えられました。

アブラハムの子孫は、割礼を受けて、神の契約のしるしとします。

神は、アブラハムと妻サラのひとり子イサクを、契約を受け継ぐ跡取りとされました。

神は、イサクの子ヤコブを選び、「神と戦い、人と戦って、勝った者、〈戦う神〉のために闇と戦い勝利するイスラエル」とされました。

神は「イスラエルの神」と名乗り、「ヤコブ(イスラエル)」の子孫を「イスラエル」と呼ばれました。

神はイスラエルと契約を結び、神の民の律法(モーセの律法)をお授けになりました。アブラハム、イサク、ヤコブの契約から、相続人のユダヤ民族との契約によって、神の民を造られたのです。

神は、イスラエルに神のことばを与え、レビ族を神に仕える祭司に任命し、イスラエルを神のことばに聞き従う神の民として任命されました。

イサクの双子の子の兄エサウを退け弟のヤコブを選ばれた神は、二人はそれぞれの国民となること、また、兄が弟に仕えるとお定めになりました。

すなわち、兄エサウから生まれる国民は、弟のヤコブから生まれる国民に仕える、と仰せられたのです。

兄エサウの子孫エドム人は、父イサクの異母兄弟の兄(アブラムと、妻サライの女奴隷のエジプト人の女ハガルとの間に生まれたイシュマエル)の子孫と婚姻関係を結んで、アラブ人となっているようです。

神に愛されていることがわからなくなったイスラエルに、神は仰せられました。

「エサウはあなた(ヤコブ)の兄ではなかったのか。(エサウはイサクの長子であり、本来ならば父のものを相続する権利を持つ者でした。)

―主の御告げ。―

わたし(神)は(神と戦い、人と戦って、勝ち、父祖アブラハムの契約と祝福とを自分のものとした、全身全霊で神の祝福を求める)ヤコブを愛した。

わたし(神)は(神の契約を軽んじる愚か者の)エサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした。(ユダヤ民族は残っていますが、エドム人は民族として残っておらず、アラブ人の中にはいっています。)」(マラキ1:2,3)

神は神のものを軽んじ、その価値を悟らない者を憎み退けられます。

神は、その価値のわかるものに、お任せになるのです。

「たといエドム(エサウの子孫)が、『私たちは打ち砕かれた。だが、廃墟を建て直そう。』と言っても、万軍の主はこう仰せられる。

『彼ら(エドム人)は建てるが、わたし(神)は打ち壊す。彼らは、悪の国と言われ、主のとこしえに呪う民と呼ばれる。』」(マラキ1:4)

エドム人は、「弟(ユダヤ人)に仕える。」と仰せられた主に従う者ではありませんでした。仕えるどころか、敵対する者として、神の怒りを買っています。

それゆえ、神は、彼らの敵となられました。

彼らの建てたものを神御自身が打ち壊されます。それは、神の民イスラエルの手によって、ということでしょうか。

神は、神の民(ヤコブの子孫)が彼ら(エサウの子孫)の国を、神の御計画に逆らう「悪の国」と呼び、「主のとこしえに呪う民」と呼ぶことを御存じでした。

イザヤは預言しています。

「わが剣(神の民の剣)は天にてうるほひたり(神の憤りを帯びた剣は血がしみ込んでいる)

視よ エドムの上にくだり滅亡に定めたる民のうへ(上)にくだりてこれを裁かん」(文語訳 イザヤ34:5)

口語訳では、

「わたしの剣は天において憤りをもって酔った。(酔ったように攻めまくる)

見よ。これ(剣)はエドムの上にくだり、わたしが滅びに定めた民の上にくだって、これを裁く。」

神は、エドム人を聖絶することを定めておられるようです。また、神が滅びに定めた民を、御自分の聖なる民(イスラエル)によって聖絶されるようです。

イスラエルの先祖がカナンの地を所有した時もそうでした。カナンの地は暴虐に満ちており、「悪の国」となっていたのです。

神は、御自身が聖別した民(ユダヤ民族)によって、カナンの地の民を聖絶して、イスラエルの所有とされました。しかし、実際は、少しばかり残されました。戦いを知らない後のイスラエルが戦いを学ぶためだとあります。

