潜在意識とつながる前に・・・ (original) (raw)

そもそも、潜在意識とは」の続きです。

私が、「よし、潜在意識を変えるんだ。自分の思う通りの人生にするんだ」このことを自分で自覚したのは、もう30年近く前のことになります。

近所の本屋さんでマーフィーの本を見つけたのがきっかけです。

マーフィーの書籍をずいぶん読んでいました。

この頃は、他に、船井幸雄先生、七田眞先生、そして、先生たちが推薦する書籍を山のように読みました。

そして、個人創業し、有限会社にし、株式会社にして少しは認知していただけるようにもなりました。

その一方では、無力感に襲われたり、思いもよらないような出来事が起こります。

どうしてなんだろう?

頭では、「脳は一人称でしか理解しない」ことや「観察者が見たものが粒となる」ことや「一元論」など、知識だけは知っているしわかっている。潜在意識が大事って言わなくてもわかっているというくらいわかっている、つ・も・り。

でも、どうしてなんだろう?

私を経営者団体に誘ってくださって、いろいろと教えてくださっていた方が、いつもこんなことを言っていました。

「たらいに入っている水を、自分にかき寄せると淵をつたって外側に行ってしまうけど、水を押し出せば、自分に戻ってくる」

私は、この話を思いだすたびに、このように解釈していました。(二宮尊徳翁の意図とはちょっとズレていますが。)

自分が発信したものは、すべて自分に戻ってくるんだ。と。

つまり、すべてスタートは自分。

そのことを体感したのが、内観道場での体験です。

内観法は、吉本伊信が「身調べ」という精神修養法をもとに考案した、自己の内面を観察する方法です。

一般社会での自己啓発や悩みの解決法として、心身医学領域での心理療法として、また企業研修や学校教育、矯正教育など幅広い分野に活用されています。 「身調べ」はもともと浄土真宗の一派に伝わる精神修養法でしたが、吉本伊信はその方法から宗教色を排除して、また広く誰にでもできるように簡便化を図りました。 そして、1968年には、現在のような内観三項目(「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」)が確立されました。

内観は、1週間、一定条件のもとで行うものを「集中内観」といい、日常生活の中で短時間ずつ行うものを「日常内観」といいます。 内観法は様々な目的に活用されていますが、特に疾病の治療として用いられる場合には「内観療法」とよばれます。

※日本内観学会様のホームページより引用させていただきました。

船井幸雄先生の著書の中だったと記憶しますが、この内観法のことを知ったのです。

時、同じくして、経営者仲間の方から、興奮した面持ちで「内観ってすごいよ!」と話を聞かされたこともきっかけとなりました。

全国にある道場を調べ、和歌山の道場へ一週間お世話になりました。

道場は、お寺の敷地内の一角にあり、山に囲まれたとても穏やかな場所でした。出迎えてくださった先生方は、ご夫婦で内観面接士です。

道場に到着すると、一週間の説明を受け、携帯電話を預けます。通された部屋は、6畳ほどの和室で一人で過ごすことになります。

道場では、午前6時起床 約30分の清掃後、内観研修→午後9時就寝と規則正しい毎日を送ります。

内観研修は、ひとりで静かに過去の自分と向き合います。具体的には、幼稚園くらいの年齢から3年程度に区切り、過去の自分を思い起こします。

その内容は、
・してもらったこと。
・して返したこと。
・迷惑をかけたこと。
このことについて思い出して考えます。

1時間置きくらいに、簡単な面談があり、思いだしたことを簡潔に述べると、次の時期の指示を受け、また、同じように・してもらったこと。・して返したこと。・迷惑をかけたこと。について思い出して考えることの繰り返しです。

思いだしたことを話して発散することが目的では無く、自分で振り返り思い出したことを踏まえて次の時に繋げます。繰り返す事で今までの人生を振り返ります。

人と接触するのは、一日に数回、先生が部屋にいらっしゃるので、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を話します。

最初の2日間ほどは、じつは特に何も感情も動かないし、ただただ淡々と、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を思い返していました。

ここでは、メモを取ったりする必要はなく、ただただ思いだすだけでいいのです。

今でも、よく覚えているのですが、内観をはじめて3日目。
同居していた祖母に対して「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を思い返していたら、急に涙があふれだして、嗚咽が止まらなくなりました。

自分でもビックリしました。

いかに、自分が「してもらっていたばかり」で、「迷惑しかかけてこなかった」のか。ということにハッと気が付いた瞬間。
申し訳ございませんでした。という涙なのです。

このことがきっかけとなり、父に対して、母に対しても、ほんとうに申し訳ございませんでした。という謝罪の涙が止まらない。という経験。

1週間の集中内観を終え、帰路につくときに、今までにないような感覚が芽生えたことに自分でも驚きました。

内観を終えた私の内面の変化が、外側に現れたことを、のちに実感することとなります。


「よし、潜在意識を変えるんだ。自分の思う通りの人生にするんだ」と

アファメーションしたり
感謝日記をつけてみたり
思っていることをノートに書き出したり
ネガティブなこともノートに書き出したり

潜在意識にいいと言われることをなんでも試してみても

自分なりに頑張っていたけれど、
自分の望む結果が伴っていなかったのは

私が「被害者意識」を握りしめていたから。

すべてスタートは自分。と述べましたが、これは、「願ったことが叶う」のではなく、「思ったことが現実化する」のが事実ということ。

スタートである自分が「被害者意識」のかたまりだとしたら?

つまり、
○○された!
ひどい!私は悪くないのに!
そんな被害者意識を
自分で気が付けないほどに握りしめていたとしたら?

していただいたことは、当たり前と思っていて
たまに自分がしてあげたことは1~2度程度のこともまるで武勇伝のように思い
迷惑しかかけていなかったのに、自分はその迷惑行為を楽しいことだと大きく勘違い。

そのくせ、
○○された!
ひどい!私は悪くないのに!
被害者面で悲劇のヒロイン。

これが、映画やドラマだったら、面白おかしく見ていられるかもしれないけれど、実際に自分がそんな状態だったとしたら?

今現在の私が確信をもって言えるのは
「被害者意識」を手放さない限り
それは自分の非を認めることになりますが

潜在意識を使いこなすことは難しい。ということです。

もっとも
潜在意識は瞬時にも休むことはありませんから
あなたの考えていることを現実化し続けてくれています。

ただ、その現実化されているものが
自分の思い通りか否か。という差があるだけの話。

その現実化されているものが嫌ならば
発信元であるスタート地点を今までと変えたらいいということ。

だから、握りしめずに
被害者意識は手放した方がお得なのですね。