パリ・オリンピック開会式 どこでどんな出し物があった? 徹底解説します! (original) (raw)
パリ五輪が開幕しました。セーヌ川で行われた開会式をご覧になられましたでしょうか。今までのオリンピックではスタジアムで開会式が行われていましたが、初めての試みとして、パリの街並みを利用した開幕式になっていました。チケットを持っていない人でもその様子を見ることができたようです。
会場になった地域は「パリのセーヌ河岸」としてユネスコ世界遺産に登録されています。世界遺産の中の各地で行われた出し物を、地図と照らし合わせながら、振り返ってみましょう。
枠で囲われているエリアが世界遺産に指定されている
➊ スクエア・バリー(Square Barye)
セーヌ川の中州のひとつ、サン・ルイ島の先端にある小さな緑地です。階段のセットを組み、レディ・ガガがジジ・ジャンメールの「羽飾りのトリック(Mon truc en plumes」を歌いました。ジジ・ジャンメールはパリ出身のバレエダンサーで、シャンソンの曲調やキャバレーの振り付けで人気を博しました。
このパフォーマンスは生放送される予定だったものの、雨が降りそうだったため、開会式当日の昼過ぎに録画したものを放送したのだそうです。
こちらが元になっているジジ・ジャンメールの振り付けです。
➋ ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)
中州のもうひとつ、シテ島に建てられたゴシック建築を代表する建物です。1163年に着工され、13世紀前半までは西洋最大のカトリック教会として知られていました。1804年にナポレオンの戴冠式が行われた場所です。2019年には一部が焼損してしまい、いまだに修復中です。その足場を利用してアクロバティックなダンスを披露していました。
ナポレオンの戴冠式の様子
➌ コンシェルジュリー(Conciergerie)
マリー・アントワネットが処刑されるまでの間、2か月半を過ごした牢獄です。その独房は再現されていて、見学することができます。
もともとはフランスの君主が住んでいたシテ宮殿だっため、王宮の司令官コンシェルジュ(守衛)がコンシェルジェリーという名前の由来です。
フランス出身のヘビーメタルバンド、ゴジラ(Gojira)と、オペラ歌手のマリナ・ヴィオッティ(Marina Viotti)による革命歌「ああ!サ・イラ(Ah ! ça ira)」の大胆なアレンジの演奏が披露されました。ギロチンで切断された首を手に持ったマリー・アントワネットが歌い、血しぶきのような赤い煙やテープが噴出されるという演出が印象的でした。
独房に閉じ込められたマリー・アントワネット
➍ フランス学士院(Institut de France)ポンデザール(Pont des Arts)
1635年、ルイ13世のもとで宰相を務めていたリシュリューによって建設された学術機関で、現在でも最高機関と位置づけられています。その目の前につながる橋がポンデザールです。
マリ出身でフランスとの二重国籍を持つアヤ・ナカムラとフランス共和国親衛隊(Garde républicaine)、フランス陸軍合唱団(Chouer de l'Armee Francaise)による演奏がここで行われました。アヤ・ナカムラ自身の代表曲「Pookie」と「Djadja」、そしてパリ出身のシャンソン歌手、シャルル・アズナブールの曲「For Me Formidable」のカバーが披露しました。
シャルル・アズナブールは、フランソワ・トリュフォー監督の映画「ピアニストを撃て」の主演でもおなじみです。アニメ「機動戦士ガンダム」に登場するキャラクターのシャア・アズナブルの名前の由来でもあります。
➎ グラン・パレ(Grand Palais)
1900年のパリ万国博覧会のために建設されたアール・デコ調の建物です。
ドームの屋上に立ったメゾ・ソプラノ歌手のアクセル・サン・シエル(Axelle Saint-Cirel)が、フランス国旗を手にし、国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌いました。この曲も、革命の際に民衆に歌われた曲ですね。
グラン・パレ内部から見た美しいガラス屋根
(出典)https://www.grandpalais.fr/fr
➏ エッフェル塔(La tour Eiffel)
こちらも、パリ万博の際に建設されました。万博終了後は取り壊す話も出ていましたが、軍事用の無線電波の送受信として活用されることになりました。
エッフェルとは、塔を設計した人物の名前です。
著者の知人のフランス人は、東京タワーを見て「エッフェル塔のパクリ」と言っていました。
セリーヌ・ディオンは、フランス語を公用語としているカナダのケベック州出身。映画「タイタニック」のテーマ曲の大ヒットで有名ですね。現在はスティッフパーソン症候群という筋肉の硬直や、けいれんを伴う難病と闘っています。
エッフェル塔の上から、パリ出身のシャンソン歌手、エディット・ピアフの「愛の賛歌(Hymne à l'amou)」を歌い上げました。
➐ チュイルリー庭園(Jardin des Tuileries)
かつてはここに、チュイルリー宮殿がありました。1563年から建設が始まり、100年かけて完成。革命後はナポレオン3世がここに居住して結婚式を挙げています。しかし、1871年にパリコミューン(労働者による自治政府)によって放火され焼失しました。現在では庭園のみが残されています。
開会式の締めとして、気球を模した聖火台がこの公園から空に飛ばされました。
この聖火台の炎は、実は本物ではなく、水蒸気の煙にLEDの光を当てて炎のように見せています。開会式では空中に浮かび上がっていましたが、現在では浮いているのは気球部分のみで、聖火台は地面に降りています。
1783年12月、ジャック・アレクサンドル・セザール・シャルルとロベール兄弟によって、まさにこの庭園で水素気球の初の有人飛行が行われました。
当時のフランスは気球の発明競争が活発で、同年11月にはモンゴルフィエ兄弟が発明したガスによる熱気球の有人飛行を成功させていました。一部では、モンゴルフィエ兄弟がここで気球を飛ばたという報道や、ここで初めての気球の有人飛行が行われたという報道がありましたが、正確ではありません。
初の水素気球による有人飛行の様子