神の民イスラエルがまだ生まれていない時には、暴虐に満ちた地ソドムとゴモラを、神御自身が天からの火で滅ぼされました。

現在は、神の民イスラエルが存在しています。神御自身の御手によってではなく、神の民の手によって「悪の国」を聖絶されるようです。

なぜならば、神が滅びに定めておられる民だからです。

神のみことばと神の民に敵対する民は闇であって、光の子になることはないのです。

神のみことばのうちを歩む国民によって、神の国は建てられます。

父イサクはヤコブ(ユダヤ民族の父)を祝福して祈りました。

「国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子ら(エサウの子孫)がおまえを伏し拝むように。

おまえを呪う者は呪われ、おまえを祝福する者は祝福されるように。」(創世記27:29)

父イサクは、長子であるエサウを祝福したつもりでしたが、実際には、弟のヤコブを祝福したので、天にはヤコブへの祝福として記録されました。

ヤコブの子孫であるイスラエルに敵対する者は、たとい、血肉を分けた兄弟のエドム人であっても赦されません。

アラブ人は、自分たちの民族の中にはいったエドム人の罪をともに背負って、「悪の国」を建て上げます。しかし、神にへりくだって神の選びの民ユダヤ人に仕えるならば、神の祝福を受け、御救いにあずかるのです。

エバを騙した蛇のかしらが悪魔であったように、アラブ人の血の中でエドム人の血がかしらとなって悪しき民となり、後には、天から来られるキリストによって聖絶される「反キリストの国」の国民となるのでしょう。

神は、闇の世に、真理の光をお与えになりました。滅びに定められた世に、永遠の御救いを知らせ、光の子による神の国をお造りになるのです。

光の子とは、神の聖霊による新しい創造を受けた、新しい人たちです。御霊によって生まれて新生し、真理の御霊(神の御子イエス・キリストのことば)に繋がる人々です。

イスラエルの神は、神の選ばれたカナンの地に、神の契約の民イスラエルに国をお与えになります。

カナンの地は、世界の国々を治めるために、神御自身が選ばれた地です。

神は、神の選ばれた神の都エルサレムに、「イスラエルの王」を住まわせられます。世界の人々を救う「救世主」である、天から来られた神の御子イエス・キリストが住まわれて、世界を治められるのです。

イスラエルは、王を迎えて「王国」となります。王座に着座されるのは、ダビデ王の子孫キリスト・イエスです。

世の罪を取り除く神の子羊イエスは、「ユダヤ人の王」として、ベツレヘムで生まれ、「ユダヤ人の王」の罪状によって、エルサレムで十字架につけられ人々の罪を贖うために死なれました。

三日目に死から甦られ、御救いのわざを成し遂げられたイエスは、「父の約束を待ちなさい。〈聖霊のバプテスマを受けなさい〉。」と弟子たちに命じて、天に上り、聖霊のバプテスマを授けるキリストとなられました。

神の子羊イエス・キリスト「救い主」が天に上られると、もうひとりの「助け主」真理の御霊が天から下って来られました。御霊は、光の子を創造されます。

今は、真理の御霊の助けを受けて、真理を悟り、キリストの設けられたいのちの道を歩む光の子らを、新しく創造される時代です。

世界の国々、すべての民族の祝福となると定められているイスラエルから、キリスト(救世主)が生まれ、キリストの御霊【聖霊】によって、光の子が生まれます。

神は光の子らによって、光の国を創造されます。

天からの神のことば(キリストの御霊、すなわち真理の御霊)に繋がっていない、現在のイスラエルは、光の子に造り変えられてはいません。

しかし、神は、再び、ヤコブの血を引くユダヤ人の中から、ふたりの証人「イスラエルのメシア」「アロンのメシア」を立てて、世界を救いへと導かれます。

異邦人の救いが完成すると、ユダヤ人の心の覆いは取り除かれ、救いに定められたすべてのユダヤ人は神のことばを信じて、悔い改めとともにキリストを心に迎える新しい人に変えられるのです。

キリストと天の軍勢は、悪魔と反キリストの国民と戦って勝利し、反キリストの国民は絶滅され、反キリストが奪った約束の地(アブラハムの所有地)は取り戻されます。

イエス・キリストが王座に着座されると、神がアブラハムにお与えになったエジプトの川からユーフラテス川までの契約の地を、ユダヤ十二部族のそれぞれの部族に割り当てられて、イスラエルは、約束の地を相続するのです。